10/7 Fri. 自明の理――中編
ランチを済ませたら8組に戻って最後の打ち合わせを行った。
大道具も小道具も既に準備は万端。後はクッキーバーガーの大量生産と当日の食材の買い出しで事足りる。その辺は高木さんと大岡さんを中心に色々とやってくれるらしい。一応はサポートに吉田くんも付けといた。しなくてもいい忖度をしてやったんだからいいとこを見せてくれよな。
今日の部活は16時からだ。ちなみに料理研はエンジョイ勢の集まりって設定を掲げてるので、別に参加しなくても構わない。
出欠も取らないから欠席に加えて遅刻や早退の概念すらなく、夏希先輩みたいにふらっと来て、軽くおしゃべりだけして帰ってくこともある。
それでも俺は不参加の時にLINEを愛宕部長に送ってるけど、そんなことをしてるのは俺以外だと内炭さんだけらしい。
礼儀正しいねって部長は言ってくれるけどさ。内炭さんと一緒って言われるとなんかアレだよね。ただチキってるだけってバレバレだよね。
部活の終了後に『あれ? そういえば今日って碓氷くんがいなかったなぁ』って思われると悲しいから事前にいないアピールをしちゃうんだ。いないことを気付かれないのはさすがにつらい。モブと言えどもつらいんだ。
最悪、翌日の部活で言われるからな。昨日は楽しかったねーって。え、俺、いませんでしたけど? って返した時の気まずさったらない。
中学時代、イベントごとの打ち上げ翌日に経験したことがあるからね。カラオケなんて誘われてもなかったのにさ。
まあ、伊達にクラスのLINEグループに招待されてなかっただけはあるってことだ。今回の文化祭の打ち上げはちゃんと呼ばれると思うから安心だけどね。
「って、呼ばれるよね?」
「え?」
技術科棟でスリッパを履き替えたタイミングで急に話題を振ってしまった。いかんいかん。川辺さん、超きょとん顔だよ。
直前まで文化祭の話をしてたからちょっと話題が混線しちゃったっていうか飛躍しすぎたな。えーっと。
「文化祭の打ち上げの話とかってもう出てたりする?」
出てたら俺のいないLINEグループがもう1個ある可能性再浮上。
「えー? 碓氷くん、気が早いよー」
笑われましたよ。そっか。気が早いか。そうだよね。まだ始まってもないもんね。
「でもそっかー。打ち上げかー。わたしはそういうの参加したことないからちょっと楽しみだなー」
そういやこの子はこの子でぼっちをやってたもんな。仮に打ち上げがなかったら碓氷王国でやるのもいいかもしれないね。
という訳で部室に向かおう。時刻は15時半を回ったところだ。まだ内炭さんがいるくらいなのかな。あの子は部室ラブ過ぎてほぼほぼ一等賞だからなぁ。
川辺さんが一緒でも入室の合図はする。コンコンコンってドアを小突くと、
「どうぞー」
えぇ。今の声。皆川副部長だよ。今日に限ってめっちゃ早いな。
まあいいか。深呼吸して覚悟を決めよう。って思ったら、何も知らない川辺さんがドアをスライドさせちゃったわ。
いたのは皆川副部長と内炭さんだけだった。内炭さん、そんなあからさまにホッとした顔をするのはよくないよ。気持ちは分かるけどね。
「こんつぁー」
挨拶しながら入ってく。
「こんちゃー!」
川辺さんも元気よく後に続いて、
「碓氷くんって誰に票を入れたの?」
挨拶を返してくれませんでしたね。ほんと、この先輩、どうかしてると思うよ。
「俺は4票とも白票ですね」
「え? そうなの? なんで?」
川辺さんが釣れてしまったわ。特に怒った感じはない。
「俺の理念みたいなやつかな」
いつもの席につく。もう追加の椅子が用意されてたから川辺さんもそのまま隣にきた。副部長は窓際のお誕生日席に座ってるからすぐ右に可愛らしいご尊顔がある。
「理念って?」
内炭さんが前のめりで尋ねてきた。俺は川辺さんと話してんだよ。きみは副部長との会話を引き続きお楽しみくださいやがれ。
「可能な範囲で平等と公平を目指すって言うか。それが無理そうなら平等感と公平感を出したいって言うか」
「ほうほう」
相槌が川辺さんレベルで雑だね。こいつ、さては他のメンバーが揃うまでこんな感じで俺にひたすらしゃべらせる気だな。ふざけやがって。
正直、悪くない考えだわ。けどそんな喉が渇くことをしたくない。
「例えば」
副部長にしゃべらせることなく、全員が黙っていられる状況を作り上げよう。
「ある日、碓氷がチーズケーキを1ホールだけ作りました。皆川先輩、川辺さん、内炭さんの3人が食べたいと言ったので、公平の理念の元に切り分けようと思います。さあ、碓氷はどんな感じでホールケーキを切ったでしょうか」
川辺さんが瞳を輝かせた。リアル脱出ゲーム以来、こういう考える系の話が好物になったみたいだね。
内炭さんは内炭さんで腕組みをして思案顔だ。1は3で割り切れないからね。なのに切り分けるってことはそれなりの論理があるって考えたんだと思う。或いは昼間に答えっぽいことを言ってあるから考えてるフリをしてるのかもね。
そして皆川副部長はと言うと、
「どう切ったの?」
こいつはほんまによぉ。
内炭さんのおめめが半眼になったよ。1対1の会話ならともかく、答えを考えてる人がいるのにネタバレを要求するとか自己中にも程があるよな。
まあいいけどさ。今のは答えから逆算した問題だから解答なんか知れてるし。
「あっ! わかった!」
はい、川辺くんの答え。
「切ってない!」
お?
