9/19 Mon. 飛んで火にいる夏の虫
本日は敬老の日。元は9月15日に設定されていたが、ハッピーマンデー制度で9月の第3月曜になった。俺が生まれた頃にはもうこの状態だったけど、オトンとオカンが今でも旧敬老の日に合わせて両親に贈り物をするから、俺の中でも敬老の日って言ったら9月15日のイメージなんだよな。なんか不思議な感じ。
さて、その敬老の日だが、祝日法にはこう書かれている。
多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う。
年功序列もそうだけどさ。日本って長生きこそジャスティスって風潮がまじで根強いよな。俺もその条件に合致する老人には敬愛を示しても構わんのだけど、誰がどれだけ社会に尽くしてきたか分からんから祝いようがないんだよな。
国会で居眠りしてる議員とか、刑務所に長期滞在してる犯罪者とか、権威をかざして好き勝手してる首長とか。その辺まで一緒くたにして祝えって言われてもね。合理的な理由を提言してくれないと納得がいかんよ。そいつらが社会に尽くしてるとはとても思えんし、いない方がマシって思ってる国民も少なくないからな。
それもあって長幼の序ってマジでクソだと思うんだよな。いや、それを唱えた孟子自体は悪くないと思うよ。その言葉を悪用してる年長者がゴミなんだよ。
A:年少者は年長者を敬い、従わなければならない。
B:年長者は年少者を慈しまないといけない。
この相互関係こそ孟子が提唱した五倫における長幼序有りって訳だが、アホなやつほど自分の都合の良い部分だけを切り取るから、大半の大人はBを守らない。むしろBのことを知らないやつが多い。ただ年長者が得するシステムだと思ってやがる。
ちょっと前に教頭ともこの話をしたと思うけど、あの年齢でも近所の迷惑ジジイに嫌気がさしてるって話だし、これってただの憎しみの連鎖じゃね。上の世代に好き勝手されたから自分も下の世代に好き勝手しようっていうやつ。
体育会系の部活でも似た話を聞くけどさ。何の生産性もないよな。アホらしいわ。やられたらやり返すって感じの同害報復ならハンムラビ法典的な理解のしようもあるが、やられたから他の人にも自分の苦しみを味わわせてやるって、なんそれ。
俺は来年に紀紗ちゃんや蒼紫が入学してきても敬語を強要する気なんかさらさらないし、むしろ慈しむ方だけでいいと思うんだけどね。そしてそれこそが下の世代に継承されてったらみんな幸せになるじゃん。なんでそれが分からんのだ。
「ってことでどう思います?」
学校の昇降口。部活の参加や文化祭の準備はやっていいはずだが、祝日のせいか人の姿が見当たらない。それこそ通学用のリュックを背負った俺と、
「面白いね」
同じくリュックを背負った上条先輩くらいだ。
「敬老の日という本日のトレンドワードを利用して、まさかこの状況を否定しに掛かってくるとは思わなんだ。ともあれ私も憎しみの連鎖よりは慈しみの連鎖の方が望ましい。ほら、私もよく少年を慈しんでるしさ」
「2年の文系1位のくせに慈しむって言葉の意味を知らないようですね?」
とりあえずこの頭のおかしい先輩は放っておこう。そんでもってなんで我々が休みの日に登校してるかと言うと、年長の人物から呼び出しがあったからだ。
3年5組、
それで実際に連絡を受けた上条先輩によるとだね。
推薦人は立会演説までに必要な種類を選挙管理委員会に提出せねばならず、しかし当日は演説後にそのまま投票という流れになるから選管の方々はとっても忙しい。ゆえに実質的な締め切りは9月19日。だがその日は敬老の日で休みだ。
オレ様は選管のトップに顔が利くから代わりに渡しといてやるよ。明日の昼までに生徒会室まで持ってきな。ってとてもとても有難いお言葉を賜ったらしい。
その結果がこれだ。せっかくの休みに上条先輩と2人で登校という地獄絵図。
あのね。なんでこのペーパーレスの時代に紙媒体での提出を求めるんだよ。メールでいいだろ。メールで。その辺の融通が効かない時点で今の生徒会ってゴミだわ。有限の資源たる時間を無闇に奪おうとするんじゃねえよ。
「てかなんで俺まで来なきゃいかんのだ。書類の提出だけなら上条先輩の単騎出撃で充分でしょうよ」
「悪いね。私もそう提案したんだ。でもあの男は『上級生を使いっぱしりにするなど言語道断』と言ってね。聞く耳を持とうとしなかったんだよ」
