第157話 宿屋とギルド
あたりが暮色蒼然としてきたころ。
俺達はヴァント子爵領の領都、ヴァニスタンへと入った。
これで三度目のヴァニスタン入り。前回立ち寄ったのは王都からの帰り道のことだったから、かれこれ一年と数か月ぶりになる。
前世とは異なり、この世界にはタウンガイド的なものは存在しない。そのため、俺達のような冒険者や行商人は、主要な街を訪れたとき、その街並みや主要施設の配置などをしっかりと記憶に焼きつけておく必要がある。
一方で、前世ほど街の様子が目まぐるしく移ろうこともないので、さすがに三度目ともなれば、ある程度は慣れたものだ。
俺達は寝床を押さえるため、以前も利用した宿屋を訪ねる。するとそこでは、でっぷりと肥えた見覚えのある宿の
「……やあ、アンタらか。うん? ――もしかして少しメンバーが変わったかい?」
さすがは客商売の宿屋の主。
少し記憶を探る素振りは見せたものの、過去に二度も泊まった――それもコペルニク侯爵の王都行に随行するほどの冒険者の顔を忘れるわけもなく、彼はパーティーメンバーが入れ替わったことにまで気付いていた。
そんなふうに気安く語りかけてきた主だったが、モーリーの背後からひょこりと姿を現したピンガラを目にしたときにはさすがにぎょっとしたようで、彼は人好きのするまん丸い目をさらに大きく見開き、茫然としていた。
「ちょっ! アンタら……ソイツは一体?」
――と、一転して怯えた表情を見せ、戸惑いながらも抗議染みた声をあげる主。そんな主の背をパシッと平手で叩いたのは、横にいた女将だった。
彼女は夫に説明する。
「いやだねぇ。お前さん、忘れたのかい? あれだよ、前にギルドから話があっただろう? コペルニクの侯爵様と冒険者ギルドの紋が刻まれた首輪――それをつけたドラゴンは安全だって」
「……おおっ、そうか。たしかにあったな、そんな話が。うん? ……ってことは、ノールメルクとの戦で大活躍した冒険者ってのは、もしかしてアンタらのことだったのか⁉」
軽く首肯した俺の肩をばしばしと叩き、こりゃまた大したモンだ――と大声で讃える主。続けて、それほどの冒険者の定宿……ってことは、お前さん、これはいい評判になるよ! ――と、こちらは女将のほう。
夫婦揃って随分とゲンキンなものだ。
そんな夫妻との会話の中で、パーティーメンバーが入れ替わったことや、今は俺がリーダーを務めていることなど、当方の近況も簡単に伝えておく。
そして、とりあえず三日分の宿代を支払うと、俺達は二年前に初めて訪れたときと同様、この街一番の名店とされる飲み屋で痛飲し、明日以降に向けて英気を養ったのであった。
■■■■■
昨晩は大いに飲んで騒いだ俺達だったが、それでもコペルニク侯爵があれほど肩入れしていた依頼だ。大して意識しているつもりはなくとも、精神的な重圧は心のうちに蟠っていたのだろう。
俺は誰に起こされるともなく、日の出とともに自然と目覚める。
前世でも、重要な仕事が控えているようなときは、気が張っていたためか、目覚まし時計が鳴る前に目覚めていたものだ。早いとこ退職して悠々自適の隠居生活に入り、そういった圧とは無縁の生活を夢見ていた俺だったが、こうして思いもよらず若返ったことで、そんな夢はまた先送りされてしまった。
ってか、前世ではそもそも隠居生活に入る前に死んでいたのだから、一番損な状況から救われた……とでも考えるべきか?
