10/8 Sat. 煩悩――糸魚川康孝の場合
リフィスは倉庫の最奥にいた。夏休みの時と同じくパソコンが置かれた机のとこでパイプ椅子に座ってる。今回はぐでっとしてないけどね。
「おや? どうしました?」
天下のイケメンはいつも通りにアルカイックスマイルを顔面に張り付けてる。通常モードとの差が分からんな。前回のこともあるし、水谷さんがあんなことを言うからには本当に何かあったんじゃないかと勘繰ってはいるんだけどね。
「もしやおつかいですか?」
鋭いね。とりあえず、はぐらかしてみるか。
「明日って何時くらいに来れるのかなって」
「早ければ12時。遅くて13時過ぎと考えています」
「おっけ。助かる」
「バレなければいいですけどね」
「疑われる程度じゃねーかな。確証を得るのは無理だろ」
その実、リフィスには脱出ゲームの完全クリア第1号を演じて貰う予定だ。
サクラを用意する理由は単純明快。俺を除く39人で3人組を作り、実際に問題を解かせてみた結果、クリア達成率が0%だったからだ。
8組の出しものである『進化するハンバーガー~謎解きにチャレンジして真のハンバーガーを食べよう!~』では最初の選択肢によって6のルートに分岐する。
と言ってもゴールは同じだ。ちょっとしたネタバレ対策だな。なんせ一本道にすると1人がゴールしてそれをバラされたら全員がゴールできちゃうしさ。
基本的にはルート別の5問をクリアして、最終問題となる共通の1問に答えたらクリアとなる。クラスメイトに挑戦して貰ったのはそのうちの1つで、比較的に簡単なものを選んだのにその結果は惨憺たるものだった。
13組中13組ともが2問をクリアした。しかし3問をクリアできたのは6組。4問をクリアできたのは川辺チームと高木チームの2組だけ。
そこで俺は2つの対策を考えた。1つは難易度の調整。もう1つはサクラ。ちゃんとクリアできる人はいますからね! とアピールするためにリフィスを利用する。
本当は2日目にしたかったんだけどね。まあ、初日の15時くらいを目安にクリアして貰って、まいたけ先輩にアナウンスして貰おうかな。
「確証を得るのは無理でもケチを付けることは可能ですからね」
「ケチってのは理屈と膏薬くらい何にでもくっつくから気にしてもしゃーないだろ」
「ふむ。それもそうですね。特に問題を解けない方々は鬱憤を晴らすためにそうしそうな気もしますし」
リフィスは張り付けた笑みを色濃くした。そして、
「それで? おつかいの雇い主はどなたです? 弥生ですか? 千早ですか? それとも宿理ですか?」
はぐらかせてねえし。
しかもやたらとピンポイントな上に、出てきた名前の順番がそれっぽいし。
これで宿理先輩からも面倒なことを言われたらリフィスに予言者の称号を与えないといけなくなるね。
まあ、それはさておいてだ。
「弥生さんだな」
「オーナーに関することですかね?」
ここは消去法で想定できる範囲だから驚かない。
「だな。オーナーがお前と弥生さんの仲を勘違いしてるみたいって話」
「なるほど」
随分とあっさり受け入れてくれた。こいつのことだから想定してたのかもな。
「それは勘違いさせておきたいということですか?」
「その方が問題は起こりにくいと思うけど、めんどくさかったら好きにしちゃっていいってさ。なんならもう別れたって言ってもいいって」
「……それなら自分で言って欲しいものですが」
「ほんとにな。けど女心的に嫌なのかもしれんね」
この勘違いが良い方向に働く可能性もある。合理的にっていう冷徹な判断にはなるものの、リフィスがいよいよ決断を迫られた時により弥生さんの方が優位になる要素でもあるからな。
逆に言えばリフィマが閉店になったり、リフィスが退職したりしたら弥生さんの優位性は元カノの立場くらいになる。そうなったら気まずさも相まって宿理先輩が超有利になるんじゃねーかな。
「ちなみにサラはどうした方がいいと思います?」
なんで俺に問うんだ。って思ったのは1秒だけ。
「条件による」
「ですよね」
「俺、実は頼み事の内容を聞く前に拒否ったんだよね」
「ほう。理由をお聞きしても?」
「宿理先輩の誕生日だから」
「やはりそこですよね」
今の会話で分かる。リフィスの本音が。
別にオーナーを騙すために今日1日くらいなら弥生さんの恋人役を担っても構わない。それだけで目の前の問題を解決できるなら合理の名の元にそうすべきとも。
しかし今日は宿理先輩の誕生日だ。無論、去年に告白を受けてるリフィスは宿理先輩の気持ちをよく分かってるし、よりにもよってこの善き日に、宿理先輩が傷付くようなことはしたくない。そも記念日じゃなくても無下にしたくはないだろね。
だからこそ迷ってる訳だ。
図らずも、この選択は宿理先輩か弥生さんのどちらを優先するかって話に通ずる。
