7/2 Sat. テスト勉強――前編

 眠い。朝4時までソシャゲをやってたせいで8時起きでもつらい。なんでスキップ機能も自動周回機能もねえんだよ。だからマクロを使うやつが後をたたないんだよ。運営も開発もエアプ過ぎんだろ。


 そろそろ潮時かね。そんなことを考えながら洗面所に行き、けど年末の福袋に課金しちゃったしなあ、と洗顔しながら悩む。つっても五千円だから約半年の日割で、えーっと、27円強か? そんくらいならもう余裕で償却してるか。って脳の準備運動をしつつの歯磨き。寝癖でぼさぼさの髪はそのままだ。今日は土曜日だしな。


 共働きの我が家では土曜でも両親は早くから外出してることが多い。オトンは第1と第3が出勤で、オカンは午前中だけだけどな。


 SDGsが世界的な流行の兆しを見せる昨今で土曜日に働かせるのはどうなんだろね。まあ、理想と現実の乖離はよくあることだし、ワークライフバランスなんてプレミアムフライデーくらいの与太話だって分かっちゃいるが、そもそも彼らが土曜に働いてくれてるからこそ俺の生活水準が保たれてる訳で、本当にいつもありがとうございます。最低限の家計への協力として、食費の削減の一環でプチトマトとブロッコリーの買い控えを息子は推奨したいところです。


 という訳でご飯ご飯。朝メシを食ったらソシャゲのラストスパートを掛けよう。明日の俺が勉強をできるようにな。感謝しろよ? 明日の俺。


「おっはー」


 ダイニングキッチンで出迎えたのはワンピースにエプロン姿の優姫だ。両親がいない土曜はこうして不法侵入を働いて俺の朝メシを作ろうとしてくれる。だから8時にわざわざ起きたんだよ。


「おはいお」


 我々の業界で一時期流行った挨拶で返す。アメリカはオハイオ州に思いを馳せてる訳じゃない。ローマ字表記でOhaio。逆から読むと真価を発揮する。ひっくり返った顔文字とセットで発信するといい案配だ。


 いつも通りに俺はオトンの座る席についてみる。


「おはよう、あなた♪ ご飯にする? お風呂にする? それとも、チュー?」


 優姫がキス顔を近付けてくる。夢みたいな状況だが、現実だ。クラスの男子に知られたら授業でペアを組んでくれる人が減るだろね。


「メシ」


 にべもなく言い付けた。優姫は可愛らしく頬を膨らませて、


「もうっ! 圭介ってばっ! つれないんだからっ!」


 ラブコメだと思った? 残念! NTR感を味わえる特殊なプレイでした!


 油野と結婚した時のためにってことで小6から付き合わされてるママゴトだ。とらたぬだよ、とらたぬ。皮算用にも程があんだよ。そりゃあ開口一番でアホって言いたくもなりますよ。


「目玉焼きはハムとベーコンどっちがいい?」


「ベーコン」


 優姫はスリッパをパタパタと鳴らして冷蔵庫まで行った。


「あっ。ベーコンない」


「もう口がベーコンエッグになってんだけど」


「だってないんだもん」


「確認してから聞けや。俺だから許されるけど油野だったら離婚されてるぞ」


「そんな! 圭介! あたしを捨てるの!?」


 朝から血圧を上げてくれるね。


「いいからコンビニまでベーコン買いにいってこいや。俺がそれまでに他の準備をしとくから」


「分かった! 夫婦の共同作業だね!」


「共同が広義すぎる。俺的には分担作業だわ」


 優姫がエプロンを外さずに出ていった。奥さんプレイの延長かね。てかあいつ財布を持っていったか?


