7/1 Fri. 印籠

 今日も川辺さんはお休みだった。しかし我々8組男子は絶望していない。なぜなら今朝は担任から偉大なる予言を賜ったのだ。


「川辺は今日も体調不良で休みだが、月曜からは来るだろう」


 いつもは憂鬱な月曜日が今は待ち遠しい。これが現実となった暁には担任に予言者か祈祷師の称号を授けようと陰キャどもも騒いでおったわ。水不足に喘ぐ我々に雨をもたらすかのような偉業だからな。俺も反対はしないよ。


 そして今日も昼飯を食うべく部室に行こうとしたら7組の前で見知った顔を見つけた。小中が同じだった高倉たかくらだ。ちょうど友達らしき7組男子との会話が終わったようだから、今日は気分も晴れやかだし、声を掛けてみようか。


 そうだ、せっかくだし、リフィってみよう。


「これはこれは品行方正で名高い高倉くんではないですか」


 高倉は面白いくらいにビクッとした。周辺の生徒が何事かという目で見てくる。


「う、碓氷? くんか……」


「呼び捨てで結構ですよ。私とあなたの仲ではないですか。懐かしいですねぇ。小学生の時はよくカードゲームで遊びましたよね」


 傍目では頭のおかしそうなやつに絡まれてる地味な少年の図だ。追っ払っておしまい。最適解は誰の目にも明らかなのに、高倉は俺の腕を掴んで、


「ちょっとこっちに来てくれ!」


 強引に階段の踊り場まで移動した。


「昼食のお誘いですか? 昔話を肴に童心に帰るのも悪くないですが、如何せん、先約があるのですよ」


「まずその気持ち悪い話し方をやめてくれ」

 

 おいおい、こいつ天下のリフィスさんをディスりましたよ。宿理先輩に言い付けてやろうか。


「で、なんか用か? 俺はこれからプチトマトと戦争せにゃならんのだが」


 おどける俺に高倉は目を鋭くした。


「あれ、俺じゃないってみんな納得したよな?」


「ん? あれって?」


「っ! とぼけるなよ! 俺が油野くんのカードを盗んだとかってやつだよ! その話を蒸し返すためにあんなことを目立つやり方で言ってきたんだろ!」


「ふむ。そんなこともあったな」


「白々しいな!」


「白々しいもなにもその件は8年も前に方がついてる。もう終わったことだろ」


 俺は高倉の目を見た。目の前のカス以上に鋭い目で腐った眼球を射抜いてやる。


「あの時のお前は品行方正だったからな。まだ油野がどこかで落としたって話の方が納得がいった。小遣いがもうないって言ってたお前が、油野が泣いてた次の日にあのカードをなぜか持ってたせいでみんながお前を疑ったが、油野が『高倉がそんなことするはずない』って言ったから、油野がなくしたってことで決着がついた訳だが」


 高倉の目は泳ぎっぱなしだ。やっぱ目は口程にってやつは本当だね。


「じゃあなんで油野や久保田や俺はお前と遊ばなくなったんだろな」


 高倉の肩に手を回し、必要以上に力を込めて顔を寄せてやる。やや首が締まるくらいに。逃げられないぞと言外で語るように。


「あの日、俺が見てたんだよ。お前が上着のポケットにカードを入れる瞬間をな」


 高倉が息を呑んだ。


「俺はこのことを誰にも話してない。当然、お前のクソみたいな子供心を守るためじゃないぞ。お前がそんなことをするはずがないって信じた油野の純真無垢な心を守るためだ。そしてお前の噓が何かの拍子で露見したら困るから、なんやかんやの工作をして、お前らの接点をなくしたんだよ。言ってみれば俺の温情だな」


