9/18 Sun. そのメイクは誰がために

「おまたせ!」


 南安城駅でスマホをいじってたら元気という概念そのものをぶつけられた。


「もう少し待つことになるけどね」


 スマホをいじりながら、少しだけ顔を上げて声の主を一瞥してみる。普段と比べてやや大人しい感じの、しかしやはりギャルギャルしい装いをした大岡さん。


 んー、これって褒めるべきなのかな。その服、似合うね。可愛いね。みたいな。


 やめとこ。下手に鳴いて撃たれでもしたら雉さんに笑われる。そんな思いをするくらいなら、俺は女心の分からないクソ野郎って称号を甘んじて受け入れよう。


「水谷さん待ち?」


「いや、水谷さんはもう油野家にいるよ」


「そうなんだ。ちなみにスマホで何してんの? ゲーム? LINE?」


「LINE。あと5分くらいかな」


 スマホの操作を終え、ズボンの尻ポケットに入れた。あっ。アホじゃん。


 やっちまった。この2人きりでの状況下において、マイベストフレンドたるスマートフォンくんとのコミュニケーションをやめてしまったら、このギャルっぽい女子と5分の時間をいい感じに過ごさなければならなくなるというのに。


 いま再びスマホを出したらどうなるか。考えるだけでも恐ろしい。


 こいつ、私が目の前にいるのにまたスマホかよ。しかもゲームを始めやがったよ。だからお前は陰キャなんだよ。そんなんだからモテないんだよ。お前なんかLive2Dで動く二次元相手に一生ガチ恋してろ。って感じの目を向けられちゃうんだ。


 どうしよう。ぶっちゃけ大岡さんにどう思われても別に気にはならない。ただ、その後に訪れる気まずい空気が嫌だ。かと言って今みたいにお互いが黙ってるのも充分に気まずい。早く何かしゃべらないと。


 天気か? こういう時は天気でいくべきか? 本日は大変お日柄もよくって感じ?


「碓氷くん」


 有難いやら情けないやら。先手を打たれてしまった。


「どうした?」


「ありがとね」


 やめてくれよ。上条先輩の影響を受けすぎてるせいで、急にお礼を言われると今から酷いことをされるって感覚に陥っちゃうんだよ。きっとこのお礼はこの後に課せられる苦労の対価なんだ。報酬の先払いをされたんだって感じに。


「私なんかをユノシノブのメイク教室に誘ってくれて」


 ビビるくらい普通の感性だった。俺、やっぱ悪魔に心をやられちゃってんだな。


「お礼はシノブちゃんにどうぞ」


「……もう。碓氷くんはすぐにそうやって人に譲るんだから」


 ちょっと不貞腐れてる。これは内炭さんの読みが当たってたってことなのかな。


「実際にシノブちゃんありきの企画だしなぁ」


「そのシノブちゃんとの接点を用意できるのがすごいんだってば」


「そんなんただの偶然だろ。家が近くて、油野と仲が良かったからって話だし」


「でも大多数の人は余所の家のお父さんとそこまで仲良くならなくない?」


「仲良くなっちゃってたんだからしょうがない」


「友達のお父さんに友達を紹介するって状況。一生で1度あるかどうかってくらいのレアなイベントだと思うんだけど。私はこれが最初で最後になると思うなー」


 そう言われてみると訳が分からんな。例えば、上条先輩がオトンを相手に「この子は私の後輩でして」って牧野を紹介してたら何事かと思うもん。オトンと仲良し、までは納得できても、友達を紹介するってとこまでいくと確かに異常だわ。


 しかもそれがその手の業界での有名人だもんな。けどそれで調子に乗るのってまんま虎の威を借る狐じゃね。相撲を取るなら自分の褌じゃないと気持ち悪いよ。


「けど、なんで急に誘ってくれたの?」


 それは昨日の晩のこと。


 碓水@サラ:ちわっす

 碓水@サラ:実は隔週の日曜にユノシノブからメイクを教わってんだけど

 おおお@天野エレナ最高:ちわっ!

 おおお@天野エレナ最高:え

 碓水@サラ:興味あればだけど、大岡さんも明日くる?

 おおお@天野エレナ最高:ええ?