 よし。もうスクランブルエッグにしよう。ベーコンが無事に届いたらこんがり焼いて添える形で。


 案の定、10分くらいしたら優姫は手ぶらでとぼとぼと帰ってきた。


「俺だから許されるけど油野だったら以下略」


「うぅ。ベーコンのことしか頭になくて」


「買い物に出て財布を忘れても愉快と思って貰えるのはサザエさんだけだからな?」


「ごめん」


 今のは油野(俺)に言ったのか、俺に言ったのか、判別できんな。とにかくだ。


「トースト頼むわ。優姫がベーコンを買ってこないと信じてもうソーセージに切れ目も入れてあるし、スクランブルエッグの素も完成させたからな」


「それ、信じてないって言うんじゃ……」


「見解の相違ってやつだな。まあ、フォローしあってこその夫婦じゃね?」


「そうだね! 圭介!」


 良いこと言ってやったのにこれだよ。


 何はともあれ作って食って後片付けを済ましたらママゴトは終了だ。さて、部屋に戻ってソシャゲの周回をやりますかね。


「ねえ、あなた」


 まだ続けるのかよ。


「今日は忙しいからまた今度な」


 いかに恋愛感情があろうとも物事の優先順位は変わらない。それがロジカルってもんだ。


「もう! あなたはいつもそうよ! 仕事仕事ってそればっかり! ウチのことは全部あたしにやらせて! 少しくらいは話を聞いてよ!」


 仕事なんて一言も言ってねえよ。なんか妙に熱の入った演技だな。


「お前は散歩してトースターに食パン突っ込んでスイッチを押しただけだろ」


「後片付けもしたもん!」


 2人でな。


「そもそもが俺は先にマーガリンを塗ってオーブントースターで焼く派だって何回言えば分かるんだ」


「この方が時短になって家事が捗るじゃん!」


 出たよ。手抜きを都合よく主張する表現。論理的に言えば時短ってのは合理化や効率化のことであって、得られる結果がマイナスになるならそれはもう論点がずれてんだよ。俺はパンを美味しくいただきたいの。要は、


「じゃあ今度のお前の誕生日に作るケーキは時短で生クリームなしにするわ。スポンジの上にイチゴを雑に寝かして終わりな」


「だめっ! それは手抜きし過ぎでしょ!」


「手抜きに過ぎるも過ぎないもないわ。手を抜いたら漏れなく手抜きなんだよ」


「もういい! あなたとは離婚よ!」


 あれ。これ油野相手に言ってるつもりなのか。なら1時間くらいしたら冷静になって後悔するパターンのやつじゃねえの?


「分かった。じゃあな」


 俺は席を立って、


「あぁん! やっぱり好きぃ! 圭介ぇ! あたしを見捨てないでぇ! 悪いとこは直すからぁ!」


 1分も経たずに後悔しちゃったよ。じゃあまず頭からにしようか。何をしたいのかまじで分からんし。


「ガチで忙しいから用事があるんなら可及的なるはやで頼む」


「勉強を教えてくださいっ!」


 ふむ。あの3バカもそうだが、1年の1学期で躓くってことは中学の内容で既に引っ掛かってる公算が大きいんだよな。まだ大して難しいことを習ってないし。ってことは数日で解消できる問題じゃない訳で、今回は赤点を受け入れることにして補習で実力の向上を図る方が将来的にプラスになるんじゃないかね。


「んー」


 素直に悩むね。好きな女子って言っても、刷り込み的な感じがあるし。別に何かをされた訳でもないのにゴキ相手に恐怖や殺意を覚えるのに近いと思うんだよな。こいつの油野依存性も末期になってきたし、そろそろ諦めるのも論理的に考えて妥当なんじゃないかと。


「今ならぱんつを見せることも辞さない!」


 アホなことを言い出した。夏休みへの執着がそうさせるのかねえ。


「しゃあないな」


「やった! ちょっと可愛いのに変えてくるね!」


「ぱんつは見せなくていい」


「え、どゆこと?」


「性を対価に報酬を求めるって考えが援交とかパパ活みたいで気に入らんから、お前にそんなことをさせるくらいなら俺が折れようかなって思ったってこと」


「……カドくん」


 優姫は目を潤ませ、真正面から抱き付いてきた。色々と柔らかいね。


「カドくん、しゅきぃ」


「さいですか」


 あー、いい匂いがするぅ。せっかくだからゆるふわの髪を撫でてやるか。なんか小さい頃を思い出すな。こいつが泣くといつもこうして頭を撫でてやってたからね。


「まあ、俺が勉強を教えるとは一言も言ってないけどな」


 近距離から上目遣いで睨んでくる。全然恐くないってか可愛いなこいつ。


「内炭さんが今日は1日勉強するみたいなことを言ってたから捕まえようかと」


「おお! 学年4位! 贅沢だね!」


「断られたら俺がソシャゲしながら雑に教えるわ」


「えー。近くでゲームされると気になっちゃうなぁ」


「一応言っとくが、内炭さんに受け入れられても俺はソシャゲしてるからな」


「……朱里ちゃんがOKくれたらカドくんはリストラだね」


「ふっ。その言葉、後悔させてやるぜ」


「やだ! それ捨て台詞と見せかけた本当のやつだもん!」


 付き合いが長いと手の内がバレてるからつまんないな。俺はただ吐いた言葉の重さを思い知らせるためになんやかんやで苦しめようとするだけなのに。


 とにかく名残惜しいが柔らかい物体を手放す。思えば通話するのは初めてだな。


「てか優姫から頼めば俺って別にいらなくね?」


「えー、あたしから頼むと断られる気がするなぁ」


「その心は?」


「胸ばっかじゃなくてたまには脳にも栄養を送ったらどう? って思われそう」


「お前の中の内炭さん像ってやべえな」


 道理で内炭さんが人付き合いに飢えてる訳だ。あの3バカといい、どうして学力のないやつは成績上位者を偏見の眼差しで見るのかねえ。コンプレックスから来る卑屈なのか、それとも嫉妬なのか、はたまた本当にただバカなだけか。気になるね。


