8/9 Tue. あまやどり
夜中に意識が覚醒した。眠気の強さ的に3時を回ったくらいだと思う。瞼を上げなくてもまだ部屋が暗いことは分かった。
もうひと眠りしよう。そう思ったのと同時に気付いた。左腕が動かない。金縛りってやつなのかな。重しを載せられたかのような感覚がある。
金縛りって確かレム睡眠が原因なんだよな。強い精神的なストレスを受けると発生しやすくなるっていうやつ。
昨今は恋愛事情で色々あったからなぁ。そもそも6月半ばから生活スタイルがおかしいんだよ。俺の日常に女子が登場しすぎなんだよ。もっと男子も寄ってこいよ。
って頭を動かしてたら脳が覚めちゃったわ。とりあえず金縛りをどうにかして水でも飲もうかね。マッサージでもしたら動くようにならんかな。
左腕に右手を持っていって、心臓が止まりそうになった。なんだこれ。左腕に何かが載ってる。え? まじで? 魑魅魍魎系? 髪の毛の塊みたいな感触なんだけど。
普通に恐いわ。このまま二度寝したら消えてくれるかな? いや、取って食われる可能性も0じゃないよな。それなら先手を打たないと。
うわぁ。こえぇ。瞼を上げるのがこんなに恐いのって人生で初めてだわ。上げたらそこに髪の毛の塊がいて、その中心にある血走った一つ目がこっちをじっと見てたらどうしよう。俺、たぶん泣いちゃうよ? 大声を出して泣いちゃうよ?
ああ、まじでやばい。上条先輩の胸を触った時よかよっぽどドキドキしてる。このままじゃ魑魅魍魎に恋しちゃうよ。
よし。1、2の3! で瞼を上げるぞ。1、2の3な。1、2の3。1、2の!
無理無理無理無理! 3にいけない!
いやいや、そんなことを言ってる場合じゃない。一つ目じゃなくて大きな口を持ってるパターンもある。ガブッといかれる前に行動しないと。
落ち着け。落ち着けよ? さあいくぞ、俺。女神みっきーよ。我に力を!
「……」
「やっ!」
意味が分からん。宿理先輩が俺の腕枕で寝てる。
まあいいや。とりあえず深呼吸をしよう。吸ってー、吐いて―、そしてー、
「いったっ!」
頭をぶっ叩いてやった。手加減してやったことを有難く思え。
「いきなり何すんの!」
「それはこっちのセリフだボケェ!」
枕元のリモコンで部屋の照明を付ける。
「おっはー」
優姫までいた。なんだこれ。さすがに夢の可能性を疑うぞ。
壁掛け時計を見たら3時26分だった。俺の記憶が正しければ昨日は誰とも会ってない。この2人が泊まりに来たなんてイベントはもってのほかだ。
宿理先輩は上体を起こし、叩かれた側頭部をさすりさすり。
「腕枕って寝心地が悪くない? あたしが低反発枕を使ってるからかしらん?」
「あー、カドくんの腕って高反発しそう。よく反発的な態度をするし」
「わかるわかる。もはや猛反発枕って感じだった」
寝起きにディスられると血圧の上がり方がハンパねえな。脳が冴えてくわ。
「とにかく2人ともそこで正座しろ」
目付きが悪い自覚がある。声に怒気も乗せた。なのに2人は顔を見合わせ、肩を竦めてみせた。なんでだ。こいつらこんなに仲良くなかったはずなのに。
「これでいいん?」
床を指さしたのに2人ともベッドに上がって正座をした。まあ、床は硬いもんな。
「男の部屋に軽々しく入るな。何が起こるか分からんだろ」
「あたしとあんたで何が起こるって言うんよ。強いて言えばぶっ叩かれたけどさ」
「あたしはもうカドくんの部屋に1000回は入ってると思うけど」
めんどくせえな。1対1ならどっちも簡単に説き伏せることができるのに。この場で2人とも一気に押し倒してびびらせてやる方が今後のためかもな。
けど後が恐い。まずは牽制だ。
「理解する気がないならいい。優姫、合鍵を返せ」
「え? 嫌だけど?」
まじかよ。所有権を軽視し過ぎだろ。借りパクしてんじゃねえよ。
「そうそう! あたしにも合鍵ちょうだい!」
こっちはこっちでモラルが欠如しすぎてるし。我が家のセキュリティ問題を少しは考えろや。あんた絶対に3日で失くすだろ。
