第2話 過去がおれを追いかける

 駆けつけたおれを見て、アロハ柄は振り上げた手を止めた。しかし白シャツが邪魔をした。

「なんだおまえ。勝手にわり込むな」

 おれの耳に、遠くから自分の声が聞こえた。

「やめろ。離してやれ」

 慎重に、慎重にと自分に言い聞かせる。幸い相手はどちらも特に鍛えては見えないし、アホヅラだった。いや、他人のことはいえない。


 いきなりアロハ柄が男の子の腕を掴み、ぐらぐら揺らした。

「邪魔って言ってやれ」

 男の子は黙っている。

「俺たちは遊んでるだけ。帰れよおっさん」これは白シャツ。

 おっさん?歳はかわらないはずだ。無礼に頭がチカチカしたが、なんとか耐えた。「はやく離してやれ」

「ああ?」アロハがわざとらしく耳に手を当てた。

「相手は子供だろ。それぐらいにしとけ」

 二人は顔を見合わせプッと吹き出した。

「それぐらいにしとけってさ」「どこの勘違い野郎だ」


 挑発には乗らなかった。だが、懸命に涙を堪える男の子がかわいそうでならない。「大丈夫だから」と声をかけると、それが気に障ったのか、

「調子にのんな」と白シャツがおれに回し蹴りを放った。

 太腿に体重をかけて受ける。パシッと音がして、蹴った白シャツがぐらりと揺れた。バランスも柔軟性もひどい。

 だが、効いたと誤解した二人はそろってニヤニヤ笑いを浮かべた。

 おれは情けなくなった。子供ばかり相手にしているのだろう。


「気が済んだろ」おれが男の子を連れ出そうとすると、

「わかってねえな」と、アロハが殴りかかってきた。軌道が読めたので、手首をつかんだ。「いてえよ」と、余裕を見せたアロハは体をよじって外そうとする。そのまま関節を決めると、この世の終わりみたいな叫び声をあげた。

「大袈裟だな」


 慌てた白シャツがおれの顔面を殴ってきた。

 アロハを掴んだまま躱す。だが、ついうっかりガラ空きになった白シャツの背に膝蹴りを入れてしまった。「あっ、許せ」

 白シャツはその場に崩れた。うめき、身をよじり、よだれを垂らし地面をのたうち回る。レバーは痛い。

 面倒になり、アロハの足も払って地面に倒した。こちらにも一発ダメ押しを入れたら、今度はうめき声とともに力が抜けた。


「おい、君」おれは男の子に話しかけた。

「今日はもう家に帰れ。ここらはけっこうガラが悪い」

 男の子は黙っておれを見つめた。おれも見返した。上品な顔立ちの唇が切れ、鼻から赤いものが垂れている。先に一発食らわされたのだ。気の毒に。

 どこかで見た顔の気もしたが、妹よりはいくつか歳上のようだ。

「これで鼻血を拭け。安心しろ。洗濯してから使ってない」と、タオルハンカチを渡す。男の子は遠慮したが、

「安物だ、気にすんな。君にやる。除菌シートは品切れなんだ」

 というと、おずおず鼻にハンカチをあてた。


「痛いか?」

 男の子は首を横に振った。急に元気になった犬が足にまとわりついている。現金なやつ。

「そいつ、君のところの犬?」

 またうなずいた。

「面白い面構えだけど、まだ子犬?」

「はい」うって変わって男の子は熱心に説明した。元は彼の熱意によってこの犬を家に迎えた。だが、天然で空気を読まない彼の兄が、なぜか犬を毎日散歩に連れ回し、自分と触れ合う機会を奪う。親に訴えても、インドア派の兄に運動の習慣がついたのを喜び、むしろ犬との散歩をけしかける。しかし今日は運良く兄より早く帰宅でき、大急ぎで自転車に乗せ大型書店までやってきた。

「へえー」兄弟って張り合うものかな、と考えた。ウチは妹だし7つ離れていて、その気分がよくわからない。


「せっかくの外出にミソがついたけど、もう忘れちゃえ。大したことない」

「はい」

「それで、こいつの名前は?」

「トースト」

「あ、そう」なるほど、背中が焼け焦げっぽい。

 アロハがうめき、起きあがろうとした。ビクッとなった男の子に、

「気にするな、はやく行け。こっちもとっとと消えるから」と、きつめに言った。

 するとようやく彼はうなずき、

「ありがとう」と言うなりトーストを抱えあげ、自転車の前カゴに乗せて走り去った。子犬が心地良さげなのが可笑しかった。


 細い背を見送り、多少の達成感と共に振り返ると、アロハがよろよろと立つところだった。「ぐぞ、ふざけんなよ」と繰り返し鼻をこすっている。倒れた時、鼻の下を擦ったようだ。

