8/24 Wed. 水と氷もたまには交わる

 獅子宮の額縁にもあったけどさ。信賞必罰って大事だよな。


 やっぱ成果にはご褒美がないとやる気がなくなるし、調子に乗ったやつは叩きのめさないといくらでも調子に乗る。


 リアル脱出ゲームのリザルトだが、碓氷チームの全員がリフィス、水谷さん、上条先輩の命令券を得た。上条チームの分配ルールは分からんけど、あっちもたぶんリフィスと水谷さんの命令券を1枚ずつで分けたんじゃないかな。


 しかし碓氷チームにはもう1種類のリザルトがある。俺とのデート券とかいうゴミみたいなやつだ。なお、協議した結果、


 宝瓶宮は川辺さん。双魚宮は優姫。白羊宮は全員。金牛宮は紀紗ちゃん。双児宮は俺。巨蟹宮は優姫。獅子宮は俺。処女宮は優姫。天秤宮は紀紗ちゃん。天蝎宮は川辺さん。そして人馬宮は俺を解答者とした。


 まとめると俺と優姫が3勝。川辺さんと紀紗ちゃんが2勝。内炭さんが0勝。こうなる。まあ、内炭さんの貢献度が高かったのはみんなが分かってるし、そこについて煽ったりすることはなかったね。


 むしろなんか申し訳なく思ったから、全員で遊びに行く場所を内炭さんの部屋にした。碓氷チームのみで行う打ち上げ会場の代わりにね。


 それが昨日だ。意外とみんな乗り気だったし、内炭さんも友達をいっぱい呼べて喜んでた。川辺さんが「わたしはもう来たことあるけどね!」って謎のマウントを取りまくってたのが印象的だったわ。俺だって来たことあったけどね!


