第2話 目覚めの時

「いせかい?マンド…シ?なに?」


 女性の言葉に疑問符が浮かんだが、すぐに理解は追いついた。


(いせかい?ああ、異世界か)


 ライトノベルやアニメは見てたし読んでた。うん、それは分かる。


「マンドシリカ、です」


 きちんとした名前を教えてくれたがはて、異世界…?

 ……ああ、そうか。そういうことか?


「つまり俺は、死んだんだな。そしていま間際で夢を見ていると」


 やけにあっさりと事態は飲み込めた。

 本当に異世界転生というやつなら楽しかったのかもしれない。でも、現実にそんなものがあるわけなんてなくて。

 多分、これは死の間際の夢なんだろう。

 さっきまでの痛みも、辛さも全て思い出した以上は現実を受け止めないといけない。


 あの子は、助かったかな?

 母さんや親父、疎遠になった友人達。前者は心配が浮かび、後者は薄情と思ったこともあるが、会いたいと思う。


(ああ、死ぬ間際ってこんな寂しくなるものなんだ)


 目を閉じながら、感慨深くそんな事を思った俺だったが。


「いえ、貴方は死んでなどおりません。肉体の損壊を止めるために貴方の魂を封印、凍結まではしましたが」


 あと、生きてらっしゃるのでどちらかと言えば異世界転移にあたります、などと冷静に否定されたのだった。


「死んでいないし、夢じゃない?じゃあ本当にここは異世界って事?」


 そんな事、現実にあるわけない。やっぱり現実としては受け止められない。

 女性を見ると、何やら納得したような顔をしたかと思えば


「まだ、混乱なさっているのですね。お待ちください」


 と、ふわりとドレスを翻し部屋の外へと出て行ってしまった。

 一人壁によりかかっていた俺は力が抜けてズルズルと床に座り込んでしまう。


「なんなんだ?どういう事だ?」


 女性が戻ってきたのは、それから少ししての事だった。





「これを飲んでください。貴方の魂と肉体を和らげてくれます」


 そう言いながら、彼女は床に座り込んだ俺の前にトレーを置いて何やらお茶の準備をし始めた。

 ドレスを着ているのに膝をついてまで目線を合わせようと努力してくれているのがわかり、へたり込んで動けない事に申し訳なさを感じる。


 大人しく待っていると、目の前にはカップにつがれたお茶か紅茶か判断の迷う色をした不思議な飲み物が出てきた。

 漂ってきた香りは、まるで紅茶のようでもあり、薬臭くもあり。

 

 何はともあれ出していただいたものだ。

 ありがとうと礼を言って、飲んでみる。


 …正直、なんだろう。一口つけた時に一瞬、薬品臭があった。

 しかし、その後の飲み応えはお茶のようであり、スポーツドリンクのようでもあり。

 

 味的にはなんというのだろうか?

 紅茶と緑茶が混ざっているような味で、徐々に胃に染みていくような感覚がなんとも言えず、心地よく。強いて言うなら安心する味、かもしれない。


 暫く啜り、不思議な味を楽しむ。が、その間も彼女はじっとこちらを見てくる。

(飲み方、変だったかな?)

 なんて、思ってるうちに自然と。本当に不思議な事だがここは異世界だと言う風に"納得"ができ始めた。


 冷静に考えると、俺は繁華街にいた。そこで子供を庇って致命傷を負った筈なのに五体満足でこんなに綺麗な家に居るのがおかしい。他に事件性とか可能性は勿論もちろんあるが、なにかが腑に落ちる感覚というか。

 此処は元々いた場所じゃないという感覚が、お茶と共に体に染み込んでくるような気がした。




 暫くして。気がついたらカップは空になっていたようだ。

 女性は空になった事に気がつくと、また注いでくれる。


「あ、ありがとう。えっと、そうだ!」


 受け取りながらもまだ自己紹介をしていない事に気がついた俺は、彼女の目を見て告げた。


「俺の名前は敷上刀矢しきがみとうや。その、宜しくね」


 漢字としては敷上という珍しい苗字の上、刀に矢という物騒な名前からお前は武士かと散々笑われたものだ。

 俺が武道に励んでたのもあって、余計に武士があだ名になったり、友人からはお館様だのなんだのと揶揄からかわれたのを思い出す。


「よろしくお願いいたします。私の名前は…」


 なぜか、ほんの少し躊躇ためらうような素振りを見せたが。しかし、それはほんの一瞬の事だった。


「…ウェスです。どうぞ宜しくお願いいたします」



 そう名乗った彼女と、なぜかしばし見つめ合う。

 ウェスはなんというか、凄い所作が丁寧であり大人びている気がする。

 見た目的には歳が近いように見えたのでついつい敬語が外れてしまったが。


 気を悪くしてないだろうか?


