8/17 Wed. テコ入れ――前編

 午前8時。本日もリフィスマーチに集合してる。昨日と同じく9人だ。


 塾をよくサボる上条先輩はともかく、内炭さんも夏期講習を連日でサボってるみたいで、弥生さんと水谷さんはちょっとお困りの様子。


 なぜなら内炭さんには紅茶の才能があるからだ。几帳面な性格と論理的思考の織り成すハーモニーが紅茶に宿ってるらしく、こだわり派のくせに雑なとこがある俺や、他にできる人がいないから仕方なくやってたリフィスより断然に上手い。


 しかもヅッキー並みに料理もできるし、水谷さんのヘルプも紅茶と並行してこなせる。とてもじゃないが、帰ってもいいよって言える状況じゃなかった。戦力の一角と言っても過言じゃない。厨房で言えば最も実力的に不要なのは川辺さんになるね。


 当の本人は「みんなと一緒で楽しいから塾なんて行ってられないわ!」とドロップアウトの道に片足を突っ込み始めてる。長年のぼっち生活が彼女の人生を狂わせ始めてるね。子供の頃にゲーム禁止令を出されてたやつが大人になってどっぷりハマり、ソシャゲで月に二桁万円を使うケースなんかと似てる気がする。


 それはともかくとして、もっと問題なのはリフィマの収支だ。昨日の売上は今年に入って最も悪かったらしい。なのにバイトを9人も入れてるから余裕で赤字だ。


 最善とは言えないが、まずは人件費の削減を考えるべき。差し当たっては早めに業務が終わる堂本と浅井を昼過ぎに帰すのがベターだけど、リフィスが帰還するまで頼るかもしれない連中に「もう今日は用済みだから帰れ」とは言いづらい。リフィマまでの往復で2時間は使う訳だし、連中もどうせなら稼げるだけ稼ぎたいだろうしな。


 そうなるとやっぱ川辺さんを切るのが合理的だ。経営者視点で見れば雇う理由も特にない。しかし彼女も初日に朝早くから親友の恩人のためにノーメイクで馳せ参じてくれた1人だ。義は重んじなければならない。仁義か忠義かはともかくとして、そこは誠意で応じないとな。


 てかそもそも人を減らすのは弥生さんが反対してる。助けて貰ってるのに申し訳ないとのことで、水谷さんは何か言いたげだったからリストラを考えてそうだけど、責任者がそう言うなら黙るしかない。


 けどなあ。ここはビジネスライクにいくべきじゃないかなぁ。


 と言うのも、実は売上激減の謎が昨晩に判明したんだよね。


 我々の業界で言うところの情報屋。ミスターテンパの手によって。


『今日もイケメンお手製のプリンを楽しみにしてリフィスマーチまで行ったのに。今まで見たことのないメスがプリンを作っていやがった。こんなん食べる気になんないわ。美味しかったけど』


 これはツイッターの投稿内容だ。似たようなのが他にもあったらしいが、注視すべきはそのRTといいねの数。不買運動と言って差し支えのない値になってる。なんだかんだで食べてはくれてるみたいだけどね。


 こんなんどうしようもなくね。可愛い子がレジをやってるからコンビニに行くならあそこにしようって考えと根本は同じだし。しかもそれって割とメジャーな思考回路だし。やどりんエフェクトも仕組みは一緒だしなぁ。


 家族連れじゃないお客さんの男女比は3:7くらいになるみたいだし。全員がそうじゃないにしても一定数の固定客がリフィス目当てだったとしたら正攻法で太刀打ちするのは不可能に近い。これだからイケメンクソ野郎は手に負えねえ。


