3人の男の3つの願い
ダイニング
第1話
日本の片隅、超がつく田舎に暮らす俺のもとに差出人不明の手紙が届いた。日が傾きかけた夕方のことだ。時計を見ると、16時半前をさしている。
俺は2年ほど前、両親が亡くなったことをきっかけに、会社を辞め、実家と土地を売り、手に入れた金や、退職金、親の遺産やらでこのド田舎に土地を買い、小さな家を建てた。
俺の持つ能力のせいで、およそ他人の居るところに、俺の心が落ち着くような場所はないのだ。こうして逃げるようにして、こんなところに腰を落ち着けたのもどうしようもないこの力のせいだ。
ここへ移り住んですぐの頃、地獄のような企業勤めから解放され、喜んでいたのも束の間、いかんともし難い孤独感が俺を襲った。人間が嫌いだからといって、他人から離れれば全て上手くいくという訳ではない。人間とはつくづく難儀なものである。
しかし、この問題も犬を飼い始めることで解決した。丸1日をかけてペットショップまで行き、帰ってきた。そこでの会話もかなりの苦行ではあったが、この先待っているはずの犬との生活を想像することで何とかやり過ごした。
それから俺が飼い始めた犬もこの2年ですっかり大きくなった。今では、散歩の際は引きずられそうになることもあるほどに大きい。たまに訳もなく吠え出すこともあるが、人間の声に比べれば可愛いものだ。
この手紙も愛犬が郵便受けから咥えて持ってきてくれた。封筒の形状からして中身は何かの招待状だろう。同窓会のものも、結婚式のものも、このような形状だった。決して出席することはなかったが。
しかしこの手紙がそれらの招待状と違うのは明白だった。差出人がどこにも書かれていないのだ。非常に怪しい。怪しいのだが、どうしても開けなくてはならない。そんな気持ちに駆られて封筒を開くと、視界が白く染まった。
2
そこは真っ白で、だだっ広い空間だった。様々な国から来たであろう人々がめいめいに怒号を飛ばしているのが聞こえる。本当にうるさい。ただでさえうるさいというのに、叫ばれると輪にかけてひどい。
『詳しいことはこれからご説明致しますので落ち着いてください。こほん、地球の皆さんこんにちは。私たちはじゃんけん星からやってきました、じゃんけん星人です。これからあなたたちには、お隣の方とじゃんけんをして頂きたいのです』
まるで、赤子をあやすかのように軽く彼らをなだめて、じゃんけん星人は説明を始める。明らかに日本語ではない。しかしながら、この宇宙人の言わんとするところははっきりと伝わってくる。
体をその宇宙人に向けて話を聞いていたのだが、それを聞いて横を向くと、金髪碧眼の白人の少年と目があった。恐らく、いや間違いなく最初の相手はこの少年だろう。
『あなた方の星、地球では世界標準時の西暦2085年11月24日午前7時27分40秒をもって、人間――いわゆるあなた方のうち5才以上の方の人口がちょうど約86億人、2の33乗人となりました。そこで私たちはあなた方でじゃんけんのトーナメントをやって頂き、優勝された方には何でも1つ願いを叶えて差し上げようと思った次第でございます』
会場がどよめきに包まれた。先程まで怒号をあげていたであろう人々も、そのどよめきに交ざって声をあげているのかもしれない。
そのとき、1人の男が質問をした。
「本当に、それは何でもいいのか?」
『ええ、何でも。大金でしょうが、国でしょうが、何なりとどうぞ。ただし私たちがお願いを承るのは、優勝されたあかつきのこととはなりますが』
いっそう、会場を包むどよめきが大きくなった。その宇宙人は続ける。
『なお、優勝された際のお願いですが、期間は1週間以内でお願いいたします。それ以上たってしまいますと、その権利は準優勝された方に移りますのであしからず。その際は1週間後に準優勝なさった方のもとにお伺いします。そして、途中で敗退してしまった皆様は――』
