手紙

渡邉 一代

第1話

拝啓 幸様

 初秋の候、幸様には益々御清祥のことと存じます。

 この度筆を執りましたのは、至急お知らせ致したいことがありましたからです。


 私が海外に赴任致しましてから、早六年が経ちました。幸様には結婚の約束をしながら、大変お待たせして申し訳なく思っております。

 こちらでの仕事も落ち着き、受け入れ準備も整いました上、お迎えにあがりたく、取り急ぎご連絡を致しました。

 私は、九月二十二日に帰国することになりましたので、そのまま幸様のところに伺いたく存じます。つきましては、幸様のご両親にもご挨拶をさせて頂きたいので、お伝え頂きたくお願い申し上げます。

 当日、お会いするのを楽しみにしております。

                    敬具

                  実島 尚


 今日この手紙がポストに入っていたのだけれど、幸はもういない。幸は僕の娘だが、一年前に既に嫁いでしまっているからだ。海外に赴任をした実島は、幸に想いを寄せており一緒に出掛けたりしていたようだ。ただ海外に赴任をしてから今の今まで音沙汰がなく、こちらとしても年頃の娘が嫁がないのもと心配をしていた。そして昨年、いつ連絡がくるかも知れない人を待つよりも、近くで大切にしてくれる方がいるのであればと、娘なりに考え答えをだしたのだ。ただ娘にこのことを伝えるべきなのか妻と話合ったのだが、今の幸せを大切にして欲しいという親心から、幸には伝えないことにした。


「あなた、二十二日いかが致しましょう。幸の元お相手の方。」

「諦めてもらうしかないだろうね。本当に結婚の約束をしていたのかね。」

「どうでしょう。それとなしに幸に聞いて見ましょうか?」

「そうだなぁ。ただ家に来ることは伝えない方がいいだろう。こっちに幸がきても困るから、お前が幸のところに行ってきたらどうだろうか。」

「よろしいですの。」

「そうしてくれ。」そうして妻に幸をお願いすることにした。そして念の為、幸の旦那である正義くんに僕から連絡することにした。


 正義くんに電話をした時、突然の事で驚いたようだが、電話をした経緯を話すと正義くんが幸から聞いた話として伝えてくれたことには、確かに結婚の約束はしたのだそうだが、三年連絡がない場合は他の人を探すようにと言われていたようだ。だからこそタイミング良くお見合いの話があり、お付き合いをした後に結婚に至ったので、こちらには非がないようなので、幸には伝えないという共通の認識をもった。


 あと数日で実島が帰国するといった日、再度手紙が届いた。


拝啓 幸様

 秋色も濃くなってまいりました。幸様には益々御清祥のことと存じます。


 幸様二十二日のことですが、ご両親にはご了解頂けましたでしょうか。お返事がない為心配をしております。

ただこの手紙が届く頃には、帰国の為に出発している頃ですので、以前の手紙ではお伝えしてなかった到着時刻についてお知らせしておきます。

 成田空港に十三時過ぎに到着予定ですので、そちらに伺うのは夕方になるかと思われます。

 では、当日お会いできるのを楽しみにしております。

                      敬具

                  実島 尚


 この手紙が届いたので妻とまた話をしたところ、この間電話をした時に、こう言っていたようだ。

『正義さんが久しぶりに温泉に行かないかと言ってくれて、二十二日の日に熱海に泊まりで行ってくるの。母さんあの時に次に進んでよかったわ』って。ということで妻も一緒にこの家で実島を迎えることになった。

 当日どうするのかを妻と話あって、息子の洋平も別の部屋で待機してもらうように事情を話した。息子も結婚をし近くに住んでいる為、昼前に来てくれることになった。


 二十二日実島がこちらにくる当日になった。朝から妻がお茶菓子を買いに行き、迎える準備ができていた。息子も十一時過ぎに来たので、妻が簡単に昼食の蕎麦を用意してくれ、正午前には既に食事を済ませていた。

 実島に会うのは初めてなので、どんな人物なのかはわからないが、自分が伝えたことを忘れて手紙を今になって寄越すのだから、自分本位なところがあるのかも知れないとは思っていた。息子にも手紙を見せたのだが、