 変化球はいくつか思い付くが、どうしたものかねぇ。


「下策で良ければ提案できますが」


 休憩室を支配してた静寂をぶち壊してくれたのは上条先輩だった。


「どんな?」


 弥生さんが回答を促す。上条先輩は視線を走らせて、


「リフィスさんの代替となるイケメンを用意しましょう」


 出ましたよ。下策も下策。かぐや姫レベルのおつかいクエストが。


 明日ならワンチャンで油野をさらってこれるけど。


「オレの出番か」


 浅井がスタンバった。羨ましいなぁ。身の程を弁えずに行動できるなんて。


「浅井くんかぁ……」


「浅井くんねぇ……」


 すかさず女性陣によるハラスメントが発生。ダメならダメってはっきり言ってやれよ。そういう遠回しの否定はダメージでかいんだぞ。


「良太は黙っていなさい」


 上条先輩が介錯してくれた。項垂れる浅井を見もせずに、


「大前提を忘れるな。プリンを作れるイケメンじゃないといけないんだよ?」


 おっと、浅井の心が救われたぞ。却下したのはあくまで調理の技術がないからであり、顔面偏差値の問題ではないという論理だ。一部の女性が肩を竦めてるのはとりあえず見なかったことにしよう。


 けどその条件を足すと余計に無理じゃないかな。かぐや姫と2回結婚できそうな難易度に思えるし。


「じゃあ碓氷くん?」


 おいおい、急に川辺さんがマイハートをぶん殴ってきたよ。俺はプリンを作れてもイケてるフェイスはお持ちじゃないんだよ。


「碓氷くんかぁ……」


「碓氷くんねぇ……」


 ひどいとばっちりだ。1日分のやる気を根こそぎ持ってかれたわ。俺もう帰っていいかな。


「私は碓氷くんでもいいと思うけれども」


 悪魔が追撃してきましたよ。昨日の仕返しですか。


「確かにいつもの碓氷くんは常に眠そうだし、根暗そうだし、目つきも姿勢も悪いから陰キャそのものよね」


 めちゃくちゃ言ってくれるね? 泣くよ?