なんか本当にめんどくせえな。テキトーに追い返して寝るか。いや、追い返して帰るような連中か? まじでめんどくせえなあああああ。
そもそもこいつらはなんでこんな時間に俺の部屋にいるんだ。
視野の広さが問題なのかねぇ。右脳タイプの思考を追うのは難しい。とりあえず、
「ちょっと顔を洗ってくる」
「いってらー」
快く送り出されてしまったわ。ってことはまだ俺に用事があるってことだな。或いは俺の部屋に用事があるのかもしれない。けど部屋に用事があるなら俺がいない時間を狙った方がいいだろ。ここは俺に用事があるって断定していい。
思考を巡らせながら階下に降りて顔を洗い、口を濯ぐ。ダイニングまで行って冷蔵庫を開け、麦茶に手を伸ばしたとこでミルクティーのペットボトルが目に付いた。
糖分を入れるか。ついでに2人のお茶も持っていこう。
俺はその場でミルクティーを一口だけ飲み、冷蔵庫に貼られたゴミの日カレンダーが目に入った。
あぁ。そういうことか。よく考えれば超簡単な問題だったわ。これが糖分の力ってやつかね。偏に『だれが』を2人ともにしてたのが間違いだった訳だ。
だって優姫がいるのは合鍵を持ってるからって理由がしっくりくるし、さっき宿理先輩も合鍵を欲しがったし。今回は
優姫は
脳内会議を進めたまま部屋に戻ると2人とも俺のベッドで寝転がってた。こういうことをされると本当に異性として見られてないって実感するね。
「おかかー」
「おっかー」
のんきな2人にお茶のペットボトルを差し出してやる。
「おー、気が利くね。さっすがサラちゃん!」
「カドくんしゅきー」
嬉しくねぇ。まあとにかくだ。
「それで俺は何を作ればいいんですか? それともただ手伝えばいいんですか?」
キャップを外そうとしてた2人の手が同時に止まった。
「えぇ! こわいこわい! サラのこういうとこ本当にめっちゃこわい!」
「付き合いの長いあたしでも今のは鳥肌が立っちゃったよ」
騒ぎ立てる2人を前にして俺は再びミルクティーを飲む。
本日は8月9日。言い換えると8月10日の前日だ。要するに、
時間を考えろって言いたいが、きっと思い付いたら居ても立っても居られなくなったか、何かの因果で優姫に夜遅くまで相談してたら「じゃあ今からカドくんのとこにいく?」ってなったのかもしれない。その辺はどうでもいいや。
ともかく話を聞いてみる。
「ほら、明日ってちはやんの家でりっふぃーの誕生会をやるじゃん?」
知らんけど。知ってたらもっと早く謎が解けてたわ。って優姫さんの視線が鋭くなってるよ。また隠し事かよって目をしてるよ。
「そんなの聞いてないですけど」
俺の反応を受けて優姫が首を傾げた。嘘じゃないって伝わったみたいだね。
「決まってすぐディスコで教えたんに」
「……リアルの用事はLINEにしてくださいよ」
「りっふぃー、ちはやんとディスコのボイチャで決めたからそのままやっちった!」
仕方ないからパソコンを立ち上げ、ディスコを確認してみる。本当にシュクから連絡が来てるわ。
「8月10日19時より水谷家にてリフィス誕生祭2022を開催。参加希望者はディスコかLINEでやどりんまで」
LINEでの返答が可能なら尚のことLINEでも送れよ。ってこれ。
「受信が8月9日0時52分とか出てんですけど」
「3時間ちょい前に決まったかんね!」
道理で知らん訳だわ。もうパソコンを落としてたもん。優姫さんも納得顔だ。
「りっふぃーの話だと弥生さんがバースデーケーキを用意するみたいなんよ。さすがにプロ相手にスイーツで対抗するのは無理すぎるからせめて料理を用意できたらなって思って。そうなると知り合いの中で一番上手なのってあんたになるじゃん?」
そう言って貰えるのは素直に嬉しいんだけど。
「なら直で頼めばよくないですかね。優姫を巻き込まんでもいいでしょ」
てかそんなの今すぐ交渉する必要がないんだよなぁ。日が昇るまで待てよ。
「あたしは相談して貰えて嬉しかったけど。また除け者にされずに済むし」
優姫さんがぷんすかしてらっしゃる。いやいや、知ってたら誘ったよ?