 俺が言葉を紡ぐにつれて高倉の呼吸のリズムがおかしくなっていく。


「お前は品行方正だ。だから罪を見逃してやった。それを忘れるな。徹頭徹尾真面目に生きろ。人に迷惑を掛けるな。いじめなんてもっての他だ。分かるな?」


 高倉は頷く。何度も何度も頷く。


「好きな女の前で調子に乗りたい気持ちも分かるけどな。見逃してやっただけでお前の罪は許されてねえんだ。次はねえぞ。俺の口を軽くさせんなよ?」


 高倉を開放し、宿理先輩直伝の背中バシーンを食らわせてやる。


「泥棒って後ろ指を指されて送る高校生活はさぞやエキセントリックだろうな。しかも被害者はあの油野圭介だ。噂は瞬く間に広がる。火消しは不可能に違いねえよ」


「……謝ればいいのか?」


 証拠はあるのか? って言われると思ってたのに。随時と楽をさせてくれるね。


「誰にだよ。もう終わったことだって言ったろ」


 高倉は俯いて、小さく呟いた。


「内炭にだよ」


「さんを付けろボケ。てめえは品行方正っつってんだろ」


「悪い。内炭さんに謝った方がいいか?」


「どうだろな。俺は油野のピュアハートを守りたいだけだからそっちはどうでもいいが、お前がそう思うならそうしたらいい。悪いことをしたって自覚があるんだろ?」


 高倉は力なく頷いた。


「接点はよく分からないけど、内炭さんに頼まれたのか?」


「は? お前を凝らしめて欲しいって?」


 これは一笑に付すってやつだろ。


「自惚れるな。お前なんざあの子の眼中に入ってねえよ」


 背中を押してやると、高倉は一度だけ振り返り、とぼとぼと歩いていった。


「……なんてな」


 どこの世界に小学校低学年の頃からそんなに知恵が回るやつがいるんだよ。頭脳は大人の名探偵かよ。俺は理屈と膏薬をぺたぺたしまくっただけ。そもそも油野のセイクリッドピュアハートなんかどうでもいいわ。露骨に犯人っぽい挙動をするから乗っかってみたってお話。いやぁ、事実は小説より奇なりって本当なんだね。


 正直、当時から疑ってはいたけど。それにしても、高倉と遊ばなくなった理由ってなんだっけか。思い出せないな。どうでも良すぎることだし。


 まあ腹も減ったし、さっさと部室に行きますかね。


 弁当箱の入った手提げ袋を揺らしながらてくてくって歩いていけば技術科棟はすぐそこだ。スリッパを履き替え、階段を上り、左折してまっすぐ行って、


「あんた、私らのこと舐めてんの?」


 部室のドアをスライドさせようとしたら中から馴染みのない声が聞こえた。


 まじかよ。1日でそこまで発展したのかよ。内炭さんのことだから本当に「うるさいわね。どうでもいいから勉強しなさいよカス」って言ったかもしれんが、まさか内炭さんの庭とも呼べる家庭科準備室までやってくるとはね。とりあえずスマホでもいじるか。状況がよく分からんし。


「こんなとこで1人でご飯とか可哀そー。まー、友達がいないからしょうがないのかなー? そんな寂しい内炭さんにあたしが良い場所を教えてあげるね。ト・イ・レ。たまーにノックされるかもだけど、こんな広いとこに1人でいるよりいいんじゃないかなー? もしかしたらお隣さんもお仲間かもしれないし、出会いもあるかもよ?」

 

「あはは。沙也加さやかって鬼畜よね」


「えー、歩美あゆみったらひどーい、内炭さんのことを思って言ってあげてるのにー」


智恵ちえもそう思うでしょ?」


「そんなことより内炭の態度がむかつくんだけど?」


 ふむ。つつみ沙也加に四本歩美に山本やまもと智恵か。大人しくしてればいいものを。


 気にせず臆せずいつものようにドアをスライドさせた。4対の目が同時にこっちを向く。目は口程にってのを言うならば、内炭さんは恐怖と焦燥と羞恥。堤は楽観と興奮、四本は余裕と傲慢、山本は自信と憤懣ってとこかね。


