8/17 Wed. テコ入れ――中編
どこから間違っていたのかね。
きっと最初からなんだよな。
図らずも、論理的思考の基盤になるのは内炭さんのあの言葉だ。
『私、油野くんのことが好きなんだけど』
俺にとっては耳馴染みのあるギャグの1つでしかないが、本人からすれば真剣な本音そのものに違いない。
そこで考える。
『あたし、油野くんのことが好きなんだけど』
優姫がそれっぽいことを言ったことがあったか?
ない気がするな。
俺が勝手にそう思ってるだけだ。
では『なぜ』そう思ったのか。
優姫が2回も油野に告白したからだ。
告白ってのは好きって気持ちが溢れてすることだろ。
そう思ってた。
けど、水谷さんは言っていた。
『実は関係あるのよ。こっちの話とそっちの話』
そうなんだ。水と油はお互いの目的のために恋愛感情なしで付き合ってた。
そのスタートは油野の告白。
つまり、告白は『好き』の証拠たり得ない。
仮説を作るに値するな、これは。
その実、優姫は油野に恋していない。
ならば『なぜ』優姫は油野に告白したのか。
すぐに思い付くのは3つ。
何かしらのメリットが発生するから。
何かしらのデメリットの発生を阻止できるから。
何かしらのデメリットを解消できるから。
当然、これらの1つとは限らず、また3つともの可能性もある。
どうせあのヴァカのことだ。
きっと右脳フィーバーのわけわかめな理由で動いたんだろな。
ただ、仮説は仮説だ。
俺も優姫を好きなくせにスマホの待ち受けはあいつにしてない。好きなイラストレーターの萌えるやつに設定してるんだよね。
だから上条先輩が示唆した要素をそれほど気に掛ける必要もないと思ってる。
けど内炭さんみたいに好きな人を待ち受けにしてる女子が多いことも知ってる。
正直、どこか引っ掛かるのも事実だ。
だってあいつが中学の卒業式にした告白の内容がアホ過ぎたもんな。
告白して断られたとしか聞いてなかったから勝手にロマンチックに考えてたけど、実際は酷いもんだったし。
だから小5の時の告白が真っ当だったのかって考えると、いいとこ半分くらいなんじゃないかなぁ。
一応はママゴトの最中に、
『あぁん! やっぱり好きぃ! 圭介ぇ! あたしを見捨てないでぇ! 悪いとこは直すからぁ!』
って言ったことがあるっちゃあるが、実際の相手は俺だったし、それを言うなら初カノのことを仄めかした時に、
『カドくん、あたしはカドくんが犯罪者でも好きなままだからね』
とも言われてる。はっきり。好きだと。
「カドくん、どうかしたの?」
優姫が顔色を窺ってきた。この呼び方も思えば変だ。
『碓氷才良クン。部活だとみんなに合わせて碓氷クンってあたしも呼んでるけど、プライベートだとカドくんって呼んでるの』
なんでこいつはわざわざ呼び方を使い分けてるんだ?
勘違いされたくないから? 一線を引いてますって意思表示? それとも、
「ほんとに大丈夫? 顔色が悪いよ?」
あれ。今って何をしてたんだっけ。あぁ、ハンバーグだ。今日は聖魔大戦を終わらせたい系女子が多いから注文が入ってないのにこねこねしまくってたんだ。
「大丈夫だ。腐臭がきついからな。ちょっと吐きそうになってたんだよ」
「……それ大丈夫じゃなくない? ヒハくんにカドくんの利用を控えるようにお願いしてこよっか?」
いつの間にか変な愛称ができてるし。
「気にすんな。それよか1個質問してもいいか?」
「ん? 急にどうしたの?」
優姫の瞳をまっすぐ見つめる。優姫もまっすぐ見つめてくる。
「お前、俺に隠し事が多いって怒ったよな」
眉が逆立った。
「まだ何かあるの?」
「今のとこは何も思い付かないな。思い出したら言うわ」
「どういうこと?」
小さく息を吸い、吐く。
「お前は、俺に隠してることってないのか?」
一瞬。黒目が右下に向かった。
「今のとこは何も思い付かないね。思い出したら言うよ」
ヴァカのくせにカウンターしてきやがった。
「大丈夫そうだから作業に戻るね?」
優姫はそう言い残して麺を茹でてる川辺さんの元へと戻った。
こんなの長年の付き合いってのが無くても分かるな。
隠し事はある。それも俺に言えないような内容だ。
とりあえずこれ以上の詮索はやめとこう。やるなら外堀を埋めてからだ。
もしかしたら川辺さんとかと俺の誕生日にサプライズをやる予定を組んじゃってるかもしれんからな。まだ3か月くらい先だけどね。
隠し事ってカテゴリだと範囲が広すぎるから余計なものまで暴くことになる可能性もあるし、下手に動いて隠蔽工作でもされたら敵わん。
さて、まずは気持ちにリセットを掛けよう。はい、吸ってー、吐いて―。吸って―、吐いて―、吸って―、吸って―、