 碓水@サラ:水谷さんも来るよ

 おおお@天野エレナ最高:意味がわかんないんだけど


 ふむ。俺は熟考に熟考を重ねた結果だったから急にってイメージじゃなかったんだけど、改めて考えるとテロと言って差し支えのないくらい突拍子もねえな。


「まあ、あれだ。俺って調理がそこそこ得意なんだけどさ」


「知ってるよ。脱出ゲームの後にいっぱい食べたもん。あれのせいでダイエットに苦労したんだから!」


 そいつはすまんね。そのダイエットが本当に必要だったかの議論はさておいて。


「当然ながら、もっと調理の上手い人はいくらでもいる。所詮、俺の調理は趣味の域を出ないレベルだしな。例えば、弥生さんのケーキには逆立ちしたって勝てん」


「あー、あれめっちゃ美味しかった」


「賛同する。それでリフィマに優姫を初めて連れてった時にさ。あいつ、フルーツケーキを食ってすげー幸せそうな顔をしたんだよ。俺のケーキは世界一おいしいとか普段は言ってくるくせに。夢中になって食ってたんだよ」


 溜息を1つだけ。


「俺の調理は趣味レベル。プロに負けるのなんて当たり前。けど、弥生さんの腕に嫉妬したんだよな。このすげー幸せそうな顔を、果たして俺に引き出せるのかなって」


 大岡さんが息を呑んだ。やっぱ仲間っぽいな。


「撮影の時にさ。シノブちゃんにメイクを施された天野さんはどんな顔をしてた?」


「……意地悪なことを言わないでよ」


 悔しそうな、けど嬉しそうな顔だ。


「嫉妬したに決まってるでしょ! このハゲ! 絵麗奈ちゃんになんて可愛い顔をさせるんだ! ありがとうございます! って!」


「だよな。そしたら次に思うことは決まってる」


「そうだね! だからもっかい言うね! 碓氷くん! 誘ってくれてありがと!」


「どういたしまして。まあ、厳しい道だとは思うけどね」


「絵麗奈ちゃんのためならたとえ火の中水の中ってね!」


「その水の中ってのは油ヶ淵だけどな」


 油だけに。


「どんとこい! 行ったことないけど! あれって碧南?」


「地名で言えば碧南だけど安城との境目じゃねえかな。あの沼の主って龍なんだぞ」


「まじで!」


「まじまじ。日本各地に伝わる龍燈伝説の1つに数えられる場所なんだよ」


「へー。あんな狭いとこにドラゴンがねえ。今度一緒に釣りにいってみる?」


 龍を釣り上げるって発想がギャル。俺の頭の中だと仲間にするか経験値にするかの2択だったわ。


「って来たな」


 電車で来た大岡さんと違い、


「悪い。待たせた。って大岡? 偶然か?」


 大畑くんはやたらとデカいバッグを自転車のカゴに詰め込んでる。これがメイク道具だとしたら本当にガチ勢ってことだけど。


「え。偶然じゃないっていうか。もしかして大畑もいくの?」


「は? え? 大岡も?」


 2人が俺を見てくる。安心して欲しい。俺が無意識で連絡もせずに人と会わせるなんて失礼なことをする相手は内炭さんに限られる。


「大岡さんが来るって知ったら大畑くんが及び腰になるかと思ってね。もうユノシノブのファンってバレた訳だから観念して付いてこい。腹を括れ」


「あー、おう。確かに大岡が来るって知ってたら逃げてたかもしれん」


 あっさりと認めてくれた。対する大岡さんは、


「私には言ってくれてもよかったじゃん!」


「あのハゲも一応は男だし。男ばっかですよって言ったら二の足を踏むかなと」


「え? 私にとったら男なんて充電の切れたスマホみたいなもんだよ?」


 価値がないって言いたいの? 存在してもしなくても同じって言いたいの? なんでそんな上条先輩みたいなことを言うの? 大畑くんもドン引きしてるよ?


