図書室の神隠し (2)
「いやー、ごめんごめん。誰もいない校舎で下着を振り回してたら手元が狂っちゃって……」
狂ってるのはお前そのものだよ。思うだけで抑えた自分を褒めたい。
「げ、先輩かよ……」
その痴女は二年五組にいた。
「返します」
ありがとう、と律儀にお礼を言われるのが、この状況ではおかしく感じてしまう。
「余計なお世話ですけど、履く以外の理由で下着を持ち歩かない方がいいですよ」
ましてや、振り回すなんて。
本当に余計なお世話で、余計な一言だろうけど、一応、被害に遭った人間としてそれくらいはいいだろう。
「うん? もちろん、履くために持ってきているよ」
「もしそうだとするなら、俺がついさっきまで手にしてた布が使用済みの脱ぎたてほやほやだったことになってしまうんですが……って」
俺が話している最中だというのに、目の前の女子生徒は下着を履き始めた。
履き始めた!
「いやー、いつもより地味な下着を選んだのが功を奏したというか、いや逆に派手だった方がよかったのかな? 君はあまりの地味さに下着の細かい描写はしなかったようだけど」
屈んで、その細い脚に白が少しくすんだような色の布を通していく。
「君の様子からして、まさか私が防御用の下着を振り回している、ノーガード女だとは思わなかったようだけど、重ね重ねごめんね? あ、それとも、防御用の方が嬉しい?」
防御用の下着以外に何があるというのか。
驚きのあまり、言葉を失い、なんのリアクションも取れない俺に女は呑気に自己紹介を始めた。
「私、
沢渡と名乗ったその女子はここまで堂々としておいて、少しだけ恥ずかしそうに身を捩った。もちろん、フリだ。
ファーストインパクトが強すぎて気づかなかったが、沢渡の外見はかなり普通だった。
うなじくらいで短く揃えられた髪、前髪ぱっつん。校則通り、お手本のように着こなされた制服。どちらかといえば、清楚とかお淑やかといった感じだ。
ただ、その表情はかなり開放的なのだが。
また、わざとらしく恥じらって見せる。
「天内です。じゃあ、俺はこれで……」
教室を後にしようとした俺を沢渡は引き留めた。
「待って、お詫びにと言ってはなんだけど、面白い噂を教えるよ」
本当になんだけどだ。お詫びが噂話なんて、俺はそんなに噂好きに見えるだろうか? だんだん腹が立ったきた。絶対に聞かないぞ俺は。
俺が振り返らずに教室を出ようとしたとき、沢渡は悪魔のように呟いた。
「聞いてくれないとパンツ取られたって噂流そっかなぁ……」
前言撤回。聞かざるを得ない状況になった。くそ、これじゃ罠じゃないか。
「まぁ、立ち話もなんだし座りなよ」
俺は空いてる席に適当に座った。
○
昼休み、俺は図書室の前に来ていた。
「気になるのはなる」
沢渡に聞いた噂を要約するとこうだ。
――図書室にいると誰もいない時間に閉じ込められてしまう。
図書室にはそこそこ行っているが、そんな噂は聞いたことがなかった。この学校の図書室には、人が隠れられるような広さもスペースもないし。
「最近はこれてなかったからなぁ」
図書室のドアを開けると本棚を物色している沢渡の姿が見えた。
「何やってんすか」
沢渡は本に興味がなかったのか俺の声を聞くなり、本棚から意識を逸らした。
「何って、噂の調査だよ。面白そうだし。天内くんも?」
ええ、まぁ。と適当に返事をして俺は図書室の中を当て所なく歩く。
できるだけ、沢渡から死角になるように。
沢渡は俺に何か話しかけようとしていたが、その声はすぐに聞こえなくなる。
沢渡の声だけではない。座って本を読んでいた生徒のページを捲る音。人の足音、息遣いに気配。外から聞こえていた微かな喧騒まで、全てが消えた。
「誰もいない」
目の前にある当たり前の事実を口にしてみる。
本当に誰もいなくなった。図書室にいないというより、別の世界に来たような、そんな感覚だった。
「ここなら誰にも邪魔されずに本が読めるな」
軽い冗談すら誰の耳にも届かない。
俺は目についた本を一冊、手に取って数ページ読んで元に戻し、軽いストレッチを五分ほどした後、図書室のドアからいつものように外に出た。
外に出るとガヤガヤと全ての音が復活する。あの場所から帰ってくると、いつもの物音たちはやけにうるさく感じる。
「何やってんすか」
図書室の前で何やら落ち着かない様子でいる沢渡に同じ言葉をかける。
沢渡は俺の顔を見ると目元を袖で拭い、安心した表情で近寄ってきた。
「急にいなくなるからびっくりしたよ……」
「普通に中にいましたよ。こんなのよくある噂じゃないですか。俺はこれで戻ります」
「うそ……」
沢渡の言葉を聞かず、俺は図書室を後にする。
「ちょっと調べてみるか……」
少し気になることができた。
スマホ画面に表示された時刻を確認する。
昼休みが、終わろうとしていた。
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