第87話 いつものように


 買い出しに行ったところを車に連れ込まれ、直後、何らかの薬品によって意識を失った。

 

 どれだけ時間が経ったかわからないが、気がつくと僕は椅子に縛り付けられていた。……一旦深呼吸、落ち着いて周囲を確認する。おそらく、元はオフィスとして使われていたどこかのビルの一室。白い天井と壁、フロアタイル。あとは窓とカーテンがあるだけで、酷く殺風景だ。


「手荒なことをして悪いね。でも、こっちも仕事なんだ」


 部屋の中には、目出し帽を被った男が三人。

 そのうちの一人が、やけに優しい声でいいながら大きなバッグを僕の前に置いた。


「わかってるとは思うけど、大きな声を出したらもっと荒っぽいことをしなくちゃならないから。……言ってる意味、わかるよね?」


 そう言われ、僕は素直に頷く。

 僕を攫った時の手際の良さ、三人の落ち着き払った目、声のトーン。これまで何をしてきたかは知らないが、まともな連中ではない。


「僕、お兄さんたちに何かしちゃったかな? 色んな人の恨み買ってるからわかんないや」


 極力余裕ぶって、ニッコリと笑う。

 僕だって怖い。怖いが、それを表に出しても仕方がない。


「若いのに肝がすわってるね。流石一星会のとこのお嬢さんだ」

「僕が誰だかわかってるんだ。今頃きっと、うちの親父ブチギレて僕のこと探し回ってるよ」

「だろうね。まあ、そこも諸々込みで納得できるお金貰ってるし構わないよ」


 僕の家や店を荒らしていたが、ついに強硬手段に出たようだ。

 ……ちょっと僕、怒らせ過ぎちゃったかな。まあ、無駄に弱味を掻き集めた自覚はあるけど。


 相手は国家権力側の人間だ。うちの従業員が警察に通報済みだとは思うが、確実に何らの根回しがある。まともに捜査してくれるとは思えない。


 親父もすぐには見つけられないだろうし、どうするよこれ。困ったぞ。


「僕がそっちの依頼主の倍の報酬用意するって言ったら?」

「魅力的だけど、今回の依頼主を裏切るのも怖いんだよ。ごめんね」


 ゴト、ゴト、ゴト。

 バッグの中からハンマーやペンチといった工具を取り出し、丁寧に床に並べていく。


「な、何してるの? ニトリの家具の組み立てなら僕も手伝うよ」

「お嬢さんもわかってるだろ。情報だよ、情報。どれだけ探しても出ないから、CDとかUSBとか、そういう形でどこかに隠してるんじゃないかな」

「えっ? あー……うんうん、そう。実は友達に預けてて、僕に何かあったら内容を公表するように――」

「キミの性格や普段の動向からして、誰かに預けて自分以外にリスクを分散してる可能性はないよ。キミは基本的に他人を信用しない、だから一番重要なことは任せない。数少ない心から信頼する友達に対しては、巻き込まないことを徹底する優しい子だ。自分以外が報復に遭ったりしちゃ怖いからね。だから、その内容も隠し場所もキミ一人が握ってる……違うかな?」


 一体いつから、どの時点から僕を監視していたのかは知らないが、背筋が凍るほど図星だった。

 男は「やっぱり」と呟く。平静をたもったつもりが、顔に出ていたらしい。


「こっちとしてはお嬢さんみたいな可愛い子を痛めつける趣味はないから、サクッと吐いてもらえると助かるんだけどね」


 取り出した電動ドリルの動作確認をしながら、男は言った。

 それが何に使用されるのか、想像もしたくない。


「……ちなみに聞くけど、吐いたら命は助けてくれる?」


 沈黙。回答はない。

 そりゃそうか。いくらデータを破棄したところで、僕の頭の中には存在するわけだし。ここまで事態を大きくした張本人であるところの僕を、このまま生かしておくのはリスクでしかない。


「……わかった。じゃあ吐くから、せめて痛くないようにやってよ」

「お、おいおい、潔いにも程があるだろ。普通こういう時は、泣いたり喚いたりするものじゃないか?」

「僕も色々やっちゃった自覚はあるからね。消される覚悟はしてたさ。……んで、どうするの? 今ここで吐かなくてもいいってなら、死んでも口を割らないけど」


 男は肩をすくめ、「じゃあ言ってみて」とため息混じりに呟いた。

 僕はスッと息を吸い、口を開く。


「北海道だ!」

「……は?」

「北海道夕張市に田村さんっていうメロン農家さんがいるんだけど、そこのビニールハウスに隠してあるよ。いやマジで、本当に」


 そう言うと男は、後ろの一人の男に目配せした。

 男はどこかに電話をかけ、話すこと数分。電話を切り、首を横に振る。


「今調べてもらったけど、北海道の夕張市に田村なんて名字のメロン農家はいないってさ」

「え、えーっと、じゃあ吉川さんだったかな? 今井さんだった気もしてきた」

「助けを期待して時間稼ぎしてるとこ悪いけど、今のところ誰も来る気配はないよ。残念だったね」


 後ろの男の一人は、ずっとタブレットを持っている。

 きっと、建物の中や外に監視カメラを設置しているのだろう。あのタブレットで、映像を逐一確認しているに違いない。


「普通はこんな工具を並べられたら縮み上がっちゃうんだけど、ハッタリをかますなんてキミは予想以上だ。……よし、だったらこうしよう。今から外にいる仲間に、キミの友達を攫って来るように頼むよ。工具これは、その友達に使おうかな」

