10/8 Sat. 煩悩――水谷千早の場合

 回避できない問題ならさっさと片付けるのが合理的ってもんだ。


 ってことで着替えを済ましたら厨房にいざ突撃。


「おはよー!」


 女神から有難いお言葉を賜った。ついでに水谷さんとヅッキーからも挨拶され、その辺にテキトーな返事を投げながら周囲を窺う。リフィっさんがおりゃん。


 一応はホールの方にも目を向けたが、いるのはセブンティーンになった宿理先輩を始め、俺らよりさらに早く来てるらしい浅井と堂本、他は一緒にきた連中とリフィマの女性陣だ。あいつ、どこにいった。


 倉庫。トイレ。買い出し。まあ、倉庫か。こんなに早く発注の準備をする必要性は皆無だけど、完全予約制だと資材の消費量も読みやすいし、明日の午後、明後日の1日は文化祭に来ることにもなってるし、色々と前倒しで準備をしてるのかねぇ。


 とりあえず倉庫だな。ってことで厨房よ、さらばだ。


「あっ、碓氷くん、ちょっといい?」


「よくないです」


 反転したタイミングで水谷さんの呼び掛けが背中に当たったけど、今の優先順第一位はリフィスを口説くことだ。こんな美少女の相手なんかしてられるかよ。どうせ六難目だろ。こんなん逃げるに限るわ。


 そもそもね。この人に声を掛けられて良いことがあったか? いや、無いって自問自答をコンマ1秒で終わらせられるくらい、水谷さんと俺の歯車は噛み合ってない。どうせ碌なことじゃないし、さっさと倉庫にいくべさ。


「美月。碓氷くんを全力で引き留めて」


 は? なに言ってんだ、こいつ。


「っ! まかせて!」


 いや、なんでだよ。って、まじでなんでだよ! 


 優姫並みのタックルをくらったわ。そのままぎゅーっと、ぎゅーっとね。お胸を押し付けるようにぎゅーっとね。


 なるほど。水谷さんは逃げるやつを捕縛できて嬉しい。川辺さんは友達の頼みを聞き入れつつ好きな人に抱きつくことができて嬉しい。俺は可愛い女の子の柔らかい感触を味わえて嬉しい。あの一瞬で一石三鳥の手を思い付くとはさすがだね。


 そして悪魔がやってくる。にやっと口元を緩めて、


「私に何か言うことがあるんじゃない?」


「ありがとうございます」


「分かればよろしい」


 よろしいのか。とりあえずこの柔らかい物体を遠ざけていただきたい。


「美月、ご苦労さま」


 しかし赤い顔の金髪っ子は俺から離れようとしない。引き留めるのが仕事だからしょうがないね。本人としては甚だ不本意だけど、大親友の頼みだからね。ムーン1はまだまだ任務の遂行中ってことだ。


 ふむ。これってどうしたら離れるんだろ。もういいわよって言ってすんなり離れるもんなのかね。


「美月」


「ちゃんと全力で引き留めてるよ!」


「また、お願いするわね」


「っ!」


 次の機会を示唆されては従うほかない。この瞬間、川辺美月は水谷千早の犬に成り下がった。


 という茶番劇を経て、水谷さんと通路に出る。


「憶えておきなさい。次からも私に背を向けたら美月をけしかけるわよ」


 それ、ただのご褒美じゃん。逃げて欲しいの? 逃げないで欲しいの? どっちなの?


「てか今のは結果を見通せなかったから無抵抗で受け入れたってだけで、今の水谷さんなら本気を出すまでもなくフルボッコにできるんだけどね」


「へぇ?」


 挑戦的な笑みを浮かべ、腕組みをしてみせる。


「強がりにしては面白いことを言うわね」


「この状況で強がりなんて非合理的なことをする訳がないだろ。ただの事実だ」


「舐められたものね」


 どっちがだよ。今回に限ってはカードを切るまでもないぞ。


「俺、今からリフィスと打ち合わせする予定があるんだけど」


 ほら、動揺したよ。その予定は俺だけのもので、リフィスの予定に組み込まれてない訳だが、それを知らない水谷さんはリフィスに迷惑を掛けたと勘違いする。紀紗ちゃんに1回やられたやつだ。


 俺らみたいな論理的思考はこの手のやり口に弱い。勝手に脳内で足りない要素を補完して辻褄を合わせちゃうからな。


「じゃあ後でいいわ」


 ほらきた。今度はこっちが引き留める番だ。


「いいよ、別に。レディファーストで」


「そんなのいいわよ」


「いやいや、リフィスなんか待たせばいいんだよ」


「いいえ、先生を優先してちょうだい」


「無理無理。このままじゃ気になってリフィスとの会話に集中できないって」


 ぐぬぬって顔をしてるね。話せばリフィスを待たす。かと言って話さなければリフィスをないがしろにされてしまう。さあ、選べ。はよう、はよう!


「むかつくわね」


「突っ掛かってきたのはそっちですが?」


「……仕方ないわね。引き分けにしましょう」


 えー、どう考えてもそっちの負けじゃん。なんで妥協してやるわって感じで言ってんの、この人。


「ところで先生と何の打ち合わせをするの?」


 このリフィスファーストうざってえな。


「それは水谷さんに関係のない話なんだよなぁ」


 正しくは、言えることじゃないんだよな。


「分かったわ」


 嘘つけ。あんた、そんなに物分かりの良いやつじゃないだろ。


「取引をしましょう」


 ほらね。


「しません」


 ここでカードを切る。さっきの煽りはこのためだ。


「次は引き分けじゃ済まなくなるけど。それでも聞きたい?」


 いいぞ、選択権を譲ってやる。


 ついさっき調子に乗って失敗した。なのにまたすぐ踏み込めますかね。今回は警告も入ってるし。あなたに尋ねる勇気がありますかぁ?