 そして今日は来客待ちだ。昼に優姫と一緒にそうめんを食べてから2時間ちょい。用事があるからってことで優姫はもう帰してある。


 インターホンは鳴らず、LINEの通知音が鳴ったのを契機に玄関まで行って、


「お邪魔します」


 やたらと肌を露出した水谷さんが登場した。格好的に電車で来たんだよな。これで自転車に乗ってきたなら痴女だよ。


「何をじろじろと見てるのよ」


「本日も水谷さんはお美しいなと思いまして」


 こわいこわい。もう目が鋭くなってるよ。お世辞を言っただけなのに。


「碓氷くんって性格が悪いわよね」


 あ? やんのかこら。


「水谷さんには敵わないよ」


「似たり寄ったりじゃない?」


 認められちゃったらもう無理だわ。こっちとしてはもう3ターンくらいラリーしたかったんだけどな。 


「まあ、とにかく上がってくださいな。遠路はるばるようこそ、この辺ぴな場所へ」


 ダイニングにお連れしてみる。


「碓氷くんの部屋じゃないのね」


 表情からして本当にただの疑問だと分かっちゃいるけど。


「そんな簡単に女子を部屋に連れ込む男に見えますかね」


「美月は初めての訪問の際に招かれたって言ってたけれども」


 酷い風評被害だね。訴えても良いレベルだ。


「あれは紀紗ちゃんにしてやられたってだけで他意はないよ」


「知ってる」


 こいつ。


「だからここね。女子が男の部屋に入ると何が起こるか分からないし」


「自意識過剰じゃない? 私と碓氷くんで何が起こるって言うのよ」


「そう言ってた宿理先輩がベッドに押し倒してきたんだよなぁ」


「……なんか逆に入ってみたくなったわね。不思議な力が観測できるかも」


「やめておけ。あの場所は特異点。おぬしにはまだ早いのじゃ」


 麦茶をグラスに注いでご提供。内炭さんおすすめのチーズおかきも置いてみる。


 今日は俺が俺の席。水谷さんがオトンの席だ。なんか変な感じがするな。


「その特異点では他にも何かあったの?」


「ある日、朝方に目覚めたら中学生の美少女が添い寝してた」


「……どういうことなの」


「Yさんのお宅の娘さんがウチのオカンを騙して部屋に侵入してきてたんだ」


「紀紗ちゃんも大胆なのね。他には?」


「ある日、夜中に目覚めたら高校生の美少女が添い寝してた」


「……意味が分からないわね」


「Yさんのお宅の娘さんが合鍵持ちの幼馴染をたぶらかして部屋に侵入してきてたんだ。しかも勝手に腕枕をされてたせいで左腕が痺れまくってた」


「やどりんは本当にやどりんね。というか私が思うにそれは碓氷くんの部屋がどうとかじゃなくてYさんのお宅の娘さんに問題があるんじゃないかしら」


「間違いない」


 それで言うと佳乃さんとは何年も会ってないけどな。さすがにあの人が添い寝して来たら取り乱すと思うわ。不審者的な意味で。


「……ちなみにYさんのお宅のイケメンの添い寝は?」


「へぇ。水谷さんも一般人に見えて腐った部分をお持ちなんですね」


「噂が噂じゃなかったらどうしようって少し思っただけよ」


 水谷さんが麦茶を飲み、俺がチーズおかきに手を出したらあっちも手を伸ばしてきた。こういうとこは意外と律儀だよな。


「それで。今回はどのようなご用向きで?」


「……先生のことで」


「だってさ、リフィス」


「っ!」


 水谷さんが俺の視線を追って物凄い勢いで振り返った。誰もいないけどね。


「……碓氷くん」


「なんでしょうか」


「次に同じ手を使ったらここが新たな特異点になると理解してくれる?」


 超遠回しな殺害予告をされちゃったよ。命を拾いたいから頷いておこうか。


「ジョークだよ。水谷さん、顔が強張ってるからリラックスさせようかなってね」


「リラックスどころか心臓がバクバクしてるのだけれども。確かめてみる?」


「そんな分かりやすい社会的殺人事件に引っかかるとでも思ってんのか」


「浅井くんならあるいは」


「あいつならむしろ引っ掛からない未来を想像できないわ」


 確かに、と水谷さんは笑ってくれた。この雰囲気なら大丈夫かな。


「相談の前に結論を言うけど。あいつはそこまで気にしてないぞ」


「少しは気にしてるってことよね」


「タイミングが悪かったからなぁ」


 人でなし。こんなの人生で1回も使われそうにない言葉だから、真に受ける人も少ないと思うんだよな。俺だって言われても煽りの1つにしか思わんし。


「……えっと。先生は実家で何かあったの?」


「分かってるとは思うけどさ」


「うん、分かってるわよ。私に知る権利はないって」


「権利って言葉は強すぎるな。せいぜい必要性だろ。あの時のリフィスは参ってた。誰でもいいから話を聞いて欲しいって感じだったんだと思う。その相手がたまたま俺だっただけ。勇気を出して尋ねてればそれが水谷さんや弥生さんの可能性もあった」