『海外の赴任先がどういうところかわからないけど、あまりにも自分勝手だよね。こんなにも幸をほっといたんだし。次いって正解だよ。』と言っていた。


 そして十六時を過ぎた頃、玄関のインターホンが鳴ったので妻が応対すると、実島というその人物がスーツケースを抱えて扉の外に立っていたようだ。

 中に迎え入れ和室に通すと、父である私が後から入って行きその人物が座る向かい側に腰を下ろした。その後直ぐに妻もお茶とお茶菓子を運んできて、彼と私の前に置いた後部屋を出て行った。

「あの、幸さんはご在宅でしょうか?手紙で連絡を入れたのですが。」

「幸はここにはいない。」

「そうですか。あの実は幸さんとの結婚をお許し頂きたく、こちらにお伺い致しました。手紙にもそう書いたのですが、幸さんはどうしたのでしょう。」

「君は海外に赴任して何年になる?その間に幸に手紙を寄越したりしていたのかね。」

「海外赴任して六年です。仕事を忙しくしておりました為、今回初めて筆をとりました。やっとあちらの受け入れ準備も整いましたので。」

「君は海外赴任をする際、幸にどう言ったのか覚えていないのか?」

「えっ、赴任する際ですか?あっもしかして、三年経っても連絡ない場合のことですか?」

「そうだ。」

「まさか、幸さんは既に結婚されているのですか?」

「そうだ。今は幸せに暮らしている。だから君のことも伝えていない。」

「えっ、何故ですか?彼女への手紙なのに、渡してくれていないのですか?」

「今頃こんな手紙を寄越してどういうつもりだ。もう君の入り込む余地はない。」

「そんな…。やっと仕事も落ち着いたのに。」そしてしばらく沈黙が続いた。私は彼の言動を不愉快に思っていた。自分のことばかりだなぁ。

「君はどこに勤めているんだね。」

「えっ、雪嶋製造です。」その時にある友人の話を思い出したのだ。その話はこうだ。


 友人の息子が雪嶋製造に努めているのだが、六年前海外の未開の土地に飛ばされた奴の話した。そいつは、友人の息子の同期の奴で、営業先に無理難題を押しつけクレームが入ったり、別の営業先には損害を与える等し問題があった為、海外の未開の土地で、まだ利益もあがってなく問題がないところに飛ばされた話だ。それを思い出した時に、背筋が凍った。幸がこんな奴と結婚の約束をしていたとは。


「そうか。まだあちらに赴任は続くのか?」

「はい。ですので幸さんとのことをと…。」

「残念だが、諦めてくれ。」

「もう私にはチャンスはないのでしょうか?」

「当たり前だ。何を言ってるんだ。幸はもう結婚をして幸せに暮らしているんだぞ。その幸せを君は壊すつもりか?」

「嫌、僕の話をすれば…。」

「その必要はない。」

「何故ですか。」

「幸には今日のことは伝えてないが、この間妻に言っていたようだ。今が幸せである事。そしてあの時に次に進んでよかったと。」

「それは事実ですか?」

「君は失礼ではないか。そんなこと嘘をついてどうする。こちらとしては、今更迷惑なんだよ。いい加減諦めなさい。」

「そんな。」そしてしばらく俯いていたが、意を結したように、そしてまたしつこく話をし出した。今度は私の妻と話をしたいというのだ。僕はまだ言うのかこいつはと苛々していた。

「いい加減にしないか。妻と話をした所で何も変わらん。」そう私が叫んだところで、妻と息子が和室に入ってきた。

「お母様、幸さんは本当に幸せなんですか?そう言わされてるのではないのですか?」

「あの、落ち着いてくださいますか。娘はお陰様で幸せに暮らしております。夫婦仲良くしており、あちらのご両親にも大切にして頂いておりますのよ。婿も私達のことも大事にしてくれますし、この間も連絡をした時に、あの時次に行ってよかったわと話しておりましたの。ですので、娘のことはどうかそっとしておいてください。」

「君、あまりしつこいと君の会社に連絡入れるけどいいのかい?僕は君の会社の営業部長とは懇意にしていてね、米田さんだよね。」

「えっ、はい。でもっ。」

「埒があかないから、来てもらおうか。」そう言うと、やっと部が悪いと思ったのか、帰りますと言って帰っていった。

 その後嵐が去ったようになり、妻と私はどっと疲れが出た。幸をこの場に居させなくてよかったとどれだけ思っただろう。息子はその後念の為と言って米田さんに連絡をし、今日のことを伝えてくれたようだ。それと今日は気分変えて家に泊まりに来たらどうかと言ってくれたので、妻共々それに甘えることにした。


