7/9 Sat. リフィスマーチ――前編

 ところで、ここは愛知県の安城市っていう田舎なんだが、我々高校生が名古屋に行く際に悩むことが1個ある。それがJR・名鉄問題だ。


 JR安城駅は安城市街にあるから東中出身の宿理先輩、久保田、俺はまだ近い方だが、南中出身の内炭さんや西中出身の川辺さんは自転車で30分以上は掛かる。逆に名鉄だと東中勢は南安城、南中勢は堀内公園、西中勢は碧海古井の駅が徒歩10分圏内にあるんだ。これだけの情報だと名鉄で行けばいいって思うよな。けどそうは問屋が卸さない。問屋は関係ないけどね。


 まず価格帯が全然違う。一番遠い堀内公園から名鉄名古屋まで行くと片道で680円もする。ちなみにJRだと安城から名古屋まで480円。ただし名鉄の駐輪場が無料なのに対してJRは100円取られる。それでもJRの方が安いよな。


 次に経路だ。どの中学出身でも名鉄西尾線から新安城で乗り換えをしないといけない。川辺さんみたいなタイプはここで躓く可能性が大と言える。


 最後に時間だな。名鉄は乗り換えのこともあって45分から50分も掛かるのに対してJRは一直線だから新快速で25分なんだよ。自転車+電車で費やす移動時間の合計がほぼ同じになるんだよな。


 JRだと自転車の移動時間が長いしなぁ。けど名鉄は高いもんなぁ。でも帰りが家から近いのは魅力的だし。そんな感じで迷うんだ。


 俺と久保田は趣味に金を投じたいからJRを推した。川辺さんと内炭さんはおしゃれして行きたいから自転車より徒歩が良いってことで名鉄を推した。男女で理由が違いすぎるから折衷案も用意できんし、もう名古屋集合でよくね? って思ったら、


「行きだけJRまで車を出して貰えばよくない?」


 宿理先輩が他力本願全開の名案を出してくれたからそうすることになった。川辺ママが川辺さんを連れて内炭さんを拾い、油野ママが宿理先輩を連れて久保田と俺を拾う流れだな。集合は9時50分にJR安城駅の改札前だ。


 東中勢は各自の家も近ければJR安城駅までも近いから10分以上も早く着いた。


 今日のやどりんスタイルは胸元を出しすぎな白のキャミソールにミニ丈のベージュパンツをハイウェストに着こなし、白シャツカーディガンを羽織ってる。足元はイエローのブーツサンダルで、明るめのブラウンのハンドバッグを持ってるが、何とも女子らしいというか、大人っぽいというか、ぶっちゃけエロい。しかも開いた胸元にハートを模ったシルバーのネックレスを垂らしてるから、違いますよ、俺はネックレスを見てるんですよって言い訳を用意してくれてるようでさらにエロく感じる。


 一方の俺はいつものトリコロールスタイルで、久保田に至っては上下ともに黒のジャージという蛮勇スタイル。女子とお出かけなのにって一応は苦言を呈したら、


「ぼくはこれでいいんだ。どうせおしゃれしても鏡を見たことないの? って草を生やされるだけだし。どうせ女子はぼくのことなんか見ないし。不愉快な思いをさせるのも悪いから道中は離れてスマホでもいじっとくよ」


 達観の極みだな。初恋相手のリフィスが女子だったら気合を入れてたかもだが。


「あたしは気にしないからクボの話し相手になったげる!」


 宿理先輩は久保田の背中をバシバシ叩いてるが、


「いえ、目立ちたくないんで半径5メートル以内に入らないでください」


「そんな悲しいこと言わないの! あたしとクボの仲っしょ!」


 久保田の気持ちが分かるわ。さっきから改札を通る人達が男女問わずで宿理先輩を見てるしな。けど久保田が距離を取っても宿理先輩が追いかけていくから余計に目立つってことで久保田は諦めの境地に立ってる形だ。