「理由は?」
「1は3で割り切れないから3等分は無理! だから全員にケーキを分けてあげないことにして公平感を保つ!」
副部長はポカンとした。そんなバカなって感じ。一方で内炭さんは苦笑だ。
「碓氷くん、そういうとこあるわよね」
「という訳ですべて白票にした訳です」
川辺さんに拍手を送る。どちらかと言えば右脳寄りな思考だけど、形式上でも内炭さんを出し抜いたのは称賛に値すると思うね。
「ふっふーん」
川辺さん、渾身のどや顔。
「知り合いの全員に投票したくてもそれは不可能だから全員ゼロにしたってことね」
内炭さんも納得顔。そんでもって副部長は、
「でも本当にケーキを分けないなんてことはないよね?」
こいつ、まじでいい加減にしとけよ。論点はそこじゃねえんだよ。俺の理念に関する話だったろ。例え話にマジレスを入れんじゃねえよ。
「碓氷くんはなんだかんだでケーキ分けてくれそう!」
川辺さんも乗っかっちゃったよ。右脳タイプ同士、相性がいいのかな。
それとなく盟友である内炭さんを見てみる。その目は語っていた。
『ねぇ』
まるで聞こえるようだ。俺は頷く。
『どうした?』
『つらいです』
『俺もだよ』
早く誰かこねえかなぁ。
「まあ、実際は切り分けますね」
「じゃあその理念って言うのは建前ってこと?」
なんでだよ。イラっとするなぁ。
「3人だけど8等分にします」
「あぁ」
内炭さんが即座に反応してくれた。頼りになるぅ。
「食べたいって言ったのが3人であって、例えば部員ならまだ5人いるものね。8等分ならナイフを4回通せばできるし。1グラム単位でぴったり一致させるのは無理でしょうけど」
「大体そんなとこ。食べるかどうかはともかくとして、食べる権利を一律で付与しないと平等じゃないからね。グラム数に関してもまあどうでもいいかな。俺が気にするのは完全な公平じゃなくて公平感だから」
「うんうん! それなら公平っぽい感じがする!」
川辺さんも笑顔で頷いてくれた。
「まなみんだけ食べないって言ったらどうするの?」
この無駄な話はいつまで続くんだろ。何がこの人をそこまで駆り立てるのかね。
「部長は食べるって言うと思う!」
川辺さんの意見は正しい。けど論理的じゃない。ただの直観だ。
「そしたら余った1個を俺が食べますよ」
「その余った1個をわたしが食べたいって言ったら?」
あー、そういう。
ホールケーキの3等分は無理だけど、3個に切り分けることはできる。その1番大きいのを自分に優先して回してくれると信じてやまない。
だから切る前提で話を進めようとした。
だから本当に分けないはずがないって断言した。
それでも望む回答が得られなかったから誘導するために条件を変えてきて、それすら俺が回避したからストレートに攻めてきた訳だ。
クソめんどくせえな。
わたしを優先してくれるよね? って圧を掛けてきてる訳だ。
それは白票を投じたことに対する批難も入ってるのかもしれない。なぜなら各々の得票数が分からないからだ。俺が1票を投じていれば同率10位になってた可能性もゼロじゃない。俺が戦犯だって思いたいのかなぁ。
落選はあくまで自分のせいなのにね。実際に他の人は俺の1票なしで通ってる訳だしさ。
ふむ。さすがにイラっとしてきたからカウンターを1発入れるか。
「他に食べたいって言う人がいなかったら差し上げますよ」
「いたらくれないってこと?」
それ、確認する必要ある? 当然だろ。
「例えば部員以外でも欲しがる人はいると思いますからね」
内炭さんに視線を送る。
「そっか。部員で分けるって例えたのって私だっけ」
その通りだ。勝手に話を限定されてるだけ。
「俺のケーキって地味に人気があるみたいなんですよ」
川辺さんに目を向けて、
「例えば水谷さんとか」
「だね! 食べたがると思う!」
内炭さんを一瞥して、
「油野とか久保田とか」
「どっちも欲しがりそうね。宿理先輩や上条先輩も」
最後に、皆川副部長の幾分か鋭くなってる双眼に視点を合わせる。
「玉城先輩も食べてみたいって言ってましたね」
それでも自分を優先しろと?
