10/8 Sat. 煩悩――愛宕愛美の場合

 南安城駅に着いても上条先輩の姿はなかった。


 まだ早いからね。それにあの人って「起きたらそんな気分じゃなかった」とかいうアホみたいな理由で塾をサボるし、来ない可能性も視野に入れた方がいいかもしれないな。そしたら牧野をどうすりゃいいのかって不安もあるけど。


 ただ、代わりと言ったら申し訳ないが、


「おはよー」


 愛宕部長がいた。当然ながら優姫と牧野は既に俺から離れてるから、2人は愛宕部長を両サイドから挟むような位置取りをして、


「おっはーです」


「おはようございます」


 あぁ、そうか。愛宕部長と牧野ってどっちも生徒会の庶務だから面識があるのか。


 こいつは好都合だ。女子3人で姦しくして貰おう。俺は今のうちにソシャゲのログボでも回収しとこうかな。


「そうだ。碓氷くん、ちょっといいかな?」


 えぇ。


「どうしました?」


「昨日の件でちょっと話したいことがあって」


 うわ。めんどくさいやつだ。優姫さんにお願いできんかな。


「まっきー、邪魔しちゃ悪いから切符を先に買おっか」


「そうしよっかー」


 こいつら。いつもは俺と一緒に居たがるくせによぉ。面倒事の時だけ知らんぷりして押し付けやがって。しかも気を利かせたふうに動くのがうぜえ。


 牧野は昨日の件を知らんから、優姫があっさり退いたことで何かを察したのかな。危機察知能力が高いっすね。お陰で早くも三苦目だわ。


 2人は本当に俺らを置いて駅構内に向かってしまった。となれば俺が取るべき行動は1つ。油野と久保田が1秒でも早く現れることを祈っておこう。


「大まかな話は夏希ちゃんから聞いたけど。本当に大丈夫だったの?」


 その大まかってやつを知りたいな。夏希先輩が報告してないことを俺が言う訳にいかないし。


「大丈夫って何を指してのことですか?」


「雰囲気とか」


 具体的なことを尋ねてるのに、これまた抽象的な回答だね。


「率直に言えば川辺さんが動かなかったらどうなってたか分かりませんね」


「あー、うん。夏希ちゃんも美月ちゃんのことは褒めてたよ」


「その後に夏希先輩が軟化して皆川副部長と和解したような感じにはなりましたが」


 副部長は宣言に違わずもやもやしてると思うね。


「解決するのは難しいと思ってます」


 大前提として、玉城先輩の初恋相手が上条先輩だったって情報を開示する必要がある。そこをまず玉城先輩が許容するのかって話だな。


 次に、そのことを知った副部長がどう思うか。


 相手は宿理先輩レベルの美少女。勉強も学年で1番できる。女子で初の生徒会長。恋コンのファイナリストの1人でもあり、自分以上に彼氏のことをよく知ってる。


 勝てる気がせんだろな。まあ、付き合うってことをゴールとするならもう勝ってんだけどさ。


 しかし幼馴染って関係もさることながら、学校生活においても生徒会長と副会長っていう非常に近しい間柄になった。生徒会室でただただ普通に業務の話をしてるだけだとしても、副部長の目には親しすぎる感じで映るんじゃないかなぁ。


「そっか。碓氷くんがそう言うならそうなんだと思う」


 信頼が重いっすね。


「美奈ちゃんはちょっと子供っぽいところがあるもんね」


 子供っぽい。子供っぽい? 女子目線だとそうなるのか。俺目線だと女子っぽいになるんだけどね。フェミに怒られるからわざわざ口にはしないけど。


 それはともかくとして、


「愛宕部長は恋コンのファイナリストに入ってどう思ったんです?」


 渋面を作られた。実に不服そうですね。


「光栄ではあるけど。辞退できるならしたいくらいには恥ずかしいかな」


「上条先輩ならあの手この手で今からでも辞退可能に変更できそうですけどね」


「そうだね。飛白ちゃんならできそうだね。でも」


 言いたいことは分かる。


「自分に投票してくれた人の気持ちをないがしろにするようで気が引けますか?」


「そう、だね」


「生徒会メンバーが生徒会主催のイベントを辞退するのもケチが付きそうですし」


「そうなんだよね」


「何よりもう色々と準備をした後だから関係各位に迷惑が掛かるのも確実ですし」


「……碓氷くんって私のことをよく分かりすぎじゃない?」


 わざわざ言わないけど、思考回路がウチのオトンに似てんだよな。


 人に迷惑を掛けないように。を地でいってるというか。


 問題発生のリスクに対して敏感というか。


「世はすべてこともなしってのに憧れてる感じがしますからね」


「赤毛のアン?」


 最後のセリフだっけ。


「ロバート・ブラウニングですね。神、そらに知ろしめすGod’s in his heavenすべて世は事も無しAll’s right with the world。発音が怪しいのはご勘弁を」


「大丈夫。聞き取りやすかったよ」


 つまり英会話で通用しないレベルってことな。ペラペラは遠いぜ。


「良く言えば平和主義。悪く言えば事なかれ主義になる訳ですけど」


 苦笑されたわ。


「そうだね。私の悪いとこだと思う。余計なことを言って揉めるぐらいなら黙ってようって思っちゃうし、口論してまで主張を通したいとも思わないし。平穏無事に済むことが1番って思っちゃって。その場しのぎの選択を取っちゃうんだよね」


