第二十三話 真珠の涙

「待て。その手を離さぬか」

 

 凛然たる声が周囲に響き渡った。

 人魚達は声のする方向へ吸い寄せられるかのように顔を向ける。 

 金茶色に輝く瞳が必死に訴えているのを見て、彼らは金縛りにあったかのように不動となった。

 

「そのお声は……」

「まさか……」

 

 セレナを海に引きずり込もうとした手が次々と離れた。

 二・三人は尾ひれでぱしゃりと音をたて、海へ隠れた。

 岩陰から様子をうかがっている者達もいる。

 

 その反動で、身体のバランスを崩したセレナは「きゃあ」と後ろへとこけそうになったが、慌てて駆けつけたアーサーの腕によって助けられた。彼女の手は思わずその逞しい腕にしがみつく。

 レイアも駆け寄り、己の背で彼らを必死にかばった。どう反応して良いのか分からない、微妙な表情だ。


 その場の周囲にあふれていた殺気が、潮が引いてゆくように一気に消えてゆく。

 何とも不思議な感覚だ。

 

 数日前の騒動で、カンペルロ王国へ連れ去られていた王子の突然の帰還に、人魚達は度肝を抜かれているようだ。

 彼らの表情を見ていると、どうやらアリオンが脱出した情報は、ランデヴェネスト牢獄外には出回ってなさそうである。

 

「ひょっとして……アリオン様!?」

「本当だ。間違いない! 殿下だ……!!」 

「殿下!! ご無事で良かった……!!」

「ああ……殿下まで罪人のような枷をつけられて……何と痛々しい……!!」

 

 アリオンの姿を目にした人魚達は歓喜に打ち震えた。

 おいおいと泣き出す者も出る始末だ。

 彼らの瞳からこぼれ落ちた涙は、地についた瞬間、次々真珠へと姿を変えてゆく。

 つやつやとまばゆく輝く丸い宝石は、ぱらぱら、ぱらぱらと音をたてて地に落ちては散らばった。

 そして海の中へと転がり落ちては、ひっそりと沈んでいった。

 

「!」

「これが、人魚の流す“涙”!?」 

「本当に宝石になるのね……今ここにいる人魚達の場合は主に真珠というわけか……」

 

 それを目の当たりにしたレイア達は、驚きのあまりそれ以上の声が出ない。

 アリオンは人魚達の前に歩み寄り、レイア達を背にかばうように立った。

 目元は普段と変わらず口調は穏やかなのだが、どこかかたい雰囲気だ。

 つい距離をおきたくなる。

 いつもの温和な王子とオーラが違って、ぴりぴりとした空気を感じた。

 

「この者達はコルアイヌ人だ。我々を襲ったカンペルロ人ではない。それに、僕の命を助けてくれた大切な友人達だ。我々の味方だと思って良い」

「それは本当ですか? 殿下」

「ああ。本当だ。恩人でもある彼らに害をなすものは、この僕が許さない」

「……!」

 

 今までレイア達に対して敵愾心を剥き出ししていた人魚達は、王子の一言であっという間に態度を百八十度変えた。

 

「あと、彼らは我々に力を貸してくれるそうだ」 

「そ……それは信じて大丈夫ということですか!?」

「大丈夫だ。そうでなければ敵が右往左往している危険なこの国内に、わざわざ足を運ぶはずがないであろう? そう思わぬか? 僕の気持ちを汲んで、彼らは同行してくれたのだ」

 

 アリオンの言葉は穏やかで、春の海のように温かく優しかった。だが、人魚達は顔色をさっと変え、奥歯をガチガチと言わせ始めた。

 

「じ……事情を知らず、大変なご無礼を致しました。何とお詫びをしたら良いのやら……!!」

「我々の過ちをどうぞ許して下さい……!!」

 

 平謝りする者もいれば、極端に身体をぶるぶると震わせている者さえいる。

 可哀想に、すっかり怯えているようだ。

 

