不法侵入
北里有李
前編 侵入、退散
数年前のことです。私はそのころはまだ大学生で、寮で暮らしていました。
寮の周りは普通の住宅街なのですが、その中に異様な雰囲気の家がありました。一階建ての家だったのですが、窓が全部割れていて、小さな庭に生えている雑草は腰まであるくらいにボーボーです。煤で汚れたようなトタンの壁はボコボコにへこんでいました。
廃墟と呼ぶに相応しいそこは、たまにサークルの仲間内で話題になっていました。
八月末、まだかなり暑い季節のころに、かねてより話題になっていたあの廃墟に行ってみないかという話になります。「寮から近いし、夏だし、肝試しと行きますか!」という軽い感じで行くことが決まったんです。
普通肝試しとか廃墟探索と言えば、廃ホテルや廃旅館だと思いますが、その廃墟は本当にただの一般住宅が朽ちただけといった見た目で、ハードルがかなり低くなっていました。私たちは大した装備も用意せずに、スマホのライトだけを頼りに廃墟に向かいました。
廃墟探索隊に加わったのは、私を入れて四人でした。男二人と女二人で、それぞれタツキ、ミキ、カナコとします。私はぶっちゃけカナコを狙っており、格好つけるためにかなり気合を入れて挑んでいました。
私たちは徒歩で廃墟に向かいました。夜その廃墟を見るのは初めてだったのですが、なぜか周りよりその廃墟だけが暗く見え、少し不気味でした。あんなに暑かったのに、涼しい空気が足元に充満していて少し寒かったのを覚えています。
私は少し怖かったのですが、格好悪いところを見せるわけにもいかなかったので、強がっていました。
「全然大したことないな。小さすぎてすぐ終わっちゃうんじゃね」
「でも私ちょっと怖い」
「なあ、さくっと入っちゃおうぜ」
「ねえ待ってよ」
ここは先にも書いたように、住宅街のど真ん中です。あまり騒ぎすぎたり、目立ったりしたら通報されるかもしれません。なので俺は早く探索を終わらせて早く帰りたいと思っていました。
「ほら、行こう」
俺とタツキが先頭に立ち、そのあとに女子二人がついてきます。
ドアノブに手を掛けると、力を入れなくても入口のドアは開きました。長く放置されていたのか、蝶番がかなり緩んでいます。風が吹けばひとりでに開きそうなほどです。高く不穏な金属音をあげながら開いた扉の奥には、想像よりもきれいな廊下が続いていました。
私は思わず靴を脱ぎそうになりました。あまりにも普通の住居なのです。もしかしてまだ誰か住んでいるのではないかと不安になりました。見つかってはいけないことをしている自覚はあったので帰ろうか迷いますが、こんな外観の家に住むなんて絶対に不可能です。雨も風も防げないのですから、こんな家に住むはずがありません。住んでいるとしたら、動物かホームレスくらいでしょう。
異様な雰囲気に、きゃぴきゃぴしていた三人も黙ってしまいました。想像とあまりにも違うのです。埃一つない廊下は、何か得体の知れないものが手招きしている嫌な想像を膨らませるには十分でした。しかし、私は率先して前に進みます。
「なんか思ってたよりガチじゃん。楽しくなりそうだな」
「大丈夫なのこれ?」
「大丈夫だって。ほら行くぞ」
私たちは土足で上がり込みました。廊下を進み、部屋を見て回るのですが、リビングやキッチン、風呂場があるだけで、特に何も発見できませんでした。
「ねえ、なんか変じゃない?」
「何が?」
「見てよ。窓が割れてないんだけど」
カナコのスマホが照らす先を見ると、綺麗な状態の窓ガラスがありました。その窓の向こう側には道路があります。つまり、割れていなければ外から見たときに気付いていたはずなのです。
私は途端に背筋が凍りました。あり得てはいけないことが、目の前で起きているのです。足を踏み入れてはいけないところに入ってしまったという直感が、私の頭の中を駆け巡りました。
「なあ、もう出ないか?」
願ってもない提案です。
「そうだな。行こう」
「私もう嫌」
そう言っていると、突然ミキが声を上げました。
「ねえ、あれ見てよ」
そういわれて目線をやると、怯えた表情のミキは廊下の一番奥を指さしたまま、凍り付いていました。私は照らされたものを見て、今まで感じたことのない怖気に襲われました。
「階段……?」
そこには二階に続く階段がありました。この廃墟は一階建てのはずです。
「どういうことだよ。ここ二階建てじゃないよな」
私たちは言葉を失いました。外と中で、見た目が違うのです。異次元に来てしまったようでした。
「おい、早く帰るぞ」
私はそう言い、タツキとカナコもうなずきました。しかし、ミキは全く動こうとしません。私はミキの腕を引いたのですが、まるで家とくっついているかのように動きませんでした。上半身も下半身も、ビクともしません。
「おいミキ!どうしたんだよ!」
「早くしてくれ!もう帰ろう!」
タツキがどうだったかは知りませんが、私はもうほとんど泣いていました。カナコは私たちの後ろでびくびくとするだけでした。
すると脈絡なく、ミキの口が開きました。
「……はい」
「動いた!行くぞ!走れ!」
途端に、ミキは動くようになりました。私とタツキは、ほとんどミキを担ぎ上げるようにして走り出します。先頭をカナコが走り、その後ろをミキを抱えた男二人が走ります。
なんとか玄関までたどり着き、私たちは団子になって外に転がり出ました。ぜいぜいと肩で息をし、しばらく喋ることはできません。担がれていただけのミキはボーッとしており、放心しているように見えます。
「はあっはあっ。みんな、生きてるか?」
「なんとかぁ……」
「余裕だわ……」
二人はいつも通りの反応をしました。しかし、ミキだけは放心しているようでした。私はミキに話しかけるのが怖くて、ミキの様子がおかしいことに気付きながらも、無視していました。
しかしタツキは真の陽キャなので、気にせず聞きます。
「ミキ?大丈夫か?」
そう聞かれたミキは、焦点の合わない目のままタツキを見つめます。
「私、行かなきゃダメなの」
「は?どこに?」
ミキはそう言うと、立ち上がってどこかに歩き始めます。道路のずっと先、暗くてよく見えない場所です。
「ねえ!ミキ!どこ行くの!」
「おい!本当に大丈夫か!?」
私はミキの腕をつかもうと、手を伸ばしました。しかし、私は道路の先に見えるものに恐怖し、手を引っ込めてしまいます。
そこには、人のようで確実に人ではない何かの影が、手招きをしているのが照らされているのです。街頭が不自然にそこだけ強くなっており、逆光で黒くしか見えません。
タツキとカナコもそれを見ているようで、恐怖のあまり誰も声を発しませんでした。ミキだけはふらふらとその陰に向かっていきました。私たちは息を飲んでそれを見つめていました。
ミキが影に触れられるほどまで近付き、手を伸ばすと街頭が全て消え、辺りは暗闇に包まれました。カナコと私は、突然の事態に悲鳴を上げてしまいました。タツキだけはスマホで辺りを照らし、私たちを掻き寄せました。
「大丈夫だ。大丈夫だから」
そういうタツキの顔には余裕はなく、自分に言い聞かせているようです。
一分ほど経つと、街灯が復活しました。ミキやあの影はおらず、影を不自然に照らしていた街灯も普通になっています。
私たちはミキを探したりはしませんでした。無言のまま、もう帰るということで全会一致していたのです。
それから寮に着くまでは、かなり速足で歩きました。お陰でかなり早く帰ることができ、私たちは一安心しました。
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