8/5 Fri. 論理的七夕祭り――前編

 安城七夕祭りは7つの商店街をまるっと使った大規模なイベントだ。


 俺が本当に小さかった頃はその通りのほぼすべてが歩行者天国として扱われ、町中がお祭り騒ぎって感じだったが、反社会的勢力の排除を掲げまくった結果、的屋の大半がいなくなって屋台の総数が激減してしまい、今は1つか2つくらいの道でしか歩行者の蛮行は認められない形になってる。世知辛い世の中だね。


 それでも街を挙げてのイベントに変わりはない。そこら中に見当たる竹飾りを見るだけで祭りの雰囲気を味わえるし、スタンプラリーなどの企画もある。お祭りと言えば屋台って感じは否めんが、楽しみ方は人それぞれとも言える訳だ。


 南安城駅の前がもう七夕祭りの開催区域に入っているから、俺らにしてみれば近所のお祭りだ。行ける距離だから俺と優姫は歩いていくことにした。


 デートって訳じゃないから2人とも普段着だ。しかし真夏とはいえ19時ともなれば多少は薄暗く、なんかいい感じの雰囲気になってる気がしないでもない。


「2人で来るのって6年ぶりくらいかな?」


 肩を並べて歩く優姫とは手を繋いでる。その6年前にこいつが迷子になっちゃったからな。今はスマホもあるから問題ないけど、一応は対策をってことでね。


「そうだな。とりあえず何か食うか?」


 出店の飲食物ってアホかって思うくらい高いし、その割にクオリティが低いから中2からは買い控えてんだけど、リフィマでバイトをしてから飲食業の価格に対する意識が変わったんだよね。これくらいは取らないと割に合わんのだわ。確実に売り切れるって保証があるならもう少し安くしてもいいんだろけど。


「たこ焼き。600円かぁ」


 優姫さんが迷ってらっしゃる。あんま食べんと思うし、これくらいなら出してあげても構わんぜ? 彼氏ヅラして財布を出してやるぜ?


「モールの明太チーズが7個入りで550円なのに。こんなねぎも乗ってないやつ6個で600円って。どうせ個人店だから味も高が知れてるのに」


 俺の知ってる優姫なら「わーい! たこ焼きだー!」って飛びつくのに、今日のこいつはどうしちゃったんかね。


「金ならあるからそんなの気にしなくていいぞ」


「お金の話じゃなくてさ」


 優姫は俺の目を真っすぐに見て、


「あたしは論理の話をしてるの」


 まじかよ。右脳全振りのやつに左脳全振りの俺が論理で諭されちゃったよ。


「確かに。ショッピングモールのたこ焼き屋と比べて数が少ない。トッピングも少ない。味も落ちる。なのに高い。論理的に考えれば買う理由がないな」


「でしょ?」


「けどここはショッピングモールじゃない。そのたこ焼きを買うのに要する移動時間や労力を踏まえればこの差額は充分に埋まるだろ。むしろこっちの方が安い」


「むむ。そーゆー考え方もあるか」


 納得してくれた。リフィスが相手ならもう3往復はラリーするんだけどな。


「どうしたんだ? 急に論理とか言い出して」


「む。あたしが論理って言ったらおかしい?」


「おかしいに決まってんだろ」


「なんで!」


「なんでも何もこれまでの人生を振り返ってみろよ。お前は感情と感覚と直感のカンカンカンで動いてただろ。そんなやつが急に左脳を使う素振りを見せたらもはや10年後の優姫がタイムリープしてきたか、上条先輩が超高性能の変身セットを使って俺を騙そうとしてるかって二択を疑わざるを得んわ」


