8/7 Sun. 寂寥的七夕祭り――後編

 イートインコーナーを使う時にいつも思うけど、軽減税率って鬱陶しいよな。イートインをご利用の方はレジ清算の時にお申し付けくださいって書いてあるから店員に申告するのに「あー、いっすよ」って返されることがあるんだよ。


 法律上、テイクアウトする予定だったけど、店を出る瞬間にやっぱ食べてこって思っても追加の2%を払う必要はない。税率が決まるのはあくまで清算時で、後のことは知ったこっちゃないって話だ。つまりはザル。


 けどなぁ。なんか悪いことをしてる気分になるんだよな。脱税してるような、ね。


「夜に食べるドーナツは最高だね。背徳感というスパイスがよく効いてる」


 2人揃ってドーナツとパックのミルクティーを買った。俺の金で。


 だから俺は税について考え、上条先輩は炭水化物やら糖質やらに思いを馳せてる。自ら支払いを請け負ったから文句はないけどね。なんか温度差がね。


「先輩。さっきの5つの可能性ってなんなんですか?」


「喧しいな。私は今ドーナツを食べてるんだ。それくらい自分で考えなさい」


 まじか。金を払った対価がこれかよ。


「そもそもだ。こんなの推論を並べずとも優姫に聞けば一発じゃないか」


 元も子もないな。合理的かつ効率的だけどさ。


「論理的思考の精度を上げるために解答以外の可能性も知っときたいんですよ」


「えー?」


「俺のドーナツをあげますから」


「さすがの私も夜にドーナツ2個は躊躇うよ」


 ダメか。


「まあいいか。食べよ」


「……躊躇の時間が短すぎませんか」


「決断の早さは私の売りの1つだと思っている」


 先輩は俺の前にあるドーナツを奪っていって、


「圭介に告白して玉砕した女子が失恋仲間を増やすためだよ」


 あー、6月の半ばくらいに内炭さんが言ってたやつのパターンか。


『油野くんにふられたのは自分が釣り合わないせいじゃない。油野くんが女子に興味がないせいだ。って言い訳で自尊心を保つためよ』


 玉砕する女子が増えれば増えるほどこの説の信憑性は上がる。なるほどな。天野さんみたいなタイプなら普通にありそうな気がしてきた。


「他には?」


「弱ってる女子は口説きやすい。優姫に気がある男子の策略」


 小学生でそんな考えを持ってるやつがいるのは嫌だなぁ。


「弱ってる男子も口説きやすい。きみに気がある女子の策略」


 まじかよ。


「そういやいたわ。私が優姫ちゃんの代わりになるよって言ってきたやつ」


「お? 当たりを引いた?」


「顔も名前も憶えてないですけど」


「……碓氷少年、そういうとこあるよね」


「まあ優姫のことでいっぱいいっぱいだったってのもありますし、お前なんかが優姫の代わりになれる訳ねえだろボケって思ったんじゃないかと」


「気持ちは分からないでもないね」


「てか小学校の友達を2人しか憶えてない先輩に言われたくないです」


「碓氷くん、ひどーい」


 ずるくないかこれ。演技って分かってるのにこれ以上は何も言えんくなるじゃん。先輩は人の気も知らんで次のドーナツに手を出してるし。


「えっと。次の可能性は」


「もう知らなーい」


「そういうのいいんで」


「ドーナツ1個ときみの理外の発想3個なら不足のないトレードだと思うけど?」


 こっちが足りないくらいだね。けどそれを言うと請求されるから黙っとこう。


「残りは自分で考えなさい。聞いてばかりだと成長しないよ? ちなみに私はドーナツを食べてる時にまた思い付いた。やはり考え事をするなら糖分だね」


「ドーナツ買ってきます」


 いや、無理無理。本当に買って食べてみたけど何も思い浮かばないわ。


「ところで少年は美月との交際をまったく考慮してないのかい?」


「現実味がないので」


 アイドルの握手会に行くやつらの中でそれを少しでも真剣に考えてるやつなんかいるのかね。ガチ恋勢でも心の奥底ではあり得ないって思ってそうなもんだけど。


「その辺は冷めてるよね。いえーい! 金髪ロリ巨乳の彼女ができたぜぇ! 惚れた弱みにつけこんでエロいことしまくってやらぁ! ってならないのがすごいよ」


 凄いも何も普通はならんでしょ。


「浅井ならそうなってもおかしくないですけどね」


「男子ならそうなってもおかしくない、の間違いだね」


 主語がでかいわ。油野も久保田もそうはならんって断言できるぞ。


「高校生の恋愛なんて無責任にすればいいのに」


 同じ悪魔のくせにリフィスと逆のことを言いやがる。


「責任の取れない行動を取るのは合理的じゃないです」


「子供の恋愛事情に責任を求める方が合理的じゃない」


「論理や合理や倫理なしで交際してもお互いが傷つくだけですよ」


「交際に必要なのは理じゃない。情だ。きみは頭が固すぎる」


 カチンときた。


「近惚れの早飽って言葉もありますよね。そんなので本当に幸せになれるとでも?」


「合わせものは離れもの。会うは別れの初め。恋愛と破局は表裏一体だよ」


「そんなのは大昔に上手くやれなかったやつが言い訳で残した言葉でしょ」


「そいつは結構なことだね。愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。我々の代わりに失敗してくれた先人達に感謝して賢く生きようじゃないか」


