8/6 Sat. 感情的七夕祭り――前編

 今日は岡崎市で花火大会があるから七夕祭りの客足が少しだけ減る。だからこの日こそが七夕祭りを歩き回るのに最適の日と言える。


 って玄人みたいなことを言ったのは宿理先輩だった。本日のメンバーはリフィマバイト同盟に優姫と紀紗ちゃんを追加した7人だ。


 身内の企画だとちょくちょくリーダーシップを求められる俺だが、今日は宿理先輩が音頭を取ってくれるらしい。正直、不安しかないね!


 けどこの中だと最年長だしさ。優姫をお姉ちゃんと呼ぶようになってしまった紀紗ちゃんに、姉の威厳ってやつを見せてやって欲しいとも思うんだ。


 という訳でグラサンやどりんを筆頭に7人でぞろぞろ行きますよっと。まずは、


「人が多い」


 みんな気付いてたのにあえて黙ってたことを紀紗ちゃんが言っちゃった。


 そうなんだ。今日が七夕祭りを歩き回るのに最適な日。それを誰もが理解してるせいで昨日よりも人が多いんだ。昼時は混むからちょっと早くファミレスに行こうかって決めたら昼前には満席になってるあれだよ。


 開催エリアの一番端っこの南安城駅前ですら人がうじゃうじゃいる。あの中に飛び込んでいくのは少し覚悟がいるね。


 早くも妹が姉に不信感を抱いてしまった。困ったもんだね。ここで俺が助け舟を出しても姉の尊厳を貶めるだけだしなぁ。


「そう? お祭りだかんね。こんなもんっしょ」


 開き直っちゃったよ。お姉ちゃん、初手から雑にいっちゃったよ。


 顔を見なくても紀紗ちゃんの機嫌が悪くなったのが分かった。分かるよ。右と左で対立するのは脳も翼も同じなんだよね。


「迷子になるかもだから手を繋いどく?」


 優姫が手を差し出したら紀紗ちゃんは無言で握った。


「私達もしとく?」


 内炭さんから川辺さんへのお問い合わせ。


「そうしとこっか」


 川辺さんの視線が一瞬だけ俺の右手に当たった気がするが、本当に一瞬だったから勘違いかもね。


 今日の内炭さんと川辺さんは手首に黄色のシュシュを付けてる。誕生日に渡してたやつだね。仲睦まじいことで何より。


 って、あれ? これって自由にペアを作ってねのやつじゃね? しかも人数が奇数だから1人余っちゃうやつじゃね?


