第九話 温かい晩餐

 焼き物の焼け具合いを見て来ると、一旦台所に行っていたセレナがエプロンで濡れた手を拭きながら再び戻って来た。

 上手い具合いなのだろう。

 先程と比べ、テンションがやや上がり気味だ。

 香ばしい、良い匂いが漂ってきている。

 

「鍵探しはみんなで協力すれば良いけど、まず一番重大な問題を解決してからね」

「?」

「アリオンの体調回復よ。先ほど確認したけど、レイアの手当てでも治りきれてない傷が身体中にあったわ。かなり弱っている証拠ね」

 

 そっと目を伏せるアリオンを見て、レイアは顔色を変えた。

 

「それは一体どういうことだセレナ!? まさか……」

「説明するからレイア、落ち着いて。人魚族は治癒能力を持っているのよ」

「治癒能力……」

 

 セレナが言うには、人魚族は体力さえあれば、薬がなくても自身の傷をある程度治す能力を持っているらしい。

 そう言えばアリオンに初めて会った時、全身傷だらけの割には、不思議と発熱していなかったのをレイアは思い出した。

 彼ら特有の能力が底力としてあったからなのかもしれない。

 それでも、あの時、限界に近かっただろうその力を彼は迷うことなく使った。

 谷底に落ちた自分を助けるために――。

 

 (あんたって奴は…… ) 

 

 彼を助けるために協力を申し出た自分が、かえって足手まといになったことに対し、腹ただしい思いだ。

 無言になったレイアの傍で、セレナはアリオンの肩から白い上着をかけてやった。

 

「……ねぇアリオン。カンペルロ王国で幽閉されている間、ロクな食事も出されていなかったんでしょ?」

 

 セレナの問いに対し、アリオンは黙って首を縦に振っている。

 金茶色の瞳はどこか遠くを見つめていて、心ここにあらずとでも言ったほうが良かった。

 

 ⚔ ⚔ ⚔

 

 カンペルロ王国のランデヴェネスト牢獄に幽閉されていた時――

 

 彼の部屋は他の者達とは別にされており、個室だった。だが王族の生き残りである彼ですら、兵による暴行という魔の手から逃れることは出来なかった。

 

 ‘’王族であるシアーズ家の者は極上の涙を流す‘’

 

 誰一人目にした者がいないと言われる、シアーズ家の涙が結晶化した宝石。兵達は意地でもその‘’幻‘’を手にせんとするだろう。

 唸る音が響く度に身体が軋み、肉が裂ける痛みを全身に感じた。

 血が流れ落ちてゆき、体温と体力が奪われてゆく。

 それでも絶対に屈するものかと、アリオンは歯を食いしばり、声一つ漏らしはしなかった。

 

 自身の肉体に加えられる拷問よりも、自分の部屋の外から聞こえてくる、うめき声の方が彼にはこたえた。

 それは連日、日夜途切れることがない。

 耳から入り込んでくる度に身を硬くしていた。

 

 何か皮のようなもので叩かれているような音、

 何かが破けたような乾いた音、

 獣のような声と水音、

 助けを求める悲鳴と泣き声……。

 

 毎日聞かされていて、気に病まない方が不思議だった。

 

 アリオンは身を横たえながら涙一つこぼすことなく、ただひたすら耐えていた。一睡も出来ない日々が連日続くこともあった。

 

 (絶対に泣くものか……!! )

 

 突如として奪われた平穏な日常。

 踏みにじられた自由。

 強引に封じられた力。

 本来であれば身を賭してでも守らねばならぬ者達を、守れない現実。

 何とかしてここから脱出し、反撃の時期を狙わねば。

 でも一体どうしたら……!!

 せめてこの忌まわしい腕輪を外す鍵が見つかれば、歩けるようになるし、何とかなるはずだ。

 しかしその場所も、誰が持っているかも分からない……!!