 連中はいつもの席にいる内炭さんを囲んでる。内炭さんはもう泣きそうな表情になっていて、卓上のサンドイッチやほうじ茶にも手を付けられないでいた。


「誰よ、あんた」


 山本が睨んできた。


「名乗ってもどうせ分からんのに聞いてどうすんだ、アホなのか?」


「ハァ!?」


 いつもの席に座って、弁当箱とほうじ茶を長机に置いた。


「あんた、私らのこと舐めてんの?」


 それ、部室に入る前にも言ってた気がするけど流行ってんのかね。


「まず定義を語れや。何をもってして舐めてるってことになるんだ?」


「バカにしてるのかって言ってんのよ」


「そんなん見れば分かるだろ。バカかよ。あっ、バカか」


 露骨な煽りに山本が顔を真っ赤にしてこっちにやってくる。耐性ねえなぁ。


「もう1回言ってみなさいよ」


 言ったら殴られそうじゃん。しゃあない。カードを切るか。


「水戸黄門って知ってる?」


「は? いきなりなに言ってんのよ」


「あれに出てくる格さんって役がな。敵対組織をどつき回した後に、この紋所が目に入らぬかって怒鳴って印籠を見せると、それまで刀を振り回してた連中が途端に平伏すんだよ。あれってどんな気持ちで土下座してんのかね」


「……こいつやばくない? 頭おかしいんじゃないの?」


「ふむ、分かり合えんか。ええい、控えおろう。この紋所が目に入らぬか」


 俺はスマホの画面を山本に向けた。変化は本当に一瞬だった。


「……え? なん、で?」


 山本は目を大きく見開き、気圧されたかのように半歩下がって、よろめいた。


「智恵!?」


 堤と四本が慌てて駆けてくる。内炭さんは目を白黒させてた。


「ちょっと! あんた、智恵に何をしたのよ!」


「問われたのなら仕方ない。答えよう」


「や、やめて!」


 焦って叫ぶ山本に、堤と四本が混乱した。その隙に俺は立ち上がって、


「この紋所が目に入らぬか」


 堤にしか見えないようにスマホを差し出した。


「なっ、なんで……」


 堤がその場でへたり込んだ。その様子に山本が唖然としてる。


「目に入らぬかー」


 ついでに四本にもスマホの画面を見せた。他の2人ほど顕著な態度は見せなかったが、目が揺れ、唇が震えてる。


 俺は再び席につき、ペットボトルの蓋を回しながら語ってみる。


「俺の尊敬する人から聞いた話なんだけどさ。今の日本って近隣諸国から舐められまくってるじゃん。拉致でも尖閣でも竹島でも北方領土でもさ。それは偏に軍事力がないせいだってその人は言う訳よ。珍しく偏った意見をするなって思ったんだが」


 リフィスのイケてるフェイスを思い浮かべながらほうじ茶を一口飲む。


「他国はいざとなれば強硬手段を取れるんだよな。こっちの要求を呑め、さもなくばミサイルぶっぱなすぞって」


 バカ3人の瞳にはもう恐怖しかない。まあ訳わからんもんな。


「それに比べて日本はな。対話しかできないんだ。軍事をちらつかせての交渉ができない。要するに、こっちの要求を呑め、さもなくば対話を試みるぞ! ってなる」


 あれ? 笑ってくれない。リフィスにこの話をされた時は爆笑したんだけどな。


「他国は説得するための道具で軍事を持つのに、日本は説得するために対話を使うんだ。平和主義って言えば聞こえは良いし、俺もその平和を味わってる身だから大きなことは言えんが、ぶっちゃけ話にならんよな」


 堤が頷いた。あれ、意外とこいつって話が分かる系女子か?