「……本当にむかつくわね」


 分かる。だって俺が嘘を吐く可能性だってある訳だし。聞かなきゃよかったって生涯にわたって悔いるレベルの内容かもしれないし。逆に自分が協力できるものなら聞かないことで後悔するかもしれない。さあ、選ぶがいい。はよう!


「いいわ。そっちに関してはまた話せる段階になったらにしとく」


 このチキンが。


「本日の賄いは鶏からでいいですかぁ?」


「そろそろ殴るわよ?」


「用件を伺いましょう」


 手短にね。


「先生のことなのだけれども」


 結局リフィスかよ。


「最近ちょっと様子がおかしいのよね。何か知ってる?」


 抽象的が過ぎる。雲行きが怪しいなぁ、雨が降るのかな? レベルだろ、それ。


「もっと具体的なことを言ってくれんと知ってたとしても頷けませんぜ」


「具体的って言われてもね。なんか、上の空って感じ?」


「そんなんで分かる訳がないんだよなぁ」


「じゃあついでに探ってきてくれる?」


 おつかい感覚で言ってくれるね。


「俺がその違和感に気付けたら聞くけど、気付けなかったら無しな。水谷さんが気に掛けてるって情報を出してもいいなら話は別だけど」


「碓氷くんが鈍感じゃないことを祈るしかないわね」


 恋愛以外に関してはそこそこ敏感だと思いまっせ。


「それじゃあよろしく」


 この自己中の化身め。そうだ。


「そういや」


 立ち止まってくれたわ。


「先生のことで何か気付いたの?」


 こいつ。この依存度はまじでどうにかした方がいいと思うぞ。


「水谷さんって恋コンに出ることをどう思ってる?」


「ん? 急にどうしたのよ」


「川辺さんと愛宕部長が出たくないって言ってたもんで」


「そういうことね。私は別に出たくないと思ってないわ」


「その心は?」


「出たいとも思っていないけれども。私にとっては定期テストみたいなものね。出なきゃいけないから出る。それだけ」


 なるほど。価値観の相違か。テストを受けたくない俺には分からんやつだな。


「これでおしまい?」


「もう1個ある。水谷さんって他のクラスに3回くらい行けば全員の顔を憶えられるって川辺さんから聞いてんだけどさ」


「名前も憶えてるわね」


 俺とは大違いだな。


「4組の宮島考って分かる?」


「あのいい意味で特徴のない感じの男子?」


「特徴がないって。イケメンじゃないのか」


「どうかしら。先生や圭介を見慣れてるせいで一般的なイケメンがどれくらいの顔なのかが分からないのよね」


 ふむ。


「尋ねたのって恋コンのファイナリストに残ってるから?」


「だな。聞き覚えのない名前だったもんで」


「それなら一応は解答を持ち合わせてるわよ?」


「くわしく」


「いいでしょう。碓氷くんとは協力関係にあるものね」


 あんたが俺に協力してくれたことなんて滅多にないけどな。


「宮島くんがモテる要素は2つあるわ」


「なんざんしょ」


「気遣いのプロ」


「そんなん久保田もそうじゃん」


「久保田くんをプロなりたての4段だとすれば宮島くんは9段ね」


 それは言いすぎでしょ。そんなん、


「碓氷くんがたまに言うでしょ? エスパーって。それを体験できるわよ」


 まじかよ。


「けどそれだけでモテるもん? ウチの吉田くんもそこそこモテるんだけどな」


「もう1つの要素が大きいのよ」


 なんだ、結局は顔か。イケメンの気遣い屋とか最強じゃんな。


「お金持ちなのよ」


 えぇ。リアルなやつが来ちゃったよ。そういやネトゲのフレンドが言ってたな。


 どんだけクズみたいな性格でもイケメンだったらなんか許せる。


 どんだけカスみたいな顔面でもじゃんじゃん貢いでくれるなら付き合いたい。


「そんなに羽振りがいいのか?」


「堂本くんが同じクラスだからちょくちょく聞くのよ。球技大会や中間テストの後の打ち上げ費用を全額出してくれたとか。文化祭の準備をするときに毎日のようにスポドリとアイスを用意してくれるとか」


「アイスは素直に羨ましい」


「しかもお礼はいらないって。熱中症にならないようにしようって言うだけ」


 話だけなら善意の塊って感じだけど。クラス内の序列を金で買ってる感があるね。


「おっけ。後は堂本に聞いてみるわ」


 男子にモテる男子のモテる理由を尋ねるのは嫉妬みたいで嫌だったけど、これで世間話風味で探りを入れることができるからな。


「じゃあ先生のことをよろしくね?」


「ういっす」


 手を振られたから振り返してみる。微笑まれたわ。どきっとするのが悔しい。


 ともあれ倉庫に向かう。


 それにしてもだ。転売の件も、弥生さんの件も、宮島くんの件も。何かと金、金、金だな。いや、大事なのは分かるんだけどね。


 金かぁ。大人の方々は貯金をおいくらほど持ってんのかな。


 ちょっとリフィスに尋ねてみるか。


 パートナーが誰になるかは知らんけど、将来のための貯金ってしてんのかねぇ。


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