「……そうかしら」


「まあ。水谷さんは微妙かもね。弥生さんならワンチャンだけど」


 あの話は水谷さんにとっても毒になりかねないしな。語る側にもそれなりの勇気と覚悟と責任がいる。リフィスはそれを忌避してるだけだ。


「テーマが重いからね。女性には話しにくかったんだって思えばいいよ。あいつもあれで男だからさ。弱ってるとこを見せたくなかったんじゃね」


「そういうもの?」


「そういうもの。あれだよ。男のプライドとかいう不燃ごみの仕業だよ」


「そんなの早く透明な袋に入れて月2回のどっちかで捨てちゃえばいいのに」


 ふっ。


「まあ? リフィっさんは? 俺には話してくれたけど? 水谷さんには話さなかったって事実に? 変わりはないんだけどねえええええ!」


 おいおい。そんなに力を込めたらグラスが割れちゃうよ。


「というのは冗談で」


「次はないわよ」


「もー、水谷さんったらー、すぐに王手をかけてくるー」


「え? 一思いに詰ませた方がいいってこと?」


「恐いってば」


 チーズおかきを口に入れ、戸棚から昨日の夜に作ったココアクッキーを取って、皿に乗っけて出してみる。オカンには好評だったけど。


「あら。これ美味しいわね」


「第2第4土曜限定でココアフェアをやりたいって弥生さんが言うから作ってみた」


「あー、あのティラミスと一緒にってこと? どんどん根を張っていくわね」


「ほらほら。俺って頼まれると断れないとこあるじゃん?」


「じゃあ先生のお話を」


「だが断る!」


「……まあ。分かってたけれども」


 露骨なフリだったからね。


「リフィスのあれはなぁ。ぶっちゃけ俺は別に話してもいいと思ってんだけど。別に口止めされた訳でもないしさ」


「そうなの?」


 そわそわしてる。いいのかね。聞いたらぞわぞわすると思うぜ。


「3行で説明。400字詰め原稿用紙1枚で説明。すべて説明。どれがいい?」


 前回はこのパターンで最終的に全部をやらされたが、今回は本当にどれでもいい。


「おすすめは?」


「3行かな。きっと3行でも心に来ると思う」


 水谷さんは腕組みをして、目を瞑ってしばらく考え込み、やがてぱっちりとした瞳を見せて、何かを覚悟したかのように麦茶を飲み、続いてチーズおかきを食べ、また麦茶を飲み、今度はココアクッキーをって現実逃避に走ってないかこれ。


「やめてもいいんじゃよ」


「あー、うん。私としては聞きたいのよね。でも先生としては聞かれたくないのかもって思って。ついでに聞いた私が帰った後にいつもの状態で先生と向き合えるのかなってシミュレーションをしてみたら無理だったのよね」


「それでお菓子をパクパクしてしまったと」


「しょっぱいのと甘いのって交互に食べると延々といけちゃわない?」


「ココアとチーズも合うしな」


 それならそれでいいんだ。わざわざ来て貰ったのに手ぶらで帰すことになるけど。


「……じゃあ。3行で」


「聞くんかい」


「だって気になるんだもの」


「じゃあ言うけど」


 水谷さんが背筋を伸ばした。真面目な表情もお美しい。


「愛知に引っ越してきたことを後悔してた」


 ふむ。続きを言う気が失せるくらいに顔を歪められたわ。


「……そう、なの」


 血の気を失ってく様子をまざまざと目にするのはこっちの精神にも来るな。


 さっさと終わらせたい。さっさと楽にさせてあげたい。


 そんな気持ちで続きを語る。


「自分に瓜二つの父親を人でなしだと心から認識した」


 人でなしというワードが出た瞬間、水谷さんの身体が震えた。


 これ、大丈夫かな。目の焦点が合ってないように思えるんだけど。


 水谷さんにとってリフィスが心の支え、いや支柱と言っていい存在なのは分かってるつもりだったが、大黒柱というのが正しいのかもしれない。


 この1本を失うだけで破綻するような。そんな危うさを感じる。


「人でなしの婚姻関係を目の当たりにして恋愛することに恐怖を覚えた」


 胸を押えたのは『女心をなんだと思っているのかしら』と言ってしまったことによる後悔かね。自分の方こそ男心をなんだと思ってたんだっていう。


「……口を禍の門とは言ったものね」


 そうだね。雉さんも口のせいで撃たれた訳だしな。だけどね。


「その禍の門だって口角をあげれば幸福が訪れるかもしれんよ」


「……笑う門には福来るって? 碓氷くん、そういう言葉遊びが好きそうよね」


 苦笑された。


「じゃあ試してみようか」


「……え?」


「さっきのは関東であった3行。今からのはその後の3行」


 水谷さんが息を呑む。


「それでもリフィスは水谷さんとの生活を望んで戻ってきた」


「……あ」


 それこそ。宿理先輩を見捨てることを視野に入れてでもだ。


「教え子の作ったプリンが自分の味にそっくりで泣きそうになった」


「……そうなんだ」


 泣いてはいないけどね。けど、嬉しそうだったよ。


「自分がいるべき場所、いたい場所はここなんだと強く理解した」


 この言葉を聞いて、水谷さんの苦笑から苦み成分が空気に溶けて消えていった。


「碓氷くん」


「なんでしょうか」


「これも冗談って言ったら刺すけどいい?」


 せめて殴るとかにしてくれないかな。現実味がありすぎるんだよ。


「ダメだね」


「む。冗談ってこと?」


「教え子が犯罪者になったらリフィスが悲しむだろ?」


「……ずるい。そんなことを言われたら碓氷くんを刺せない」


「いや刺すなよ」


 ふふっと笑って水谷さんは麦茶を口にした。空になったから注いであげる。


「怒らないで聞いて欲しいんだけどさ」


「ん?」


「リフィスにとって水谷さんとの生活ってママゴトの一種だと思うんだよね」


「ママゴト?」


「そう。優姫の大好きなママゴト」


 自分のグラスに追加して、ついでに一口いただく。


「よっぽどのことがない限りはママゴトって理想の夫婦像を描くじゃん。お父さんが仕事から帰ってきて、お母さんがもてなして。優姫のはたまに家事をもっとやってくれとか浮気したでしょとか言ってきてうざいけどさ」