「少年、ちょっといいかい?」
またかよ。いいのか? 吸った後だから吐くぞこら。
「なんすか」
「ふむ。やさぐれているね。慰めがてらにお姉さんの胸を貸してあげようか? 潰しているから感触を楽しむことはできないと思うけど」
「もれなく腐女子どもに美味しくいただかれそうなので遠慮しときます」
てかこの人ってウェイターなのになんでコックコートなんだろね。ってそうか。本来ならリフィマの男はリフィスしかいないし、男性用の服はコックコートしかないのか。いや、それはそれでどうなんだ。上条先輩の身長は160くらい。リフィスは175くらいだと思う。なんでサイズが合うんだ。足の長さか? リフィスさんたら短足なのか? ってよく見るとこの人の伸長って俺より高くなってるじゃん。ハヤトは160くらいのままなのに。かさましの靴でも履いてんのかな。
「やれやれ。そんなにじろじろと見られたら困ってしまうよ。これで私のことを好きじゃないと言うんだからきみってば本当にツンデレだよね」
「先輩相手にデレることは永遠にないと思いますけどね。てかそれシークレットシューズとかいうやつですか?」
「うむ。13センチほど盛っている。紐のない缶ぽっくりに乗っている気分だよ。重心がふわふわしているから軽く押されるだけで倒れる自信があるね」
危ないな。違和感なく歩いてるから今の今まで気付かなかったわ。
「興味があれば休憩室にもう一足あるから履いてみるといい。ハヤトはテーブルまでの高さを変えると不具合を起こす可能性があるからと言って脱いでしまったんだ」
「真面目ですね」
水谷さんは本当に真面目だ。開店直後からずっとプリンを作り続けてる。
時刻は13時を回ったところで、ヒハクがイートインでもテイクアウトでもとにかく営業を掛けまくるせいでなめらかバニラ以外のプリンは早くも売り切れの状態だ。
そのバニラも休みなく作ってるのに生産が追い付かない。3つある蒸し器をフル稼働してるのにね。ヒハクの悪魔的にイケてるフェイスで悪魔のささやきを耳元で行えばお客さんの財布が簡単に開いちゃうんだから困ったもんだよ。
「そういや何の用でした?」
「あー、そうそう。今イートインにいらしているマドモアゼルがきみのハンバーグを所望しているのだけどね」
「料理人を指名するシステムはリフィマにないですけどね」
「では指名料を300円としてそのうちの200円がきみの懐に入るとしたら?」
えっ。5回で1000円か。どっちみち調理は俺の仕事だし、それでボーナスが発生するならめちゃくちゃおいしいよな。じゃねえわ。
「危ない危ない。これが音に聞く悪魔のささやきってやつか。よくそんなポンポンと人を惑わすアイデアが出てきますね」
「ちなみにお店には通さないから残りの100円は私のポケットに入る予定さ」
「着服じゃねえか。はいはい、なしなし」
「えー? 絶対にバレないようにやるよ?」
「本当にやれそうだから嫌なんだよ。それで? 本題は?」
「お肉が嫌いなんだそうだ」
ならハンバーグを頼むなよ。バカなの?
「どうやら例のラノベでは『これ系は食べられない。けどみんなが食べてるから食べてみたい。どうにかして』ってイベントがしばしば発生するらしくてね」
「あー、異世界転移のグルメ系アニメでも何回か見たことありますね。ある種のテンプレみたいなイベントだと思います」
「それを体験してみたいそうだ」
「ふむ。豆腐、いわし、まいたけ、大豆なら部活で作ったことがありますけど」
「……まいたけ? きのこでハンバーグを作るのかい? 付け合わせじゃなくて?」
「まいたけ、たまねぎ、レンコンの構成ですね。武田先輩のレシピって言えば納得するかと思いますけど」
「あぁ。なるほどね。さすがは麻衣だ」
これで本当に通じるんだから武田先輩はすごいね。まいねーむいず
「残念ながらまいたけもレンコンもないですけどね。いわしの缶詰と豆腐は弥生さんの私物でよければありますけど。料金設定とかはどうするんです?」
「交渉してくるよ」
ヒハクが悠然と歩いていく。あっ、また顎を掴んだ。おいおい、戻ってくるの早いな。
「価格は通常のハンバーグと一緒。あとは少年の許可を得ればいいそうだ」
チョロすぎ。弥生さん、リフィスにふられたらホスト狂いになりそうで心配だな。
しかし許可か。本来なら条件を付けれる立場じゃないんだけど。
「小5の優姫が好きでもない油野に告白をするとしたらなんでだと思います?」
ヒハクの目が細くなった。
「それは仮定の話かい?」
「当然、仮定です。たらればです」
「論理的じゃないね」
「女心は論理的じゃないですけど、それを学ぶのは悪いことじゃないかと」
さあ、どうだ?