 ああ言えばこう言うな、ほんとに。


「……てかなんでにやにやしてんですか」


「いやあ、楽しくてね」


 上条先輩はご機嫌だ。イライラさせてくれるね。


「いやはや、さっきは固いと言ったが、ここまで来ると重いね」


 先輩は頬杖をつき、それこそ愚者を見るかのような目で言ってくる。


「きみは交際と婚姻を一緒くたにしている節があるよね」


「そんな」


「つもりはないって? 少年も飽きないね」


 確かに。これは本当に直さないといかんな。


「きっと幼少期に優姫と仮想夫婦を何年も続けていたせいだね。きみの中で交際と結婚はとても近しいものになっているんだと思う。きみは交際をしたら結婚を視野に入れないといけないと思っているんじゃないかな?」


 理屈を添えられるときついな。そうかもって思わされる。


「……それはダメなことなんですか?」


「ダメじゃないよ。ただ、それは独りよがりな考えかもしれないって思考も必要だと思うね。だって相手も同じように考えているかは分からないじゃないか。恋に恋しているだけとか、ママゴトの延長に憧れているとか。そんなのも含めて恋愛だよ。全員が全員、碓氷少年のように将来を含めた真面目な恋愛をするわけじゃないんだ」


 それは一言で言えば、視野が狭いってことだ。ウィロビーさん的にはこれも『できる者の傲慢』になるのかね。なんでもっと将来のことを考えて付き合わないんだって思っちゃうもんね。これは一考に値するなぁ。


「いっそのこと美月と付き合ってみたらどうだい?」


「好きじゃないのにですか?」


「好きって言われたらー、好きになっちゃうよねー」


「……本当にそうなればいいですけど。ならなかったら川辺さんに申し訳ないです」


「それはチャンスを与えられながらものにできなかった美月の責任だ。きみは悪くない。さっさと吹っ切って次の女にGOだ」


「さすがにそれはねえわ。てか川辺さんってどっちかって言うと俺と同じように交際=結婚みたいな考えを持ってると思うんですけど」


「そうなのかい?」


「だって川辺ママって川辺さんの年にはもう子供を産んでたんですよ?」


「……あぁ。それだとそうかもね。なら仕方ない。結婚を前提に付き合いなさい」


「なら少なくとも倫理は必要になるんじゃないですかね」


「んー、じゃあ論理的にいこうか。女性の社会進出もあってか現代において最も婚姻が結ばれるのは、社会人になってから成立したカップルだ。全体のおよそ7割がそうだと言われる」


「逆に3割程度は学生時代のカップルがそのまま結婚してるってことですよね」


「その約2割は大学生や専門学生だけどね。高校生から付き合ってそのまま結婚というのは約1割。中学生からという場合だと約2%だ」


「なんでそんなに詳しいんですか」


「いやあ、世の中の創作物って幼馴染が当て馬みたいにされることが多いでしょ? それで幼馴染が結婚できる確率というのを調べたことがあるんだよ」


「それは興味深いですね。正直、気になります。どうだったんですか?」


「あのね。中学カップルのゴール率が2%しかないんだよ? 聞かない方がいいね」


 そう言われると余計に気になるじゃんかよう。


「でも逆を言えば拓也と美奈は98%の確率で破局してもおかしくないってことだからね。私はそれを楽しみにして生きていこうってポジティブになれたよ!」


 この人の性格が100%の確率で歪み切ってる件について。


「とにかくだ。私が言いたいのは、その2%とか10%程度のことを気にして恋愛をするのは正しいことかもしれないけど、そこから外れても普通と呼ばれる範疇に収まるということだよ。だからもっと気楽に恋愛を楽しめばいいと思う」


「……気楽」


「それって無責任じゃねえかなぁ。って顔だね」


「実際にそう思ってましたからね」


「なら問うけど。美月はきみに責任を求めると思うかい?」


「……それはないかなって思いますね」


「ならいいじゃないか。これも経験の内だよ」


「んー、けど俺はまだ優姫のことが好きなんですよね」


 好きな女子がいるのに他の女子と付き合うって基本的にダメだろ。


「ああ、それもういいから」


「なんですかそれ」


「お手を拝借」


 言われるがままに右手を差し出した。先輩はその手首をわざわざ甲の方から掴み、俺の方に身を寄せるのと同時に、自分の胸に押し付けやがった。


「うわっ!」


 全力で手を振り解いた。心臓がこれ以上ないくらいにバクバク鳴ってる。


「どきどきしてるかい?」


「そんなん当たり前だろ!」


 手に残ってる。先輩の胸の感触が。


「要するに、きみは私相手ですらどきどきする。当然、美月相手にもどきどきする。優姫にもどきどきするし、紀紗にもどきどきするかもしれない。ならばきみは何をもってして優姫だけを特別視しているんだい? 論理的に言ってごらんよ」


