第9話 私の顔と水路

 川の音を聞きながら、目の前の景色を楽しむ。川の流れによって連続して波を打つ水が日の光を乱反射させ、川全体を煌めかせている。とても綺麗で、見ていて退屈しない。

 ・・・光の反射・・・か。

 そうか。水に波が起きているから光が乱反射しているのならば、波が立たない環境を用意すれば光の反射で私の顔を自分で見ることが出来るんじゃないだろうか。早速試してみよう。

 河原から大きめの石を手に取り、鰭剣きけんを使って拳ほどの厚みの真っ平らな石板を作る。石板の外周より一回り狭い範囲を小指の第一関節ほどの深さまで平に掘っていき石の皿を作る。

 石の皿に水を汲んで波が収まるったら、皿にできた水面を覗いてみる。

 規則正しく光を反射したことによって、私の姿が私の瞳に映し出されていた。

 水面に映る自分の顔を見ながら様々な表情を作ってみる。


 なるほど。私はこういう顔をしていたのだな。

 ふむ、眉毛や睫毛も髪の毛と同じ色、性質をしているようだ。おそらく私の体毛は産毛も含めて皆、同じ性質を持っているのだろう。

 水面に映る私の目は半開きに近い状態であり、じっとりと、相手を睨んでいるようにも見える。いや、意図的にそうしているわけではないのだ。自然体でこの表情なんだ。

 ひょっとして"角熊"くんは私に睨み続けられていると思ったからあんなに怯えていたのだろうか。


 それにしても奇妙な瞳だ。外側は赤く、瞳孔に向かうにつれて徐々に紫に変わる色彩は、虹のようにも見える。その瞳を半分に割るように縦長に開いてる瞳孔。"角熊"くんや先程食べた魚と比べると大分派手な瞳だな。


 私の顔の造形が分かったのは良い事だとは思う。が、思った以上に感動が無い。確認できなかった自分の顔が知ることが出来たのだから、もっと喜べるかと思ったのだが。おそらくは、比較対象が無いから、自分の容姿が優れているかどうかも分からないのが原因だ。

 まぁ、それで困ることは今のところ無いから気にする必要も無いだろう。


 さて、水の存在が確認できたことも、その水が飲んでヨシ、洗ってヨシと、とても有用であることも、私にとっては手放しで喜べるほどの僥倖だろう。

 後は、この水を私の寝床の近くまで引いてくる事が出来れば言うこと無しだな。やってやれないことは無いだろう。時間は掛かるが。時間などいくらでもあると考えていいだろう。やりたいことは多いが、強要されているわけでもないのだ。自分のペースでやれば良い。


 計画としては、まずこの川を辿っておそらくあるだろう滝へと向かう。後は崖を伝って私の寝床まで溝を掘って溝を石で囲うことで水路を作っていく。石材は崖からいくらでも調達できるだろうから心配する必要は無い。

 寝床の近くまで来たら、周辺にいるかもしれない動物達には驚かせることになって悪いが、盛大にクシャミをしてクレーターを作り、ため池にする。

 ため池から川の方へ向けてなるべく直線で同じように水路を作り、川と合流させる。我ながら良い計画だと思う。崖に滝が無かった場合、計画が一気に破綻するが。

 それでは、崖に滝があることに期待して川を上っていくとしよう。



 河原に沿って川を上り始めて十万歩に届きそうになるほど歩いたところでようやく滝壺の元までたどり着くことが出来た。すでに日は沈み切っていて、雲のない空は星々がきらきらと様々な強さで輝きを放っている。

 そう、滝の存在はだいぶ前に判明していた。川を上り始めてから二万歩と少し歩いたところ、水が激しく何かを叩きつける音が聞こえてきていたのだ。川が蛇行することなく、真直ぐ流れてきくれているおかげで、そこから一万歩も歩かないうちに、水が落ちている崖を確認することが出来た。

 たどり着いた場所でまず目に入ってくるのは、私の寝床よりもはるかに広い池だ。その広さは私の寝床の、優に30倍はある。どれだけの時間を掛ければこんなものが出来るのだろうな。

 池の縁に立ち、地面を触れてみる。外周は石と同じ成分のようだ。私の寝床の方角の地面を見ると百歩先の地面の成分も変わりがないようだ。水路を引くのに都合が良い。

 視線を崖に向けてみれば、あの"角熊"くんですら全身を容易に包み込んでしまうほどの水が降り注いできている。まるで巨大な水の柱を見ている気分だ。滝壺は相当に深いだろう。