「私の主観100%でいいのかい?」
可能なら優姫の思考をトレースして欲しいが。
「それで大丈夫です」
即答した。なんでもかんでも答えを教わってたら成長できやしない。
「では3つ」
相変わらず思考の瞬発力がハンパねえな。
「1つ。好きな人のため」
初っ端からドキッとさせられた。
「2つ。良い意味で自分のため」
どういうことだ?
「3つ。悪い意味で自分のため」
「……意味が」
「なぜかと問われたからそれに答えたんだ。解説まで求める気かい?」
それはさすがに強欲だな。
「いえ、自分で考えてみます」
「それは結構なことだね。言うまでもないけど、今のは私の主観であって優姫の本心とは異なる。圭介をリフィスさんとして、優姫を私、きみを拓也と想定して考えたものだ。きみの参考になれば嬉しいよ」
ヒハクは意味深な笑みを浮かべてイートインスペースに向かっていった。
「解説してくれてんじゃん」
苦笑してしまった。役割の補足があったお陰でおそらく3つ目の『悪い意味で自分のため』の意味が分かったわ。
好きでもないイケメンに告白することで気になるアイツを焦らせてやろう計画。
論理による感情のコントロール。いや、恋心の誘発とでも言うべきか。
なんせ上条先輩の恋心は、玉城先輩と皆川副部長の交際をきっかけに芽生えたからな。その苦い経験を踏まえた内容と言える。
失って初めて気付く大事な人の存在。その一歩手前を体験させることで危機感を煽り、欲する結果を手中に収める。しかもイケメンにふられることは確定してるからあとくされもなく、気になるアイツは安堵することで余計に意識するかもしれない。
実に上条先輩らしいね。上手いというか、いやらしいというか。
本当に『悪い意味で自分のため』だな。利用される人のことも操られる人のことも知ったこっちゃない。自分さえハッピーになればそれでいいって考えだ。俺が最初に考えてた『何かしらのメリットが発生するから』ってのもこれだな。
そんでもって『好きな人のため』ってのはたぶん水谷さんと油野の偽装交際と同じ方向性だ。
大好きな川辺さんにまとわりつく悪い噂をなくすために、水谷さんが自分を犠牲にした。言い方は悪いが、実質的にそういうことだ。これも俺の『何かしらのデメリットを解消できるから』ってのと合致する。
けど『良い意味で自分のため』ってのがよく分からんな。俺の案だと『何かしらのデメリットの発生を阻止できるから』が残ってるが。
より深く思考の海にダイブしようと思ったところでヒハクが戻ってきた。
「マドモアゼルは豆腐ハンバーグをお望みだ。システムに登録されていないメニューだからモニターに表示されないということは憶えておいてね」
「分かりました」
俺はすぐに豆腐をゲットするために業務用冷蔵庫まで移動して、観音開きの左側を引っ張った。
直後、背後から伸びてきた手が俺の頬をかすめて開きかけたドアを閉じてしまう。
なんでやねん。どうせ上条先輩のいたずらに決まってるし、振り返って怒ってやろうとしたら、反転の直後にもう1本の手も伸びてきた。それも同じく冷蔵庫のドアを叩く。
えぇ。これ、壁ドンじゃね? まじもんの壁ドンじゃね?
そこら中から歓声が聞こえた。ちょっと。勘弁してよ。
顔の左右にはヒハクの腕。正面にはヒハクの悪魔的イケメンがある。
やばい。距離が近すぎてどきどきする。良い匂いもするし。やっぱこの人って美人だし。普通にびっくりした分も含めて吊り橋効果が働いちゃってるなこれ。
「念のために聞くけど」
「そろそろキスしなくてもキレると思います」
「だよね」
ヒハクがめっちゃ良い笑顔を見せてくれた。
あぁ。失念してたわ。
この人って俺が四苦八苦するのを見るのが大好きだったんだった。
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