「思ってたよりリアルなのね」


「そう。言ってしまえばママゴトってのは非現実的な妄想になる訳だが、あいつは育った環境が環境だったからそこに理想を求めちゃうんじゃないかね」


「……分かるかも。私も両親の恋愛観に納得がいかなくて圭介や他のカップルに理想を求めてるところがあるもの」


 他のカップルってのは堂本と寺村さんの一件のことかねぇ。


「だから今の生活はあいつにとって最高に居心地がいいんだよ。水谷さんは自信を持ってリフィスの奥さん役を務めてやればいい」


「んー、でも私は先生の奥さんになる気はないわよ?」


「高校を卒業したくらいのタイミングでプロポーズをされたとしても?」


 おい。考え込むな。またシミュレートしてんのか。


「圭介と別れてたら分からないわね」


 しかもリアリティがある。この話、油野にリークした方がいいのかなぁ。


「まあ、なんだ。俺が言いたいことが分かるか?」


「圭介に今の話をしてもいいかってこと?」


 だからエスパーやめろっつってんだろ。


「ママゴトが理想の夫婦を想定してるんだとしても、ケンカの1つもしないなんてありえない。行き違いなんて普通にあるだろ。てかそんなの友人関係でもあるじゃん」


「そりゃあね。私だって美月とケンカしたりするし」


「それと同じ程度で捉えりゃいいよ。門を通った禍は取り消せないけど、それ以上の福を与えてやりな。水谷さんならそれができるからさ」


「そっか。ありがと」


 水谷さんはチーズおかきを唇で挟み、ぐでーっと机に突っ伏した。


「急にどうした」


 チーズおかきを口内に吸い込み、がりょがりょと音を立てて噛み砕いて、


「なんか疲れちゃって。それに美月はプリンをあげれば機嫌を直すけど、先生にはどうしたらいいか分からないし。本当は嫌われてないのかなーって」


「考えすぎだろ。なんならそこも手伝うか?」


 現金な目玉がこっちを見てきた。


「随分と大盤振る舞いね」


「乗り掛かった舟ってやつだな。同じママゴト愛好家の仲間でもあるし」


「ふーん。何を手伝ってくれるの?」


「あいつってアスパラベーコンが好きじゃん」


「そうね。あんなに好きだとは思ってなかったけれども」


 誕生日会で引くほど食ってたからな。


「けどあいつってアスパラベーコン以上に好きなもんがあるんだよ」


 水谷さんが上体を起こした。そしてまさかのゲンドウポーズ。


「聞こうじゃないの」


 いいだろう。俺もこのポーズは嫌いじゃないぜ。


「よかろう。では説明するぞ。リフィスを超大好物でもてなそう大作戦の概要を」


 ネトゲでやってた週1回の議論がこんな時に役立つとはね。


『好きな食べもの』というテーマの時にリフィスはアスパラベーコンって答えてた。だから宿理先輩は誕生日会でそれを作りたいとも言ってた。


 けど『今まで食べた中で1番美味しかったもの』っていう宿理先輩が不在の時に行われたテーマでリフィスが答えてたのは半熟卵の天ぷらだったんだよな。


「今日はいっそのことリフィスにここまで迎えに来させようか。そんでサプライズのおもてなしをする。あいつは何かを察するかもしれんが、水谷さんが単騎でやるよりは受け入れやすくなるんじゃないかね」


「そうかも。じゃあ大まかなシナリオはお任せするわね。まずはスーパーかしら」


「その前に1個いいすか」


「なんすか?」


「水谷さんと2人だと色々と恐いので油野と優姫を巻き込んでも?」


「貸し1ってことで」


「あんた今日だけで俺にいくつ借りたと思ってんだ」


「勝手に貸した気になられても困るのだけれども。契約は双方の合意が必要よ?」


「そっすね。まあ、らしさが出てきて何よりだ」


「お陰様でね」


 水谷さんは純粋な微笑みを浮かべ、


「美月が好きになるのも分かるわね」


 見解の相違ってやつだね。それ、俺は分からないんだよなぁ。


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