第82話 おっぱいに沢山の夢
しばらくして、要君は売り子をするため瑠璃さんのブースへ向かった。
残された私と一条さんは、自動販売機の隣のベンチに腰掛けて休憩する。
「あー、そうだ。三日前のこと、糸守クンから何か聞いてる?」
コーヒーを片手にスマホをいじっていた一条さんが、何かを思い出したように顔を上げた。
「三日前、ですか? いえ、何のことだか」
「あぁ、何も言ってないのか。糸守クンさ、その日の夜どっか出かけてたでしょ?」
「夜にランニングしたり、トレーニングをしているそうです。……どうしてそれを、一条さんが?」
「僕が直接見てたわけじゃないんだけど、色々動いてくれてる人から教えてもらってさ。その日彼、襲われたらしんだよね。五人くらいに」
初めて聞いた情報だ。
確か三日前の夜は、しこたま走って帰って来て、すぐにシャワーを浴びていた。そのあとはいつも通り映画を観ながらお酒を楽しみ、適当なところで寝たはず。……何でもない一日だったのに、まさか裏でそんなことがあったとは。
「それで、大丈夫だったのですか?」
「うん。糸守クンは何ともなかったよ。安心して」
「彼ではなく、襲った方です」
「あ、そっち?」
相手が五人だろうが五十人だろうが、勝敗は心配するまでもない。
それよりも相手に怪我をさせ、要君が法的に裁かれる方が私にとっては問題だ。
「そのあたり、糸守クンは抜かりないから平気だよ。……んで、ここからが本題なんだけどさ。襲った連中を捕まえて色々吐かせて、襲うよう指示した奴を見つけて喋らせてってやってたら、ある人の名前が出てきたんだ」
コーヒーを一口飲み、小さく息を漏らす。
「糸守クンの周りをちょろちょろしてる奴らを結構蹴散らしてきたけど、どうも深く調べてみると、そいつらの裏にもその人がいるっぽいんだよ。色んな人が同時多発的に糸守クンを狙ってるんじゃなくて、実際には黒幕一人が周りをそそのかして動かしてたみたいだね」
「……どこのどなたですか?」
「天王寺さんもよく知ってる人だよ」
と言って、彼女は名前を告げた。
それを聞いて、私はハッと息を飲み、目を見張り、最後に肩を落とした。
あまりにも呆れて、バカバカしくて、情けなくて声も出ない。自分のことではないのに恥ずかしく、激しい怒りに頭痛がする。
「でもまだ、完璧に裏が取れたわけじゃないんだ。向こうも上手いことやってるから、とりあえず天王寺さんは静観しといてもらえると助かるよ」
「……構いませんが、よろしいのですか? 私なら直接、おかしなことはしないようにと注意することもできますが」
「下手に刺激して、強硬手段に出られても困るだろ。こういう時は、相手にわからないよう袋小路に追い込んで、最後に一気に叩き潰さなきゃ」
黒々とした笑顔は、今日も今日とて絶好調。
今更だが、相手が私の関係者だとわかっていながら、こうも容赦のない発言ができるあたりこの人はすごい。色々な意味で、頭のネジが外れている。
「ところで天王寺さん、さっきの話なんだけどさ。僕が糸守クンにくっ付いた時、今まで見たことない感じで動揺してたよね? もしかして君って、家ではいつもあんな感じなの?」
「へっ!?」
素っ頓狂な声が漏れ、手の中からお茶のペットボトルが滑り落ちた。
別に忘れていたわけではないが、今の今までまったく追及されなかったため、気にされていないとばかり思っていた。
「何のことですか? 私にはさっぱり……」
ペットボトルを拾い上げ、私は白々しく首を傾げた。
要君は本当の私を受け入れてくれた。しかし、その他の人がどうかはわからない。
一条さんはメチャクチャな人で、要君の貞操を狙っていて、私の身体にも興味津々だが、それでも間違いなく大切な友人だ。私たちのためなら、きっと喜んで命を投げ出す愛すべきバカだ。本当の私を知られて、万が一にでも幻滅され、嫌われることは避けたい。
「さっぱりって、覚えてないの? じゃあさっきの、僕の勘違いだったのかな?」
「きっとそうです。しっかりしてくださいよ、一条さん」
と、言ってみたものの。
一条さんの疑いの眼差しは未だ健在で、無事誤魔化せた気がしない。
彼女は腰を上げ、空の缶をゴミ箱へ捨てに行った。
カランと空き缶を放り、私に背を向けたまま「ねえ」と口を開く。
「僕はさ、天王寺さんがどんな人だったとしても気にしないよ」
そう言って振り返り、つい先ほどの黒い表情とはかけ離れた、屈託のない笑みを浮かべた。
フンと誇らしそうに鼻息を漏らして腰に手を当て、子供のように堂々とピースをする。
「何てったって僕は、君を抱きたくて仕方ないんだ! 仮に中身がドクズの極悪人だったとしても、そのおっぱいに沢山の夢が詰まってることに変わりはないわけだし! 一ミクロも気にせず美味しく頂いちゃうよ!」
その場合は、流石にちょっとくらい気にした方がいいのではと思ったが。
それはさておき。
……少しだけ。
ほんの少しだけ、だが。
要君だけでなく、この人とも腹を割って、膝を突き合わせて、何も包み隠さず話してもいいのではと思った。
『絵に描いたお嬢様みたいな天王寺先輩じゃなくても、受け入れてくれる人はいますよ』
要君と初めて会った夜、彼が私に贈った言葉を思い出した。
一条さんはネタでも何でもなく、心の底から私を抱きたいと思っている。だからこそ、中身の美醜など眼中にない気がする。
要君以外に受け入れてくれる人、か。
そういう人が増えるのは、間違いなく心強いことだ。お酒を呑むとより楽しい一条さんと、隠し事一つなく夜通し騒いでみたい。バカ話をして、たまに吐いて、要君のどこが好きか言い合ってみたい。
ただそうなると、要君はどう思うのだろう。
俺だけが知ってる朱日先輩なのに、とか考えちゃうのかな。
嫉妬して、でもこれが朱日先輩のためなんだとか葛藤して、自己嫌悪とかしちゃうのかな。いっぱい悩んで、頭の中全部、私のことで埋まっちゃうのかな。
……へへっ。
もしそうだったら、嬉しいな。
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