6/21 Tue. 恩返し返し

 昼休み。今日も部室で弁当箱を開けてみる。よっしゃあ!

 

 一番にタコを模った赤ウインナーが目に入ってテンションが上がった。母さんは色合いを気にしてプチトマトを入れるらしいんだ。美味しく腹を満たせたらそれで大満足な俺としては揚げ物だらけで茶色オンリーでもまったく問題ないのにな。


 兎にも角にもプチトマトの不在が確定した。うっきうきで弁当の中身を一望して、


「っ! こいつっ!」


 木々の集まりを凝縮したような形をしてる緑のアレ。我々の業界で森と呼ばれるあいつだ。あのブロッコリーの野郎がいやがる。


 緑ならキュウリがあるじゃん。キャベツやレタスでもいいじゃん。なんで森だよ。母さんよ、ガーデニングはプランターでやってくれ。弁当箱に植樹しないでくれ。


 溜息を我慢して視線を上げてみる。今日も内炭さんは長机を2個挟んだ先でパイプ椅子に行儀よく座り、窓の方に身体を向けてる。彼女は自然を愛する人だろうか。


 あれ、珍しくぼけーっとしてない。なんか本を読んでる。文庫本じゃなくて雑誌のサイズだ。さして興味はないから詮索しないけど。


「ねぇ」


 読んでねえのかよ。まあいい。この対価に森を引き取って貰おう。


「どうした?」


「これ、どう思う?」


 内炭さんが長机の境目に本を置いた。意外も意外。ファッション誌だ。内炭さんもこういうのを読むんだなって少し感心してたら、


宿理やどり先輩じゃん」


 見知った人が載ってた。油野の1つ上の姉だ。スタイリストの父親のコネでたまに雑誌のモデルをやってるのは知ってたが、実際に見るのは初めてだった。


 いつも笑ってる明るい人ってイメージなのに、雑誌の中の宿理先輩はやや切なげな表情で腕時計を見てた。菫色のカジュアルなショートパンツに夏らしい白のキャミソールを合わせ、やや厚手で長袖のきっちりとした藤色のジャケットを着ることで肌の露出を抑えつつも、鎖骨や脚線美はしっかりと見せる狡猾さ。気になるアイツをどきどきさせてやろうと頑張ったのに、待ち合わせの時間が過ぎてもやって来ない。大丈夫かな。来てくれるよね。そんな感情が読み手に届くような写真だった。


 あんたみたいな美少女を待たせる男なんかいてたまるか。真っ先にそう思っちゃったから企画としては失敗だな。素材が良すぎるから絵にはなってるけど、そもそも華やかなファッション誌でネガティブな背景ってどうなんだ。


「あら。碓氷くんって油野先輩と面識があるの?」


「小中高で一緒だしなぁ。小学生の時は油野家に行ったことも何回かあるし」


「へ、へぇ……。油野くんの家に行ったことがあるのね」


 ちらちらと内炭さんが視線を送ってくる。なるほどなるほど。油野家の情報が欲しいのだな。あい分かった。


「それで? どう思うってどこについて言ってんの?」


「え、あ、うん。可愛い人って何を着ても可愛いから、このコーデは私らみたいな一般女子でも可愛く見えるのかなって」


 無理です。アニメの公式サイトが売ってるコスプレ衣装を着てもこれじゃない感しか表現できないのと同じです。これはモデルが油野宿理だから成立しているのです。


 と真実を語るのは簡単だ。きっと内炭さんがこの格好をしたら「なんで夏なのにジャケット着てんのwウケるw」と裏で草を生やされるに違いないし、彼女のメンタルのためにも、お財布の厚みのためにも、本当のことを言うべきだとは思う。


 しかし。恋する少女の希望を一太刀でぶった切るのも如何なものか。


「あの、ところで碓氷くん」


「この衣装は脚を出しすぎだから内炭さんには似合わないかもな。内炭さんは痩せ気味だし、宿理先輩くらい健康的な肉付きがないと厳しい気がする」


「……それはあるかもね。それでね碓氷くん」


「けどこっちのなら似合うかもよ」


 東雲色のキャミワンピにカジュアルな黒のTシャツをインナーとして合わせた格好だ。淡色のスポーツサンダルとバケットハットも相まって実に女の子っぽい。


 写真みたいに駅構内で宿理先輩が弾ける笑顔を見せながら手を振って迎えてくれたら、一生分の幸福を一度で噛みしめることができそうだ。少なからず周囲の同性からヘイト満載の眼差しを頂戴するのは確定だよな。