 これならば私の寝床に水路を引いてくるのに申し分ない環境だ。ここから寝床までの距離はかなりある。早速作業を始めていくとしよう。


 崖を鰭剣で切り付けて真四角の石板を作る。拳ほどの厚みで、一辺の長さは私の足二つほどだ。これを仕切り板にする。

 池の縁を仕切り板が綺麗にはまる形に鰭剣でくり抜く。くり抜いた場所に仕切り板を差し込む。これで、問題なく水路を作っていけるだろう。このまま鰭剣を使って四角く地面をくり抜いて溝の道にしていく。くり抜いた石は今後何かに使えるかもしれないから、資材として確保しておこう。



 一日中作業を行っているが、寝床まではまだまだ距離がある。滝の場所からは二万歩ほど歩いた距離だろう。地面の成分はすでに土に変化していた。その際、確保しておいた石は一度寝床へと持って行っている。

 その時に分かったが、軽い駆け足でも百歩歩くよりも短時間で寝床から滝までの間を往復することが出来てしまった。

 溝の大きさより一回り大きく四角にくり抜く度に、崖から石をくり抜いて底に並べていく。三十歩分の距離の間隔で石の接合面に高熱を帯びた鰭剣の先端を這わせて、石を溶接してほんの僅かな隙間を埋めていく。が、流石に夜間に例の破裂音を出すのは忍びない。その為この作業は日中限定として、夜間はその分、溝を作ることに専念する。


 とまぁ、そんな手間のかかる作業をしているため、進行は緩やかなものだ。

 それにしても、鰭剣に熱を帯びさせる度、例の破裂音を上空で発生させているため、周りの者たちにはうるさくて仕方が無いだろう。迷惑度は初日に検証をしていた時の比ではない。

 周辺に生きる者達よ、本当に申し訳ない。だが、私は自分の生活圏内に水のある生活がしたい。多大な迷惑を与えている事を承知で私は作業を進めていく。



 それから四日間以上、作業を続けた時、ようやく私の寝床が視認することが出来た。現在は日が昇り、辺り一帯を照らし始めている。

 一旦作業を中断し、寝床を確認する。細枝から生えている若葉が枯れかけていた。無理もないだろう。とりあえず、敷き詰めた細枝の中から特に細いものを選んで一本回収する。


 今の寝床から二十歩ほど距離を開ける。崖に向かい合い細枝の先を私の鼻孔のそばで揺らしてくすぐる。まさかこれをもう一度やるとは思わなかった。しかも今度は意図的にだ。何故かは分からないが、少し悔しさを覚える。

 むっ、そろそろくクシャミが出そうだ。今回も遠慮せずに盛大にやろう。


 「ふ・・・ふぉぁっ・・・・・・ぶぇぁあああっくしぇぇええいっ!!!!」


 盛大な爆砕音と共に大量の土が私の身体全体にぶちまけられる。が、同じ轍を踏むつもりは無い。クシャミを出し終わった直後、土が私に掛かる前にあらかじめとぐろを巻いた尻尾を盾のように構えて土を被ることを防いだのだ。

 尻尾をどけて前を見れば、見事に想定通りのクレーターが完成していた。さぁ、ここからが本番だ。


 まずは作ってきた水路とクレーターをつなげる。そうしたらクレーターの形を均一にするために、浅い部分をくり抜いていく。

 形を整えたら、寝床に確保しておいた石を持ってきて新しいクレーターの底面を覆いかぶせるようにして綺麗に並べていく。

 石を使い切ってしまったので崖をくり抜いて石を補充していく。クレーターを蔽い尽くしたら水路を作っていた時と同じ様に石の接合面を溶接する。


 何とか、日が沈み切る前にため池を作る作業を終わらせることが出来た。さぁ、折り返しはとうに過ぎている。ここまで来たらもうひと踏ん張りだ。


 ため池から川に合流させる排水路を作っていこう。

 とはいえ、やることはそう変わらない。一日もあれば作業は完了するだろう。タイミングの良い事に、ちょうど日が沈みきって夜になったところだ。日が昇るまでの間に川まで続く溝と、そこに敷き詰める石材を作ってしまおう。



 作業を開始してから飲まず食わず出さず寝ずの六日間以上、体を動かし続けてようやく水路が完成した。だが、達成感に浸るのはまだ早い。これから滝へ行って最後の仕上げだ。


 川に沿って駆け足で滝へと向かう。最初に滝まで移動するのに掛かった時間が嘘みたいな速さで目的地に到着する。いつ見ても目の前の膨大な量の水が、上空から叩き付けられるのは凄まじい光景だ。

 池の縁に足を運び、池と水路を境にある仕切り板を引き抜くと、勢いよく水路へと水が流れていく。


 この後、流れてきた水がため池を満たし、ため池から排水路に流れた水が川に合流したことを確認したところで、ようやく、私の心は達成感に満たされた。辺りを照らし始めた日の光が、今まで以上に美しく見えた。


 ところで、これだけのことをやって私の健康状態はまるで変わりなく、至って良好である。


 飲食、排泄、睡眠、そのどれもが私にとって不要な行為である可能性が私の頭をよぎった。

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