 俺に残ってる選択肢は宿理先輩と久保田。こんなん実質的に1択だわ。


「碓氷氏、我々も」


 久保田が照れくさそうに手を寄越してきた。やめろよ。こっちも照れちゃうだろ。


 これが最善。グラサンモードとはいえ宿理先輩と手を繋ぐのはリスキーすぎる。


「ちょいとお待ちよ!」


 俺らの手が重なる瞬間、それを妨害してくる全国レベルの美少女がいた。


「おかしいっしょ。なんであたしだけ除け者なんよ」


 通常なら取り合いになるはずなのに、いつもと逆だからお気に召さないらしい。


「どっちでもいいからあたしを選びんさい」


 おいおい、この人、俺らの友情を破壊する気かよ。男子の友情に一家言を持つ内炭さんが黙っちゃいねえぞ。この組み合わせじゃ何も言ってくれそうにないけどさ。


 仕方ないな。俺と久保田は見つめ合い、同時に頷く。


「ごめんなさい」


「勘弁してください」


「なんであたしがふられにゃならんのさ!」


 いや、だって早い者勝ちみたいなとこあったじゃん。俺らよかそこの百合を手折る方が色々と平和だろ。


「宿理先輩の隣にはもっと相応しい男がいるじゃないですか。あいつを差し置いて俺らが宿理先輩の手を取るなんてできませんよ」


 リフィスシールド展開。これで俺らの友情は保たれる。天パも満足そうに頷いておるわ。


「あたしは気にしないけど?」


 まるで意味を成さなかった。そうだよね。そういうの気にする人ならとっくに付き合いがなくなってるよね。


「じゃあサラでいいや」


 おいこら話を進めんなよ。今回は久保田にええんやでと思わせてなるものか。


「それだと久保田が除け者になるじゃないですか」


「ダメなん?」


 まじか。自分さえ良ければいいのか、この人。


「クボ、ちょっと手を貸してみ?」


「すみません。許してください」


「なんで謝るん。別になんもしないってば」


 謝りたくなるくらいあんたが色々としてきたからだよ。


 久保田がおそるおそると言った感じで、手錠を求めるかのように両手をくっつけて差し出した。


 宿理先輩はその片方の手を掴み上げ、もう片方の手で握らせる。


「クボはこれでいいっしょ」


 まじかよ。どんだけ雑なんだよ。迷子対策の握手なのに右手と左手で握手させるとか。自分のことは自分でどうにかしろってことかよ。


 ああ、久保田がええんやでって顔をしちゃった。すまねえな。俺に力がないばかりに。ごますりしてるサラリーマンみたいなポーズを取らせちゃって。


「ほら」


 宿理先輩が笑顔で手を差し出してくる。これは覚悟を決めるしかないか。


「だめ」


 制止を入れたのは紀紗ちゃんだった。露骨に不愉快そうな表情をしてる。


「宿理。いい加減にして」


「いい加減って何が?」


 まあいつも通りの傍若無人だからな。本人に悪気はないと思うよ。


「おかみさんは断った。無理強いはだめ」


「けどもうサラのしか手が余ってないじゃん」


 久保田のがあるでしょうよ。てか自分が1人握手をすればいいのでは。


「だいじょうぶ」


 紀紗ちゃんが優姫の手を放し、


「わたしがおかみさんと手を繋ぐ」


 空気がざわついた。


「あたしはそれでいいけど、紀紗とサラはいいん?」


「いいに決まってる。わたし、元カノだもん」


「は?」


 そういや、この中で宿理先輩だけそのことを知らんかったな。川辺さんと優姫は紀紗ちゃんから直で聞いたし、内炭さんは海の日の時の相談で説明した。久保田もLINEで雑に教えたけど、宿理先輩と油野には言いづらかったんだ。


「あんたら付き合ってたん? いつ頃?」


「先月ですね。紀紗ちゃんに言い寄ってくる男を諦めさせるために協力しました」


「あー、そういうやつね」


 紀紗ちゃんの眉がぴくりと跳ねた。頼むから要らんことを言わんでくれんかな。


「ちょっと待って」


 今度は優姫だ。宿理先輩と手を繋ぐのに抵抗でもあんのかね。


「あたしがカドくんと手を繋ぐ」


 なんでやねん。ここぞとばかりに女のプライドを出してくんのやめろや。


「あたしは幼馴染みだから手はよく繋いでたし、昨日もそうだったし、カドくんと手を繋ぐのはあたしが適任だと思う」


 そもそも手を繋ぐシステムを提案したのはお前だろ。責任を取って紀紗ちゃんの手を握ってろ。もう俺が犠牲になるからさ。


「昨日もそうだったなら今日は譲って」


「昨日もそうだったから今日もそうなの」


「お姉ちゃんのいじわる」


「紀紗にお姉ちゃんって言われた!」


 あんたじゃねーわ。


「宿理じゃない」


「あんたのお姉ちゃんはあたしっしょ!?」


 なんかカオスになってきたな。


 溜め息がてらに首を振ったら苦笑してる川辺さんと目が合った。って思ったら逸らされた。ちょっとショック。


 その隣の内炭さんは思案顔だ。久保田はまだ右手と左手で握手してる。


 まだ優姫と紀紗ちゃんが不毛な言い争いをしてるが、そろそろ手を繋ぐ必要性があるのかって切り込もうかね。その方が合理的だし。


「あの」


 しかし内炭さんの方が一歩早かった。


「私、宿理先輩のことが大好きなんですけど」


 唐突な告白。俺にはギャグにしか聞こえなかったが、言われた当人は大喜びだ。


「おお! そんじゃあ、すみちゃんと手を繋ごっかな!」


 あぁ。なるほど。そうきたか。このための思案顔か。


「じゃあそこの2人は両成敗っつーことで。サラはみっきーとペアね」


 内炭さんのくせにやるじゃねえか。告白1つで状況を一変させるとはね。


 こうなったら仕方ない。優姫と紀紗ちゃんが抗議する前に、


「川辺さん、いい?」


 驚き戸惑ってる女神に手を差し出す。


「……いいけど」


 表情は硬い。それと打って変わって手はとても柔らかかった。


「そんじゃあいこっか!」


 リーダーに従って商店街のアーケードを歩いていく。宿理先輩と内炭さんは笑顔で何かを語り合ってるみたいだが、俺と川辺さんは無言のまま、優姫と紀紗ちゃんはまだ言い争ってる。久保田は屋台へと思いを馳せてるようだ。


