8/27 Sat. 無知は罪(ガチ)

 今日は8月最後のアルバイト。


 今日はやどりんもヒハクも不在だから客足は幾分か穏やかもんだ。と言ってもリフィスがプリン製造機になるくらいには忙しい。


 一時的にとはいえSNS上で有名になったからな。全国から人が集まったことでその味もまた有名になったらしく、ここ数日の売上は前年比で20%以上も高い。それに伴って弥生さんのモチベも2割増しだ。リフィスへの恋心も忘れてケーキ製造機になっちゃってる。


 今日の参戦者は俺、内炭さん、久保田、水谷さんの4人だけ。


 これまで欠かさず参加してた川辺さんは夏休みの課題の追込み中。劣化川辺さんたる優姫は本当に塾通いを始めたみたいで今日はそっちだ。


 9時から18時のパートタイムを終え、私服に着替え終わったくらいでリフィスが休憩室にやってきた。


 1時間くらいまではいつものスマイルを顔面に張り付けてたのに、そこからやたらと神妙な顔付きをしてるんだよな。一部のお客さんはリフィスのイケてるフェイスを求めて来てるんだから表情筋が死ぬまできっちり笑っとけよ。


 こいつがここに来た理由は分かってる。給与の支払いだ。今日はやどりんエフェクトもヒハクフィーバーもなかったから時給1500ってとこかな。


 8時間の労働に1時間の休憩。つまりは1万2千に諸経費とかいう毎回支払われる謎の4千に交通費の千を足して1万7千ほどになる。地元のコンビニやスーパーはどこも高校生のバイトを時給1000円にて募集中だから相当に割の良い小遣い稼ぎと言えるね。効率厨としては自給の良い狩場でレベリングできてるみたいで笑いと脳汁が止まらないわ。リフィスさまさまだね。


 着替え終わった俺と久保田はわくわくしながら休憩室の椅子に横並びで座り、リフィスはと言うとその対面の席に着いた。


 そしてリフィス先生が言います。


「オーナーに叱られました」


 しょぼーんってしてる。写真を撮って宿理先輩に送ったらコーラを1ケース買ってくれそうなくらいに珍しい表情だ。今だけは同い年くらいの少年に見える。


「何かやらかしちゃったのか?」


 リフィスのことなら他人事だけど、リフィマのことなら私事でもある。ちょっと親身になって聞いてみるか。この狩場を失うのはあまりにも惜しい。


「ぼくらにできることならなんでもしますよ」


 やっぱ久保田はかっけーな。初恋の相手だからってのもあるかもしれんが、とりあえず僕らって言うのはやめてくれ。勝手に巻き込まないでくれ。


「実はオーナーというのは弥生の父君のことなのですが」


 ふむ。


 片や専門学校を出たばっかで職務経験ゼロのなんちゃってパティシエ。


 片や名門大学を中退して最終学歴が実質的に高卒となるこいつ。


 こんな2人に出資して、しかも名古屋の一等地と呼べるような場所に出店を許し、あまつさえ社会経験のないこいつらに店長と副店長を任せるような道楽がいるだなんて世の中も捨てたもんじゃないなって思ってたけど、ただパパが娘っ子のわがままを聞いてやってただけだったのか。


 我々の業界で言うリフィマ七不思議の1つはある意味で正当な内容だった。だってこの条件で銀行が融資してくれるはずがないし。


 娘思いって考えるか、過保護って考えるかで賛否両論があるとは思うが、


「赤居パパがおこなのか?」


「おこですね」


 俺が振った訳だけど。これ、会話のレベルが低すぎるな!


