異世界モノを知らないオッサン、しょっぱい能力の魔法戦士になる

頼北佳史

第1章 24時間

第1話 サイコパス

 齢50にして男は死の床にいた。

 意識が徐々に遠退いていく。

 悲壮感を湛えた表情の妻子が見守る中、彼は思う。


 これはもうダメだな……

 何もない人生だった。夢も、希望も、目的も。

 けれど息子は俺よりも優秀に育った。


 後世に自分より優秀な種を残す――言ってしまえばそれが生物としての究極的な使命である。

 人として……ではなく、利己的な遺伝子に支配された一生命体としては最低限の役割を果たしたな――と、男は妙な感慨に浸っていた。


 息子は東京で一人暮らし。既に手はかからない。悠々自適のキャンパスライフを送っている。

 それなりの貯蓄と生命保険、それに加えて共働きの妻。

 自分が死んでも金銭的な苦労はないだろう。

 もう暫く息子の成長を見ていたい――そんな思いはあるが、もはや仕方のないことだ。



 膵臓癌ってマジで見つかりにくかったんだな……


 毎年人間ドックは受けていた。が、黄疸に気付いて慌てて検査を受けたら既に主要な臓器には転移済み。末期であった。


 人間ドックって結構な金かかってたよなぁ……

 しかも受けなくてもいいような無駄な再検査だけはやたら引っ掛かったし。


 混濁しつつある思考の中、そんな矮小な愚痴を巡らしながら彼は緩々と顔を傾けて息子に視線を送る。


 いよいよ臨終のとき。

 最後の言葉を残さなくては。

 息子がまだ中学生の頃、笑い話で約束したんだ。今際の際、父さんの最後の言葉はコレだと。


公実きみざね……」


 嗄れた声で男は息子の名を呼ぶ。

 慌てて近寄る息子の目をしっかりと見据え、彼は息も絶え絶えにことに乗せた。


「へメ□……ペカ、ペカ」


 力なく絞り出された謎の言葉と共に男の生命の灯は尽きた。


 妻は困惑の表情を浮かべた。夫の終の言葉の意味が分からないのだ。

 そこに一拍遅れて息子の乾いた笑い声と呟き。


「最後の言葉はそれだって確かに言ってたけどさ。マジかよ……」


 オヤジ、人生の最後くらいもっと真面目にしろよ……

 はぁ、オフクロに説明すんのメンドイわ。


 父の臨終の言葉には何の意味もない。それをこれから母に説明しなければ。

 公実きみざねは父らしい死に様にそこはかとない諧謔を覚えてはいたが、そんなふざけた夫を持った母には同情していた。



 ■■■■■



 頼北らいほう佳史よしふみ、それが男の名であった。


 この珍しい氏は「らいほう」と読む。

 北近江の戦国大名、浅井家の重臣・海北かいほう綱親、そしてその子で絵師としても高名な海北かいほう友松の傍流とも伝わるが、真偽の程は定かではない。


 名の方は「よしふみ」。至って平凡である。

 故に彼はこれまでの人生、名で呼ばれた記憶がない。

 職場の同僚も数少ない友人も、皆が彼を「ライホー」と呼んでいた。



 彼は物心がついた頃から人生に意味が持てなかった。夢も、希望も、目的も、ない。

 ただただ日々を生きる。それもなるべく楽をして――ただそれだけであった。


 しかし、そこそこの頭脳とそこそこの容姿を持ち合わせていた彼は、就職氷河期の時代にあってもそこそこの仕事にありつき、そこそこの女性とも付き合ってきた。

 無論、仕事に対するやりがいなど微塵も持ち合わせてはいなかったが、収入を得なければ死んでしまうし、人並みに女性も好きであった。


 そんな彼の一番の趣味はゲーム。それも育成系を特に好物とした。

 競走馬、プリンセス、モンスター、果てはRPGのキャラに至るまで、彼は様々なものを高いレベルで育て上げた。


 俺って育成系好きだわ……


 夢と希望と冒険のストーリー重視系RPGまで育成系にカテゴライズすることには若干の違和感を覚えるが、彼にとってはそれも育成系でしかなかった。