その宇宙人は俺たちをぐるりと見回して言った。思考が読めない。何をする気だ。
『私たちがお呼びする直前にいらっしゃった場所にお帰りいただきます。以上で説明は終わりでございますが、何か質問は?』
すると、先程と同じ男が手を挙げた。
『では、そこの方、どうぞ』
「本当に願いは何でも叶えてくれるんだろうな? 本当だな? 証拠はあるのか?」
『ええ、もちろん。我らがじゃんけん神に誓って。証拠は……こうして今ここに皆様が集められているというだけでは不十分でしょうか?』
「いや、分かった。十分だ」
自分が優勝する可能性しか考えていないのだろう。欲望を隠そうともせずその宇宙人に問うその姿を俺は浅ましく思った。これだから人間は嫌いだ。頭の中ではもっと汚いことを考えているに違いない。
そうして、全人類が参加するじゃんけんトーナメントが開幕したのだった。
3
1回戦の相手は、案の定、俺の目の前にいた少年だった。
『では行きますよ。最初はグー、じゃんけんぽん!』
ノリのいい宇宙人――「主催者」とでも呼ぼうか、の声で一斉にじゃんけんが始まる。
相手はパー、俺はチョキ。言うまでもなく俺の勝ちである。正直に言って負ける気がしなかった。当たり前のことだ。
俺には人間の心の声が聞こえるのだから。
生まれつき備わっていて、コントロールすることも出来なかったこの力のせいで学校も職場も家も、俺に苦痛を与える場所にしかならなかった。同様に、クラスメイトも同僚も家族も俺に苦痛を与える存在にしかならなかった。
そんなクソみたいな力が、何でも1つ願いが叶うという力に変わったのだ。俺は俺が優勝することを微塵も疑ってなどいない。
じゃあそうだな、願いはこの力を消してもらうということにでもしようか。俺が優勝したら、もうこの能力は完全に必要ではなくなる。きっと普通の人生は素晴らしいのだろう。今から楽しみで仕方がない。
20回以上にわたる「じゃんけんコール」の後、1回戦が終わり、半分の人数である約43億人が部屋から消滅した。部屋も人数に合わせてだろうか、かなり狭くなった。
このじゃんけん大会は、33回勝った人が優勝だ。あと32回。俺は心を引き締めて2回戦へと進んだ。
4
その後俺は、2回戦、3回戦……と難なく勝ち続け、遂に32回戦――準決勝へと進んだ。
そして、そこで出会った相手は――
「お前が次の相手か? 悪いが、勝たせてもらうぞ」
――始めて見る顔、2度ほど聞いたことのある声の男だった。
「……君は、どんな願いを叶えたいと思っているんだ?」
俺はそう尋ねた。理由は2つ。1つは純粋に興味が湧いたからだ。皆が鵜呑みにしたことを、何度も念を押してまで言質をとるほど強く深い願い。最初こそ、その姿勢を浅ましいと思っていたが、間近で彼を見ると彼がそんな願いをするような男にはとても見えなかった。
2つめの理由はもっと単純なもので、彼の願いが聞こえてこなかったからだ。この男、ただ勝つことしか考えていないのだ。
「気持ち悪い話し方をするやつだな、お前は。それに何でいちいちそんなことを聞くんだ? 黙ってじゃんけんをして、お前が負けて、俺が無事に決勝に行く。それでいいだろ」
その男は乱暴な言い方で答えた。ところどころ白髪が交じっていて、目元には深いしわが刻まれている。既にじゃんけんの構えに入っている右手には無数のまめや傷痕がある。顔や服は黒ずんで全体的に薄汚れていた。彼は彼で、俺が想像もつかないような苦労を重ねてきたのだろう。
そして彼は間違いなく俺よりも若い。だからと言うのはなんだが、俺は彼に敬語を使わなかった。彼にはまだ変声期が来ていない。
「それとも、何だ? 俺がお前に願いを言ったら叶えてくれるのか?」
「それは……」