まあ、弥生さんの方はビジネスライクな判断でもいけるけどね。みんなのためにリフィマを守るって考えを前面に出せば、全員の納得も貰えると思うし。
そう、全員だ。宿理先輩も納得してしまう。当然、悪い意味で。
「俺が宿理先輩に事情を話せばOKは貰えると思うけど。それは結局のところ、リフィスに迷惑を掛けたくないからOKって意味であって、本意じゃないと思うしな」
「そうですね。承諾の強要になると思います」
んー、どうするべきか。って、いかんいかん。またべきべきになってる。
「リスクの高で決めるとか、最大公約数的な考えも悪くはないけどさ。リフィス個人としてはどうしたいんだよ」
「オーナーの勘違いを正したいですね」
そうなるよなぁ。
「正さないとオーナー登場のたびに演技を強いられるもんな」
「ですね」
「けど勘違いを終了させるとお前らに厳しくなりそうな気もすんだよね」
「そこは問題ないと思っていますが」
「と言うと?」
「規模は中小ですけど、オーナーは関東で社長をやってるんですよ」
「あー、ビジネスに私情を挟むことはないってことか?」
「ないとは言い切れませんが、99%で大丈夫だと思っています」
「ならその方向で調整するか?」
そこでリフィスはにやっと笑った。さっきの水谷さんを思い出すね。
「一応は搦め手もありますが」
「いや、正攻法でいこう」
「せっかくの思い付きを聞いてくれないんですか」
「検討すらしなくていいなら言えばいいけど」
「ではサラを困らせてみましょう」
おい。論点が変わってんぞ。七苦目のスタートかよ。
「まず私と宿理が恋仲になります」
「……まじか」
宿理先輩が聞いたら三日三晩は飲めや歌えやのどんちゃん騒ぎになりそうだな。
「そのことを知った弥生はある決断をするのです」
なんだろ。暗いイメージしか湧かないけど。
「サラとの恋にシフトしよう、と」
「なんでやねん」
「弥生が言ってました。碓氷くんの料理はとても美味しい。あれを毎日のように食べられるのなら一緒になるのもアリかも。リフィスマーチの運営や経営にも一役買って貰えそうだし。何より碓氷くんは巨乳好きみたいだし」
あの女。前にそれっぽいことを言って巨乳ペアから睨まれたことを忘れたのか。
「それはリフィスの嫉妬心を買うための方便じゃねえの」
「その通り。なので嘘も方便でいくのです。弥生と私が仲違いしたと言うとオーナーはよく思わないでしょうけど、お互いに新たなパートナーを見つけたということなら話は変わります。むしろ私に対して同情すらしてくれるやもしれません」
思いのほか悪くない内容だな。って思っちゃったのがだるい。
「なるほどな。仲違いしたならいっそのこと店をやめろと言う可能性がゼロじゃないけど、お互いがリスタートを切ってて、しかも上手くやってるのならわざわざその土台を壊すのは憚られるし、野暮ってもんだ。相変わらずいやらしいとこを突くね」
けど問題は山積だ。
「それはそれで後始末が大変じゃね?」
「ですね。美月、相山さん、牧野さんもでしたか。それに宿理の妹さんも。私は多くの敵を作ることになるでしょう」
「そこを理解してるのに提案したってことは何か打開策もあるってことか?」
「いいえ?」
「……なんでだよ。まさかの投げっぱなしかよ」
「だって私は困りませんし」
あぁ、確かにそうかも。
「弥生はサラとの仲を私に見せ付けることで嫉妬を買えると算段するかもしれませんし、何より彼氏となったコックになすなめろうを始めとした美味しい料理を好きなだけ作らせることもできます。そもそもこの件の何割かは弥生の不手際によるものですので、少しくらいは私と宿理の距離が近付いても目を瞑るでしょう」
否定できないのがつらい。普段の言動から飯炊き男を欲してるのはよく分かるし。
「宿理も納得するかと思います。千早と圭介の関係を羨ましいと仰っていたので」
偽装の恋人関係でも嬉しいものは嬉しいに違いないからなぁ。俺と優姫で言うママゴトみたいなもんだし。ワンチャンで水油みたいにくっつくこともあるかもだし。
「千早は合理的だとしか言わないでしょう」
何よりリフィスファーストだしな。
「美月はふてくされると思いますけど、あの子のコントロールは実に容易い」
随分と黒いことを言うね。意見は正しいと思うけどさ。
「相山さん、牧野さん、宿理の妹さんに関してはどうでもいいです」
関係性が薄いからってことかね。けど、
「優姫はリフィマのバイトでもある訳だが」
「当然、私が不在の時に手を貸してくださったのですから恩や情はあります。しかしながら彼女は気に留めないのではないでしょうか。バイト中の言動から察するに虎視眈々と言いますか、漁夫の利を狙った立ち回りをしていますよね?」
「そっすね」