「夜更かしはお肌の天敵だろ。俺は優姫のことを思って言ってんの」
本当は二度とこんなことをされたくないから言ってんだけどね。
「……カドくん」
チョロい幼馴染は感極まったかのように瞳を潤ませ、
「カドくん、しゅきぃ」
正面から抱き付いてきた。棚ぼたゲットだぜ。ゆるふわの髪を撫でてやる。
ふむ。優姫の巨乳が思いっきり押し付けられてる形だし、色々と柔らかいし、どきどきはするけど、そこまでじゃないって感じがするのは上条先輩との話の影響なのかな。本当に都合よく騙されてしまった感があるわ。
「いいなぁ」
宿理先輩がこっちを見ながら呟いた。意図を推し測るのはやめとこう。
「料理するのは構わないですけど、それって宿理先輩メイン俺サブのパーティーでやるんですか? どうせなら宿理先輩が手料理を振る舞いたいですよね?」
「んー、女心的にはそうなんだけど。食べる側を考えるとそれってどうなん?」
「男心的には味に多少の差があっても女子の手料理の方が嬉しいんじゃないかと」
「それな! でもあたしらの腕の差って多少の範疇で済むんかなぁ」
「何を作るかにもよりますね」
「それな! どうせなら凝ったものを作りたいし!」
「参加者の好き嫌いとかも多少は考慮した方がいいですしね」
「それな! せっかくのパーティーなのに楽しめない子がいると可哀想だし!」
それな、が多すぎて無計画でここに来たんじゃないかと勘繰っちゃうね。
「リフィスの好物を多めにするのも大事ですけど、場所を提供してくれる水谷さんの好物も多めにすると今後の宿理先輩に有利に働くかもしれませんね」
「それな!」
「おい、あんたノープランでここに来ただろ」
「バレた?」
てへって可愛い笑顔を見せてもダメ。
「あたしよかサラが色々と考えてくれた方がいい感じになるかなって!」
「清々しいくらいの他力本願だなおい」
ちょっと考えてみるか。って思ったとこで気付いた。
あれ? 優姫さん、寝息を立ててない?
男とハグしてるのに立ったまま寝ちゃうくらい俺を何とも思ってないのか。冷めるって言い方もどうかと思うが、なんか現実を思い知らされちゃうなぁ。
「宿理先輩。優姫が寝ちゃったんでベッドに転がしたいんですけど」
「ありゃ。長々と付き合わせちゃってたかんね」
宿理先輩と一緒にそーっとベッドに運んだ。と言っても俺のベッドはセミダブルだし、横に寝かすと面積を使いすぎるから足を床に落とさせて貰う。枕を使って角度を作ってはみたけど、リクライニングチェアとして見るのは無理がありそうだし、起きたら足腰が痛いかもしれんな。てかメイクを落としてないわ。そのままで寝かせちゃっていいのかな。宿理先輩との話が終わったら一旦は起こしてみますかね。
俺らはベッドの縁に座って話を続けることにした。差し当っては、
「何人くらいに声を掛ける予定なんです?」
「んー、りっふぃー関係者各位っつーか。プール掃除とボウリングの時のメンバー。リフィマの人ら。あと愛宕ちゃん。シンの彼女。こんなもんかや」
20人ちょっとか。翌日が木曜でリフィマの定休日だから参加率が100%になってもおかしくないんだよな。てか男女比!
「そうだ。ボウリングに参加できなかった内炭さんの弟も呼んでいいですか?」
「いいわよん。中3なんだっけ?」
「ですね。やどりんのファンみたいなので幻滅させないでくださいね」
「そんなん無理っしょ」
諦めるの早すぎ。
「雑誌の中のあたしに植え付けた勝手なイメージを押し付けられてもなぁってね」
「あー、そいつはごもっとも」
「そういう意味じゃ最近のメンツって素が出せて楽なんよね」
この人はこの人で人間関係で悩みを持ってるみたいだな。そりゃそうか。SNSも始めたことで今まで以上に名前も知らんやつからあれこれ言われてると思うし。
「念のための確認なんですけど」
「どしたん」
「宿理先輩って俺に惚れる確率0%でいいんですよね?」
「ほんとにどうしたんよ。一緒にベッドで寝たから意識しちゃった系? ふっといた方がいい? さっきのお返しも込めてビンタした方がいい?」
「違うので素振りするのやめてください」
心配げな表情で右手をぶんぶんスイングするのやめてくれ。普通に恐い。
「ここんとこ異性に優しい態度を見せるのをやめろって圧が強いんですよ」
「あー、みっきーとか紀紗のこと?」
驚いた。川辺さんはともかく紀紗ちゃんのことも気付いてるのか。
「そこは難しいとこなんよね。あたしもりっふぃーに優しくされるとさ。すっごく嬉しいって思うんだけど、たぶんあの優しさに意味なんかないんだよねーってふと思うと泣きそうになる。でも優しくはされたいんよね。わがままでごめんだけどさ」