 まあとにかくだ。何をやらかしたのかってのが問題だよな。まずは、


「そっか。じゃあ男子たるもの潔く腹を切れ」


「実は私が帰省してる間のツイッターをご覧になったそうなのです」


 どうしよう。俺がハラキリしなきゃいけなくなったんですけど。


「3か月連続で赤字にならない限りは口出しをしないとのお話だったのですが」


 まあ、炎上したしな。しかもAIやどりんとAIヒハクで荒稼ぎしてたし。客観的に見ればまともにパティスリーを運営してるようには見えんわな。


「ウチの碓氷が勝手なことをしてすみませんでした。ぼくは止めたんですけど」


 まじかよ。久保田に裏切られることなんて一生ないと思ってたのに。しかもこいつ止めてないからね。完全に逃げ切りの姿勢に入ってるね。この野郎、差すぞ!


「というのは冗談で。碓氷氏のアイデアがなかったらそれこそ赤字が続いたと思うんですけど、ダメだったんでしょうか」


 やだもうー、クボちゃんったらー。脅かさないでよねー。えいっ、えいっ。


 俺は久保田の腹をテーブルの下でつつきながら、


「謝りに行くなら付いていくぞ。犯人は俺ですってな」


 極めて真剣な顔を作ってそう言った。


「けど1人はやだ! せめて久保田を付けてくれ!」


 いやいやまじで無理だよ。初対面の人に会うだけでも嫌なのに、それが偉い人で、おこの状態だし、想像するだけで胃酸が逆流してきそうだよ。


「そこは大丈夫です。オーナーがおこなのは弥生と私に対してですから」


 なんだー、それならそうと早く言ってよー。とはならんよ。


「それは上司だからとか。許可を出したのは弥生さんだからとか。そういうのか?」


 だとしたらもやもやするな。尻拭いを他人にさせるってのはなぁ。


「そもそもオーナーは炎上や客寄せの方法でおこな訳ではないのです」


 久保田と顔を見合わせた。他に怒られる要素なんかあるか? あるか。


「オーナーもやどりんファンで『なんで教えてくれないの!』っておこなのか?」


「もしくはヒハクさまファンで『おじさんにも壁ドンしてよ!』っておこですか?」


「お二人に会ってみたいとの言葉はありましたが、それも違います」


 そこでリフィスは唐突に頭を深々と下げた。なんでやねん。


「申し訳ありません。お願いを聞いていただけませんか」


 俺らはまたもや顔を見合わせた。そして同時に頷く。


「リフィス。水臭いぞ。俺らの仲じゃねえか」


「ふっ。顔をあげな」


 久保田のバリトンボイスかっけー。


 そのお陰か上げられたリフィスの顔は穏やかなものだった。なので続きを言う。


「まあ内容によるけどな」


「なんでも言ってくれ」


 あれ? イケてる久保田、略してイケボと意見が合わなかった。


「おいおい久保田さんよ。安請け合いはいかんぜ。そんなことをしてたらいつかせっかくの休みに3桁もある階段をひたすら踏みしめさせられることになるぞ?」


「ぼくは上条先輩の視界に入らないようにポジショニングしてるから大丈夫」


 なんてこった。その技術、諭吉1枚でご教示願いたい。


「相変わらず仲がよろしいのですね。ではその内容の説明に入りますが」


 リフィスが姿勢を正した。俺らもつられて背筋を伸ばす。


「履歴書を書いていただけませんか?」


「……ん?」


 普通に意味が分からんかった。久保田もそれっぽい。


「バイトをしませんか? と私が提案したことで始まったこれですが、突発的なスタートでしたので名目上はお手伝いということになっています」


 お手伝いとアルバイトで何が違うのかよく分からんけど頷いとく。


「私と弥生の勘違いだったというのが結論なのですがね。例えば自営業の本屋さんの店番を子供にさせてお小遣いを少しあげる。もしくは無給で働かせる。これは珍しいことではありませんし、違法ではないようです」