 

 疲労困憊で指一本動けなくなり、倒れたまま、ただ呆然と石造りの壁を見つめていたその時、カチャリと音が響いた。

 

「?」

 

 音がした方向におそるおそる視線をやると、右手首から腕輪が消えていて――

 

 ⚔ ⚔ ⚔

   

 (自分がこうしている間にも、一人ずつ命を落としているに違いない……早く何とかしなくては……)

 

 その時、アリオンの頭の中で渦巻いていた暗い想いを、セレナの明るい声が一気に吹き飛ばした。

 

「そこで提案なんだけど、二人とも暫くここに泊まっていったらどうかしら? ここは滅多に来客はないし、静養するにはうってつけよ」 

「ああ、セレナの言う通りだな。レイア、お前は奴らに一度目をつけられているから、自分の家にはしばらく戻らない方が良いぞ」

 

 同居人であるセレナの独断に異を唱えることもなく、アーサーはあっさりと二人の宿泊を許可したのだ。そして、幼馴染みの足留めにかかっている。レイアはその案に対して特に深く考えることもなく、首を縦に振った。

 

「そうか……その方が良いかも。せっかくだから、お言葉に甘えさせてもらおうかな。街のみんなに不必要な迷惑をかけたくないし。ご近所さんには所用で立ち寄る場所が出来たから、暫く家には帰らないと、後で手紙を出しておくよ」

「奥の部屋を片付けておいたから、後で案内するわね」

「ありがとう。暫く厄介になるよ」

 

 三人の間でとんとん拍子に話しが決まっている中、アリオンは待ったをかけた。その肩から上着が滑り落ちる。

 

「ちょっと待ってくれ。僕は……その……」

「どうしたの?」

「いやその……ただでさえ急に転がり込んで迷惑をかけているのに、更に迷惑かけるだなんて、申し訳ない……」

 

 アーサーは床に落ちた上着を広い、再びその肩にかけてやった。そしてそのまま肩をぽんぽんと軽く叩いた。

 

「仲間のことが気になるんだろう? 今のうちに体調を整えてからでも遅くないと思うぜ。気持ちは分かるが、焦るのは良くない。まず、今の状態ではあんたは三下相手に潰されてしまう」 

「僕は、彼等を助け出すことに全てをかけている。それさえ叶えば、僕がこの世に生を受けた価値があると思うんだ」

 

 すると、ヘーゼル色の瞳が金茶色の瞳を真っ直ぐ覗き込んだ。射抜くような、視線だ。

 

「あのさ、あんた自身はどうなんだ?」

「え?」

「まるで、仲間が無事であれば自分は死んでも良いような物言いが引っかかる。それじゃ駄目だろ? 結果としてあんた自身が幸せにならなければ、あんたに助け出された仲間達だって幸せになれないぞ」

 

 レイアの真っ直ぐな視線に対し、アリオンは目をしばたたかせていたが、やがてその目元をゆっくりと細めた。

 

「そうか……そうだな。君は中々良いことを言う」

「良いこと? 普通だと思うけどな」

「ありがとう。レイア」

 

 金茶色の瞳に見つめられ、妙に照れくさくなったレイアが頬をやや紅く染めた。

 

 (何だ? 顔が熱いし、妙にどきどきしている。私発熱でもしているのだろうか? )


 そんなレイアの額にでこピンがヒットする。


「痛っ!」

「……お前なぁ、他人のこと言える口じゃないだろうが」

「だからって……怪我人に手を出すなんて最低」

「はいはい。俺、この前の依頼以降、丁度仕事も入ってないから、お前等に付き合うことにするぞ。良いな」

「……分かったよ。助かる。ありがとう」

 