「これは舐められて当然だなって俺は思ったんだが、その人は言ったんだよ。対話の内容によっては軍事より強力に作用するって」


 俺はスマホを掲げた。3人ともビクっとしたが、画面は真っ暗だ。


「国を相手にする場合は難しいけどな。個人が相手なら対話も悪くない。暴力っていう軍事力をちらつかせなくても要求を通すことは簡単だ」


 バンッ! と長机をぶっ叩いた。内炭さんを含む全員が大きく身体を跳ねさせた。


「俺と対話してみるか?」


「……ごめんなさい」


 リーダー格の山本が真っ先に折れた。次に堤が、すぐに四本も謝罪する。


「まあ、なんだ。学生同士の衝突なんてよくあることだし、気にすることはない。俺も気にしない。内炭さんは知らんけど」


「ご、ごめんなさい!」


 山本が内炭さんの方に向かって頭を下げた。


「いや、その、私も、偉そうだったかも……」


「本当に?」


 俺がそう問いかけると、内炭さんは苦笑した。


「私にその気はなくてもそう思わせたかもしれないって思ったのよ」


「内炭さんは友達が少ないからその辺の融通が効かんもんな」


「返す言葉もないわね」


「ってことで内炭さんとの件は手打ちにしてくれ。内炭さんは反省してる。お前らも反省してる。これにて一件落着ぅ。ってな」


「それは遠山の金さんじゃないの?」


「そうだっけ。やべえ。にわかってバレた。恥ずかしいな」


 空気が弛緩したところで提案する。


「お前らも早くメシにしないと昼休みが終わっちゃうぞ。あと内炭さんはこんな感じでツッコミもできるしボケもいける。話してみると結構面白いぞ。リアクション芸はいまいちだが、ギャグなんかは超得意だしな」


「……ギャグ? 言った覚えがないんだけど」


 やべ。力技でベクトルを捻じ曲げよう。


「仲良くなれば課題も見せて貰えて高校生活が楽になるぜ!」


「それだと学力が上がらないでしょ」


 よし、乗ってきた。


「とりあえず赤点の回避くらいは良い方法を教えて貰えると思うし、いい機会だから少し歩み寄ってみたらどうだ。お前らが思ってるより内炭さんはポンコツだし」


「ちょっと!」


「なんすか」


「ほんとのことを言わないでよ!」


 堤がふき出した。すぐに伝播して四本も笑い、山本も口を押えて震える。


 その後に内炭さんと3バカが一言二言を交わして、異分子どもは部室から出ていった。という訳でご飯ご飯。俺は弁当箱を開け、プチトマトの存在に顔をしかめた。


 内炭さんは卓上の爪楊枝でそれを奪ってくれて、


「あのスマホのってなんだったの?」


「印籠のことか?」


「それ。1人ずつ見せたのも変だったけど、特に堤さんに見せた時の山本さんの反応が変だったと思うのよね。同じものを見せたわけじゃないの?」


「同じものと言えば同じものだが、同じじゃないと言えば同じじゃない」


「そういう思わせぶりなのいいから。どうせかっこつけてるだけでしょ?」


「……まじで答えなんだけど」


「そうなの?」


 そうだよ。そんなに中2臭かったですかね。


 3バカに見せたもの。


 それは、SNSの裏アカウントの存在だったり。


 それは、小学生の頃にデブってた写真だったり。


 それは、誰のことを好きなのかバレてるという事実だったり。


 端的に言えば『弱み』だ。


 高倉にやったのと同じことを画像で分からせただけ。


 どうして俺が3バカの弱みを握ってたかって問題については、俺のソシャゲの周回が進んでないって状況を回答としたい。まあ、あれだ。なんやかんやってやつだ。


「ところで碓氷くん」


「今日はもう時間がないからメシを優先にしようぜ」


「ところで碓氷くん」


「なにこれ。ボケなの?」


「ところで碓氷くん」


「……どうした?」


 内炭さんは柔らかく笑って言った。


「ありがとう。嬉しかった」


「はい、今日はここまで」


 なんだか照れ臭かったからそう言ってメシをがっつくことにした。


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