 あぁ、なるほど。


「そっか。お手伝いだもんな。それが違法になるなら俺がたまに作る晩メシに両親から給料を貰わんといかんくなるし」


「なので我々もそのような扱いとして、帳簿では皆様への給与を謝礼として計上しました。ですが、これは違法らしいのです」


「ぶっちゃけ訳わからんから3行で頼むわ」


 無茶ぶりってのは分かってるけど、まじで分からんもん。


「家業以外のお手伝いさんは労働基準法第9条で言うところの労働者に当たる。


 労働者を使用する場合は労働条件通知書を用意しなければならない。


 民法上では雇用契約書での合意も交わさなければならない」


 本当に3行で来た。


「要するに、労働の契約書を作らないといかんってことか?」


「そうですね。本当に1回限りでしたら見逃して貰えたのかもしれませんが、もう全員にかなりの金額を支払っていますし。税金の方でも問題が出てきます」


 税金とか言われると途端に恐くなっちゃうな。俺、絶賛脱税中なのかしら。


「アニメだとそんな描写がないのに」


 久保田が愕然としてる。アニメ知識を頼りに社会を生き抜くのは無理みたいだな。


「なのでリフィスマーチと正式に雇用契約を結んでいただきたいのです」


 言ってることは正しいけどね。なんかこれ。詐欺なんじゃね? って俺のチキンハートが囁いてるね。これを結ぶと将来的にリフィマの正社員にさせられるとかさ。


「それって契約して大丈夫なやつ?」


「当然です。弥生の父君が用意してくださるそうなので正式な書類ですよ」


「サインした瞬間に『書きましたね?』とか言わない?」


「確認はしますけど、そんな罠にハメるような感じでは言わないです」


「3年後、この契約書が目に入らぬか! って俺をここに縛り付けようとしない?」


「……私はどれだけ信用されていないのでしょうか」


 だって恐いんだもん。ドラマとかでもよくあるじゃん。あなたがサインした以上この契約書は有効なんですよ! みたいなやつ。


「俺、リフィマで働くのやめよっかな」


「どんだけ嫌なんですか。石橋を叩いたくせに渡らないのがサラの性分だとは分かっていますが、履歴書の保護者欄に親御さんのサインも入れていただく必要がありますし、一緒に他の書類もご両親に確認をお願いすれば問題ないでしょう?」


「えー。あの人らは初対面の女子高生に壺を買わされそうになってたレベルだよ?」


「上条さんですか」


「上条先輩かぁ」


 秒で理解される上条先輩の人徳ってすごい。


「ご両親が詐欺に遭いそうになったことはお気の毒ですが、これは本当にどのアルバイトもしてることですよ? ネットで調べたらいいじゃないですか」


「まあ、そういやそうなんだけどな。んー、久保田はどうするよ?」


「普通に契約するよ。だってお金が欲しいし」


 そうだね。お金は欲しいね。


「私ではなく弥生に任せればよかったですかね?」


「いや、別にリフィスに不信感を抱いてる訳じゃなくてだな。どっちかって言うと弥生さんの勧誘の方がしつこいからリフィスでよかったとすら思ってる」


「それはよかった。ではこの契約の有効期限を一筆したためるというのでは?」


「それなら……」


 ここまでやって罠だったらもう社会勉強として割り切るしかない。法律を知るって大事だなって心から思ったわ。刑法とか学校教育法とか迷惑防止条例とかはそれなりに調べたことがあるけど、労基法とかはもっと先の話だと思ってたしなぁ。


「クボは今の話で終わりますが、サラには別の契約書の話もあります」


「てめえ! 裏切ったな! 信じてたのによぉ!」


「落ち着いてください。これはサラにも得のあるお話です」


「出たよ! 詐欺師の導入トーク! 得かどうかを決めるのはこっちなんだよ! お買い得って書いてあっても要らないもんを買ったら実質的な損じゃねえか!」


「……サラの闇は深いですね。上条さんのせいでしょうけど」


「碓氷氏の人間不信が深刻だ。上条先輩のせいだと思うけど」


 リフィスは久保田と一緒に苦笑して、


「ロイヤリティのお話です。LじゃなくてRの方の」


 愛着と忠誠心Loyalty著作権利用の対価Royaltyのことか。


 わたしー、プリンはリフィマのものって決めてるのよねーってのが前者。


 リフィマのプリンをおたくの店でも売りたいなら出すもの出せやってのが後者。


 ただ、著作権って言ってもな。美少女型店頭端末のことかね。


「これまでサラが提供してきたうちのいくつか。ビューティフルムーン。ココアクッキー。レモン風味のメレンゲクッキー。フレンチクラスト。あとはシェフの特製ハンバーグですね。あの特殊なタイプのロコモコ丼も弥生が採用したいと言ってました」