「それが1番楽ですからね」


「……厳しいね」


 これこそいつもなら黙ってる部分だ。けど、


「叱られたいって思ってそうに見えたので」


「本当に。よく分かってるね」


 愛宕部長が溜息を吐いた。似合わんなぁ。


「俺はこんなんなのでグサグサ来ることしか言わないですけど。何かあったら内炭さんに相談するといいかもしれませんね」


「朱里ちゃんに?」


「あの子、たぶん愛宕部長が思ってる10倍はしっかりしてますよ」


「しっかりしてるなって私も思ってるけど」


「その10倍です」


「……それはどっちが先輩か分からなくなっちゃうくらいってこと?」


「そうですね。経験の差が大きいというか。愛宕部長はずっと人と接する立ち位置にいたと思いますけど、俺と内炭さんは孤立することが多かったので、考え方や接し方に対するシビアさがまったく違います。俺らは空気を読む必要がない生活を送ってた分、純粋でまっすぐな意見を思い浮かべることができるんですよ」


 めっちゃ良い感じに言ったが、端的に申し上げると、


「俺ら。部長と違って捻くれてるんで」


「……それはしっかりしてるって言わないんじゃ」


「少なくとも内炭さんは友達ができたことで変わりましたんで。嫌われても仕方ないって考えが、嫌われたらいやだって考えに。だから必要なら鋭いことを言うし、必要ないなら甘いことを言います。そこを弁えてるのはしっかりしてるって言ってもいいかと。俺みたいにザクザク一辺倒じゃないし、部長みたいにアマアマでもないし」


「またザクザクしてくるね」


 何よりも、


「まあ、世はすべてこともなしってどこを視点とするかで意味がだいぶ違いますし」


「平穏無事って意味じゃないの?」


「神視点言えば、下界では様々な不幸があるが、天界にしてみればそんなの大したことじゃない。対岸の火事って意味じゃなく、取るに足らない些事って意味ですね。だって人間なんてこの世界に生きるちっぽけな存在でしかないんですから」


 真面目な顔でじっと見られるとちょっと恥ずかしいな。


「じゃあそのちっぽけな存在に対しておっきな存在が何かと言えば、空、海、山々などの自然です。その自然の視点で言っても、やっぱ人間がどれだけ喜怒哀楽に振り回されようと、一喜一憂を繰り返そうと、取るに足らん訳です。核戦争でも起こらん限りはおおよそこの世の自然は滅びませんし」


 えー、頷きもしてくれないと困っちゃうよ。


「ヘラクレイトス的に言えば、万物は流転する。平家物語的に言えば、諸行無常。芭蕉的に言えば、兵どもが夢の跡。それらは色即是空に通ずるものであって、内炭さんは般若心経をこよなく愛する少女なので、根本的には部長と考えが合うはずです」


「うーん、最後の方はよく分からなかったけど」


 こじ付け度が高いからね。けど似たものを好むだけあって、性格も似通った部分があるし、相性は悪くないと思うんだ。


「碓氷くんが頼りになるってことは再確認できたよ」


「頼られるのってあんま好きじゃないんですけどね」


 めんどくさいし。


「そうよね。私は年上だもんね」


「年齢は関係ないですね」


「そうなの?」


「干支が一周するくらい離れてるならともかく、1つ差でどうこう言うほど俺は細かくないですよ。基本的には雑な性格なので」


 論理性の強いものに関してはコンマ1のズレも許さんけどね。


「そっか」


 とか言って一歩前に出てきて、俺の右手を両手で握ってきた。おいおい。ドキドキしちゃうよ。目を合わせたら自然と豊満な胸元が目に入るからそっぽを向こう。


「こっちを見て」


 そんな殺生な。


「はい」


 眉毛だ。このちょっと太めの眉毛を見ていよう。


「碓氷くん」


「なんでしょう」


「頼っちゃダメかな?」


 この上目遣いをわざとやってるんじゃないとしたら小悪魔の才能があるね。まあ、だから恋人になって欲しいって思われるんだろけど。


「ダメじゃないですよ」


 嫌だけどね。


「そっか。心強いよ」


 天使みたいな笑顔を見せてくれる。ったく、惚れたらどうしてくれるんだ。


「私も、しっかりしないとね」


「程々に。あんま気を張っても空回りするだけなんで」


「そうかも」


 ふふっと笑って手を放してくれた。俺は気恥ずかしくなって目を逸らし、ふと遠くからこっちを観察してる女子2人を見つけてしまった。切符を買ったんならさっさと戻ってこいや。


「でも美奈ちゃんのことに関しては頼れないね」


「ふむ。それはなにゆえ?」


「だって碓氷くん、美奈ちゃんのこと苦手でしょ?」


 えー、これ、正直に言っていいもんなの?


「放送演説の一件だって、またやめるって言い出すんじゃないかってハラハラしてたんだから」


 なら止めてくださいよ。


 てか副部長の肩を持つのって現状で愛宕部長と川辺さんくらいじゃないのかな。


「まあ、相談には乗りますよ。より厳しいことを言うかもしれませんけど」


「そのときはお手柔らかにね?」


「検討しておきます」


「碓氷くんらしいなぁ」


 皆川副部長の件で本当に解決をしたいのなら、玉城先輩を焚きつけるのが一番手っ取り早い気もするけどね。


 その結果の良し悪しに関しては何の責任も取れんけど。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る