「……あたしの論理的思考ってそんな非科学的な可能性よりもおかしいの?」


「俺の知ってる優姫だとおかしいってだけ。だから、どうしたんだって聞いてんの」


 優姫が目を逸らした。これは怪しいなって思ったりはしない。


「バカにしないから言ってみ」


 俺の甘言で優姫はチラっとこっちを見て、やっぱり目を逸らした。


「飛白先輩に憧れて」


「そうだとは思ったけどな」


 よりにもよって悪魔崇拝か。業の深いことをしてくれるね。


「俺もそうだった。リフィスの独壇場を目の当たりにした時にあんなふうになりたいって思ったよ。そんでもって論理的思考を磨いてきて良かったとも思ってる」


「……そうなんだ」


「割と人の役に立ててるからな」


 優姫を泣かすきっかけにもなったけど。


「とりあえずたこ焼きでいいか?」


「んー、たこ焼きかぁ」


「まだ納得いかないのか」


「そうじゃなくて。たこ焼きなら部活でやったことあるでしょ?」


「あったな。てかそういやみやこさんがたこ焼き器を送ってくれてたわ」


「えっ、カドくんちでもたこ焼きができるってこと?」


「届いた次の日に久保田とタコパしたっきり使ってないけどな」


「……誘われてないんだけど」


 またそれかよ。過去の俺のことはもう許してやってくれよ。


「じゃあ次は誘うわ」


「ていうかもう帰ってたこ焼きする方がコスパよくない?」


「たこ焼き器1つで七夕祭りを否定するんじゃないよ。たこ焼き以外のものもあんだからそっちを食おう。ベビーカステラとか」


「カドくんが作った方が美味しそうじゃない?」


 あら嬉しい。じゃなくて。


「じゃあ焼きとうもろこしとか」


「女子は外であんなものにかぶりつきたくないものなの」


「ならりんご飴」


「あれあんまり好きじゃない」


「チョコバナナは?」


「バナナって気分じゃないんだよね」


 もう帰っちまうか。いやいや、違う。質問の角度を変えてみよう。


「優姫は何を食べたいんだ?」


 女子が好むのは合理的な意見じゃなくて、本人を尊重する意見なんだ。


「わたあめとか」


「じゃあ買うか」


「え、いいの? お腹が膨れないけど」


 ほらね。こいつはこいつで俺のことをちゃんと考えてくれてた。そのせいで自分からは言い出せなかっただけだ。


「祭りの空気をちょっと味わったら家に戻ってタコパしようぜ」


「っ! いいね!」


 という訳でソーダ味のわたあめを買った。人が多すぎてベンチはどこも埋まってたから腰の高さのレンガ製花壇にハンカチを敷いて座ることにする。


「これ美味いな」


「しゅわしゅわぱちぱちして楽しいね!」


 手慰み程度にするつもりだったのにパクパクいけちゃうわ。


「論理的思考はどのレベルまで行きたいんだ?」


「どのって?」


「リフィス、水谷さん、上条先輩は悪魔レベル。俺は上級レベル。内炭さんは中級レベル。油野が初級レベルくらいだな」


「できれば悪魔レベルかなぁ」


「ガチで5年はかかると思うぞ」


「けどスタートを切らないと一生かかっても無理でしょ?」


「だな。なら悪魔を目指して励むといい。見習いレベルの優姫さん」


「がんばる」


 優姫は意気込み、パク。パク。パクっていったとこで、


「どうがんばればいいの?」


「んー、論理的思考の基本は5W1Hと論理式の構築だな」


 首を傾げられた。


いつWhenどこでWhereだれがWhoなにをWhatなぜWhyどのようにHow。の頭文字で5W1H」


「ふむふむ」


「初めはこの中の『なぜ』を中心に考えるといい」


 また首を傾げられた。これは根気がいるな。


「んー、何か状況があるといいんだけどな」


「今の状況は?」


「と言うと?」


「上条先輩がここを通り掛かった時になんて思うのかなって」


「あぁ、あの人なら読み切るかもな。ちょっとやってみるか」


「うん!」


「さっきも言ったが初心者の基本は『なぜ』だ。それを軸に行くぞ。まず上条先輩は俺らが2人で七夕祭りに来ることを知ってる。だから『なぜここにいるか』とか『なぜ2人きりなのか』って疑問は省く」


「おっけー」


「じゃあ『なぜわたあめを食べてるか』にするか。上条先輩は俺らの食の好みを知らないから当たりを付けるしかない。本人が言うには疑問を浮かべたと同時に3個。遅れて2個。結論を出すまでに10個の仮定とか仮説みたいなのを作るらしい」