 ふむ。思った以上にダメなやつだった。


「フレンチクラストってウィロビーさんのレシピなんだけど」


 あのパンの耳をダイスチーズと混ぜてフレンチトーストっぽくするやつ。川辺さんが気に入ってたまに作ってるみたいだけど。


「ウィロビーさんの許可は取りました。どうでもいいって」


「それって許可なのか?」


「どうでもいいそうですし。いいんじゃないでしょうか」


「えー。お前ってウィロビーさんと仲が悪いんだっけ」


「好かれていないという自覚はありますね。あの人は私と似たような性格ですし、同族嫌悪に近いものだと思っています」


「んー、一応は俺からも聞いてみるわ。その結果次第ってことにしてくれ」


「ぜひともお願いします。パンの耳はいつも伊藤さんと矢作さんがご自宅に持ち帰るのですが、ここ最近はサンドイッチの出る量が多かったので持て余していたそうなんです。それならばお店で有効活用した方がいいですし、何より前に宿理がホールで食べていたでしょう? あれの問い合わせが多かったのです」


「ぼくもツイッターで見た。あれを食べてみたいって」


 久保田が頷いてる。


「賄い専用ですって回答をしましたが、食い下がるお客さまも少なくないので出せるものなら出したいですね」


「おっけ。あとココアクッキーとメレンゲクッキーなんだけど」


「はい」


「あれクックパッドのレシピまんまだよ」


「……それはちょっとまずいかもしれませんね」


「メレンゲの方は素材も工程も少ないから誰が作っても似たような感じになるし、著作権とかはないと思うけどね。少なくとも俺が金を貰っていいもんじゃないな」


「律儀ですねぇ」


「それで言うとロコモコ丼だってグレイビーソースをケチャップソースにして、目玉焼きをプレーンオムレツにしてるだけだから著作ってほどじゃないだろ」


「あれはハンバーグの方に価値がありますし」


「あぁ、シェフのなんちゃらか」


「あれに関してはマサさまバーグとSNSで呼称されているようですが、それこそ著作権で訴えられそうなので早急に命名してリスクを回避しなければならないのです」


 本当に腐女子って害悪だな。それならしょうがない。のかなぁ。


「そっちの法律もよく分からんから俺はお手上げだな」


「ではおおよそビューティフルムーン。シェフ特製ハンバーグ。シェフ特製ロコモコ丼。場合によってはフレンチクラストの4種ですね」


「ちなみにロイヤリティってどんなもん?」


「販売のたびに価格の5%とするか。年間使用料にするかは検討中です」


「割とガチなやつか」


「ガチですよ。特にハンバーグは対策しないとガチで訴えられる可能性があります。現状で既に原作の公式ツイッターさんに凸してる方がいらっしゃるので」


 まじかよ。腐女子の行動力って本当にすごいな。迷惑千万すぎるわ。


「という訳で後日に契約書を別途で4枚ご用意しますのでよろしくお願いします」


「……1種類ずつでサインすんの?」


「当然でしょう。4種まとめての契約書を交わしたのちにウィロビーさんがやっぱやめたって仰ったらすべての契約が解除されることになるんですよ?」


 その論理は分かるんだけどなぁ。


「法律ってめんどくせえな」


「賛同はしますが、その分だけ自分達を守ってくれますからね」


 確かにね。この国に生まれた以上は従うほかないわな。


 しかし俺は同意する前に言うことがある。


「それって契約して大丈夫なやつ?」


「……私の上条さんに対するヘイトがうなぎのぼりなんですが」


 きみもまだ分かってないね。それが正常なんだよ!


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