 助け舟を出すと宿理先輩がこっちに乗っかってくる可能性大だから悪いが生贄になって貰おう。久保田も達観の笑みに「ええんやで」って文字を浮かべてるし。


 せめて久保田の隣にいて心を支えよう。もうすぐこいつを敵視してる2人が来る訳だしな。だがその前に1個だけ懸念してた問題を解決しよう。


 俺は胸ポケに差してたサングラスを掴み上げ、


「宿理先輩。ここはまだいいけど名古屋に着くとさすがに気付かれると思うんで変装しといた方がよくないですか?」


「そこまでまだ有名じゃなくない? でもサラが言うならそうしよっかな」


 宿理先輩は躊躇なくサングラスを受け取って装着した。


「どうよ。かっこよく見えるかしらん?」


 あれ。なんかバカっぽく見える。小顔過ぎるせいで顔の面積に対するサングラスの比率が大きいからかな。少女漫画のヒロインくらい目が大きく感じる。


「お似合いです」


 久保田が差し障りのない回答をした。かっこよくも可愛くもないもんな。


 そんなこんなで5分もしたら残りの2人もやってくる。


 川辺さんは白のTシャツをレモンイエローのフレアスカートにインして、グレーのロングカーディガンを羽織ってる。足元はブラックのブーツサンダル。背中にもブラックのミニリュックを垂らした感じだ。今日は黒のカチューシャも着けてる。安定の可愛さだな。宿理先輩と合わせて周囲の目を引きそうだ。


 内炭さんに関しては昨日のうちにもう見てるが、白のTシャツをスモーキーピンクのワイドパンツにインして、ベージュのオーバージャケットを合わせた感じだ。足元はテスト勉強の時と同じで淡色のスポーツサンダル。背中に川辺さんと同じミニリュックを垂らしてる。こっちはピンクだけど。流行なのかね。


「おはよー」


「おはようございます」


 目の前にいるのに笑顔で手を振りながら挨拶してくれる川辺さん可愛い。内炭さんは普通だな。


「おはー」


 2人とも宿理先輩のサングラスに無反応だ。あれ、バカっぽくない?


「おはよっす。早速だが紹介するわ」


 上下が黒ジャージで小太りのメガネ。天然パーマがトレンドマークの我が親友。


「ぼくはクボ」


 久保田の雑な挨拶に元から敵愾心の強い川辺さんと内炭さんが顔をしかめた。どきどきするね。そしてやつはメガネのブリッジをクイっと持ち上げ、


「逆から読んでもボクはくぼ」


 川辺さんが目を見開いた。衝撃が走ったって感じだな。


「ほんとだ!」


「回文の自己紹介。レベルが高いわね」


 内炭さんが感心したように頷いてる。つかみはOKのようだ。


「とりま切符を買ってホームまで行くかね」


 新快速の発着までまだ時間はあるが、移動しない理由もない。サクサクっと行こうじゃないか。行動は合理的にね。


 一応は5人グループと言えるものの、やっぱこういう時は会話の内容的に性別で別れてしまう。スリーマンセルとツーマンセルの形で世間話をしながら電車を待ち、いざ乗車してみたら土曜の割にそこそこ空いてた。いや、逆なのか? 電車って平日と休日でどっちの方が利用客が多いのかねえ。10時の電車だと学生やサラリーマンも無縁の時間と言えるしな。ちょっと想像が付かん。


 座席は隅っこの方に3人分が空いてた。当然ながらレディファーストだ。宿理先輩が真ん中に、右に川辺さん、左に内炭さんが座る。こういうのに慣れてないせいか内炭さんがそわそわしてる。俺らに立たせるのが申し訳ないのかね。久保田の顔には相変わらず「ええんやで」と書いてあるが。


 目的地は栄だから金山から名城線で4駅か、名古屋から東山線で2駅になる。どっちでも料金は同じだ。これに関しては久保田が東山線を強く推した。理由はオタク特有のもので、好きな声優さんと同じ漢字だからっていうクソくだらないものだ。実は川辺さんもその声優さんのことが好きらしく、俺らは別にどうでも良かったから一旦は名古屋に行くことになった。トウヤマじゃなくてヒガシヤマ線だからね。


「あたし、リフィスマーチに行ったことあっから!」


 自信満々にそう言って先頭を歩いてた宿理先輩が、地下鉄の時点でホームを間違えやがったから配置換えが行われた。先頭は久保田で俺がそのアシストだ。


 難なく栄に到着し、セントラルパークの5B出口を探しながら地下迷宮を彷徨い、飯田街道を通ってなんやかんや歩いてたら目的地を見つけた。おいおい結構な行列ができてるよ。このクソ暑い中によくもまあ。20? いや30人くらいはいるか?


 リフィスマーチはイートインスペースをボックス席4つしか用意してない、テイクアウトを主軸にした洋菓子店だ。つまり回転率は高いはず。なのにこれだけ並んでるってことは流行ってんだな。聞いたこともなかったのに。


 あれ。ガラス張りだから店内の様子が見えるが、中でも列を作ってるよ。イートイン用とテイクアウト用なのか? 俺らはイートインでいいんだよな?