残念ながら今のは俺個人の感想じゃない。2人の感想を聞いた。つまり主観じゃない訳だ。客観性は充分にある。その上、
「料理に関係することなので部員を優先しますけど、食べる権利を公平に付与することはできずとも、食べる機会を平等に与えることはできるので、俺は1人に2個を渡すなんて絶対にしません。あくまで1人に2個を渡すのは他の立候補者の全員が権利を放棄した場合に限ります」
「……碓氷くん、あのね」
なんだよ。あのね商法ならお断りだぞ。
「わたし、いま落ち込んでるんだよ」
とうとうド直球で来たわ。慰めろって。空気を読めって。女心を察しろって。
そんなん彼氏に頼めよ。てか落ち込むことか? どんだけプライドが高いんだよ。大岡さんは自分の落選を気にもとめずに天野さんと川辺さんを祝福してたぞ。
そもそも俺と内炭さんも落選してんだけど。俺らは落選して当然だから、自分が慰める必要もないし、けど自分は当選するはずだったから、慰められるべきってこと?
まじで理解できんのだが。これ、俺が慰めるべきなのか? それが普通なの?
いっそのこと玉城先輩を呼びだすか。って思った時に、
「おっはー」
優姫さんが現れた。やべえ、無駄にときめいた。
「おっはー!」
川辺さんの元気に癒される。
「やふー」
夏希先輩も来たわ。副部長の顔が露骨に強張ったね。
「ぐーぐる」
俺の返事に夏希先輩は満足げに頷いて廊下側のお誕生日席に座った。優姫は内炭さんの隣に座って、早速とばかりにだらーっと長机に上体を投げた。
「やっとテストがおわったー」
素晴らしい。新たな話題を振ってくれた。すかさず内炭さんが拾い上げる。
「優姫ちゃんって平日は塾通いを始めたのよね?」
「週3でね」
「今回は大丈夫そう?」
優姫が小首を傾げた。だって内炭さんは知ってる。大丈夫そうじゃないって。
勉強会の時に学力の把握はしたからな。赤点ゼロは無理じゃないかなぁ。
「大丈夫くない。あー、塾はテスト範囲のとこをやってないんだよね」
質問の意図に気付いたらしい。優姫の学力だと中学の内容からやり直しをしないといけないため、今回のテストは捨てるっていう大胆なスケジュールになってるって油野との勉強会で聞いた。
同じ話をしてくれたのは副部長の雰囲気に何かを察したからだと思われる。助かるけど、女子のこういう連係プレーってちょっと恐い。
俺と悪魔どもでもたまにやるけど、俺らは合理性を元に話を合わせるのに、女子って空気とか雰囲気とか相手とかで協調しちゃうもんね。
けどこれで一安心だ。
「碓氷くん、ちょっと外に出ない?」
嘘だろ。どんだけ慰められたいんだよ、この人。
優姫が一瞬にしてムッとした。けど、
「みなっちさー、メンタルの修復にカックンを利用するのはやめたげなよー」
言葉だけでも充分すぎるほどの煽り成分が含まれてる。なのに、夏希先輩がバカにしたような半笑いをしてるせいで、部室内の空気が一気に引き締まった。
「どういうこと?」
副部長の声は過去に聞いたことのないくらい低いものだった。
「言わせないでくれる? 分かってるでしょ? 自分のことなんだから」
正直に言おう。
後悔した。
夏希先輩がこんなにストレートに、しかも他人がいる空間で殴り掛かるとは思ってなかった。
そこまで皆川先輩のことを毛嫌いしてると思ってなかった。
めんどくさがらずに、慰めりゃよかったな。
ハインリッヒの法則を軽視し過ぎた。
文化祭を目前にして、最悪の出目が現れちまった。
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