 アーサーは槍使いであり、時々「依頼」を受けることがある。護衛の依頼だったり、王宮の兵士への武術指南だったり、種類は色々ある。


 内容にもよるが、仕事の依頼を受けると、彼は家を不在にすることが多い。早くて二・三日。遅くて三・四週、それ以上の時もある。

 依頼を完遂したその帰り道、たまたま通りかかったサンヌ崖の下で、倒れていた二人を見付けた。

 あの時は本当に偶然だったのだ。運が良かったのは本当だ。

  

「そうと決まれば、そろそろご飯にするわね。レイアの大好きなあぶり肉、もう少しで焼き上がるわよ」

「やった!! 嬉しいなあ!! 何ヶ月ぶりだろう!!」

 

 舌舐めずりをし、ほくほく顔で喜ぶレイアだった。

 

「タレの出来も上出来だ」

「そのタレって、アーサーのお手製か!?」

「あったりまえだ。特別に俺が給餌してやるから、怪我人は座って大人しくしてろ。アリオンは無理して動かなくて良いぞ。その目の前の机に運ぶから、遠慮せずに食ってくれ」

「……ありがとう」

 

 天板の上に焼き上がったばかりの仔牛のあぶり肉が乗っていた。焦げ目がこんがりとついていて、その上からぽっぽっと白い湯気が立ち上っている。まるまると太っていて、食べごたえがありそうだ。ナイフの刃を通すと、切り口から肉汁があふれ出してくる。

 アーサーの手によって一枚一枚、食べやすいように切り分けられ、皿に乗せられてゆく。セレナはその上に彩り野菜を見ば良く飾っていった。きれいに整えられた食卓が、一段と賑やかになる。

 

「アリオンは食べられそう?」

「少しなら、何とか」

「何か食べないと力が戻らないぞ。最初はミルカが良いかな。私が手伝おう」

「急に食べると胃に負担がかかって良くないから、ゆっくりね」

 

 湯気のたつミルカ入りの皿と匙とカップが乗った盆を受け取ったレイアは、それを寝台の傍にある机の上に置いた。それから背中のあたりにクッションを置いてやったりと、彼女は甲斐甲斐しくアリオンの世話を焼き始めた。


 匙を自力で持てそうなので、静かにゆっくりと口に運ぶようすを見守っていると、やがて色白の頬に少し赤味がさしてきた。目元とともに少し表情が柔らかくなっていくのが分かる。思わず口元が緩むのを感じた。

 

「アーサー、美味しいって。良かったな」

「ああ。口に合ったなら、安心だ。見たところ彼は大丈夫そうだから、お前もこっちに来たらどうだ? 肉が冷めちまうぞ」

「ああ、もう少ししたら行く」

「アリオン、それが大丈夫なら肉を少し持っていくから教えてくれ」

「ありがとう……本当に、色々……」

 

 ミルカをすくって口に入れる度に、心の尖ったところが春の陽に撫でられた氷のように優しく溶け、穏やかに、平らになってゆくのを感じた。

 

 情勢が悪化して以来、カンペルロ王国のみならず、人間に対してやや不信感を持っていたアリオンだった。

 心身共に一番弱っている時ほど用心せねばと、どうしても疑う想いがよぎる。

 しかし、今ここに集っている人間はみんな親身になって自分を助けてくれる。疑う余地がない。それなのに……

 

 アルモリカ王国内で生活していた頃は、どうしても身分がつきまとう為、心から信頼出来る仲間がほとんどいなかった。

 その彼等でさえ、カンペルロ王国による急襲で、無事に生き延びているのかさえも不明だ。

 牢獄に囚われている部下達、

 アルモリカ王国のどこかで生きている仲間達。

 何としてでも助けたい。

 

 (彼等の言う通り、早く回復して、みんなを一刻も早く助けに行かねば)

 

 今ここにいる優しい者達を信じて、頑張ろう。

 そう思うとつい目元が緩みそうになったが、ぐっとこらえる。

 腹の中がじわりじわりと暖かくなると共に、

 胸の中に明るい灯火がほのかに灯るような、そんな気がしたアリオンだった。

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