 なんて考えてたらスマホが鳴った。見たらリフィスからのLINEだった。


『試食の参加者は勝手口から入ってください。あと美月がいる理由を答えなさい』


 あっれー? リフィスさんったらおこなの? プークスクス。


『川辺さんがいると何か不都合なことでもあるんですかぁ? 初手で最高のシュークリームを作り上げればいいんじゃないですかぁ?』


 俺はにやにやしながら返信を送り、


『もしや美月の誕生日が近いことをご存じでないので?』


 真顔になった。ご存じでないよ。えっ、これってそういう?


『リフィスくんさ。社会人なんだからホウレンソウをしっかりしなさいよ!』


『逆ギレはやめてください。美月の誕生日は7月13日です。だからこそ予定を変更して抹茶のシュークリームを開発することにしたのですよ』


 ふむ。どうしようね、これ。


 リフィスのサプライズイベントをぶち壊しちゃったよ。俺のサプライズイタズラで台無しになっちゃったよ。俺の方がサプライズされちゃってるよ。


「どーしたの?」


 川辺さんが硬直してる俺の顔色を窺ってきた。ごめんなさい。


「リフィスが勝手口から入ってくれってさ」


「おー! VIPって感じすんね!」


 宿理先輩は嬉しそうだが、ただの身内の扱いだよ。


 とにかくリフィスのナビに従って建物の裏に回り込み、到着の知らせを送る前にコックコートを着たリフィスが勝手口のドアを開けてくれた。いつもは垂らしてる前髪を上方に撫で付けてる。一級品のイケメンはどんな髪型でもイケメンなんだねえ。


 内炭さんと久保田は初対面だ。内炭さんがあたふたとした瞬間に、


「暑いからとにかく中に」


 リフィスが出鼻をくじいてくれた。


 入ってすぐの場所は倉庫というよりは物置という感じで、段ボールがそこら中にある。煌びやかな店頭や店内と真逆の印象があり、演劇の舞台袖を覗いたような、どこか背徳感のようなものを覚えた。少しわくわくするね。それはみんなも同じようできょろきょろしまくりだ。宿理先輩や川辺さんに至っては口を開けて呆けてる。


「こっちだよ」


 扉は右手に1個。左手に2個。リフィスが示したのは左手の方だ。右の扉は冷蔵室かな。扉の作りがちょっと珍しい感じがするし。


 入ったのは2個あるうちの右側の扉だった。その先は通路になっていて、まっすぐの場所に暖簾が見える。そっちからクラシカルな音楽が聞こえてくるから店内に続いてるっぽいな。他に見当たるのは右手に2枚扉の大きなドア。ノブもハンドルも見えないから両手が塞がってる状態でもタックルやキックで開けられるようにしてるんかね。ってことは厨房の入口かな。左手にあるドアは3つとも普通の扉だ。リフィスはその中で手前から2番目のドアを開けた。


 その部屋は中央に真っ白なテーブルが置かれ、パイプ椅子が各辺に2脚ずつ添えてあった。卓上にはお菓子やポット、コーヒーカップなどが置かれてあるから店員の休憩スペースかな。隅っこの方にロッカーが1つだけ。左の壁に掛けられた48インチくらいの液晶モニターに店内の様子が映し出されてた。厨房、カウンター前、イートインスペース、店頭の4分割だ。


 職場ってこんな感じなんだなぁ。ちょっとだけ感動した。そこに入った俺らは再びきょろきょろしてしまう。


「今はまだ中の仕事をしないといけないのでしばらくここでお待ちください。何か食べたい品があれば厨房から盗んできますがどうします?」


 リフィスがテーブルの左端の方を指さした。そこにメニュー表が1冊だけ置いてある。笑顔のせいで冗談なのか本気なのか分からんね。まあ一応、


「濃厚ベイクドチーズケーキ」


「税別410円です」


 おい。


「盗品に金を払えと?」


「ケーキ代は結構ですが、私が店長に怒られますので。諸経費をいただけたらと」


「いやまあ普通に払うけどな。お前は店長に怒られた方がいいとも思うが」


「サラさーん、勘弁してくださいよー。あいつ怒ると話が長いんすよ」


「急に口調を崩すなよ。誰だか一瞬分からんくなるだろ」


「冗談です。ここで油を売ってる方が怒られそうなので遠慮なくどうぞ」


「じゃあモンブラン!」と宿理先輩。


「ホワイトスフレティラミス!」と川辺さん。


「ではスフレチーズケーキで」と久保田。


「イチゴショートでお願いします」と内炭さん。


「承知しました。では申し訳ありませんが少々お待ちを」


 リフィスは恭しく一礼すると部屋から出て行った。突っ立っててもしょうがないから俺はテーブルの奥側の左の椅子に座った。モニターを窓に見立てたら部室での自分の席だ。それを察したのか、内炭さんが俺の正面に座る。そうなると後は決まったようなもので、川辺さんが内炭さんの、久保田が俺の隣に来て、宿理先輩がお誕生日席だ。手持無沙汰だからなんとなく全員がモニターを見ることになる。