間違いなくできない。そもそも俺に叶えられる願いはないと言ってもいい。いわんや、彼の脳内を勝つことだけで埋め尽くすほどの願いをや。
『では行きますよ。最初はグー、じゃんけんぽん!』
今日何百回目のやはり妙にノリのいい掛け声が、最初よりも遥かに狭まり、もはや普通の一軒家のリビングと大して変わらない広さとなった部屋に響いた。
『絶対に勝つ絶対に勝つ絶対に勝つ絶対に勝つ絶対に勝つ絶対に勝つ絶対に勝つ絶対に勝つ絶対に勝つ絶対に勝って俺は――』
彼の心の声が、彼の思いが俺の脳内に響き渡る。先程までとは比べ物にならない位だ。彼が次に何を出すのか予測することは完全に不可能。ここからは運だけの勝負だ。
「おらあああああああああ!!!!!」
彼は俺の脳内に流れ込む自分の心の叫びを掻き消すほどの声で叫ぶ。さらに俺までもが彼の全霊の叫びに押されて、意味をなさない絶叫をする。
「あああああああああ!!!!!」
『絶対に勝って俺は、家族と幸せに暮らすんだ。あの頃みたいに』
彼も俺も、全力を出し切った。そんな気がした。
たっぷり数瞬の間をおいて、互いに相手の出した手を確認する。俺はパーを出した。彼は――。
5
次の33回戦――決勝戦はアフリカ系の10才位の男の子だった。色黒で髪の毛は短く縮れ、絡みあっている。
『最初から全部1回で勝ってきちゃったし、つまんなかったなあ。このさっき叫んでたやばいおじさんは強いのかなあ。うるさくてぼくも審判さんもずっと耳塞いでたし』
思うのは自由とはいえ、失礼なことを考える子供である。こういうことが毎日のようにあったせいで、俺はずっと人と関わることが苦痛だった。この子の場合は裏表なくつまらなそうな表情をしているため、かなりましではあるが。
『では、始めさせて頂きます。あと、そこのあなたは出来るだけ静かにお願いしますね。最初はグー、じゃんけんぽん!』
あらかじめ主催者に釘を刺されたが、もう叫ぶことはないだろう。この子が出すのはチョキ。俺はグーを出せばそれで優勝が決まる。そこには何ら激しい情動は存在しない。これはただの作業だ。やばいおじさんは強いぞ、ぼく。
改めて言うまでもないが、準決勝を制したのは俺だった。俺はパー、彼はグーを出した。俺は、彼に勝った。勝ってしまったのだ。
「……そうか。やっぱり人生はそう上手くはいかないものみたいだな」
彼はそうつぶやいて消えていった。彼の声はそれしか聞こえなかった。ここで初めて俺の心に迷いが生まれた。このまま俺は願いを叶えてもらっても良いのだろうか。俺の願いは、力を消してもらい普通の人生を送りたい、という慎ましやかで自分本位なものである。願いは、俺なんかじゃないもっと他の誰かのために使われるべきではないのか。
俺は本当は意外と幸せなんじゃないのか。
そう思った俺は自分よりも不幸で、苦しんでいる人々――例えばあの少年のような――のために願いを使おうと決めた。
あまりその方面について難しいことは分からない。だから、それは「主催者」たちに任せよう。俺が願うのは皆が幸せな世界。彼が家族と暮らせて、俺が家族や他人にもう少し近づくことができた世界。
もしその願いが叶うことが有るのなら、俺も少しぐらいはそれにあやかってもいいだろう。他人のために願おうと決めたそばから、そんなことを考えてしまう辺り、俺も自分が嫌いな人間の一部なんだと嫌でも理解させられる。結局自分自身のことが一番かわいいのだ。
今思えばそういう迷いが俺の決勝敗退を防いだのかもしれない。
6
叫びは迷いとなり、迷いは疑いとなった。とっさに俺が出したのはパー。あいこだった。
「うわっ、あいこだ。すごいなあ、おじさん。あいこになったの久しぶりだなあ。みーんな1回で負けちゃうんだもん」
「嘘だろ……」