「碓氷くんってさ」


 唐突に呼ばれたせいで心臓が跳ねた。手汗へのクレームだったら凹むね。


「紀紗ちゃんの元カレだよね」


 違ったけど、これはこれで嫌な質問だなぁ。


「形式上はね」


「じゃあ美月も男子に言い寄られたら形式上で付き合ってくれるの?」


 気が滅入るね。けどまあ答えは1つしかない。


「付き合わない」


「……どうして?」


 後悔すると思うから。お互いに。


「紀紗ちゃんのやつは言ってしまえば反則技だったからね。現に優姫も形式上での交際を求めてきたけど断ったよ」


「……そっかぁ」


「フリでいいならするけどね」


 ずっと前を向いてた川辺さんがこっちを見てきた。


「彼氏のフリをしてくれるってこと?」


「だね。そのくらいならいつでもどうぞ」


「そっか」


 これぐらいなら問題ないだろ。友達だからこそできる行動でもあるし。


「じゃあ今からしよう」


 は?


「今日の帰りまで。碓氷くんと美月は彼氏と彼女ね」


 真っ赤な顔で何を言っちゃってんの、この子。


「いや、条件が違うよね」


「条件?」


「男子に言い寄られてたらって条件でしょ」


「そのくらいならいつでもどうぞってゆった」


 ゆった。って。やめてよ。可愛いと思っちゃうだろ。


「男子に言い寄られたらいつでもどうぞって意味なんだけど」


「美月、浅井くんに言い寄られてるよ?」


 あのクソボケカスぅ。


「あんなのどうにでもなるから任せといて」


「碓氷くん」


「ん?」


「男子に言い寄られたらいつでもどうぞって言ったよ?」


 困ったね。これ、どっちかって言えば川辺さんの方が論理的に正しいんだよな。


 どうしよう。こんなことしてもお互いが傷付くだけだと思うんだけどなぁ。


「だめ?」


 追い打ちの上目遣い。潤む瞳に赤い頬。川辺さんもこんな顔をするんだな。


 こんな顔をさせてるんだよな。申し訳ないって思うのも失礼だと思うし。かと言って応じる心の余裕もない。いつもながら判断に迷う。


 思案に暮れながら竹飾りを眺めてみる。その間に川辺さんは俺の手を放して財布を取り出した。


「これ。使ってもいい?」


『サラ用命令券――かりん』


 そう来るか。なら俺の行動も強制的に決まる。


「帰るまでだからね」


「っ! うんっ!」


 川辺さんがチケットを渡してくる。


「それはいいや」


「え?」


「せっかくの七夕祭りだしさ。命令されて彼氏になったら今日を純粋に楽しめるか分からなくなるし、それはお互いにとってよくないと思うんだよね」


「……うん、ごめん」


 申し訳なさそうにチケットをしまう。


「だから」


 気持ちの整理を付ける良いきっかけになるかもしれない。


 俺は自ら川辺さんの手を取った。


「今日は俺の意志で川辺さんの彼氏になるよ」


 見てられない。そのくらい赤い。


「……嬉しい」


「けどフリだからね? あくまでフリ」


 チキった。これ以上は踏み込むのが恐かった。


「うん。分かってる」


「可能なら他の連中に気付かれないようにしようか」


「っ! 2人だけの秘密ってこと?」


「そうなるね」


 嬉しそうにされると申し訳ない気持ちになる。


 けどこれはダメだな。合理的じゃない。せっかくの予行演習だ。いずれ訪れるかもしれない本番のために真剣に臨むべきだよな。


 つってもなぁ。そもそもがさ。


「彼氏のフリって何をしたらいいんだろね」


「紀紗ちゃんのときはどうしてたの?」


「参考にならんと思うけど」


 だって何もしてないもんね?


