第80話 天王寺さんがいなきゃ生きていけない


「大変申し訳ございませんでしたぁああああ!!」


 泥人形のように顔色の悪い猫屋敷さんは、ちんまりとした身体を更に小さく丸めて、床に額を押し当てていた。朱日先輩に肩を叩かれてようやく立ち上がるも、その表情は焦りに満ちている。


「そもそも、どうしてこのような同人誌を出したのですか? 別に私や竜ヶ峰さんがモデルでなくてもよいのでは?」


 朱日先輩の指摘はもっともだ。

 これだけ上手いわけだし、リアルの友人をモデルにするまでもなく、魅力的なキャラクターに仕上がるだろう。わざわざリスクを冒す意味がわからない。


「そ、その何て言うか、これには色々と事情があって……」

「聞かせてください」


 相変わらずの無表情だが、そこに怒りは感じない。どうしてだろう、という純粋な疑問だけがそこにある。

 それは猫屋敷さんにもわかるようで、少し安心したのか小さく深呼吸した。


「竜ちゃんには結構前に言ったことあるんやけど……うち、漫画家目指しててな。中学の頃から、色んな新人賞に応募しててん」


 ……す、すごいな。見た目のわりに大人びたところがあるとは思っていたが、中学生の時点で将来を見据えて活動していたとは。


 俺の中学時代なんて、教室の隅でゴソゴソ勉強してただけだぞ。


「一応担当も付いてて、雑誌に載せる読み切りの打ち合わせとかもしとったんやけど……。何描いてもボロクソ言われて、直せ言うとこ直したら何か違うって返されて、段々何がオモロいんかわからんくなって……」


 俺には想像もできない世界の話だが、その過酷さは猫屋敷さんの沈んだ声音が物語る。


「どうしようもないから、息抜きでツイッターにイラストあげとってな。〝自分が思う最強に可愛い女の子〟ってタイトル付けて。……んで、何枚か投稿したうちの二枚がエゲツないくらいバズって。それが……そ、その……」

「私と竜ヶ峰さんを元にしたキャラだった、と?」


 朱日先輩の問いに、猫屋敷さんはおずおずと頷いた。


「マ、マジで無意識なんや! うちが可愛いって思うもん描いとったら、いつの間にかああなってて! バズった時に朱日ちゃんと竜ちゃんやって気づいたんやけど、色んな人にもっと見たいって言われたんが嬉し過ぎて、消すとか無理やったんや……」


 「そんな時な」と猫屋敷さんは続けた。

 両の瞳に怒りを宿して。


「漫画の打ち合わせで担当と電話しとったら、うちがバズった話になったんや。そしたらあいつ、あんなのでもウケるんですねって笑い出して……!」


 ギリッと奥歯を噛み締め、目を細めて記憶の先にいる編集者を睨みつけた。


「全然新しくないとか特別可愛くないとか、わけわからんくらいディスってくるんやで! うちからしたら、いっぱい褒めてくれたフォロワーさんをバカにされたも同然やし、何より朱日ちゃんと竜ちゃんを貶されたみたいでくそ胸糞悪かってん! だから、言ってやったわ! この子たちの漫画で売れたるって!」

「結果、『さいかわ学園』が完成したと?」

「そう! 漫画研究会の人が言うてたけど、マジですごい人気でな! 担当が手のひら返して連絡してきたから、ブチギレて着拒したったわ! ……た、ただまあ、ずっと隠してたんは本当にごめん。言い出すタイミング完全に逃して、できるなら墓場まで持って行くつもりでおったから……」


