(7)
翌日、バイト明けに仮眠して昼頃に起きると、スマホにメッセージが入っていた。委員長の板野からで、「相談があるから、起きたら委員会室に来てくれ」とだけ書いてあった。板野からメッセージが入ることは珍しい。何か悪い予感がしたので、急いで準備して家を出た。
委員会室に入る時に、いつものように「おはようございます」と挨拶して入る。しかし、挨拶を返してきたのは大森のほか数人だけだった。その日は部屋にかなりの人数がいたのだが、視線が合った女子学生から、一瞬、明らかに冷たい視線が飛んできて、その視線もすぐに遥人から外された。
(まさか——)
ふと友恵の方を見ると、いつもの席に座っているが、こちらに振り向くことすらしない。他のメンバー同士は頻繁に話をしているが、そこに立ち尽くす遥人には誰も話しかけてこない。
そこから進めないでいると、向こうから誰かが近づいてきた。
「ちょっといいか」
板野だった。彼は無表情で遥人に近づき、「こっちに」と呼んだので、彼に続いて廊下の方に出て行く。その突き当たりの窓際の辺りまで来ると、彼は振り返った。
「あのさ、遥人。……しばらく、委員会室には来ないでくれないか」
えっ、という声が出たが、言葉を返せない。
「実行委員会はチームで運営しているんだ。だけど、お前と仕事をしたくないって言う奴が出て来てる。それもたくさんだ。お前が来るなら委員会を辞めるという奴までいる。このままじゃ、実行委員会は運営できない。だから、悪いがしばらくここには来ないで欲しい。お前の仕事は俺が引き受けるから。関係する資料は、共有フォルダに置いてくれればいい」
彼の言い方は丁寧だったが、遥人とっては絶対に反論を許さないような威圧感をもって聞こえた。絶対に遥人を外すという、強い意思だ。板野はそれだけ言うと、振り返って委員会室に戻っていく。
「どういう……ことですか?」
思わず彼の背中に声をかける。余りに急な話で頭がついていかない。精一杯の反論でそう尋ねた。すると、彼は振り返らないまま、低い声で応える。
「どういうこと? ……お前、本気で言ってるのか?」
さっきとは彼の声音が変わる。
「馬鹿じゃねえの? 自分の胸に手を当てて考えろよ」
吐き捨てるようなその言葉に、心の奥に釘を刺されたように感じた。彼の背中を茫然と見送っていると、実行委員会室の入口の辺りで、友恵が真顔で立ち、遥人達の様子を見ていたのに気付いた。しかし、彼女は遥人と視線を合わすことなく、板野が近づくと、「板野さん、これ相談したいんですけど」とにこやかな顔で彼に話しかけて、その姿は彼とともに部屋の中に消えた。
再び振り返って、しばらく茫然と窓の外の風景を見ていた。2階のその場所からは、普段は近くにある池やその向こうに広がる芝生が見下ろせる。しかし、いつの間にか辺りが
「おい、遥人」
後ろから大森の声が聞こえ、慌てて振り返る。
「すまん。俺がいながら、こんなことに」
「大森さん……」
「今朝、友恵の提案で、部長以上が集まって緊急のミーティングをしたんだ。その時に、友恵が急に泣き出して。それで、お前と仕事をしたくない、遥人が来るなら辞めるって言い出したんだ。その場では理由は言わなかったが、昨日、友恵は板野や他の女子の部長と飲んでいたみたいだから、多分、大体のことはみんなが知ってる。それで、他の奴らからも同情する意見が出て、こういうことになったんだ」
「そう……ですか」
「たぶん、昨日の飲み会の後だと思うが、俺にも友恵から連絡が来たんだ。それで、バイト明けにラーメン屋に連れて行きながらなだめようとしたんだが、駄目だった」
今年の委員会に4人いる女子の部長と、委員長の板野が友恵側についたのだろうから、男子の部長は何も言えないのが容易に想像できた。それでも、大森だけは何か言ってくれただろうが、その状況の中で結論を覆すことは無理だろう。
「それで、お願いなんだが……第3学部棟の俺の研究室の方に誰でも使える端末室があるんだ。しばらくそこで作業してもらって、何か相談や報告があったらメールか共有フォルダを使って俺に教えて欲しい。今はまだみんな熱くなってるから無理だが、折を見て、俺からもお前のことを何とかするように皆に頼んでいくから」
お願いだ、といって頭を下げる大森の姿に、思わずこちらも深く頭を下げた。
「大森さん。……本当にご迷惑をかけてすみません」
精一杯、それだけ言うと、遥人は逃げるようにその場を離れた。
******
大森が言った端末室は、第3学部棟の3階の外れの方にあった。
そこには、50台以上あると思われるパソコン端末がズラリと並んでいるが、学生の姿は数人しか見えない。静かな空間で、黙々とキーボードを打ち込んでいる音だけが響いている。遥人はその部屋の窓側の端の方に座り、パソコンを立ち上げた。
作成中のファイルは共有フォルダに置いてあるので、そこからでも当然にアクセスは可能だ。しかし、パソコンが立ち上がり、実行委員会の共有フォルダを開いたところで、何故か視界が見えなくなった。
(どうして……僕が……)
キーボードを置いた手前の机に涙が落ちた。どうして、自分がこんな場所で1人過ごさなければならないのか。どうして皆は自分だけを外そうとするのか。自分の何が悪かったのか。
友恵とは付き合っていない。なぜか皆が「付き合っている」と勘違いしていただけなのだ。しかし、その事実を伝えただけで、一気に自分は孤立した。もう二度と、あの実行委員会室には行けない。委員の仕事はここでもできるのかもしれないが、「部長」としての役割はもはや果たせないだろう。あの様子だと、部長以外の他の委員も間違いなく彼女の味方だ。これまで作り上げてきた委員のメンバー達との繋がりの糸が、プツンと音を立てて次々と切れていくのがはっきりと分かった。
(でも……僕には、菜月がいる)
そう思って、スマホを出して菜月からのメッセージを眺めた。今の自分には、しっかりと頼ることができる存在がいる。彼女に今の状況を知られたくはないが、彼女の存在自体が自分の支えなのだ。そこに写る彼女の笑顔が遥人の乾いた心を癒してくれるような気がした。
そこまで考えると、手の甲で涙を拭いてから、リュックからイヤホンを取り出し、スマホから好きな男性アーティストの曲を小さめに流していく。そして、音楽を聴きながら、キーボードを叩き始めた。
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