「でもコック姿の碓氷くんってオラついてる感じがあって結構イケてないかしら」


「うんうん! 初めて見た時からかっこいいって思ってた!」


 川辺さんがテンション高い。そういや初バイトの時に褒めてくれた気がするな。


「あたしもそう思う」


 同意したのは優姫さん。あらやだ。嬉しいんだけど。


「でも憎たらしさもいつもの比じゃないよね。昨日の水谷チャンを責めてる時とか超絶に調子に乗ってる感じがあってそこはかとなくむかついたし」


「わかる」


「わかるわ」


「わかるー」


 結局はディスだよ。はい、今日はここまで。もう知らね。


「コック姿の碓氷くんってマサさまに似てるんですよね」


 内炭さんがなんか言い出した。なにやら腐臭が漂ってきたな。


「あー、確かに」


 なんとヅッキーが釣れた。腐ってるのは性根だけじゃないのかよ。


「マサさまって?」


 弥生さんが拾い上げたことで全員がスマホをいじることになり、


「やっと謎が解けました」


 そう言ったのは矢作さんだ。


「たまにお客さんが碓氷くんの写真を撮らせて欲しいってお願いしてくるので。なんでかなって思ってたんです」


 あの例の女子大生みたいな人の話か。腐女子こわい。


「ふむ。それは使えるね」


 悪魔が嗤った。よし、今すぐ帰ろう。


「碓氷少年、安心して欲しい。きみは普段の仕事をしてくれたらそれでいいんだ」


 ほんとかよ。


「リフィマ印のプリンを作れるイケメンは私の方で用意しよう。実は昨晩に玲也のLINEを見た時から考えていたことがあってね。もう準備もしてあるんだ」


 まさか。玉城先輩か? けどリフィマのプリンは現状だと水谷さんくらいにしか任せられないと思うぞ。


「千早、これもリフィスさんのためだ。協力してくれるね?」


「私にできることならもちろん」


 上条先輩の姑息な言い回しのせいで水谷さんは頷くほかなかった。


 その結果、


「やば! 超イケメンじゃん!」


「えぇ。どっちでもいいから彼氏になって欲しいんですけど」


「これ油野よりイケてねーか?」


 コックコート姿の美少年2人をみんなで囲んでわーきゃーしてる。


「そう騒がないでおくれよ、子猫ちゃんたち」


 美少年Kはきざったらしく前髪をふぁさっと掻きあげた。そして弥生さんの顎を右手でクイっと持ち上げながら優しげな眼差しを送る。


「もう心配はいらないよ、お嬢さん。この私が来たからにはね」


 女子がきゃーきゃーうるせえ。


「は、はい……」


 おいおい。弥生さんがトゥンクしちゃってるよ。真っ赤な顔で目を蕩けさせちゃってるよ。


 そこに美少年Mがやってきた。こっちも前髪をふぁさって掻きあげたけど、これは様式美なのかね。


「やめるんだ。弥生さんは私のものなんだよ」


 MがKの手を払い、弥生さんを抱き寄せる。


「あなたは私だけ見ていればいいのさ。それとも、私では不足かな?」


「え、えぇ……?」


 2人のイケメンに言い寄られてテンパる弥生さん。なんか可愛いな、この人。


「と、まあこんな感じだね」


 またも前髪をふぁさっとした美少年Kこと上条先輩。


「一人称は私でいいんですかね?」


 こんなことにも真面目さを見せる美少年Mこと水谷さん。


 そう。上条先輩の策略は美少女による男装だ。ご丁寧にも男装用のウィッグを2つ持ってきてたから今日は最初からそのつもりだったっぽい。


「ふむ。いつもの癖で私と言ってしまったけど、オレの方がいいのかな?」


「私はボクの方がいいですね。オレはちょっと恥ずかしいです」


 その格好は恥ずかしくないのかよ。


「では私がオレで、きみはボクだ」


 言葉だけを見ると頭がおかしいとしか思えないセリフだな。


「それと、名前はどうします?」


「源氏名というやつか。自分と近いものにした方が良さそうだね」


「自分と近い……」


 悩む2人を見かねたのか、いや、ただ名付け親になりたいだけだな。優姫と川辺さんの巨乳コンビが手を挙げた。


「飛白先輩はヒハクで!」


「ちーちゃんはハヤトで!」


 ヒハクはちょっと人の名前って感じがしないけど、本名を音読みにするのはシュクもカイも同じだしな。いいんじゃないかな。


「オーケイ、お嬢さん。オレはヒハクだ。よろしくな」


「ボクはハヤト。よろしく頼むよ、お嬢さんたち」


 んー、上条先輩はともかく水谷さんは完全に女子の声だから違和感すげーな。


「ではハヤト、早速だが写真を撮ってアップしよう。この姿ならネットに晒しても特定されることはまずあるまい」


「分かった。弥生さん、ツイッターの担当ってどなたですか?」


「……え? あっ、わたしです」


 なぜ敬語。


「ではその道に明るいお嬢さんから構図の提案をいただこうか」


 そして知ってしまった。リフィマの店員の半分が腐っているということを。


 さらに知る。腐ったやつらの行動力の凄さってやつを。


「おー、50人は並んでいるようだね」


 オープン10分前。店頭を映すモニターを眺めながらヒハクが笑った。昨日からの逆算で言えば腐女子が30匹も釣れてしまったってことか。


「城を攻めるは下策。心を攻めるが上策。敵の心を屈服させる戦い方をしないとね」


 にやにやしてるヒハクを優姫がちらちら見ながら俺の腕を突いてきた。


「今のって誰かの名言?」


「馬謖だな」


「ばしょく?」


「泣いて馬謖を斬るの馬謖」


「わかんないや。厨房にいこっか」


 論理的思考を学びたいならその辺も勉強しようね。智者は古の教訓に従うんだよ。


 厨房に移動したら料理ができないくせにヒハクまで付いてきた。弥生さんと長谷部さんとヅッキーがめっちゃ見てる。イケメンの人生がイージーモードってのがよく分かる光景だね。床に唾を吐き捨てたくなるよ。