「こうかもって予想?」


「そうだ。その中で最もそぐわない理由から順々に消去法で排除していって、残った仮定を自分の中の答えにするらしい。例えば、七夕祭りの醍醐味の1つは屋台での買い食いだ。となると普通は腹を空かしてやってくる。なのに碓氷はわたあめを買ってる。なぜ? ってなる」


 あれ。黙っちゃったな。


「……もう分かんないんだけど」


 説明の仕方が悪かったかもしれんね。水谷さんとリフィスほどじゃないにしても俺も話の順序を守らないことが多々あるしなぁ。


「どの辺が?」


「七夕祭りの醍醐味の1つは屋台での買い食いって考えがあたしだと出てこない」


「ふむ。なら別の『なぜ』だな。なぜ七夕祭りにはこんなに屋台が出るんだ?」


「儲かるから?」


「なぜ儲かるんだ?」


「高い値段にしてもいっぱい売れるから」


「なぜ高い値段にしてもいっぱい売れるんだ?」


「お祭りの雰囲気に当てられるとか。良い匂いがするとか。みんな食べてるとか」


「そのどれも正解だと思う。要するに、みんな屋台での買い食いは当然だと思ってる訳だ。言い換えれば常識だな。それは醍醐味と言ってもいいんじゃないか?」


「そうかも!」


「こうして『なぜ』を繰り返してくことで解答を模索するのも基本の1つだ。今のはよくできてたと思うぞ」


「おー、なんか楽しくなってきたかも!」


「じゃあ戻るぞ。屋台での買い食いが醍醐味だから腹を減らしてくるはず。なぜ?」


「お腹が空いてないと屋台を楽しめないから?」


「正解。だから俺は腹を減らしてる。なのに腹に溜まるものを食べてない。なぜ?」


「えっと。特に食べたいと思うものが売られてないから。あたしと食べたいものが一致しないから。あたしがわたあめを食べたいって言ったから?」


 解答を知ってるせいで思考がそっちに引っ張られちゃってんな。仕方ない。


「金がないから。財布を忘れたから。ダイエットしてるから。実はメシを食ってきたから。三度のメシよりわたあめが好きだから。去年の祭りで食中毒になったから。わたあめの前にたこ焼きとイカ焼きとフランクフルトを食ってるから」


「おお! いっぱい出てくるね!」


「これで10個な。この中から可能性の低いものを順番に消してく」


「じゃあダイエット。カドくんは痩せてるからその可能性は低い」


 俺は頷いてわたあめを食べる。


「お金がない。お金がなかったらそもそもお祭りに来ないよね。財布を忘れた。家が近いから取りに戻ればいいだけ。食中毒。去年にそんなことがあったらニュースになってるはずだし、今年は出店なしとかになってそう」


「あれ? 思ったよりいけそうじゃね?」


 本音を言ったら優姫がめっちゃ笑顔になった。鼻息も荒くして話を続ける。


「実は食べてきた。そんなことしたらあたしに怒られる。三度のメシよりわたあめが好き。そんな珍しい趣向があるなら飛白先輩が知ってそうだし、それを利用してもうカドくんをいじめたことがありそう」


 いじめられてるって分かってんなら助けてくださいよ。


「残りは、特に食べたいものがない。あたしと意見が合わない。あたしがわたあめを食べたがった。もういっぱい食べたあとの4つかぁ。食べたいものがないから家で食べてきそうな気もするんだけど」