「その、今カノとして、元カノとの話は知っときたいかなって」


 そんな照れられるとこっちも照れちゃうっての。


「じゃあそのまま言うけど」


「う、うん」


「わたし、今からワールドに行くの。ちょっと付き合って欲しい」


「紀紗ちゃんがそう言ったの?」


「そう。それで、いいよって言ったら付き合ってることになってた」


「……え?」


「ワールドに行くのに付き合って欲しいって意味じゃなかったって」


「……え?」


 あれ。伝わらない? いや、それだけアホらしいってことだよねこれ。


「それで映画館まで付いて行ったらイケメンがいて、彼氏ですって紹介されて。相手の男と同じくらい俺もびびったってお話」


「…………想像以上の反則技だったよ」


 ですよね!


「だからこれを基準に付き合う付き合わないって話をするのはちょっとね」


「あー、うん。じゃあどうしよっか」


 一応は考えもある。あるけど、怒らないかな。今までの川辺さんなら大丈夫だったと思うけど、今の川辺さんだと傷つくかもしれないんだよな。


「悩まなくてもいいよ?」


 川辺さんが微笑んでる。顔に出たのかね。


「じゃあ。ロールプレイって感じでもいい?」


「いいよ? だってフリだし。そんなことで悩んでたの?」


「そりゃ悩むよ。こんなの初めての経験だし。女心も分からんし」


 手汗の量で分かるでしょ。緊張してんのとかさ。


「なんかヘンだなぁ」


「何がですか」


「んー? 碓氷くんが悩んでくれてるのが嬉しいって思っちゃって」


「それは性格が悪いね。水谷さんに似たんじゃないの」


「褒め言葉として受け取っとくね。あとちーちゃんにチクるからね」


「それはまじで勘弁してください」


「あはは」


「あははじゃねーし」


 弱みを握られてしまったわ。それはそうと、


「実は俺、心の中で川辺さんのことをみっきーって呼ぶことがあるんだけど」


「え!? そうなの!?」


「8組男子の何人かがそう言ってたから真似してるだけなんだけどね」


 みっきー教徒であることは黙っておこう。さすがに引かれると思うし。


「それでロールプレイするに当たって呼び方を変えようかと思うんだけどね」


「は、はい」


 はい? うんっていつもは言うのに。まあいいか。


「苗字呼び捨て。名前呼び捨て。名前にさま付け。名前にちゃん付け。みっきー呼び。アレンジでつっきー呼び。どれがいい?」


「……さま付けはないかなぁ」


 美月さま! アリ寄りのアリじゃね。


 川辺さんは悩み、悩み、悩み、また財布を出そうとした。なんでやねん。


「なにしてんの」


「え? 一通り呼んでみて貰おうかなって。ダメかな?」


「そんなんチケットいらんよ」


 てか宿理先輩はどこを目指して歩いてんだろな。そろそろ久保田が満腹度0で瀕死になりそうなんだけど。


「川辺」


「う、うん。あっ、名前の呼び捨ては最後にして貰っていい?」


「なにゆえ」


「恥ずかしいからに決まってるじゃん!」


 なら呼び捨てを選択肢から外せばよくね? って男心は思うんですよ。言わんけどね。怒られそうだからね。


「美月さま」


「……なしって言ったじゃん」


「俺的にアリなんだよ、美月ちゃん」


「うっ! 不意打ちダメ!」


「こっちとしても一気に言わないと恥ずかしいんだよ、みっきー」


「それは慣れてるから大丈夫かも」


「そうなんだ、つっきー」


「……それは自分が呼ばれてる感覚がしないね」


 苦笑された。俺も苦笑した。そこで目が合った。


「美月」


「っ! だからっ!」


 殴られた。照れると暴力を振るうって時代は終わったはずなのに。


「……かどくんのばか」


 ああ、やばい。


 なるほどね。なんか胸の奥からぐわーって訳わからんもんが溢れてきて、体中を駆け巡るっていうか揺さぶってくっていうか。思わず殴るのが分かるわ。全身がむず痒い感じになるもん。なんか芝生の上をごろごろ転がりたくなるね。


 ふぅ。なんとか落ち着いた。これが2時間か3時間は続くってことだよな。


 やっぱやめていい? って言ったらまた殴られるのかな。


 いや、受け入れるしかないか。


 だってチケットを取り出す彼女の姿が思い浮かんじゃったからね。


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