「……え?」


 必死にたもっていた冷静さが、頭の中で音を立てて崩れていく。


 僕は無駄に友達が多いが、言っちゃ悪いがその大半がどうでもいい人間だ。


 だから安心――なわけがない。

 こいつらは、確実に僕の交友関係を熟知している。誰を連れてくれば僕にダメージを与えられるか、完璧に把握している。


 でも、データを渡したら僕が死ぬ。

 それはいいとしても、天王寺さんたちを助けられなくなるかもしれない。それだけは嫌だ。


「顔色が変わったね。んじゃ、早速手配して」


 そう言いながら後ろへ向くと、男の一人がコクリと頷いた。

 心臓が激しく脈打ち、嫌な汗がぶわっと顔を覆う。口の中が渇いて、車に酔った時のように気分が悪くなる。わけがわからなくて、涙が零れる。


 どうしよう。どうしよう。どうしよう。


 ただ混乱する脳みそに、「ん?」と男の声が響いた。

 スマホを手に電話をかけようとしていたその男は、カーテンの切れ間に目をやって首を傾げている。


「どうかしたのか?」


 と、タブレットを持つ男は尋ねた。

 

「いや、向かいのビルの屋上に誰かが立ってて、こっち見てるんだけど……」




 ◆




「近くに着きましたけど、本当に通報しました? パトカーの一台も停まってないとかおかしくないですか?」

『警察も抱き込んでるんでしょ。ありそうな話よ』


 スマホのスピーカーから返って来た、涼し気な声。

 実の妹に近づくことを禁止されたクレイジーなシスコン。天王寺雪乃。


 一条先輩が危ない橋を渡っていると知り、俺が悩んだ末に頼ったのが彼女だった。


 以前雪乃さんは、朱日先輩のスマホを遠隔で覗き見していた。

 その手の分野に強いのなら、一条先輩のプライドを傷つけずに陰から見守ることができるのではないか。……と思い、相談したわけだ。


 雪乃さんのスキルは、素人の俺から見ても異常だ。


 一条先輩のスマホを通して攫われたことを確認し、すぐにスマホが処分されるも街中のあらゆるカメラから行方を追い、難なく居場所を突き止めてしまった。……ここまで高度な技術を妹のストーキングに使っていたのだから、本当に反省して欲しい。


『さっきも言ったけど、建物の中は監視カメラでいっぱいよ。一条さんがいるのは、一番上の六階。糸守の顔は割れてるでしょうし、見つかったら彼女がどうなるかわからないわ。こっちで侵入できるように頑張ってるから、あんたは大人しく待ってなさい』


 雪乃さんの言い分はもっともだが、今この瞬間にも一条先輩が酷い目に遭っているかもしれない。

 それなのに待つことしかできない現状に唇を噛んでいると、ふと、問題を一発で解決する妙案が降って来る。


「要するに、一瞬で一条先輩が捕まってるフロアに入れたらいいんですよね?」

『何その質問。あんた、テレポートとかできちゃうわけ?』

「それは流石に無理ですけど――」


 俺の考えを伝えると、雪乃さんは呆れたようなため息を漏らした。


『……バカじゃないのって言いたいけど、私、糸守が銃弾避けるとこ見ちゃってるしね。やってのけても驚きはしないわ』


 雪乃さんの了解を得たところで、俺は一条先輩が捕まってるところの向かいのビルに入った。階段を駆け上がり配管をよじ登り、どうにか屋上に辿り着く。


 端に立って距離を確認。

 その際、カーテンの切れ間から目出し帽を被った男の存在を確認する。向こうも俺に気づいたようで、ギョッと目を剥く。……よし、あそこか。


「じゃあ行ってきます。本当に色々とありがとうございました」

『気にしないで。あーちゃんの大事な友達なんだから、しっかり助けなさいよ』

「はいっ」


 通話を切って、スマホをポケットにしまい。

 俺は大きく助走をつけ、ビルから飛んだ。




 ◆




「いや、向かいのビルの屋上に誰かが立ってて、こっち見てるんだけど……」


 そう言って、男はカッと目を見開いた。

 「おい嘘だろっ」と漏らし、一歩二歩と後退る。


「お、屋上のやつがッ! こっちに飛び移ってこようと――」


 窓ガラスが割れる鋭い音が、続く言葉を掻き消す。


 舞い散る埃の中で、ぬらりと誰かが立ち上がった。

 その影は息つく間もなく駆け出し、突然のことに硬直する二人の男を瞬く間にノックアウト。パンパンと服についたガラス片を払い、こちらに身体を向ける。


「怪我はありませんか、一条先輩」


 そこに立っていたのは、いつものように微笑む糸守クンだった。

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