「そうだな。それも排除していい」


「あたしと意見が合わないっていうのとわたあめを食べたがったって話が繋がってるから1個にまとめたりしていいもの?」


「いいよ。意見が合わなかったからわたあめって提案を受け入れた。だな」


「じゃあこの2択だね。ここからはどうやって絞るの?」


「んー、少なくとも俺にはできんな」


「飛白先輩ならできそう?」


「何分か俺らを観察してたならできるかも」


「なんでだろ。ちょっと考えてみるね」


「その間に飲み物を買ってくるわ。何がいい?」


 尋ねておきながら俺は優姫の言うタイミングに合わせて、


「お茶」


 優姫がビクッとした。


「当てられた理由も『なぜ』で考えてみるといい」


「うー。頭がこんがらがりそう」


 優姫はこれでそこそこ見た目が良いし、なんと言っても巨乳だ。1人にすると浅井みたいなやつが集ってくるかもしれん。なるはやで戻らないとな。


 幸いにも30秒も歩いたら路地の入口辺りで自販機を見つけた。がま口から小銭を取り出し、投入口に押し込もうとしたとこで気付く。


 視界の端っこでダークブルーのバケットハットをかぶった子が蹲ってる。見たことのあるパーカーとミニリュックだし、あれって。


「紀紗ちゃん?」


 近くに寄って話し掛けてみた。


「おかみさん?」


 そのままの姿勢で見上げてくる。


「どうしたの? 具合が悪い?」


 首をふるふる振った。


「気分が悪い」


 言い直す必要がありますかね。って思ったけど、機嫌が悪いって意味かもな。


「お兄ちゃんがジュースを買ってあげようか」


「なおった」


 チョロすぎだろ。さっと立ち上がって自販機の前まで行く紀紗ちゃん。


「これがいい」


「あいよ」


 紀紗ちゃんにカルピスウォーターを渡し、緑茶も2本買う。


「おかみさん、デート?」


「いや、優姫と一緒に回ってるだけ」


「……それはデートでは」


「デートの定義が分からんね。何であれ俺と優姫にそのつもりはないよ」


 どうしたんだろ。紀紗ちゃんが俺を見上げてきてる。


「デートじゃないなら一緒にいていい?」


「俺はいいけど」


 優姫は怒るかもしれんな。2人でって言ったのは俺だし。


「とにかくこの環境で中学生を1人にするのも気が引けるから付いておいで」


「ありがと、おかみさん」


 やや時間を使っちゃったが、戻ってみたら優姫は無事だった。小難しい顔をしてるせいかもね。見方によっては機嫌が悪そうだし。


「おまたせ」


「おかー、って油野チャンじゃん」


 俺からお茶を受け取りながら小首を傾げる優姫。もういっちょいくか。


「なぜ俺と紀紗ちゃんは一緒に来た?」


「えぇ。まださっきのも分かってないのに」


「さっきの?」


 紀紗ちゃんが悩む優姫を無感情な瞳で見つめながら言った。


「カドくんを何分か見てたらお腹が空いてるか分かるんだって」


 優姫はわたあめを紀紗ちゃんに差し出し、紀紗ちゃんはそれをパクっとして、


「分かるよ」


「え!?」


「おかみさん、お腹すいてる」


「なんで!?」


「め」


 まじか。


「め?」


「おかみさん、さっきから食べ物を持ってる人とか、その出店をちらちら見てる。きっとお腹が空いてるから。無意識に目が向いちゃってる」


「あぁ! そっか! なぜカドくんが食べ物を見るか。お腹が空いてるから!」


 紀紗ちゃんが小首を傾げる。俺は拍手してやった。


「今のを1分以内でクリアできたら悪魔レベルだ」


「……やっぱり飛白先輩ってすごいんだなぁ」


 信奉するのは程々にね。ってことでどうするかな。紀紗ちゃんと一緒に現れても機嫌を悪くしなかったし、聞いてみるか。


「今から優姫とたこ焼きパーティーやるんだけど、紀紗ちゃんも来る?」


「いいの?」


 紀紗ちゃんは俺じゃなくて優姫を見て言った。


「いいよぅ。2人でパーティーっていうのも寂しいしさ。ただー、お姉ちゃんって呼んでくれると嬉しいな?」


「お姉ちゃん」


 簡単に言っちゃうのな。宿理先輩が泣くぞ。


「よしよし! いいよ! お姉ちゃんがたこ焼き作ってあげる!」


「やった」


 こっちはこっちでチョロい。どうやら未来の妹(仮)の方が一枚上手のようだね。


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