 息子宅に着き、息子の嫁の小枝さんに今日は世話になりますと伝えたところ、快く迎え入れてくれた。リビングでは一才になる孫が私為の顔を見ると笑顔でよちよち歩きで近寄ってきた。その笑顔に癒されながら食事をしている時だった。息子の家の電話が鳴り響いたのだ。

「…もしもし、……はい。えっ、はい。直ぐに向かいます。」そして電話を切るなり私にこう言った。

「親父、今警察から電話があって、あいつがまた来たみたいで、玄関で騒いでいたらしい。巡回していた警察の方が取り押さえてくれたようだけど、家に戻って被害状況を確認してほしいって。お袋はここにいて。親父と二人で行ってくる。親父、行くよ。」

そう言われて私は息子と家に戻ることになった。


 自宅に戻るとパトカーが止まっており、実島は警察署に連れて行かれた後だった。警察から当時の状況を聞いてから、一緒に被害状況を確認して行ったのだが、玄関扉が少し凹みがあるのと、玄関の植木鉢がいくつか散乱していたくらいで他は無事であった。その後警察署に行き事情を聞かれたので、今日の話をしたところ警察の方は渋い顔をしていた。どうやら諦めてなかったのか、幸さんを助け出すんだと叫んでいたようだ。被害についてはどうするか言われたので、弁護士と相談してから返事をしますと伝えて帰ってきた。彼は今日こちらで過ごすようだ。


 息子の家に戻ると、妻と息子の嫁が心配そうにしていたので、被害状況とどうするのかを相談した。弁護士は小枝さんのお父様が弁護士をされているので、小枝さんが連絡を入れてくれ、明日会う事になった。家の方はしばらくはこちらに居てくださいと小枝さんも言ってくれたので、今の家に当面の着替えなどをとりに再度自宅に帰った。


 翌日小枝さんと共にお父様の事務所に伺った。

「いつも娘がお世話になっております。どうぞこちらにおかけください。」

「ありがとうございます。小枝さんにはこちらこそ世話になってます。今回も直ぐにお父上に連絡をとってくれて、本当に助かりました。」

そして私は事の経緯を事細かく話をして、どのように対応するのがいいか話をしてくれた。そして対応が決まり、一応被害届けを出すことになり、そのまま奴は勾留されることになった。その後は小枝さんのお父様が前に出てくれるので、それまでに私達は息子の家に滞在しながら、引っ越し先を探すことになった。そしてセキュリティーのしっかりしたマンションを見つけ、直ぐに手続きをして、数日後には引っ越しを完了させた。

 

 引っ越しをした翌日に、弁護士事務所で実島の両親に会う事になったが、謝罪より先に実島の母親がこちらを非難してきた。幸さんと約束をしていたのに反故にするなんてと。それで弁護士の方からそもそもの話をして、現状も話をしたのに結果こう言う事になったと解りやすく説明すると、彼の父親が申し訳なかったと頭を下げてきた。その上で示談にしてほしいと言ってきたので、今回こういうことが起こり不安に感じているので、示談にするならば病院に入ってもらいたいと言うと、母親は息子はおかしくありませんと叫んだので、弁護士より彼の言動についてと現状について話してくれ、病院に入れないのであれば、示談はしないこと。また、今の家には住めずに引っ越したので、その費用と慰謝料の支払いについて、後私達家族や幸家族への接近禁止についても話しをした。ご両親は項垂れていた。


 結局幸へは話をしなければならなくなってしまった。正義くんと一緒に新居に遊びに来た時に、経緯を話すと幸は青ざめ涙を流していた。もうあの人のことなんて忘れていたのに…と。

 それで正義くんも、念の為僕たちも引っ越そうか。セキュリティーのしっかりしたところにと言っていた。ただ昼間一人になるのは不安だと言うので、正義くんのご両親の住むマンションで空室が出たって言っていたので聞いてみますと電話をしていた。