「あの、ウェス、さん」

「ウェスで結構ですよ、トウヤ」


 私もトウヤと呼びますと微笑んだ彼女と、またしばらく見つめ合う。


 ……なんだろうこのやりとり。

 とにかく、なんか気恥ずかしい。


「じゃあ、ウェス。まずはお茶をありがとう。落ち着いた。なんというか、凄い日本語上手だね」


 上からで失礼かと思ったが、思わず口を突いて出てしまった。


「ニホンゴ?ああ。これは日本語ではありませんよ?」


 まだ混乱されてますね。なんて言いながら、そっとお茶菓子まで出してくれた。

 どこから出したのかわからないが、それはパイのような一口サイズのお菓子だった。

 ウェスが戻ってきてから少し時間経っている筈なのに、焼きたてのように湯気が出ており、香ばしい香りが食欲をそそる。


 受け取った俺は我慢できず、行儀は悪いが口いっぱいに頬張った。

 その瞬間、林檎と梨が合わさったような果実の深い甘味が口の中に広がり、一口サイズなのが口惜しいと心から思う。


 一気に食べ切ってしまったが、目は口ほどに何とやらという。

 思わずウェスの方を見ると、微笑んでまた一個どこからか取り出し、ことりと皿に置いてくれた。異世界はわんこそばシステムなのだろう。



 …って、そうじゃない。


「え?日本語喋ってるよね?」

「はい。貴方の脳と、魂にはそのように聞こえているはずです」

「…えーと?」

 

 状況が読めない。

 彼女は明らかに日本語を喋っているし、そのように聞こえるはずっていうことはつまり日本語ではないのだろうか。


「私は貴方の魂にこの世界を生きる上での知識や技術をお教えしました。

 その影響で親しみのある言語で貴方に伝わっているのだと思います」


 所謂いわゆる翻訳のようなもの、というが。


「待って、俺そんなの教わってないよ?」


 そう。俺はさっき目が覚めたばかり。一体何を言ってるんだ?


「…どうぞ、まずはこのお茶を。混乱するのも無理はありません。まずはゆっくりおやすみください」


 彼女はティーセットを持って、静かに部屋を出て行ってしまった。

 彼女が部屋から出たあとは、急に暖かさが消えた気がする。


 シンとした室内に、カーテンがなびく音と、海の波の音が聞こえてきた。


 ……あんまりに静かだからか?


 耳がきーんとしてきた。


(あれ?普通は無音にならないと、こんなみみなりって、しないんじゃなか)






 

 意識が落ちた。

 夢にいるような感覚の中、周りを見渡す。


 白い場所。

 天も地もなくて、ただ浮いている感じがする。

 体に力は入らないが、なんだか少しだけ幸せな気持ちになる場所だった。


 ふわふわと漂っていると、誰かの声が聞こえる




 "生きた で か?"


 存在しない体で精一杯、夢中で頷く。多分生きたいですか?と聞いている。


 まだ、生きていたい。今の俺は心からそう思うのだ。

 不思議だ。この場所にいると素直になれる。


 "しかし、貴方の は傷つ すぎて ます。

 癒せたと   も、その後はいまよりも 酷な世界が待っています。

 それでも、生 た ですか?"


 なんとなくで頷くが、意識が飛んでいきそう。

 上手く聞き取れない部分が増えてきて。

 もう、自分を自分として繋ぎ止めるので精一杯な気がする。



“     ?    。   それでも、    すか? “


 かすれて最早よく聞き取れない。

 でも、なにかとても大事な事を言っているように聞こえた。

 俺は、分からないなりに強い覚悟をした気がする。


 それに、何にしたってまだ何もできてない。

 生きられるのなら、俺は生きたい。


 そのためなら俺は…



 "…わかりました。

 私は、貴方に会いに来て良かった"


 その声はさっきまで聞いていたような声になり、俺の体は浮かび上がり、視界に光が広がる。


 次に、手足に感覚が宿った。

 嗅覚が、聴覚が体に宿る。体に生きているという感覚が戻る。


 同時に、マンドシリカという異世界の言語が頭に流れ込む。

 地球で聞いた事がないような文字の羅列や、発声方法だろうか?


 それらは直ぐに体に染み込んでいく。

 ほかにはこの世界での"    "と、     のルール。


 そのほかには----



 ___"痛み 痛い 背中"

 あ、いらない感覚まで戻ってき___



「か…っ」


 息ができない。

 視界がチカチカする。

 痛い、痛いのに意識が落ちない。


(落ちてくれない……!)



 オレはのたうち回りながら、視線が周りを勝手に見回す。

 どうやら痛みで目がぐるぐると至る方向を向いてしまうようで。

 白い部屋、シロいベッドだ。ベッドの傍らに誰かが、居ル。


「痛い、ですよね」


 ごめんなさい、と頭を下げてきた。

 きれいな女性は、俺の手を握ってくれた。不思議だな、痛みが和らぐ。


「今の私では、その痛みをすぐには取る事ができません。できることは、これだけ」


 手を握ってくれる。

 ああ、あんしんする。

 とても、とてもあたたかい。


「いい夢を。私は、貴方の目覚めを待っています」


 目覚めをまってる?