「ハヤト、昨日の作成分で残っているプリンはいくつだい?」


「120個だよ」


「その程度ならすぐに捌ける。ハヤトは今日もプリン作りに勤しみたまえ」


「らじゃー」


 水谷さんのキャラが安定してないな。厨房にいるならお客さんに声を届けることもないと思うから大丈夫だけど。


「弥生、今日はオレがウェイターになって注文を取ってもいいか?」


 いちいち顎クイをやるのはなんなんだろね。少女漫画の読みすぎだろ。


「は、はい! お願いします!」


 しかも効果があるし。ただしイケメンに限るって万能すぎるな。


 という訳でリフィスマーチ。本日もオープンです。


 ヒハクはサービス精神旺盛にも程があり、握手を求められたら手を差し出し、ハグを求められたら抱きしめ、写真を求められたら肩を寄せるという徹底ぶり。


 その結果、初回のイートインの注文でプリンが22個出た。4人掛けの4ボックスだから最大で16人しかいないのにね。


 これを受けて一番衝撃を受けたのは当然ながらハヤトだ。120個あった残機がものの数分で2割近くも削られたのだから。


 飲食店なのに味で勝負しなくていいのかねって思いはするものの、お客さんが来てくれなかったら勝負のしようもないし、注文してくれなくても同じことだ。


 このやり口にリフィスがどう思うかはさておき、いかに宣伝というものが大事なのかってことがよく分かった。


 フォラグラを知らんやつはフォラグラを食べたいと思わんのと同じだ。いかに売名行為と罵られようが、物を売らなきゃ商売は成り立たない訳で。


 それもやどりんエフェクトで荒稼ぎしてるから今さらでもある。たまにやどりんのアンチがリフィマを叩いてるのを見掛けるしな。


 そう何回も繰り返す手口じゃないし、今日くらいはいいだろ。


「少年、ちょっといいかい?」


 注文を取り終えたヒハクが厨房に戻ってきた。なんだろ。


 不意に顎を掴まれる俺。顔を寄せてくるヒハク。イートインの方から聞こえる悲鳴に近い歓声。


「悪いね。リクエストなんだよ。マサさまファンのね」


「……俺は普段の仕事をしてればいいはずじゃないんですか」


「構わないよ。たまにこうして絡みに来るとは思うけどね」


 さらに顔を近付けてくる。歓声がさらに大きくなった。今日くらいはいいだろって思った俺がバカだったわ。


「念のために聞くけど。本当にキスをしたら怒る?」


「キレる」


「照れなくてもいいのに」


「照れてねえし」


 そしてヒハクはひときわ小さな声で言ってくる。


「優姫と美月の表情を見てごらん」


 顎を固定されてるから眼球だけで指示に従ってみる。


 川辺さんはあわあわとして挙動不審に陥ってる。


 優姫は、あれ? 真顔だ。ほんの少しだけ怒ってるようにも見える。


「ところで少年は優姫のスマホの待ち受け画面を知っているかい?」


 知らんがな。他人のスマホの画面って見せられない限りは確認できんしね。


「ヒハクがハヤトに壁ドンをしているやつさ」


 さっき内炭さんがリクエストしてたやつか。


「それに変える前は少年と優姫と紀紗でたこ焼きをやっている画像だった」


 と言うと七夕のやつだな。


「何が言いたいか分かるかい?」


「ちょくちょく更新してるってことですか?」


 ヒハクは鼻で笑った。付ける薬がないと言わんばかりに。


「きみはおそらくとてつもない勘違いをしているってことだよ」


 やがてヒハクは顔を離し、俺の頭をぽんぽん叩いて去っていった。


 そのぽんぽんが功を奏したのかもしれない。唐突にあることに気付いた。


 あれは先月のこと。テスト勉強をしに油野家に行った日だ。


 内炭さんの要望で油野家の写真を撮り、その写真がいつまで経っても届かないからって理由で内炭さんは寝不足となり、俺を批難してきたことがあった。


 あの時の油野+内炭さんのツーショット写真は今でも内炭さんのスマホの待ち受けになってる。だから部室でメシを食う時はにやにやする内炭さんをよく見かけた。


 問題はここからだ。


 優姫は、あの時の写真をくれって俺に言ってきてない。


 あの日から毎晩のようにテスト勉強を一緒にやってたから言う機会はいくらでもあったのに。


 むしろ優姫が求めてこなかったから内炭さんにあげるのを忘れてたとも言える。


 そもそもがソードマスター圭介以外の写真を送ったことがない。


 だって、欲しいって言われてないから。


 見せてくれとも言われてない。


 これまでの人生で一度ですらだ。


 心臓が嫌な音を鳴らした。


 あり得ない。いや、本当にか?


 おそるおそるで優姫を見てみる。


 あいつは何事もなかったかのように仕事をしてた。


 なぁ。お前ってもしかして。


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