浮気相手の3人や4人くらい気にしないって話だしな。
「それにこの案はあなたにもメリットがあります」
「恋愛にまつわるあーだこーだから解放されるからな」
「はい。悪くないでしょう?」
悪魔のささやきだね。本当に悪くないような気もする。ただ、
「大きな問題が1個あるんだけど」
「伺いましょう」
「それ、誰が説明すんの?」
「これはおつかいの途中で拾ったものですから。おつかいの担い手が説明するのが筋だと思います」
正論だとは思うよ。思うけどさ。
「つまり、俺が弥生さんに付き合おうって言うってこと?」
「んー、弥生はロマンチックな状況に激よわなので、もっと味噌汁的な言葉の方がいいかもしれませんね。これから先、お前が食うものはすべて俺に作らせてくれ、みたいな感じで」
「アホですか」
「残念。交渉決裂ってことですね」
やれやれとリフィスが肩を竦める。こちとら最初から拒否ってたっちゅーねん。
「それにしても」
リフィスが一転して笑みに苦いものを混ぜ混ぜした。
「噂をすれば何とやらと言いますか。フラグって本当にあるんですかね」
「急に何の話だ?」
「実は最近、ちょっとだけ弥生との結婚をシミュレートしてたんですよ」
おっと。問題発言ってか爆弾発言をかましましたよ。
「理由は3つありまして。1つはやはり母親を引き取りたいと思いましてね。それなら女手があった方がいいかなと」
ドキッとした。これか? 水谷さんの言ってた上の空ってやつ。
「仮にそうした場合って水谷さんはまた一人暮らしになるのか?」
「そこが問題です。私はもうあの子を1人にさせる気は毛頭ないのでね。圭介を上手いことけしかけるか、いっそのこと4人で暮らすか。最も現実的なのは3年待って千早の自立を促すことです。今の共同生活はあくまで大人と子供だから成立しているのであって、成人した千早と大人の私が同居するのは大変よろしくないですから」
「ルームシェアって考え方ならアリじゃね?」
「……惑わさないでください」
「俺は事実を言っただけ。それで惑うならお前に迷いがあるだけ」
尻ポケットに入れてたスマホを後ろ手で操作する。もう慣れ切ってるから画面を見なくてもできるぜ。半分くらいの確率で失敗してるかもしれんけど。
「お前って本当に水谷さんのことが好きだよな」
「……そうですね。あの子は私にとって最も特別な存在かもしれません」
再びスマホをいじる。尻ポケットに戻して、
「2つめの理由は?」
「オーナーは良いお父さんですからね。安心させてあげたいと言いますか。まあ、私と一緒になることで弥生が幸せになれるかは未知数なんですけど」
自分の父親への当てつけってことか。分かっちゃいるけど、根が深いな。
「3つめは?」
「千早のためですかね」
こいつら。本当に共依存がやべえな。
「現在の私は恋愛感情を持っていないので誰とも交際をしていない訳ですが、千早はそう思っていない節があります」
「あー、自分がくっ付いてるから恋愛できないって思っちゃってるってこと?」
「おそらくですけどね。さっきサラが真っ先に千早の生活を懸念したように、私もやはりそこを最初に考えました。それをあの子は察するでしょう。となると、考えてしまうのです。自分は邪魔者ではないのか。足手まといではないのか、と」
分からんでもないけど。
「水谷さんってお前のことになるとアホかってくらいネガティブになるのってなんなんだろな」
「美月や圭介のことでもなると思いますが」
「度合いが違うな。さっきは遠慮したけど、ぶっちゃけアホになるんだよ。お前の話題に関してなら俺は水谷さんにずっとマウントを取ってられる自信がある」
「アホは言いすぎかと思いますが」
苦笑しちゃってるけどさ。まじだからね。
「まあいいや。今の話も踏まえてオーナーに突撃してみようかな」
「と言いますと?」
「お前は弥生さんと一緒になる気がなくもないけど、今は預かってる子がいてその子のことで頭がいっぱいだし、母親のこともあるから迷惑も掛けると思うし、色々と迷ってるから決断するのが難しい。みたいな」
「本当に正攻法ですね」
「巧詐は拙誠に如かずってやつだな」
「あぁ、なるほど。偉人の言葉はこういう時に出されると説得力がすごいですね」
「お前の手口だろ」
「私ってそんなにあくどいことをしてました?」
「人の厚意をあくどいとか」
「冗談ですよ。本当に、サラは頼りになりますね」
「文化祭ではこっちも頼りにしてるからな」
「では持ちつ持たれつということで」
「それが気楽でいい」
場合によっては水谷さんにも力を貸して貰おう。協力させるためのアイテムはさっき手に入れたしな。
これでひとまずはすべて解決かな?
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