「…………そうね。これなら私が着てもそこまで浮かないかも」


 内炭さんのテンションが底を叩いた。油野家の質問をするのを諦めたらしい。


 情報は最も高値が付いた時に売るべきだ。前に読んだ小説にそう書いてあった。そしてそれは今のように欲しい情報を得られないと相手が判断した時でもある。


 尤も、内炭さんなら初回の問答で森を買い取ってくれたとは思うが念のためだ。


「ところで内炭さん、ブロッコリーって好き?」


 鶏の唐揚げに刺さってた楊枝で森を拾い上げてみせる。


「好きでも嫌いでもないわ」


 内炭さんが溜息を吐く。今の親切心を前面に出した不親切な話の流れの目的を理解したらしい。取引成立。無事に森の譲渡が済んだ。


「碓氷くんが過剰に親切な態度を見せた時は裏があるって覚えておくわ」


「酷い! 俺は質問に一生懸命答えただけなのに!」


「途中でその質問が私の中でどうでもよくなってたことに気付いてたわよね」


「いやぁ。初志貫徹は大事かなって」


 内炭さんが何か言いたげな表情で森を咀嚼する。これを否定したら否定したで将来的に不利益を被る可能性があると考えてそうだ。信用がないなぁ。


「油野家は父母姉姉妹本人の6人家族。1階は両親の部屋と家族共用のスペース。2階は子供部屋だな。油野の部屋は階段を上がってすぐ左だ」


 俺が出し抜けに説明を始めたら、内炭さんは慌てて森を飲み込んだ。ルーズリーフを1枚だけ出して油野家の間取り図を描いていく。ドン引きですわ。


「2階の部屋はいくつあるの?」


「階段を上がった正面にお手洗い。右手に物置っぽい部屋。左手に廊下があって左右に向かい合わせで2部屋ずつ。計4部屋のそれが子供部屋だな」


「左の手前が油野くんの部屋なのね。隣室は?」


「……油野以外の情報って必要か?」


「私、食べたわよね。ブロッコリー、好きじゃないのに」


 圧が強い。この状況を生み出したのは俺だから受け入れはするが。


「宿理先輩のはず」


「正面は?」


「分からん。佳乃よしのって姉ちゃんか、紀紗きさって妹ちゃんだな」


「……はす向かいは?」


「分からん。佳乃って姉ちゃんか、紀紗って妹ちゃんだな」


「…………私、食べたわよね」


「いやいやちょっと待ってくれ。年がそこまで離れてないから2人とも小学校の時に面識はあるけど、最後に話をしたのなんか6年は前なんだよ。そんな薄い関係の女子の自室を知ってるとかキモくね?」


「碓氷くんがキモくても私は困らないわ」


 ですよね。それよか油野家の情報の方が大事ですよね。


「つっても2択な訳じゃん。情報としては充分だろ」


「そうね。でも私はこれを完璧な状態で完成させようと思って書き始めたの」


「やけに拘るね」


「油野くんの部屋にお招きされる妄想のクオリティが上がりそうだもの」


「さようか。けど品質過剰じゃね? 内炭さんは佳乃さんも紀紗ちゃんも見たことないだろ。だったら誰の部屋でも妄想に影響しなくないか」


「いやぁ。初志貫徹は大事かなって」


 どやぁって擬音が聞こえそうなくらいのツラを見せやがった。こいつっ。


 いやいや我慢だ我慢。やったからやり返されただけだ。ベクトルが違うとはいえ先にかました俺が悪い。なんせ内炭さんは好きでもない森を食してくれたのだから。


「俺が悪かった。今から油野に聞くわ」


「え! ちょっと待って!」


 過去最高に内炭さんが慌てた。だが俺はスマホをいじる。LINEでいいか。


「俺もやっぱ初志貫徹は大事だと思うしー、好きじゃないブロッコリーも食って貰ったしー、内炭さんにはプチトマトでも世話になってるしー、ただの恩返しだしー」


「私が悪かったってば! 調子に乗って申し訳ございませんでした! 私も碓氷くんにはお世話になってるから! 前に貰った画像にもお世話になってるから!」


 なんか知りたくない情報が聞こえた気もするからお互いのために聞き逃そう。


「まあ、もう問い合わせしたけど」


 半年ぶりに送るメッセージが『お前の部屋の正面って姉の部屋だっけ。妹の部屋だっけ』という内容なのはいささかクレイジーだが、その画面を見せてやったら内炭さんもクレイジーになった。両手で頭を抱えて、


