二人で祓魔師(ふつまし)を 和希と玲馬の心霊捜査線

布留 洋一朗

第1話 社長が死んでいた

 あの日のことを思い出している。

 風の強い土曜日だった。高一だったおれは、ある会社のオフィスにいた。そこの社員とにらみ合っていたのだ。

 

 門前払いを繰り返してもしぶとく突っ立ったままのおれに、目の前の男は苛立ちを隠さなくなった。

「なあ。いい加減にしてくれよ」

 短髪、肥満体。ギリ20代か。猪首から下げたネームホルダーに山内とある。

「そこにいたら、仕事のさあ、邪魔なんだよ」

「そっちこそいい加減にしてください」こっちはおれだ。「用は伝えましたよ」

 

 ふたりは飲食店運営会社「ワキサカFDS」の受付カウンターをはさんで向かい合っていた。おれはドア、山内は衝立を背にしている。

「しつこいですけど」おれは言った。

「次はいつ、連絡すればとかだけでも教えてもらえたら」 

「だ、か、ら」山内の顔つきに凶暴さがのぞいた。「社長は外出、戻りは不明。アポも聞いてない」


 しかしおれは、衝立の隙間から見える壁の予定表を指差した。

「その『PM3:00/長島の息子』ってのがおれです。それと土曜のこの時間に事務所へ来いと言ったのは社長のほう。バイトの面接とかでもないし、雑に扱われる筋合いはない」

 舌打ちした山内は、両の腕をカウンターにつっぱり、無言でおれを威圧しはじめた。

 山内はガタイもよく顔もいかつい。地味カーディガンに制服丸出しの灰色パンツのおれなら、募金集めの高校生よりたやすく追い返せると思ったのだろう。


 おれは、丸めていた背中を伸ばし、カウンターに歩み寄った。息のかかるぐらいまで近づくと山内を見下ろす。

 もう、この手の行為はやめようと決めていたのだが、非常事態だ。肩の力を抜き腹に自然と力を込め、軽く顎を上げて山内の目をただ見つめる。

 次第に彼は汗ばんできた。

 

 –––– よし。あともう一押し。

 さらに近づこうとすると、「いいよ山内くん。代ろう」との声がして、小柄な中年男性が出てきた。山内はそそくさと会釈し、消えた。

 おれは、カウンター越しに中年男性と向かい合った。差し出された名刺には取締役総務部長とある。彼が、ワキサカの内勤部門を統括する杉森だった。


「不愉快な思いをさせてすまない。私の指示のせいだ」杉森はまず、息子みたいな年齢のおれに詫びた。顔を上げた彼の眉間には、地割れみたいなシワがあった。

「いえ。さっきの兄さんも仕事なのはわかってます。おれも生意気でした。すみません」

 素直に謝ったおれを、杉森は黙って見つめた。すると唐突に、

「だが、嘘をついたわけじゃない。不在は本当なんだ」と、語りはじめた。


 木曜日の夜6時過ぎ。仕事を切り上げた社長の脇坂は、

「娘の顔を見てくる」と会社を出た。先日から小学生の一人娘が市立中央病院へ入院中だったのだ。しかし、その夜はついに病室に姿を見せず、それ以降の連絡も途絶えた。見舞いには側近ともいえる部下、新田も同行していたが、彼のスマホも繋がらない。

 これまでも脇坂は予告なく突然の出張に出ることがあった。しかし今回は電話一本ない。

「手を尽くして探していると、今朝になって警察から二人が見つかったと連絡があった。残念だがどちらも息をしていなかった」

 疲れた様子で杉森部長は言った。ワンマン社長と一の子分が変死体で発見されたのだ。残された社員はさぞ大変だろう。返す言葉が浮かばず、おれは黙ってうなずいた。

 すると彼は聞いた。「もしかして長島くんは、ウチの脇坂についての噂を、もう聞いてるのかな」

「……少し。ちょうど祖母も中央病院に入院してるんです」

「そうか。高齢者ネットワークには勝てないな」


 脇坂社長は、一種のローカル有名人だった。焼き鳥屋、ラーメン店、ダイナーなどを展開するやり手経営者として知られる一方、暴走族あがりを公言し、かつての自分と似た境遇の男女を積極的に雇用して自治体の表彰を受けたりした。そして、とある映画に登場する車両を模した彼の愛車もまた、地元ではお馴染みだった。