「なるほど。やっぱ長幼の序ってクソですね」
「あの男の代わりに私が慈しみを与えてあげるよ?」
「拷問かよ」
「もう! せっかく可愛い可愛い飛白たんがイチャイチャしてあげるって言ってるのにぃ!」
はいはい、シカトシカト。ちゃっちゃと終わらせて、ちゃっちゃと帰るべ。
という訳で管理棟に向かった。管理棟と教室棟は2階と3階にも渡り廊下があり、職員室や生徒指導室は2階に、図書室や視聴覚室は3階にあるから1階に行くことはほとんどない。そして目的地の生徒会室はその1階だ。俺は今回で2回目になるのかな。保健室も管理棟の1階だから5月に来たっきりだと思う。
渡り廊下を通って左折すると生徒会室に続く道。右折すると校長室やら応接室やらお偉い人を迎えるための少し立派なエントランスやらがある。
なので左に曲がり、3つめの部屋の前で足を止めた。上条先輩が俺の前に出てコンコンコンとノックする。あれ? リュックってこのままでいいのかね。前にテレビで訪問や挨拶の際にリュックを背負ってるのはマナー違反ってやってたけど。
「どうぞ」
上条先輩に問うより先に返事が来てしまった。まあいいか。俺だけが下ろしたら上条先輩が目立っちゃうからな。怒られるなら一緒に怒られよう。
「失礼します」
「失礼します」
上条先輩の真似をして一礼して入室した。中学の生徒会室は家庭科準備室くらいのサイズだったけど、役員の総数が多いせいでやたらと広いな。教室と同じだ。
とにかく机と椅子がいっぱいある。机の外観が部屋の真ん中から奥側と手前側で分けられてるね。奥側が丸形のテーブルに椅子が3脚の4セット。手前側が長机に椅子が3脚の4セット。おそらく長机が庶務用で、円卓は各役職のものだな。
生徒会長がいたのは奥側のほぼ正面。窓際にある円卓だ。
ふむ。なぜか副会長のメガネも同じ卓にいるね。他の円卓の椅子は120度くらいの間隔で置かれてるのに、この2人は寄り添うように座ってる。
ちなみに会長もメガネだ。どっちもクール系のイケてるフェイスと言って良い。高木さんが見たら涎を垂らしそうな光景だな。写真を1枚お願いしたいね。
俺は上条先輩の背中を追って進み、足が止まったとこで少しだけ横にずれる。はてさて、初手はやっぱ挨拶かね。初めましてな訳だし。
「上条」
先手を取ったのは会長。露骨に不愉快げな表情をしてる。
「お前はマナーも知らんのか」
ああ、やっぱリュックはダメだったんだ。これは分かってたことだし、素直に謝るのが吉だな。
「存じておりますとも」
おいおい。リュックを下ろすどころか腕組みをしちゃったよ、この人。
「人の予定も考えずに不躾な呼び出しをすることもマナーの一環でしょう?」
しかも全力で煽るし。俺がさっき怒ってたせいなのかな。これが俺に対する慈しみっていうのなら勘弁して欲しいんだけど。
もしくは俺に説明してくれた電話の内容がオブラートに包まれまくった状態で、実際は無礼千万だったのかもしれんね。元から気に入らないって言ってたし。
「話にならんな。お前の立候補を成立させるために一役買ってやったというのに」
「お話にならないのはそちらでしょう。不用品を購入するのはご自由ですが、それを押し売りされるのは迷惑です。それとその二人称はおやめいただきたい。不愉快だ」
おおぅ。付き合いがそれなりにあるから分かる。これ、ガチで怒ってるな。織田先輩も目を泳がせちゃってるよ。
「目下を相手にお前と言って何が悪いと言うんだ?」
「私は不愉快だと申し上げた。人を不愉快にさせることを悪いことではないと仰るので? それはなかなかに興味深い倫理観ですね」
「ではお前らのリュックはどう説明するんだ? どうせわざとだろ?」
「無論、わざとですが?」
「それでよく言えたもんだな」
「いえいえ、これは不躾な呼び出しによるお返しのようなものです。遠慮なくお受け取りください。反感の購入特典のようなものですよ」
「何をバカなことを。やられたからやり返す。そんなのは小学生の発想だろう」
「これは予想以上に間抜けのようだ。その小学生の発想とやらがなければやったもの勝ちという不条理が成立してしまうと言うのに。やれやれ。メガネを掛けていると思考の視野まで狭まるようですね。お陰で勉強になりましたよ」
「喧しい。この女、やはり話にならん」