「ああああああああああああああ」


「内炭さんの名前は出してないのになんでそんなに錯乱してんの?」


 内炭さんは頭を抱えたままで俺をキッと睨みつけてくる。


「私! 油野くんのことが好きなんだけど!」


 おお、新バージョンだ。一皮むけたな。ちょっと面白いぞ。クスっときた。


「知ってる」


「なんで笑ってんのよ」


「失敬。それで?」


「……油野くんの貴重な休憩時間を私なんかが奪っちゃうのが申し訳なくて」


 自意識過剰すぎ。てか俺の休憩時間を奪うことは何とも思わんのか。まだ何も食えてねえんだけど。


「あ、返信きたわ。妹だってさ」


『妹』と1文字で返してきやがった。なんで? って理由を聞かないとこが油野らしい。問われたから答えた。それ以上の感情は動かなかったっぽい。


 一応は内炭さんにも見せてやったら目を輝かせた。デフォルトのフォントだから自分で打っても同じ文字が表示されるはずだが、神聖なものでも見るかのようだ。


「ありがとう。これで完成するわ。いつか恩返しをするわね」


「どういたしまして。俺もその時は恩返し返しをするわ」


「……今回みたいなのはやめてよ。恩返仕返しって感じがするのは心臓に悪いのよ」


 仕返しとは失礼な。まあ、次からはもっとお手柔らかにいきますか。


 という訳で、満を持しての昼食だ。さすがに腹が減ってる。


「ところで碓氷くん」


「仕返しすんぞこらぁ!」


「えぇ。急にどうしたのよ」


「俺の休憩時間は貴重じゃないんですか!」


「あぁ。考えたこともなかったわ」


 まじかよ。女子って好きな男とそうじゃない男でここまで違うのかよ。


「じゃあ食べながら聞いてちょうだい」


「聞くのは決定事項なのな。まあいいけど」


 金平ごぼうを口に入れ、すぐに白米をかっ込む。どうせどうでもいい内容だろうから喋れない状態でも問題ないだろ。


「油野先輩って可愛いわよね」


 頷く。どう見たって可愛い。去年の文化祭で開催された『恋人になって欲しい人コンテスト』とかいう陽キャによる陽キャのためのクソイベでも女子部門で大賞になったらしいし。今年は水谷さんや川辺さんもいるから2連覇は難しいかもだが。


「もしかして。油野くんの女子のルックスを判定する基準って油野先輩なのかしら」


 どうだろ。あいつリアルの女子には関心を見せないけど、MMOのNPCとか漫画のキャラとかには割と食いつくしな。佳乃さんや宿理先輩のせいで感覚が麻痺してるって可能性は否めんが、美少女を是非の境界線に置いてるとも思えん。


「羨ましいわ。油野先輩くらいの美人なら恋愛で悩むこともないんでしょうね」


「そんなことはねえよ」


 思わず口を挟んでしまった。小首を傾げる内炭さんに少しイラっとする。俺はほうじ茶をぐいっと飲んで口内の米粒を一掃して、


「確かにルックスは恋愛で莫大なアドバンテージを得られるファクターではあるけどな。可愛いってだけでどうにかなるほど恋愛は甘くもねえんだよ。宿理先輩が恋愛で楽をしてるみたいな言い方をすんな」


 宿理先輩は去年の暮れまで髪が長かった。なぜ切ったのかを油野から聞いてる。その時の油野が珍しく感情を昂ぶらせてたことも覚えてる。お前も優姫をふったくせに姉の失恋は重く受け止めるんだなってむかついたことも記憶にある。


「……そうね。失言だったわ。ごめんなさい」


 内炭さんが頭を下げた。俺は溜息を一つして、鶏のから揚げを箸で摘まむ。


「逆に言えば誰もが油野攻略の可能性を秘めてるってことだ。当然、内炭さんにも可能性はあるし、他人の美貌を羨んだとこでその可能性は大きくならんと俺は思う」


 内炭さんが目をぱちくりさせて俺を見てる。俺はスルーして唐揚げを食った。


 別に励ました訳じゃない。ただの事実だ。


 そう思わないと、俺も優姫もやってられないからな。


「ありがとう。そうね。自分を磨くことに専念するわ」


 野花のように微笑む内炭さんを見て、らしくないことを言ったなって反省した。


 

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