 そのために今朝、ショッピングモールの駐車場に警察車両が集まっていた話は、あっという間に脇坂社長と関連づけられ噂となっていた。


 杉森部長は力無く首を左右に振った。「いや、われわれもひどく混乱して、十分な対応ができていないんだ。会社を立ち上げて以来、それはもう、いろんなことがあった。だがここまでのはね」

 そして、事情が事情なので付き合いの浅い相手には当面事実を伏せることにし、そのために無礼を働いてしまった。葬儀のスケジュールが確定次第、委細を公表するので、できればここ一両日中は騒がないでほしい –––– などと頼み、また頭を下げた。

「わかってます」おれはうなずいた。「おれがここに来たのは誰も知らないし。あ、口封じに殺すのはあとにしてください。まだ大事な用がある」


「調理師ならともかく、弊社に殺し屋の手配は無理だよ」杉森部長は苦笑した。

「ところで、君のお父さんと脇坂は中学の同窓だそうだね」

「らしいです」

「そうそう、彼の娘に長島薫って親友がいるのも知っている。会社の花見のおりに夫人から聞いた。薫さんには優しくて頼りになる兄さんがいて、さくらがいつも羨ましがっているとか。君のことだね」

 さくらというのが社長の娘の名だ。おれの妹、薫の小学校の同級生である。


「『頼りない兄さん』ならおれです」と、おれは返した。謙遜ではなく正直な気持ちだった。特に最近。

「それに、父と社長については何も聞いてないし知りません。父は単身赴任中だし、もともとおれとは、その、ぜんぜん会話がなくて」

「ウチは娘だが、似たようなもんだ」杉森はまじめくさってうなずいたが、その表情は最初よりずっと柔らかだった。


 思い切って尋ねた。「今日、社長から聞くはずだった話について、何か知りませんか。この前、『あの二人』のことで情報はないかって電話したんです。そしたら思い出したことがある、詳しくは会って話すとだけ言われて」

「それは、例のサトミとケンイチとかいう高校生カップルのことかな。妹さんとさくらちゃんにしつこく付きまとっているという」

「はい、それです」身を乗り出すおれに、

「悪いが、私の聞いたのは名前ぐらいだ」杉森はすまなそうな顔をした。


「たしかに社長は、死んだ新田に何か調べさせていた。しかし私には『おかしなガキどもに粘着され娘が難儀している。だが近く決着をつけるし、その前に事情は説明するから少し待っていてくれ』と言い、結局それっきりになった。ビジネスの話じゃないから催促もしないままでね、申し訳ない」

「変なこと聞きますが」おれは食い下がった。「社長はあの二人に、サトミとケンイチに殺された可能性はないでしょうか。それが心配なんです。さくらちゃんの入院だって、やつらのせいじゃないかって疑ってます。とにかく、妹を助けたい。なにかある前に防ぎたい。もし知ってたらなんでもいいから教えてほしい」

 杉森は最初、あっけに取られた顔をしていたが、

「そうか、君はそう推理しているのか」と腕を組み、思案顔になった。


「例の二人について話す社長は、たしかに妙だった。長年のつきあいだから、彼が嘘をつけばピンとくる。だが、それとも違ったな。彼自身が戸惑っている感じ、とでもいうか」

「そうですか」

「ただし、二人が犯人かどうかは見当もつかない。社長と新田の死因はね、まだ不明なんだ。外傷や薬物の痕跡は見つかっていない。自殺の証拠もない。世間向けには心不全で落ち着きそうだが…」

 とまで言って、杉森は深い息を吐いた。

「たしかに二人の急死は不審だらけだ。どちらも無駄に頑丈な大男だった。それに、社長の豪快さはもっぱら見せかけ、自身の健康には小心でね、先月には今期2度目の人間ドックを済ませ、体重以外は特に問題なしって自慢していた。あの日が夢みたいに思えるな」

「……」

「それと、さくらちゃんについては、私からはなんともいえない。当初、精神的なものだろうと聞かされたが、ご承知のように一進一退を続けている。奥さんはあの子につきっきりだし、これも気が重い」