「だ……大丈夫だよ。誰だって間違うことはあるのだから気にしないで」

 

 レイア達は両手を左右に振るジェスチャーで示すと、

 

「何てお優しい方々なのでしょう! ああ、やっと我々にも運が向いてきたのかもしれない」

 

 と人魚達は再びおいおいと泣き始め、真珠の雨をその場にどっと降らせた。

 

「アリオン様……! どうか、うちの人をお助け下さいまし……昨日カンペルロの兵達に無理やり連れて行かれて……!! あたし、もうどうしていいのか……!!」

「王様と王妃様亡き今、おすがり出来るのはもうあなた様しかございません!」

 

 数人かの人魚達がアリオンの身体に縋り付いた。

 尾ひれをばたつかせている者もいれば、二本の足のものもいる。

 彼はその者達の肩にそっと手を置いたり、その背を優しくさすったりした。その瞳は優しさに満ちあふれている。

 

「みんな、気持ちは分かるが、あまり大声を出さないでくれぬか? カンペルロ人達に見つかって、僕が再び囚われては全てが水の泡となってしまうから……」

 

 その場にいる人魚達はうなずきつつも、アリオンに触れようと少しずつ近寄ってくる。王子は臆することなくそれに応え、彼らの言い分にゆっくりと耳を傾け続けた。

 

 時には優しく声をかけ。

 時には手を添え。

 まるで子に話しかける母親のようだ。

 

 ある程度彼らの気持ちが落ち着いたところを見計らって彼は尋ねた。

 

「僕はこの国を取り戻すために戻ってきたのだ。今国内がどうなっているのかを、是非教えて欲しい」

 

 その場にいた人魚のうちの二・三人が簡潔に話し出した。 

 

 今のアルモリカ王国は先の侵略戦争によって、破壊された地域が多い。

 その修復作業が落ち着いたあたりで、言語はカンペルロ語にどんどん変えていくような教育を押し進めると、アエス王よりお達しがあったとのことだった。

 占領下に置かれている城内は、ほとんどがカンペルロ人達によって使用されており、アルモリカの兵達や下女達は奴隷としてこき使われているらしい。  

 属州化計画を進める予定のようだ。

  

 おそらく、カンペルロ王国の幹部の誰かがリアヌ城にいるはずだ。

 城に行けば、シャックルリングの鍵のありかに繋がる、何か手がかりがつかめるかもしれない。

 

 やはりリアヌ城へ行くべきだなと決意を固めた王子は突然膝を地面につき、頭を深く下げた。

 

「僕が不甲斐ない為、今まで皆に苦労をかけてすまなかった。カンペルロ王国に連れ去られた仲間達を必ずや連れ戻し、この国を取り戻す。だから、諦めずにここで待っていて欲しい」

「頭をお上げ下さい殿下! いけません。そんなことをなされては」

 

 人魚達は恐れおののき、こぞって王子を助け起こそうとした。

  

 今までカンペルロ王国に占領された国々も、こんな状態だったのだろうかと、レイア達は思いを馳せていた。

 よくもまあ、こんな酷いことが何度も繰り返されるものだ。

 

 暴力からは憎しみしか生まれない。

 そしてその憎しみが新たな憎しみを生む。

 そうやって負の連鎖が始まる。

 どこかで誰かが断ち切らねば、この連鎖は止まらない。

 正に、不毛な行為だ。

 

 己の欲を満たさんが為に、誰かを踏み台にしたならば、踏み台にした者達に、いつかは引きずりおろされるだろう。

 因果応報とはよく言ったものだ。

  

 王子の言葉は、アルモリカ族達の胸を、暗黒な前途を照らす光明のように照らした。


(やっぱり、アリオンは為政者だな。流石だ)


 レイアはアリオンを誇らしく思ったが、何故か寂しい気持ちを隠せずにいた。

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