俺は驚愕した。この子供が考えていることと動作がまるで噛み合っていなかったということにではない。最初からこの子供が、俺が他人の思考を読めると推測して行動していたこと、また俺がその行動を全く予見できなかったことに、だ。
じゃんけんで物事を決めるときに、最初に自分はどの手を出す、という風に言って心理戦を仕掛けてくる奴がたまにいる。それをこの子供は頭の中でそれをやったのだ。言うまでもなく、人間の言うことと、考えていることでは、信憑性は段違いである。俺のように他人の心の声が聞こえる人間は、当然心の声、考えていることの方を重視する。
さしずめ、頭の中にチョキを思い浮かべることで、そのまま俺にグーを出させてそのまま優勝を狙ったのだろう。俺が心を読めることを見抜き、あまつさえそれを利用してくる。決勝、全人類の頂点、子供ながら、相手もさるものだ。
俺とて、馬鹿ではない。次は同じ手には引っ掛からない。
『最初はグー、じゃんけんぽん!』
次に、その子供が浮かべたのはパーだった。俺は学習した。さっきの二の舞となることはもうない。俺の心に迷いを生じさせてくれたあの少年に感謝しつつ、俺が出した手はパーだった。
一方、子供が出したのはチョキだった。
俺は、決勝で敗退した。願いを叶えることは、遂に叶わなかった。
「ははは、やっぱりそう上手くはいかないか。難儀なもんだな」
さっきの少年と似たような言葉だけをそこに残し、俺は片田舎の家に戻された。
7
時計は相変わらず16時半をさしている。少しの時間経過はあれ、それも2、3分程度のことだ。白昼夢で済ますには、あまりにもリアリティーがあった。招待状も持っている。中を開いてみると、『準優勝おめでとうございます。優勝者の願いが決まらなかった場合、1週間後にお伺いしますので、考えておいて下さい』と書いてあった。
願いは既に決まっている。それよりも知りたいことがあった。なぜあの子供は、俺が他人の思考を読めるという可能性を考慮していたのかである。
調べてみると、すぐに分かった。子供はアフリカのじゃんけん民族、ンケンジャ族の戦士だったのだ。
全てをじゃんけんで決めるその民族の中では、じゃんけんの勝敗は彼らの生活に直結する。だから、どうやってじゃんけんに勝利するか。自然とそれは民族最大の関心事となる。
その過程で、他人の心を読める子供が生まれることがあったらしい。当然そういう子供たちは、猛威を振るった。しかし、それも長くは続かなかった。すぐにそのメタとなる子供――例えば彼のように、思考と行動を独立させることができる子供が現れたのだ。今はこういう子供たちが猛威を振るっているらしい。要するに、いたちごっこである。
俺は、6日ほどかけて色々と資料を漁り、さっきのようなことを調べ上げた。そして、今日は運命の日。ほとんど期待はしていないが、宇宙人が来るかもしれないのだ。
わずかな期待を胸に抱えて待ち続けていると、ドアを叩く音が聞こえた。来ないものと思っていた来客に、胸を高鳴らせドアを開けると、そこには決勝で戦った子供が立っていた。
「今まで、ぼくの相手になる人が全然いなかったからさあ、おじさんとあいこになったときすごくびっくりして、わくわくしたんだよね。だから、審判さんに『おじさんともう一回じゃんけんしたいなあ』って言ったら、審判さん、お金と飛行機のチケットだけ渡して、行き方をぼくに教えたら、ぼくのことおうちに戻していなくなっちゃった。おかげでおじさんのところまで来るのに7日もかかっちゃったよ」
子供はそう言って無邪気に笑った。俺は、全身から力が抜け、その場にへたり込みそうになるのをこらえるのが精いっぱいだった。
やっぱりそう上手くはいかないか、難儀なもんだな。
3人の男の3つの願い ダイニング @1c3i5o7v9
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