 漫画研究会の人から『さいかわ学園』を借り、一条先輩と一緒に読んでいた竜ヶ峰さん。彼はスクッと立ち上がり、早足で猫屋敷さんに詰め寄る。

 細い指で猫屋敷さんの肩を掴み、切れ長の瞳で見下ろした。その双眸は僅かに潤んでおり、薄い唇をキュッと噛み締める。


「ど、どしたん、竜ちゃん。もしかして、怒ってる?」

「……怒ってない」

「ほんまに? いや、怒ってええんやで? 怒られて当然なことしてると思うし……」

「猫ちゃんが自分の夢のために……い、一生懸命やってるんだもん。ぼくをネタにするくらい、全然いいよっ」


 相変わらずの男なのか女なのかわからない声で紡いで、肩を掴む手に力を込めた。

 状況がわからず、目を白黒させる猫屋敷さん。竜ヶ峰さんは小さく息を吐き、「でも……」と不服そうに眉を寄せる。


「どうせ恋愛するなら……ね、猫ちゃんとがよかった……!」

「は、はぁ!? いやいや竜ちゃん、恋愛してるやん! 現在進行形で……う、うち、竜ちゃんのこと好きやで?」

「わかってるけど、そういうことじゃなくて。漫画の中でも、猫ちゃんがよかった……! 天王寺さんが嫌とかじゃないけど……ぼくは、猫ちゃんがいい……っ」


 今にも泣き出しそうな竜ヶ峰さん。

 猫屋敷さんは素っ頓狂な声を漏らして驚き、彼の背中を撫でてどうにかなだめる。

 ……ダメだ。女の子同士が戯れているようにしか見えない。百合を眺めて楽しむ趣味などないのに、不思議と顔がにやけてしまう。


「今度はうちと竜ちゃんの漫画描くから! なっ、それでええやろ?」

「……本当に?」

「うちが竜ちゃんに嘘つくわけないやん! 絶対に描く! 約束やから!」


 小指を絡ませて約束すると、竜ヶ峰さんはずずっと鼻をすすって身を引いた。

 猫屋敷さんはひと仕事終えたように額の汗を拭い、すぐに朱日先輩へ視線を流す。


「朱日ちゃんも何かあったら、気にせず言うてや。……消せ言うなら、今すぐ全部消すし」

「いえ、これに関して特に何も。私も広義の意味では創作者の端くれなので、瑠璃さんの悩みや怒りは理解できます。私でよければ、今後も大いに活用してください」


 猫屋敷さんはホッと胸を撫で下ろすが、朱日先輩はすぐさま「ただ」と切り返す。


「新刊が糸村さんと九条さんのお話というのは、どういうことですか? そこはせめて、天上院さんと糸村さんでは?」

「えっ、そこですか?」


 思わぬところに突っ込みを入れたため、つい口を出してしまった。

 彼女は俺をジッと睨み、やや不機嫌そうに鼻息を漏らす。


「いやー、面白かった! ちゃんとえっちなシーンもあって、つい三周もしちゃったよ! 新刊買うからサインちょうだいね!」


 ここまでずっと黙ってスマホと睨めっこしていた一条先輩が、ようやく立ち上がった。

 鼻歌混じりに猫屋敷さんに近づき、馴れ馴れしく肩を組む。


「あーでも、僕ちょっと傷ついちゃったなぁ。この傷はきっと、天上院さんと九条さんの漫画を描いてくれなくちゃ癒されないなぁ」

「いや、嘘やん! 絶対嘘やん! 三周もしといて傷つくもくそもあるかい!」

「友達を勝手にネタにして、しかもお金稼いどいて、その言い草はないんじゃない?」

「あっ……えっと、はい。天上院さんと九条さんの本、謹んで描かせていただきます……」

「瑠璃さん。天上院さんと糸村さんもお忘れなく」

「は、はい……」


 朱日先輩と一条先輩がメチャクチャを言っているが、この件に関しては仕方がない。全面的に猫屋敷さんが悪いのだから。


「あのー……それで結局、何で新刊のモデルが俺と一条先輩なんですか? 猫屋敷さんのファンの人たちは、天上院さんと竜ヶ崎さんの絡みが見たいのでは?」


 話を聞く限り、『さいかわ学園』誕生のきっかけはその二人のキャラがバズったことだ。

 先ほど彼女のツイッターを確認したが、糸村さんと九条さんのイラストは投稿されているものの、前の二人以上の反響はない。数字だけを見るなら、天上院さんと竜ヶ崎さんを使うべきだ。


「……しゃ、しゃーないやん」


 猫屋敷さんはボソッと呟いて、俺と一条先輩を交互に見た。


「自分らオモロいねん! 二人して同じ人好きなくせに普通に仲良くしとるし! 顔合わせたらいっつも漫才みたいなことしとるし! そんなもん傍で見せられたら、色々妄想してまうやん! 描きたくて仕方なくなってまうやん!」