「……いっそ突き放した方が楽になるんですかね?」
高橋さんはそうしてくれって言った。納得もできるけど。
「そんなんされたら生きてく自信がないんだけど」
大袈裟だなって言えるような表情じゃなかった。
「勉強も、生徒会も、モデルも、バイトも。あたしがいまがんばろって思えてるのは恋をしてるからなんよ。少しでも好きな人に相応しい女になりたいって思って努力してんの。なのに突き放されちゃったら。きっと全部やめたくなる」
恋心が原動力になってることか。それはそれで危うすぎるな。
「ぶっちゃけさぁ。サラの見立てだとあたしに勝ち目ってあると思う?」
不安に彩られた瞳。嘘でもいいから励ましたくなるような、そんな眼差しだ。
「大前提として。それは対水谷さんの話ですか?」
「うんにゃ。ちはやんの矢印は圭介に向いてるっしょ。弥生さんのことよ」
やっぱこっちも気付いてんだな。
「正直に言っていいんですか」
「その前振りがある時点でダメってことじゃん」
くはぁって大きな溜息を吐いた。そして顔を両手で隠してしまう。
「……いいよ」
「6:4で弥生さん有利って感じですかね」
おいおい。宿理先輩に押し倒されちゃったよ。だから言わんこっちゃない。男子の部屋に軽々しく入るんじゃないよ。
「あたしに4もあるの!?」
その表情は真剣そのもので、けど今にも泣きかねないような、それでも瞳に希望の灯を宿してる、複雑としか言いようのないものだった。
「厳密に言うと55対45ですかね。あくまで俺の主観による判定ですけど」
「それって。幼馴染の贔屓とか。同情とか。お世辞とかじゃなくて?」
「誰にものを言ってんだよ。審判ってのは公正かつ公平にジャッジするもんだろ」
ハァ。屋内なのに雨が降ってきたわ。
「こういうとき。あんたと幼馴染で良かったって心底思うわ。超絶に心強い」
「そうかよ。こんなんでいいならいつでも言ってやるし、不安でも不満でも感情が溜まってきたら吐き出してくれていいから。なるべくそんな顔をせんでくれ」
遺憾ながら中3の時の油野の気持ちが分かるわ。この人を泣かせるのはダメだ。どうしようもなく許せない気持ちになる。この人は笑ってないとダメなんだ。
「俺も一緒に考えるし、やれることは全部やるからさ。明日のパーティーでせいぜいポイントを稼ごうぜ?」
元気いっぱいの返事を期待したのに、宿理先輩の解答は自分の身体までも倒してくることだった。思ったよりどきどきはしない。ただ、緊張で身体が強張った。
「あー、ひめちゃんが寝ちゃうのも分かる気がする」
俺の胸に顔を埋めた先輩の声は鼻声以上にくぐもってた。
「撫でてくんない?」
「いいけど」
さらっさらやな。この人の髪、さらっさらやで。
「あー、惚れそう」
後頭部を叩いてやった。
「痛いってば」
「冗談でも言っていいことと悪いことがあるだろ」
「本心なんだけどね。まあ惚れることはないけどさ」
「どういうこっちゃ」
「あたしが恋をしてなかったら今ので惚れてたかもってシチュだった」
「それはいくらなんでもチョロすぎでしょ」
「女子は基本的にチョロいと思うけどね。褒められたら喜ぶし、おだてられたら調子に乗るし、優しくされたらキュンとすんの」
感情の流れ自体は論理的だが、言葉にするとバカっぽく感じるな。
「あー、落ち着く」
「さようか」
「……うん。こりゃあ紀紗もみっきーも大変だなぁ」
1分くらいそうして髪を撫でてやった。けどこれをいつまでも続けるのは合理的じゃない。パーティーの準備に費やせる時間は限られてる訳で。
「それで料理ってどうするんです?」
返事がない。ただの屍になっちゃったか? っておい。寝息を立ててるよ。
まじか。えっ? これ動いていいもの? いけないもの? 座った状態から押し倒されたからちょっと苦しくもあるんだけど。
「……は? なにしてんの?」
最悪だわ。どうしようか迷ってたら優姫さんが目を覚ましてしまったわ。
「……だから言ったじゃん。男子の部屋に軽々しく入るなって」
俺の正論に、優姫は黙ってスマホのカメラを向けてきた。
「おい待てやめろ」
「あたしとあんたで何が起こるって言うんよって言ってたのに」
パシャっと無慈悲に撮影されてしまった。
「ふぁ。眠い。もっかい寝よ」
「おいおい。寝るならせめてこの漬物石をどかしてからにしてくれ」
「おやすみー」
「優姫さーん!」
それから宿理先輩は1時間近く起きなかった。
そして俺は心に決めた。
部屋のドアに鍵を付けよう。そのためにリフィマに通い詰めよう。
未来の安寧を原動力に、粉骨砕身の思いで頑張ることにした。
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