「じゃあ俺から頼んでみるか」


「お願いします!」


 時間は9時を過ぎた頃だし、もう急に電話しても失礼じゃない時間だよな。まあ、電話番号は知らないからLINEの通話になるんだけど。


 とりあえずサクっと発信。優姫が速攻で勝手にスピーカーモードにした。まあ聞かれて困ることじゃないからいいけど。


「……出ねえな」


 10秒。30秒。1分と経っても無反応だ。一旦、切ってみるか。と思ったら繋がった。


「もしかして忙しかったか?」


『違うの』


 スマホ越しの内炭さんの声は鬱々としてた。


「どうした?」


『LINEの通話って初めて掛かってきたから出方が分からなくて』


 おい、優姫。笑ってんじゃねえ。俺もつられて笑っちまうだろ。


『わざわざ通話してきてまで何か用?』


「まあな。内炭さんって確か今日は10時から弁当を持って塾なんだよな」


『よく覚えてるわね。そうよ。今からお弁当を作ろうかなってところ』


 ギリギリのタイミングだったみたいだ。


「それストップ」


『え?』


「実は優姫が赤点にびびっててな。勉強を教えて欲しいみたいなんだよ」


『……それって碓氷くんじゃだめなの?』


 遠回しな拒絶に優姫がショックを受けたような顔で、だから言ったじゃん! って口をパクパクさせた。


「俺はソシャゲで忙しいんだよ」


『理由としては最低だけど、そういえばそういう予定だったわね』


「だから優姫の面倒を見てくれんかね」


『正直、碓氷くんには頭が上がらない立場だから聞いてあげたいんだけど』


 どういうこと? って優姫が俺の目を見てくる。勝手に説明するのは色々と問題があるから、ここは優姫の興味の矛先を変えてしまおうか。


「優姫に苦手意識でもあるのか? 俺も一応は同じ部屋にいる予定だけど」


 優姫の視線がスマホに移った。こいつほんとにチョロいな。


『脳ばっかじゃなくてたまには胸にも栄養を送ったらどう? って思われそうで』


 仲良しかよ! ってツッコミを飲み込んだ自分を褒め称えてあげたいね!


 なんだか優姫も複雑そうな表情だ。正解は方向性違いの同族嫌悪みたいだな。


「そんなツラしてたら俺が捥いでやるから大丈夫だ」


 優姫が絶望の表情で巨乳を両手で守った。そんなツラをする気なのかよ。


『碓氷くんはただ相山さんの胸を鷲掴みしたいだけでしょ』


 否定はしない。修羅の道を歩む優姫はまんざらでもなさそうな顔だ。


『で、どこに行けばいいの?』


「おー、受け入れてくれるのか」


 優姫も声を出さずに笑顔でバンザイをした。


『私、塾だとお昼がぼっちめしになるから……』


「それなら無理に塾で勉強しなくてもよくね。自習なんだろ?」


『土曜のお昼は家でもぼっちめしだから……』


「あっ、はい」


 弟と上手くいってないのかねえ。


『土曜日にみんなとランチできるのは嬉しいかも』


「なら利害の一致ってことで。昼はこっちで用意するから弁当はなしな」


 そこで俺は閃いた。


「内炭さんの家ってどの辺だっけか」


『堀内公園って分かる? 名鉄の駅があるんだけど』


「分かる。西尾線だな。俺らは南安城駅から少し行ったとこだ。悪いがこっちの方まで来れるか? 駅まで迎えに行くからけったでも電車でもいいけど」


『じゃあお天気も良いし自転車でいこうかしら』


「OK。じゃあ着いたら連絡をくれ」


『分かったわ。誘ってくれてありがとう』


 言い放って内炭さんは通話を切った。お礼を言うのはこっちなのにな。


「あたし、着替えてくる!」


 今のワンピースでいいだろ。って言おうとしたら間に合わなかった。例によって増長してる女としてのプライドがそうさせるのかもな。


 さて、好都合にも1人になったし。俺もさっさと行動しますかね。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る