 第二ラウンドは気乗りがしない。「補導」とかも困る。今回は正当防衛と思うが、もはや証人は遠くへと去った。逃げるとしよう。

 歩き出したおれの行手を、急停車した一台が塞いだ。エアロパーツをつけた古めのセダン。

 中からひと組の男女が降りてきた。歳は二十代か。どちらも黒っぽい服を着て髪は男が金髪、女は新品の十円玉みたいな茶髪だった。

 サトミとケンイチではない。


「おい、やめとけって」金髪男が声をかけ、続けて茶髪女が、

「ポリが向こうにいた。捕まってマズイのはおまえらだろ。さっさと消えろ」と言った。カツアゲコンビへの呼びかけだった。

 アロハも状況不利は理解したのか、涙でぐしゃぐしゃになった白シャツを助け起こし、路地の奥へと消えた。


 そのまま失せようとしたおれに、金髪男がニコニコと声をかけた。

「まてよ和希。ひっさしぶりだな」

「超ダサい格好だから最初わからなかった」不機嫌そうに茶髪女も言った。

「でも、久しぶりにキレ芸を見て思い出した。くそ和希じゃん」

「キレてない」


 残念ながら、どちらも知っていた。

 男は塩谷公康、呼び名はシオ。女は山浦睦美、呼び名はムーさん。いわゆる族あがりで、その後も似たような連中とつるんでいた。

 おれとは世代も違い、仲間だったことはない。だが、接点はあった。常に行動を共にしていたやつが二人と親しかったのだ。


「おれたちさっきまで、ジェッツにいてさ」

 シオは、近くにある駐車場の広いファミレスの名を上げた。そこを出て、駅に知人を降ろしてからこちらへ回り、公園での騒ぎに気がついたという。

「あんたがボコられたら胸がすっとしたのに」と、ムーさん。

「どうも」

「でも、そんな格好恥ずかしくね?」シオは嬉しそうだ。「誰か騙すんだろ」

「そうかもな」おれは無愛想に応じた。

「実はよ、お前がこっち帰ってきて、シレッとおぼっちゃま学校に潜り込んだのは知ってんだ。けど、裏口入学はよくないな。それとも学園を影から支配するって、あれ?」

「なわけねえ」

「こんな悪い目つきのぼっちゃまなんているかよ」ムーさんもシオのおしゃべりぐせには慣れたもので、さっさとバス停のベンチに腰をかけ、さも関心なさそうに口を挟む。


 しばらくの間、シオは機嫌良く近況と昔話を交互に語り続けた。おれと前後してふたりは暮らしを見直し、飲食店の正社員としてやっているのだそうだ。

 切り上げどころを探しつつ相槌を打っていると、

「勇気が死んで、そろそろ2年だったかな?」ふいにシオが聞いた。


 勇気とは、原勇気のことだ。親と不仲という点がよく似ていたおれと彼は、一時は常にコンビで行動していた。つまり不良仲間だ。

「1年と7ヶ月」

「即答だな。さすが元親友」

「親友じゃない。ただのツレ」

「お前たち、勇気がいる時から互いにそう言い合ってたよな」

「もういいよ」

「そういうなって」人懐っこい顔をしてシオは言った。

「こないだ、昔にワルだったのを探してるって話があってさ。お前らを思い出した」

「思い出さなくていい」

「結局、探してるのはお前らよりずっと昔の連中と分かって、それっきり。でもさ、考えたら勇気と和希って、悪さしてた期間はけっこう短かったのよな。なのに今でも、知り合いだったと言うとマジで喜ぶ若いのがいて。あ、やっぱ一部じゃ有名なんだ、伝説なんだってうれしくなって…」


「その話はしたくない」硬い声でおれは言った。表情も険しかったはずだ。

「おれは大バカだった。あいつも同じ。弁解できないぐらいに。それなのにぐだぐだしゃべったら言い訳になって、あのころ迷惑かけた人をもっとバカにすることになる。だからやめてくれ」

 そう語りながら、おれは冷や汗をかきっぱなしだった。

(そう。おれはバカでバカのクソバカだった。いまさら懐かしがれるかよ)