「私は元より話をしに来たのではありませんので」
「……可愛くない女だ」
「おや? これで私は可愛いと評判なのですがね。やはり目が悪いせいですか?」
「性格の話だ!」
「それは失礼。その点に関しては甘受しましょう。ついでに顔だけは可愛いと認めてくれたことにも感謝しておきますよ」
上条先輩が一瞥してきた。身体がビクッとしたのは空気に飲まれてたせいかね。完全に上条先輩のペースだったとはいえ、ちょっと恐かったし。
俺は慌ててリュックを下ろし、書類の束を出す。上条先輩も同じようにして、俺の分と一緒にテーブルの上に置いてくれた。
「不備の有無をチェックさせて貰う」
織田先輩がわざわざ立って書類を拾い上げ、会長に手渡した。大岡さん以上の腰巾着っていうか、もはや介護ヘルパーレベルに見えるね。
会長はぺらぺらと書類をめくっていって、
「碓氷才良か。憶えておこう」
やめてよ。脳のリソースがもったいないよ。って、
「おい!」
思わず大声を出してしまった。上条先輩が驚き顔でこっちを見た。そのくらいの声量だった。
しまった。いや、後悔は後回しだ。今は糾弾が先決。
「原稿の検閲があるなんて聞いませんけど」
演説放送の件があったから本当にやってるのかは知らないが、一応は選管の担当教諭が原稿のチェックをするらしい。過度にセンシティブな内容が含まれていないかって程度のことで、よっぽどのことがない限りは通るって話だった。
その原稿は三つ折りにして封筒に入れるのが決まりで、こいつはそれを開封しやがったんだ。
「言ってないからな」
そう言いながら会長は原稿に目を通してやがる。
「検閲は教師の領分でしょう」
「読まれて困ることでも書いてあるのか?」
「論点のすり替えはやめてください。あなたにそれを読む権利はないと言ってるんです」
「同感だ。即座にやめなさい。さもなくば問題にするよ?」
上条先輩の鋭い声に、会長は円卓をぶっ叩いた。俺の原稿を持った手で。
「やめなさい? 本当に。お前は何様のつもりだ」
「そっちこそ何様のつもりだ。これが許されるとでも思っているのか?」
「面白い。どう許されないと言うんだ」
「それすら理解に及ばぬ輩に説く気になどなるか。恥を知れ」
いかん。上条先輩の発言から敬語が消えた。けど、どうしたら。
「恥を知るべきはお前だ。あんな脅迫まがいの演説をしたんだ。そんなやつを推薦するやつも底が知れたものだろう。何が書いてあるか分かったものじゃない。生徒会長としてあのような蛮行を二度も見過ごすことはできん。そのための検閲だ」
上条先輩の両手がきつく握りしめられた。俺は反射的にその右の手首を掴んだ。
「私はともかくこの子を悪く言うのはやめろ」
「なぜだ? そいつもリュックを背負っていた。やられたらやり返さないと不条理じゃないのか」
「どっちが先に仕掛けたと思っているんだ。どれだけ頭が悪いんだよ」
「その評価を受け入れよう。まあ、お前の推薦人も同じだけどな」
おいおい。上条先輩よ、売り言葉に買い言葉でキレるなよ。こんなん片手じゃ止められんわ。もういっそのこと抱き締めちゃおう。
「喜べ、碓氷」
女子の身体は柔らかいけどね。喜べるような気分ではないね。
「お前の原稿はボツだ。このゴミはオレの方で捨てておいてやる」
上条先輩が1歩踏み込んだ。まじかよ。思ったより力があるな、この人。
「取り消せ!」
「取り消すのは原稿の内容の方だ」
「っ! お前っ!」
こんなに感情的な上条先輩は初めてだ。まじでどうすりゃいいんだよ。
「過去の生徒会長に女子生徒がいなかったのは事実だが、だからと言ってそれを推薦する理由とするのは程度が低いとしか言いようがない」
そこは言われんでも分かってる。初の女子生徒会長の誕生ってインパクトがあるだけで何かの効果が見込める訳じゃないし、政治の知識を持たない芸能人が有名人って看板だけで国会議員を目指すのと変わらんからな。上条先輩も言ってたけど、高校生に対して男女平等というテーマを掲げても響きにくいし。
「実にくだらん。客寄せパンダに長を任せて何になると言うんだ。お前は過去の先輩方が積み上げてきた由緒ある生徒会の歴史に泥を塗りたいのか?」
「上条先輩は優秀な人です。同学年の織田先輩ならご存じかと思いますが、1年の定期テストはすべて1位とのお話でしたし」