「だってさ、糸守クン。じゃあ要望に応えて、僕との夫婦漫才でM-1目指してみる?」

「何で夫婦になってるんですか。嫌ですよ、一条先輩とだけは」

「仕方ないなぁ。じゃあ僕、天王寺さんもらうからいいよ」

「譲歩してる感出して何言ってるんですか!? だったら俺がやります!」

「え、僕と夫婦漫才を? ふふっ、大胆なプロポーズだね」

「それ!! マジでそういうのが、うちの創作意欲をビシバシ刺激すんねん!!」


 いつも通りおふざけ全開な一条先輩は置いておいて、新刊の経緯についてはわかった。

 ……俺と一条先輩の会話をそういう目で見ていたことに少し思うところはあるが、まあ別にそれはいいか。


「ひ、一つ、よろしいでしょうか!」


 黙って聞いていた漫画研究会の一人が、満面の笑みでビシッと手を挙げた。


「ruri先生! 今度のコミマで、天王寺さんたちに売り子をしていただくのはどうでしょう! 天上院さんたちのコスプレをして! わ、私……完全再現された天上院さん、見たいです!!」


 朱日先輩と天上院さんの違いは、細かい装飾と服装くらいだ。外見はほぼ同じなため、再現は容易だろう。

 この提案に、「いいねそれ!」と一条先輩が食いつく。猫屋敷さんに駆け寄り、小さな手を取ってギュッと握り締める。


「僕も見たい! 超見たい! ねっ、いいだろう? そうしようよ!」

「い、いや、うちに聞かれても。ってか晶ちゃん、売り子って何かわかってる?」

「知らない。パパ活みたいな感じ?」

「それは売り子やなくて売春ウリや! えーっと、まあ主な仕事は本を売ることやな。お金受け取ってお釣り渡したり、そんな感じ」

「だったら簡単じゃん! 天王寺さんたちもいいでしょ? やろうよー!」


 朱日先輩と竜ヶ峰さんの腕を取って抱き寄せ、一条先輩は媚びたような声で言った。


「……猫ちゃんの助けになるなら……や、やろう……かな……」

「私も構いませんよ。コスプレというものに興味があったので」


 猫屋敷さんは何か言いたげだが、彼ら彼女らを勝手にネタにした負い目があるせいか、「ほんなら頼むわ……」と諦めたように肩を落とす。


「……あ、あの、俺は? 糸村さんって女性ですよね? だったら俺、無理ですよね?」


 このまま流れに任せていては、女装することになってしまう。

 それだけは避けようと声をあげたのだが、一条先輩は何言ってんだこいつと言いたげな目で俺を見る。


「何言ってるのさ。女装すればいいじゃん」

「いやいや、何言ってるんですか! 骨格的にも体格的にも、俺って完全に男ですし!」

「そのあたりは、うちのプロに任せておけばいいじゃん。きっと上手いことやってくれるよ」


 と言って、竜ヶ峰さんを見た。

 黙っていても喋っていても女の子にしか見えない、女装男子。彼は頼られて嬉しいのか、やる気に満ちた顔でコクコクと頷く。


「こ、コミマまであんまり時間ないですよね? そんなに早く、コスプレの衣装が完成するとは思えないんですけど……」

「竜ヶ峰さん、ゴスロリを自作しちゃうくらい裁縫できるんだよ。それにうちには、自分でアパレルやってる人がいるわけだし、本気出したら明日には出来上がってるんじゃない?」


 そう言って、今度は朱日先輩を見た。

 俺は必死に、彼女に目で訴える。女装は恥ずかしい、と。

 彼女は視線を斜め上にあげ、ぐるぐると思考を回す。その耳元に、一条先輩がそっと唇を寄せる。


「格好いい糸守クンが、メチャクチャ可愛くなって恥ずかしがってるところ見たくない? スカートがスースーするからって、一生懸命裾引っ張って隠して、臆病な子犬みたいに天王寺さんのあとをついて来るんだよ? 天王寺さんがいなきゃ生きていけないよーってな感じの顔で。絶対楽しいと思うけどなぁ……」


 悪魔の囁きに、朱日先輩の目が獲物を見つけた肉食動物のように輝き、ほんの僅か一瞬だけニヤリと白い歯を覗かせた。あまりにも可憐な悪い笑みに、俺はもう逃れられないことを確信する。


「コミマ、一緒に参加していただけますか? 私も要君のコスプレ、見てみたいです」


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