 ワキサカFDSを出たおれは、駅前のバス停を目指して歩いた。

 サトミが、自分たちを嗅ぎ回る脇坂社長を「目障り」と評したのはおれも知っていた。しかし、それだけの理由で暴走族あがりの巨漢ふたりを始末するとは信じ難い。それに外傷も毒の痕跡もないってどういうことだ。

「やっぱり、ケンイチとサトミって人間じゃないのか?」

 はっきり言葉にしてみると、ますます深刻に思えてきた。


 いや、飛躍しすぎだ。あくまで想像にすぎない。

 しかしおれは、自分の連想にブレーキをかけようとして、もっと嫌なことを考えてしまった。さくらちゃん、社長と続いて次が薫の番だとしたら。

 地の底に吸い込まれそうな気がして、おれは足を停めて目を閉じた。いつも人の多い駅への道は、土曜日のせいか閑散としている。

 –––– 考えすぎであってくれ。

 おれはうなだれたまま、向い風の中にじっと立ち尽くした。


 重苦しい気分は、「ハッ、ハッ、ハッ」という荒い呼吸によって破られた。

 顔を上げると、どこかとぼけた動物の顔があった。憂鬱は一時中断された。

「お前、なんだ?」と聞いた。「きつねか?」

 そういえば、薫はきつね牧場に行きたがっていた。妹のことばかり考えているから幻影を見たのだ。おれはそう思って目を凝らした。違った。

 眼前に、間違いなく動物がいる。ただしキツネやタヌキではなく、似ている犬だ。立派すぎる首輪だってついている。


 濃い金色の体毛に長めの鼻面、尖った耳。しかし、全体に小さく頼りないのは成犬ではないためかもしれない。ともかく、そのキツネもどきが路上をふさぎ、助けを求めるようにおれを見ていた。

(なわけない)と、心の中で否定する。人が動物に見出す表情の多くは、人の勝手な自己投影にすぎない。

「どけ。邪魔だ」キツネ犬はまだおれを見ている。

「なんだお前はよ。ツレはどこだ」と、聞いたとたん、キツネ犬は嬉しそうに半回転してトコトコ駆け出し、また止まっておれを振り返る。

 これはやっぱり、誘っているのだろうか。


 犬の鼻面のずっと先には国道があって電気店、大型書店にアニメショップ、カードショップなどが固まっている。その手前の細い通りに関するふざけたあだ名を思い出した。「そうか、カツアゲロードか」

 あんな所には一人で行くなよ、と妹に言うと、「うん行かない。でも、いつもお巡りさんがいるって」との返事があった。だが、今日それらしい姿はない。

 ふっといやな気配がした。さっきまでとは別種のトラブルのにおい。同時に、ある男のことを思い出した。いつもあいつと一緒だった。こんな予感のするときも、あいつは嬉しそうにおれを誘った。おれも喜んでついて行った。だがあいつはもういない。少なくとも現世には。


「あー、もういい。やめろ。お前につきあう気はない」

 きつく言ったつもりだが、キツネ犬はそれをどう受け取ったのか、意気揚々とそのカツアゲロードへと進んでゆくではないか。

 逃げてやる。そう考えてルートを探すおれの目に、小さな公園が目に入った。

 園内のクスノキの下に、男の子が心細げに立っている。細長い手足がどこか妹の薫に重なった。

「お前のボス、あの子か」と言うと、犬ははっきり短く鳴いた。


 問題は、対面に立つ大小二人の男だ。歳は16、7か。小柄なのはアロハ風の派手なシャツ、大柄は制服らしい白シャツをだらしなく着ている。どうみてもガラが悪い。やたら肩を揺らしているのは、まさにカツアゲを進行中のためだろう。

「お前が助けろよ。おれには関係ない」

 だがキツネ犬は、体を伏せて尻尾を振った。役目は果たしました、あとはよろしく!ってところだ。

 こちらに気づいたのか、男の子は弱々しい視線を向けた。

 だが、前の二人がなにか言い、男の子は首を元に戻してうつむいた。

 仕方ない。おれは公園へ歩み寄った。頭の中で声がする。

(やめろ)(放っておけ)これはたぶん、自分の声。

(ケンカとは縁を切ったよな?またバカをするのか)

 こっちは以前の相方の声だ。

 –––– 少しだまってろ、勇気。お前はもう死んだ。

 接近するおれを威嚇するかのように、アロハが男の子に腕を振り上げた。

「あっ、おい、やめろ」

 おれは突進した。

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