まぁいずれにせよ、悠々自適の隠居生活に入るのと、異世界に転移して若返るのとを比較すれば、甲乙つけがたいものがある。
見た目は子供、頭脳は大人――で有名な某エドガーさんではないが、俺も世故に長けた若者として、今はそれなりに楽しくやれているのだから善しとしようか。
さて。俺達は、でっぷりと肥えた夫婦が営む宿で朝食をとる。
ウキラがつくる食事には及ばぬものの、意外なほど味がいいのは前に訪れたときと変わらない。ただし、おそらくは彼らの体格を基準に供されたそれは、量のほうも以前と同様に膨大なもので、昨夜の暴飲暴食でもたれた胃にはかなりの負担となった。
俺達は食後のデザートを無理矢理胃袋に詰め込むと、美味かったよ――と夫婦に声をかけ、腹ごなしの散歩がてら冒険者ギルドへと向かったのだった。
□□□
宿から歩いて二、三分のところ。
領都コペルニクのそれと比較すれば一回り小さな建物だが、使われている部材や外観のセンス、清潔感はコペルニク以上。それがヴァニスタンの冒険者ギルドだった。
裏の事情はどうであれ、表向きはこの領都ヴァニスタンの冒険者ギルドが発した依頼だ。
コペルニク侯爵から紹介状を託された真の依頼人、ヴァント子爵の館を訪れる前にこちらのギルドに寄り、依頼受諾の報告と詳細な内容確認を行うのは必須である。
加えてピンガラの件もある。以前も述べたとおり、ピンガラが街に一時滞在する際は、冒険者ギルドへの報告が義務付けられているのだ。
建物に入った俺達は中の様子を窺う。
右手には食事処、左手には依頼が貼り出された掲示板。そして正面には受付嬢が並ぶカウンターというオーソドックスな造り。
ギルド内には地元冒険者と思しき連中が十数人たむろし、掲示板の前に陣取って熱心に本日の依頼を吟味していた。
が、俺達の姿を認めた途端、彼らの視線は鋭いものへと変わり、刺すような眼光がこちらへと向けられた。
あまり見かけない
さらにはドラゴン装備――だと彼らに分かるか否かは別にしても、見慣れぬ素材の高級武具に身を包んだ謎の冒険者。しかもドラゴン装備どころか、そのドラゴン自体も引き連れているのだ。
警戒するのは当然だろう。
加えて、俺は別にしても、ほかのパーティーメンバーからは一流冒険者特有の雰囲気がビンビンと発せられている。
俺達がいくら年若い集団だとしても、因縁を付けるようなマヌケは冒険者として上を目指すことなどできない。危機管理、あるいは危険察知の能力に欠如したヤツが大成できるほど、冒険者稼業は甘くはないのだ。
俺達は彼らからの無遠慮な視線を悠然と受け流し、水を打ったように静まり返ったギルド内をコツコツと足音を響かせて進む。
そして、受付カウンターにコペルニクのギルドから渡された依頼受諾書と冒険者カードを提示すると、俺はピンガラの一時滞在についても報告する。
受付嬢は三十路前後の地味で物静かな風貌のベテランだったが、さすがにピンガラの存在には動揺の色を隠せないようだ。
彼女はごくりと喉を鳴らすと、一息ついて呼吸を整える。そしてそこからさらに一拍置いて気持ちを落ち着かせてから、風貌どおりの物静かな口調で務めて冷静に訊ねてきた。
「あの……、そちらのドラゴンは、例の通達があった?」
あぁ、首輪を確認してくれ――と、俺は顎をしゃくる。
彼女はカウンターを出るとおそるおそるピンガラに近付き、冒険者ギルドの紋章、そしてコペルニク侯爵家の家紋を確認した。
「たしかに確認いたしました。それで、この街での滞在期間は?」
「宿はとりあえず三日間押さえた――が、一週間は見といてくれ。あとはこっちでの仕事次第さ」
俺はそう告げると、先ほど提示した依頼受諾書を見るよう、視線で促す。
彼女はそれを見るなり、はっとした表情で目を見開くと、改めて俺の冒険者カードと見比べる。
「失礼しました。早速、ギルマスにお取次ぎいたします」
そう告げた受付嬢は、受付カウンターの奥へと足早に姿を消したのだった。
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