「あっ、高木さんがいる」


 川辺さんが指さす方を見てみると確かにクラスメイトの女子が店頭の行列に混じってた。宣伝の効果があったってことかな。元々の常連かもしれんけど。


「碓氷氏」


 呼ばれて久保田の方を見てみたら両肘を机の上に立て、両手を口元で組んでた。ゲンドウポーズってやつか。


「我々の計画もついにここまで来たな」


 急にどうした。


「彼らは気付いておらんのだ。我々にこうして監視されていることを。実に憐れだ」


 お前の頭が憐れだわ。急に中二になってんじゃねえぞ。


 俺は溜息を、吐けなかった。おいおい。宿理先輩と川辺さんが目を輝かせてるよ。


「その通りだよクボ1」


 なんだよクボ1って。ああ、川辺さんもゲンドウっちゃってるよ。


「ウルフ1もそう思うだろう?」


 思わねえよ。


「無論だ、ムーン1」


 けど川辺さんに振られたら乗るっきゃない。エチュードは得意技だ。


「くっくっくっ。よもや我らの日本支局が洋菓子店の中にあるとは思うまいて」


 勝手に組織を世界規模のものにしてやったわ。


「ふっふっふっ。彼らはまだ知らない。やがてここが日本の中心となることを」


 宿理先輩はサングラスのお陰で妙な迫力があるな。貸さなければ良かったわ。


 内炭さんだけがどうしていいか分からずにあたふたしてるが、とりあえず仲間と同じポーズを取ってくれた。顔が赤いね。大丈夫。恥ずかしいのは最初だけだよ。


「ところでウルフワンとかムーンワンってなんなん?」


 唐突に宿理先輩が素に戻った。俺と川辺さんは自然と目を合わせ、不意にパチっとウインクしてきた。どきっとしたね。危うく惚れるとこだったよ。2人の秘密ってことかな? はっ。承知しました。墓まで持っていきます。


「美月と碓氷くんのコードネームだよー」


 違うのかよ。だったらさっきのウインクは何を示唆してたんだよ。


「なにそれ。あたしも混ぜてよ」


「……ぼくのコードネームってクボ1なんですか?」


「コードネームって何の?」


 会話が渋滞を起こしちゃったな。まずは交通整理をして、っと考えたとこでノック音が響いた。全員が同時にポーズを解除する。見られて恥ずかしいからじゃない。秘密結社の秘密を守るためだ。その証拠に宿理先輩はサングラスを外し、川辺さんや久保田と一緒にどこかニヤついてる。内炭さんだけは普通に安堵してるが。


 これが5人分のケーキの宅配なら両手が塞がってるかもしれない。ノックをしたくらいだから不要かとも思ったが、一応は俺が席を立ってドアノブを捻りに行く。


「おっ。どうもどうも」


 内開きのドアを開いてみたらそこには両手でトレイを持った美人さんがいた。でかい。名札があったから目を向けた訳だが、別の意味でも目を向けたくなる。


 真っ白なコックコートに赤いスカーフを首に巻いた彼女が店長らしい。名札に『店長』って書いてあるから間違いない。これが実はミセナガさんで店長が別にいる可能性も一応は考えておくか。リフィスの牙城に来た以上、油断は禁物ってことで。


 艶やかな黒髪をヘアバックルで後頭部にまとめてるのが印象的だ。我が校だとここまでアクセサリー色の強いアイテムは使用禁止みたいだからな。新鮮だね。


糸魚川いといがわの代わりに持ってきたんですけど」


 誰それって一瞬だけ思ったが、リフィスしかいないよな。糸魚川って言うのか。


「ありがとうございます」


 5人分のケーキが載ったトレイをそのまま受け取る。


「わたし、リフィスマーチの店長をやってる赤居あかい弥生やよいです」


 弥生? と思わず聞き返しそうになった。まさかね。


 こっちも全員が起立して1人ずつが軽く自己紹介をした。女子の時だけ弥生さんは視線を心なしか鋭くしてた気がする。特に宿理先輩の時は顕著だった。やどりんを知ってる勢なのかねぇ。


「卓上の飲み物は好きにして結構です。それではごゆっくり」


 公私混同をしないタイプらしく、弥生さんは宿理先輩に声を掛けずに立ち去った。


 思うところは多々あるが、まずはこのご馳走をいただきましょうかね。


 

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