 とてもさみしそうな目で、こっちをみてくる

 だいじょぶだよ?おれはねても、すぐに目を覚ますたいぷだから。


 だから……





 ……目が覚めた。


「ぶぇ」


 変な体勢で寝ていたからだろうか。

 奇声を出しながら体を起こす。体は重たいが、不思議とさっきよりは重くなかった。


「…そういう、ことなのか?」


 夢の内容を咀嚼そしゃくし、飲み込んだ。

 つまり、俺は彼女になんらかの方法で助けられて、ここにいる。


(彼女に感謝を伝えないと)


 ただそれだけを思い、視線を周りに走らせると暗かった。

 窓から外を見ると、大きな月が海の上に見えて幻想的だ。


 体を起こす。


 壁の助けは必要なかった。


 

 彼女が出て行った扉まで歩く。

 もう普通に歩ける事を確認し、近づいてノブを掴むと軽く回った。どうやら鍵はついていないようだ。


 そのまま扉を開けると、長い廊下に出る。

 廊下の壁は白で統一されており、家というよりも屋敷のような大きさがありそうな造りだった。


「迷子になりそう…」


 それから俺はウェスの名前を呼びながら歩いた。

 建物の中は暗いが、壁掛けの灯りが足元を照らしてくれているため転ぶ心配はない。


 しばらく進むと階段があり、まだ上の階があるようだが物音一つしなかった。

 ぽっかりとした闇が口を開けているように見え、思わず下がる。


 そんなとき、下から何か鉄を打つような音が聞こえた。


(行ってみよう)


 そう考えて下の階に行くと、大きなホールにでた。

 ホールにはいくつか扉があり、その中でも一際大きな扉があったが月明かりが差し込んでいる。多分出口だろうか。


 音がしているのは、ホールの真裏。

 今降りてきた階段の裏の扉の中からだった。


「ウェス?」


 扉をノックした所、音が止んだ。暫く待つとパタパタという音が聞こえる。

 そのままにしていると、キィという音と共に扉が内側から開いた。


「トウヤ?目が覚めたんですね。お体は?」

「さっきより調子がいいんだ。お茶のおかげかな?ありがとう」


 まず礼を伝える。


 続いて、色々と思い出した件についても伝えた。

 その流れで少し話ができないかと告げるとウェスは微笑み、中へどうぞと通してくれた。




 部屋の中に入ると、熱気が篭っている。

 室内を見渡すと、まず目に入ったのは大きなだった。

 そのすぐ近くには鍛冶台らしいものがある。

 鎧や剣が樽に入っているのも見えるし、装飾品なんかも見受けられる。


(ファンタジーだ……!)

 俺は少し感動した。



 でも、そんなことより気になるのは


「えっと、ごめん。鍛冶のお仕事中かなにかだったかな?」


 ウェスはハンマーやら何やらを片付けながら座れるスペースを作ってくれたあと、こちらに向き直った。


「厳密には違いますが、そうですね。そのようなものです」

 そう言うとふう、と一息をついて。

「もう終わるところでしたのでお気になさらないでください」なんて否定してくれた。


「そっか。じゃあえっと」


 とりあえず邪魔でなかったようなので安心し、座って向き直った。


 ウェスの格好は朝の赤いドレスとは違い、鍛冶屋のような格好だ。

 髪を縛り、オーバーオールを着て、頬にすすをつけている。

 見るとこの部屋の暑さの中で汗ひとつかいてない。不思議だ。


「まず、ありがとう。色々と寝たら思い出したよ」


 それを聞いたウェスはらこちらの目をじっと見てきた。なんだろう?

 

「全て、ですか?」


「え?えと、助けてもらった事と、知識が流れ込んだ事。あとは手を握ってもらってた事を」


 じっと見てくる。目をただ見て、更にじっと見てくる。


「思い出したんだと思います。でも、一部思い出せてない所があります。はい」


 思わず敬語になってしまった。

 無言の圧力のようなものがのしかかってくるんだもの。仕方ない。 


「あ!俺を助けてくれたのは魔法的な何かなの?」


 異世界といえば魔法だ。ちょっと話を聞いてみたい所。

 決して話を逸らしたかった訳ではない。

 誤魔化した俺からウェスは目線を下げ、ふと息をつくと答えてくれた。


「そうですね。所謂魔法で貴方を助けました」





 聞くところによれば。

 魔法で死にかけの俺の体を呼んだ後、痛みに耐えられるように魂に麻酔のようなものをかけてくれたそうだ。

 それが言っていた魂の封印、凍結らしい。


 とはいえ体はすでに死にかけている、というか半分死んでいるので、回復魔法をかけ続けてくれていたとの事。

 死と生の綱引き状態だったため、どちらに転ぶかもわからなかったらしいが。


「かけ続けてくれたって、どれくらい?一日?まさか、一週間とか?」


 ウェスはまた目を伏せて、それから俺の目を見る。

 伝えるべきか悩んでいる時によくやる表情だとわかるようになってきたが、何をそんなに悩んでいるんだろう?


 ウェスは沈黙のあと俺の目をしっかりと見据え、告げた。


「2年です」


「え?」


「貴方は2年もの間、眠りについていました」


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