「それに水谷さんもいるんでしょ?」


「いるね。てか今日は油野家が勢揃いしてたから男性4女性6だね」


「じゃあ何の問題ないね!」


 俺らが無駄に傷付けられた問題を忘れるな。


「とにかく行くか。暑いし」


「そだねー。こっからどのくらい?」


 大畑くんに目配せしてから歩き始める。


「ゆっくり歩いても10分しないくらい」


 地元を高校で知り合ったクラスメイトと一緒に歩くのって変な感じだな。内炭さんなら「これってなんかリア充っぽい!」って言いそうだわ。


「碓氷、さっき油野家が勢揃いって言ってたけど、先に1回行ってきたのか?」


「頼まれ物とお届け物があったからな」


「ん? 頼まれた物を届けたってことか?」


「いや、頼まれた物と勝手に届けた物って意味」


「ていうかさ」


 さすギャル。何の脈絡もなく会話をぶった切ってきた。


「大畑ってメイクが趣味なの?」


「……悪いかよ。笑いたきゃ笑え」


 ふむ。マイノリティが卑屈になるのはしょうがないことだけどさ。


「大畑くんよ、それは大岡さんに失礼ってもんだろ」


「そうだそうだー! ちょっとイラっとしたぞい!」


「は? なんでだよ」


「人の趣味を笑うような子に見えるのか? ってこと」


 背後にいるから表情は分からんけど、返事がないってことは悔やんでるのかな。


「どうせメイクなんて女子みたいなことしててキモいーとかそんなことを言われる被害妄想でもしてたんだろ?」


「私ってそんなイメージなんか!」


「いや、まあ、ギャルやってる従姉のねーちゃんがそう言ってくるもんで。悪い」


 その手の経験が既にあるのなら仕方ないかもね。俺も上条先輩のせいでさっきも大岡さんに猜疑心を働かせちゃったし。けどね。


「俺も料理を始めた時は笑われたぞ」


「そうなのか。最近は男が料理するのって珍しくないと思うけどな」


「やりたいことってのを明確に持ってないやつは既に方針を持ってるやつを茶化そうとするもんなんだよ。自分はまだ本気になれるものを見つけてないのにって焦りや妬み、よく言えば羨ましいって感情の裏返しだ。陽キャどもが勉強を頑張ってる子にもっと青春を楽しめよーってほざくのも似たような理屈だな」


「……すみません」


「……申し訳ない」


 言ったことがあるのかよ。まったく、この陽キャどもが! 内炭さんに謝れ!


「まあ、俺はその笑ったやつらに何か月後かの調理実習で分からせてやったけどな」


「さすが碓氷くん! ほんと敵に回したくない!」


「やっぱ碓氷さんって呼んだ方が……」


 なんで真面目に授業をしたって話でこうなるんだよ。誤解が過ぎるだろ。


「要求されたおかわりを蹴っただけだ。俺らみたいな子供の世間なんてのは力を見せ付ければ大体の諍いは解決すんだよ」


「そういうもんか」


 大畑くんはもっとポジティブになった方がいいと思うんだよな。


「そもそもだ。料理は女性のするものだって思想は我々の業界で言う超前時代的な考えに値する訳だが、未だに俺のクラスメイトだったやつみたいに男の家事を女々しいと捉えるバカもいれば、大畑くんみたいに珍しくないって思うのもいるよな」


 肩を並べて歩いてる大岡さんが頷いてくれた。きっと大畑くんも。


「ギリシャの哲学者、ヘラクレイトスは言いました。万物は流転するパンタ・レイ。四字熟語で言えば万物流転や有為転変、盛者必衰に諸行無常。すなわち、時代は流れゆくし、人の心、感性もまたうつろいゆく訳だ」


 それにしても暑いな。早く冷房の効いた部屋でアイスティーを飲みたい。


「長い時を経て、男が料理をするのも一般的になってきた。ならメイクもまた同じように、男がやってもおかしくないものになるんじゃね?」


「今は男性用コスメとかも普通にあるしねー」


 大岡さんは天に居座る嫌われ者と同じくらい明るく言ってくれた。


「女性ほどはまだ浸透してないけど、そう遠くない未来になるんじゃないかなー?」


「そういうことだ。要するに、俺が何を言いたいか分かるか?」


「自信を持てってこと?」


「卑屈になるなってことか?」


「大畑純一は時代の最先端を走ってる!」


 ちょっと大げさだったかなって思ったけど、


「そうじゃい! 流行の先取りをしとるんじゃい!」


 ギャルが賑やかしてくれた。助かるね。


「……そう言われると、悪くないな」


 懐かしいな。


『え? バカにするわけがないよね。バカにするとしたらそいつがバカなんだ。男子が料理をして何がおかしい。きみは世代の先駆者だとでも思って好き勝手にその腕を磨けばいいのさ。そして私の腹を無償で満たしてくれることを切に願うよ』


 エビ天丼の時にはこれを憶えてるのかなって思ったけど、チーズオムレツの時を鑑みるに、たぶんテキトーに言ったことだから忘れてんじゃねえかな。


 やがて油野家が見えてきた。出迎えてくれたのは油野と紀紗ちゃん。


 2人に案内されてリビングダイニングに向かった。そこにいるのは油野ママも含めた油野家の方々と水谷さん。美男美女の集まりに大岡さんと大畑くんが恐縮しまくりだったね。慣れてる俺ですらハゲに癒しを感じるもん。


 そいつらがテーブルに集まって何をしてたかと言うと、


「これ、とっても美味しいわよ?」


 ハゲがとびきりの笑顔を見せてくれた。紀紗ちゃんもコクコク頷いてる。


 8等分にしたホールを3つも用意したのになんで残りが1ホールなんだよ。


 せっかくだからってことで手ずから皿に移し、大岡さんと大畑くんに渡した。


「……これって」


 大岡さんが目を瞬かせてる。その視線の先にあるのはフルーツケーキだ。


 厳密に言うと、フルーツケーキ試作16号。どんだけ作ってもここの連中が消費してくれるから安心して練習できる。


「次に思うことは決まってるって言ったよな?」


 大岡さんは大輪の花のような笑顔を見せてくれた。そしてパクっと一口。


「うん! 世界一美味しい!」


 煽ってくれるね。やる気になるってもんだ。


 まあ、せいぜい努力して、理想の笑顔ってやつを拝んでやろうぜ。


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