「論理的って。恋は理屈じゃないって思ってるんですけど」


「否定はしないけどね。それでもきみの優姫ラブって考えにはいささか懐疑的な部分もあるんだよ。ぶっちゃけると少年は優姫を言い訳にしているだけじゃないかな?」


「言い訳って……」


「言い訳は言い訳だよ。きみは優姫との一件で女子と深く関わることを恐れている。だから優姫のことが好きってことにして女子との間に壁を作っている。そうすれば仮に言い寄られたとしても大手を振って相手を撃退することができるからね。自分は悪くない。だって好きな人がいるんだからって主張してさ」


 そんなつもりはない。そう言いそうになって飲み込んだ。


 その口癖をやめようとしたからじゃない。そうかもしれないって思ったからだ。


「男は度胸、女は愛嬌と言うけれど、それでいくと少年は卑怯だね」


 ぐうの音も出ない。出すとしたら皮肉だ。


「それなら先輩は説教ですかね」


「言うじゃないか」


 上条先輩は満足げに微笑み、


「きみが優姫バリアを解除しない限り、異性は女友達としてしかきみに接することはできない。恋する少女にそれは辛辣すぎると思わないかい?」


 否定はしないけど。


「遠くて近きは男女の仲。憧れの存在との恋物語も悪くないと思うけどね」


「清少納言。枕草子でしたっけ」


「及ばぬ鯉の滝登りって言葉もあるけどね」


「……背中を押そうとしてるけどそれは崖の1歩手前とかってケースですかこれ」


「押し付けた縁は続かぬってのも真実味があるよね」


「もうこれ千尋の谷に突き落とす気満々ですよね」


「何を仰る。私の誕生日は9月1日だ。乙女座のか弱い乙女なんだよ?」


「9月1日って13星座だと獅子座ですよね。このタイミングで急に星座の話をしてきたってことはこういう裏があってのことなのでは?」


「良い思考力だ。これだからきみとの会話は好きなんだよ」

 

「こっちは綱渡りをずっとやってる気分ですけど」


「その背中を押して奈落にいざなうのが私の役目なわけだね」


「やめろや」


 けど気持ちの整理はそこそこ付いた気がする。とはいえ「川辺さんって俺のことが好きだよね? 付き合おうか」なんて言える訳がないから基本的には待つ戦法だ。


 何かが起こるまでに優姫のことを吹っ切れるといいんだけどなぁ。


「さて、碓氷少年に助言を授けようか」


 先輩が出し抜けにそんなことを言ってきた。


「恋に焦がれて鳴く蝉よりも、鳴かぬ蛍が身を焦がす」


「なんで急に都都逸」


「恋しい恋しいと訴えてくる者より黙って見つめている者の方が強い気持ちを持っているかもしれない。そのことは肝に銘じておきなさい」


 態度に出してくる川辺さんと無感情に見える紀紗ちゃんのことを言ってんのかな。


「声はせで、身をのみ焦がす、蛍こそ、いふよりまさる、思ひなるらめ。源氏物語にも似たような歌がありますよね」


「忍ぶ恋の歌はそこら中にあるからね。それこそ、忍ぶれど、とか」


「蛍の話でいくなら、かくとだに、がそれっぽいですかね」


「確かにね。ふむ。随分と詳しいようだけど少年は文系に進むのかい?」


「まだ決めてないです。そういや左脳タイプなのに先輩は理系じゃないですよね」


「理系はおおよそ答えが1つになるからね。論理の世界だから」


 先輩は蠱惑的な笑みを向けてくる。


「文系の答えは十人十色だ。自分の思い付かない答えを知れるというのはなかなかどうして楽しいものだよ」


「右脳全開の意味不明な回答にイラっとはしないんですか?」


「そうだね。では助言をもう1つ」


 大盤振る舞いだな。帰りにもう1個ドーナツを渡した方がいいかもしれない。


「智者は千慮に一失が有り、愚者も千慮に一得がある」


 天才でもたまに失敗するし、バカでもたまに名案を出す。そんな意味の言葉だ。


「我々みたいな左脳タイプはしばしば右脳タイプを見下してしまうけど、その一得を含めて我々に思い付けないアイディアをしばしば生み出すのもまた事実だ。与えられた数字を捏ねくって解答を出すのと、0から新しい解答を出すのと。どちらの方が優れていると言えるのかな? 私はどちらも尊いと思うね」


 なるほどね。飛白でもたまに良いことを言う。これも名言に加えて欲しい。


「私はどっちもできるから最高に尊い存在だけどね!」


 そしてこれだ。本当にこの人は。


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