 しかし仕事では万年一兵卒。育成する側には立てない。


 千里の馬は常に有れども、伯楽は常には有らず……か。

 でも「千里の馬」になって出世しなきゃ、「伯楽」にはなれないんだよねぇ。


 いくら「伯楽」として名馬を育てる才を持って生まれても、そもそも「十里すら走りたくない馬」は「伯楽」の地位にまで昇ることはできない。

 それが韓愈かんゆの時代とは異なり、生まれながらの貴族特権が存在しない現代日本における残酷な真理であった。


 そんなことを思いながら、休日は黙々と育成ゲーやRPGのレベル上げに励む日々。



「私とゲーム、どっちが大事なの?」

「そりゃ女性の中では君が一番だけど、女性とゲームなら――ゲームかな?」


 真面目な表情でそんなことを宣う男に愛想を尽かし去っていった女性もいたが、それでも彼は人並みに結婚した。

 なにせ、そこそこの頭脳と容姿、そしてそこそこの仕事に就いていれば、この不景気な世の中である。女優並みの美人だとか、いいトコのお嬢様だとか、そんな高望みさえしなければ彼のような人間にもそれは無理ゲーではなかった。



 そして結婚して3年。男は人の父となった。

 そのとき、彼は思った。


 そうだ!この子を育成しよう、と。


 ある意味、親としては当然のことなのだが、彼のベクトルは少しどころかかなりズレていた。


 息子の資質や気質を適確に見抜き、実際に自己資金を投入しての、セーブもロードもリセットもなしの一発ゲー。

 そこにシビれる!あこがれるゥ!


 それは善悪のたがを母の胎内に置き忘れてきた男の、育成ゲーマーとしてのプライドを賭けた戦いの始まりであった。



 目指したい未来――その方向を息子自身が定めた時点において、息子により多くの選択肢を用意する。それがこの子育てゲームにおける男の最終目的。

 言葉にすれば思った以上にもまともな教育方針である。

 しかし彼にしてみれば、進むべき方向性が分からないまま育成しなければならない先の見えない縛りゲーであった。


 スポーツ選手を、ピアニストを、アーティストを、そしてプリンセスを――

 明確な目的があればかえって育て易いが(プリンセスは無理だけれど)、先行きは全て息子任せである。

 そんな鬼縛りの中でどこまで能うか――彼の心中は久方振りに闘志で漲っていた。


 この縛りゲーをクリアするためには、各種能力を幅広く鍛えつつ息子の心情を正確に見極め、適切なタイミングで絞り込んで研ぎ澄ます必要がある。

 彼は今まで以上に仕事の時間を削り、子育てゲームにのめり込んだ。


 「イクメン魔法の呪文」という言葉などまだ存在しなかった時代……

 同僚男性の妬みや嫉み、職場での出世などには目もくれず、彼は妻よりも長期の育休を取得して事に当たった。

 息子が学校に入学後も、教師や塾講師との面談には彼が有休を取得して臨み、学校や塾、家庭での息子の状態を共有するとともに、彼らとの良好な関係構築に腐心した。運動会や文化祭などの学校行事も皆勤である。休日には家族3人揃って科学館や博物館を巡り、果てはJA×Aにまで見学に赴くなど、多様な体験の機会をつくった。

 彼は順調に成長していく息子を見守ることが楽しくて仕方がなかった。



 そして18年……


 男にはやはり「伯楽」の才があった。

 そして息子には「千里の馬」の才があった。

 息子は、息子自身が高校生のときに目標として定めた日本最高峰の大学とうきょうだいがくに現役で合格した。


 ……負けてない。韓愈かんゆにだって俺は負けてないぞ!オレは間違ってはいなかった。


 そのとき男は某ゴリラの科白をインスパイアして感慨に浸っていた。

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