私たちはただ、月にいる。
棚からぼたもち
第1話
「平和は微笑から始まります。」
マザー・テレサ
もうすっかり銃声も聞こえなくなってきた。さっきまで聞こえていた戦友たちの声も、もうすっかり聞こえなくなった。そう、日本は戦争に負けた。
なんとも不思議な空間だった。まだ空爆の被害を受けていないところまで走ってきた。ここあたりは人はいないはずだ。集団疎開でみんないなくなってしまったはずなのにその小さな防空壕にはもうすでに一人、人がいたのだ。なんてことのない小さな防空壕に。
彼はひどく華奢な体つきをしていた。一見すると女性に見えるような、そんな体つきで、私のことをゆっくりと見上げる。狼狽した。きれいな金髪に、水色の瞳。アメリカ兵であった。
私は心底驚いた。こんなところにアメリカ兵なんてものはいないと思いきっていた。よく見ると確かに日本のものではない軍服と、隣には血のべっとりついた銃。それが転がっていた。逃げなくては。殺される。死にたくない。いやだ、いやだいやだ。それはわかっているのに、私の足は動きはしなかった。
すると彼はそっと、彼の隣をそっと、手で2回ほどたたいた。彼に戦意はなかった。
何となくだが、彼に戦意のないことはわかっていた。軍人のようだが、とてもきれいだったのだ。血がついているのも銃ばかりで、汚くなかった。すると、驚くことに、彼はとても流暢な日本語でしゃべり始めた。
「私はアメリカ兵です。」
「でも、怖がらないでください。」
彼の顔は、とても寛容だった。まるでこれまでの戦争なんて、経験していないかのような世界とは隔離した場所にでもいたかのような、そんな顔だった。病人であるから徴兵は遅く、私は軍人として戦争に出たことはないが、私の周りの人々も、心底憔悴しきっていた。弟を亡くした人、親を亡くした子供。皆、国のためといっても、死というものには敏感であった。死にたがる人は実際少数で、徴兵に出ず、過ごしたいと思ってる人が私の周りにはたくさんいた(ただし、日本国全体でみると、こんな人たちはごく少数である)。だからこそ、このアメリカ兵の何事もなかったかのような顔は、ひどく現実離れで、ここはさては死後の世界なのだと、錯覚するほどであった。
「私は、アメリカ兵から逃げました。殺したくない。」
そういうと彼は、小刻みに震えた。
「ここに来るときに、私、日本人に会った。彼らは、kind。」
アメリカ兵が本州に到着してから、アメリカの侵攻はとてもはやかった。侵攻から5日で京都の日本基地がつぶされ、27日で東京までたどり着いてしまった。今の日本は、日本という名のついているただの土地であり、建物の一つもない。すべて焼き払われてしまった。私は東京の北のほうの人間であるから、侵攻までもう少し時間のかかる場所にいた。持ってあと数時間だろう。銃を担いだアメリカの歩兵たちで、はやい者はもうすでにこの辺まで来ていて、この防空壕に逃げ込むまででも、数名見た。そんな奴らに、私の家族は殺され、病弱な私だけが、ただ、意味もなく生き残った。彼は「そんな奴ら」とは違ったわけだ。
「私、日本人逃がされた。I still alive ,but they died.ごめん。ごめん。」
彼はたびたび嗚咽をしながら、話を続ける。
「仲間、彼ら、shot。私、仲間、殺した。」
隣に転がっている銃に目をうつす。これは仲間のアメリカ兵の血ということだろうか。
「I didn`t want to fight.I...I just alive with my friends ,family...」
「会いたい。会いたい。」
私は彼が話している間、何を話せばいいのかわからなかった。それは何も自分に話す気力がなかったわけではなく、話すことがなかったわけでもない。私は、ただ、驚いていたのだ。少し前までの日本は活気づいていた。戦争がはじまり、良い知らせばかりが届くのが全国民の生きる気力だった。だが、日本はミッドウェー海戦に負けてから、戦争の流れが悪くなった。新聞やほかの媒体は日本の敗戦を伝えなかったが、日本が負けたという噂はうっすらと、朝霧のように漂っていた。それは我々日本人の肌にべったりとまとわりついて、ミッドウェー海戦に負けてから、我々日本人のアメリカに対する敵対意識は大きくなっていた。きっとアメリカ兵は残酷な、冷淡な、それでいてよい生活をしているのだろうなと、そう思っていた。でも違った。違う人もいた。それに心底驚いていた。
外に流れる汚い風は私たち二人のことをいっそう不安にさせる。だんだんと銃声が近づき、私たちは死期を悟る。数々の人たちを殺してきたアメリカ兵と、今こうして隣に座っている。不思議な気持ちだ。あんなに憎んでいた、冷酷だと思っていた、残酷だと思っていたアメリカ兵も、人間だった。人間だったのだ。
外にはだんだんと火炎放射の音と、洗車の走行音のようなものが聞こえる。もうすぐだ。刹那、私たちを明るい光が包む。心地がいい。
気が付けば私はたちは、月の裏側にいた。月の裏側の衛星都市で、二人、地球を眺めている。手にはそれぞれ、日本国とアメリカの国旗をぐしゃぐしゃにして持って、二人それぞれを見つめ、にやりと笑いあう。
こんな広い宇宙の片隅に、人間が二人。二人並んで座って、くしゃりと笑いあう。ただそれだけ、ただそれだけでよかったのだ。
私たちはただ、月にいる。 棚からぼたもち @tanabota-iikotoaruyo
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