 当時、おれは勇気とふたり、文字通り喧嘩に明け暮れていた。

 それは彼の死で完全終了したが、心ではずっと当時の所業を悔やんでいた。いったい何を考えていたのかと自分を殺したくなったのも1度や2度ではない。

 サトミとケンイチの件についても、自分の過去が巡りめぐって妹に災いとして降りかかったと思えてならなかった。そして、それを目の前の二人に説明する気にもなれない。

「ちぇっ。せっかく褒めてやろうと思ったのによ」

「まあ、いいじゃん。クソがクソって自覚あったのがわかったし」


 ムーさんのひどい取りなしに機嫌を直したシオは、自分が正業についたきっかけを得々と語った。そこに出てくる「オヤジ」こと侠気ある社長のエピソードに既視感があった。内容が陳腐なだけでなく、設定に聞き覚えがある。

「ところで店の名前、なんだっけ。あと社名」

「なんだよ、知らないで聞いてたのか」

 おれは肩をすくめたが興味は千倍増しだ。シオの働く焼き鳥店こそ、ワキサカFDSの運営店の一つだったのだ。


 シオによると、今朝の凶報は彼のもとにもすぐ届いた。居ても立ってもいられず本社へ顔を出すと、他店の店長らも集まっていて前後策を話し合った。

 ファミレスに移動してからは、心やすいメンバーばかりのせいもあり、社長の死因を巡っての見解もいろいろ出た。「ヤバい連中」との交際のもつれなどうがった見立ても披露されたが、具体的な名前が出たわけではなかった。


 スマホに目を落としたままのムーさんが言った。

「和希、あんたも社長のことを調べにきたんだよね。違う?」

 いきなり核心をつかれた。「今日、こんな所にいたのはそのせいだろ。私、社長の奥さんには良くしてもらってて、さくらちゃんの一番の仲良しの子だって知ってる。あれ、妹だよな。ラクビーと空手で頭打っておかしくなった高校生の兄貴がいるっての。会社の花見んときウケてたよ」

 どうやら、知らないうちに花見の人気者だったようだ。


 シオはともかく、するどいムーさんに嘘は通じない。とりあえず事実だけ公開することにして、

「おれのばあちゃんがいま、さくらちゃんと同じ病院にいる。そっからうわさを聞いて確かめにきた。妹がさくらちゃんと家族を気にしてる」と、述べた。

「へえ、病院の噂かあ。ならこの話知ってる?」

 シオはまた口を開いた。はじめて彼のおしゃべりぐせを有難く感じた。


 運命の木曜夜19時過ぎ、社長はいったん病院に姿を現した。しかしロビーを移動中に着信があり、派手に言い合ったのちUターンした。

 最後の言葉は「ふざけやがって、思い知らせてやる」だった。その後の足取りは消え、今朝になって大型商業施設「モア・モール城北店」の平面駐車場に車と一緒にいるのが見つかった。


「誰と話していたのかが気にならん?」

 うなずくとシオは、「本社の某Yさん」から聞いた話と前置きし、スマホに残っていた木曜夜7時過ぎの着信は、モア・モールの代表番号だったと明かした。

「もちろん向こうは知らないって。気味が悪いよな」

 Yとは先ほどの山内社員に違いない。(なんだよ。口、軽いじゃないか)

 だが、怪談の苦手なシオはすぐにその話はやめ、ゴシップに移った。


 大好きなゴシップを語るシオは生き生きしていた。故・脇坂社長には前々から浮気相手がいて、ここ数年奥さんとはかなり深刻な状況になっていた、夫婦仲は冷え切っていたらしいぞとシオは嬉しげに語ってから、

「そっから考えると…」と言いかけ、「やめなよ」と、ムーさんに嗜められた。

「だってさあ」

「奥さんがそんなわけないって言ってるだろ」

 どうやらムーさんは、日ごろの主張ほどには社員想いではなかった脇坂社長より、親切で気遣いの細やかな夫人に恩義を感じているらしかった。


 社長と一緒に亡くなったという新田の話も出た。最初にシオが言ったように、つい最近、かつての非行中学生・高校生の事情に詳しい人物はいないか各方面にあたっていたそうだ。

「それがさ、20年とか25年とかそんな昔。お前らじゃなく社長の現役のころだよな。なんでそんなのを調べるのか、次会ったら絶対聞いてやろうと思ってたら、その前に死んじゃった」

 おれは、懸命に動揺をおさえた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る