そもそもこの人はパンダなんて可愛い生き物じゃない。いや、パンダってクマ科だっけか。見た目は愛らしいのに実は狂暴。意外と正鵠を射た表現なのかね。
「しかしそれを知る者は多くない。逆に初の女子生徒会長という言葉に踊らされて投票する生徒は多くいるだろう。或いは同性だからという理由だけで投票する女もな。お前の狙いもそこじゃないのか?」
「またまたご冗談を。頭の悪い俺にそんなことが思いつきますかね?」
おっと。会長の目が据わっちゃいましたよ。
「さすがは上条を推薦するだけはある。お前も大した度胸だな」
「いえいえ、男は度胸という言葉に憧れはありますけどね」
上条先輩の言葉通り、俺は卑怯でいかせて貰うよ。
「ではせっかくの上級生からの助言ですし。原稿の内容を取り消しますか」
「はぁ!?」
あっぶね。上条先輩が急に振り向くから危うく頬に唇が当たるとこだったわ。
「他の書類だけ提出をお願いします。原稿に関しては担任を通すことにします」
「なんで!?」
「会長の言い分が正しいから」
「はぁ!?」
本当にらしくないな。この方が女子っぽいような気もするけど。
「いい心がけだ。では望み通りこの書類は届けておこう。お前はそのヒステリー女を連れてさっさと帰れ」
上条先輩の顔が再び会長に向いた。その形相を前にして会長が笑みを浮かべる。
仕方ない。一矢くらいは報いておくか。
「上条先輩」
「なんだ!」
「今の会話、スタートから録音してますよね?」
会長から笑みが消えた。その事実に上条先輩が一握りの余裕を取り戻す。
「どうだったかな!」
「という訳で会長。取引をしましょう」
取引って言葉を使っちゃったよ。俺も水谷さんのことを言えんね。
「……内容は?」
「先程に不備がないかのチェックをすると言ってましたが、やめてください。不備を作られたら困りますので」
「そんなことをするはずがないだろう」
俺の原稿を主観で不備としたくせによく言う。
「信じていいんですか?」
「当然だ。織田もそんなことをして会長になっても不本意だと思うしな」
「そうですか。ではそれを守ってくれることを対価に上条先輩の録音データを消させます」
途端に上条先輩から力が抜けていった。やっと冷静になったか。
「ああ、それでいい。今は1秒でも早くここから出ていきたい」
俺にスマホを渡してきた。俺は会長の横まで行って画面を見せる。まず録音を止めて、次にそのデータを削除した。会長も頷く。
「では失礼しますね」
2人分のリュックを腕に引っ掛け、上条先輩の手を引いて生徒会室を後にした。
そのままの状態で昇降口まで歩いていき、
「悪かった」
先輩のその言葉をきっかけに手を離した。
「らしくなかったですね」
向かい合い、腕組みをして溜息を吐く。
「先輩って俺が思ってたより俺のことを気に入ってたんですね」
今日も胸ポケに真鍮のシャーペンが見えるしな。ボルテージが天井を叩いたのも俺の原稿をぞんざいに扱われた時。原稿をゴミって言われた時もか。
「そうだね。結婚してもいいくらいにはね」
「重いわ」
「あんなに情熱的なハグをしてきたくせに」
「ぶっちゃけ役得ではありましたね」
激おこだった先輩が一転してキョトンとした。
「へぇ? 私に触れられて嬉しかったのか。照れるね。もっかいしとく?」
よかった。いつものむかつく笑顔になってくれた。
「ところで少年」
「なんざんしょ」
「きみは続けるのかい?」
どっちのことだろ。とりあえずスマホで時間でも見るか。
「いい時間ですね。帰ってメシにしますか。作りますよ」
「ほぅ。これまた優遇してくれるじゃないか」
歩きだし、下駄箱の前で止まる。
お互いが靴を履き替えたら、また歩きだす。
足並みを揃えるって言うのかね。意外と悪くない気分だ。
「先輩、意外と良い匂いがしますね」
「そこは意外じゃないだろう」
「優姫の方が良い匂いですけど」
「……私の機嫌を取りたいのか損ねたいのかどっちなんだ」
「昼はカツ丼でいいですか?」
はぐらかしたのに上条先輩はふふっと笑った。
「それはまさか伝説のアレかい?」
「伝説のアレです」
「じゃあ勝たないといけないね」
「我に策ありってことで」
「奇遇だね。私もあるよ」
じゃあメシを食いながら作戦会議だな。明日、カツために。
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