 あれから彼は病院に入ったことがわかったので、示談交渉に応じたのだが、彼の母親から直接幸の新居宛に手紙が届いたようだ。

 幸は怯えてしまい、正義くんのご両親のところにかけこんで行き、ご両親からこちらに連絡がきて事が発覚した。

 それを聞き、弁護士である小枝さんのお父様に連絡を入れ、一緒に正義くんのご両親の元に赴いた。

「こんにちは、娘がお世話になっております。」

「あっ、お父様こちらです。どうぞ。」

そして、私たちはリビングに通された。そこには怯えきっている幸がいた。

「幸…。」

「お父さん…。これ。」そう言って手紙を渡してきた。

「んっ。中身は読んでないかい?」

「うん。怖くて。」

「そうか。」

その手紙を開けると、彼から幸への手紙がいくつも同封され、そして彼の母からの恨みごとがかかれていた。

 その手紙を弁護士である小枝さんのお父様に見せると、ではこの手紙を元に、彼の父親に連絡をとりましょう。


 幸は、しばらく正義の両親と共に、身を隠すことになった。正義くんはその間はホテル住まいをすることになった。

 場所は落ち着いてから連絡をしてくれると言うので、正義くんのご両親に任せることにした。

 

 あれから私は実島の父親と弁護士事務所で会ったのだが、手紙を見せると、寝耳に水だったようで申し訳ありませんと謝罪された。そして、娘の現住所がどのようにわかったのか、それを母親に直接聞いてくれることになったのだ。

「…もしもし、実島でございます。」

「あら、あなた。今日のお帰りは何時になりますの。」

「それよりも、君に聞きたいことがあるのだが。」

「今、幸さんが何処に住んでるのかは知ってるか?」

「えっ、どうしてですの?」

「いや、尚を振った人だからね。気になってな。」

「あなたもですの?それなら私存知てますわ。」

「どうやって知ったんだ?」

「それはね、興信所をつかったのよ。」

「まさかとは思うが、何かしてないだろうね?」

「何もしてませんわ。接触ってことでしょ。手紙は送ってやりましたけどね。それぐらいしないと尚が可哀想ですもの。」

「どんな手紙をだしたんだね。」

「尚から預かった手紙と、私からの恨み言を書いたの。怖がらせてやったわ。」

「君は何てことをしたんだ。今度は君が警察に捕まることになるんだぞ。」

「えっ、こんなことぐらいでなりませんわよ。」

そしてそこから弁護士に電話を代わり、約束を反故にされたので、約束通り慰謝料が発生することと引越し費用を再度請求しなければならなくなること、怖がらせる為ということがわかった以上、警察への被害届けも提出する旨が伝えられると、そんなつもりじゃと言って受話器の向こうで力つくような音が聞こえてきた。


 数日後、またぞっとすることが起こってしまっていた。それは、彼の母親が彼の入院する病院に行った時、それは起こったようだ。

 また同じように手紙を母親に渡した時、その手紙を母親が目の前で破りすてたようだ。その姿に興奮した彼が母親の首を絞めてしまい、慌てて居合わせた病院関係者が止めたが、母親は気を失い、今も意識不明の重体となったということだそうで、弁護士から話を聞かされた。

 こうなってしまった以上、幸を脅かすものも居なくなってしまったのだが、後味が非常に悪いものである。そして、これ以上追い詰めることもどうだろうということになり、再度接近禁止のみ出すことにした。

 幸の引っ越しについては、幸いにして夫である正義くんの海外転勤が決まった為に、改めて国内での引っ越しを考えなくてよかったのだ。

 正義くんのご両親は、自宅を知られていないので、そのまま住むことにはなるが、ご主人の生まれ故郷に移り住む予定もあるとのことで、こちらも問題はなさそうだ。

 幸の精神面は、今はまだ落ち着かないようだが、海外で気持ちを切り替えて生活してもらいたいと思っている。

 彼の父親については、こちらの提案を聞いた時、絞り出すような声で、「本当に申し訳ない。お気遣い感謝致します。」そう言っていた。彼については、檻つきの部屋に入れられたようだ。そして、もう二度と出てこれないだろうとも言っていた。

 あの手紙をもらったばかりに、こんなことが起こり、そのことを思うと、こちらに何か非がなかっただろうかと考えるところもあるが、それを考えたところで結果は同じになっていただろうから、もう前を向くしかないと、一日一日を過ごしている。


 

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手紙 渡邉 一代 @neitam

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