第79話 さいかわ学園
中高併せて六回学園祭を経験したが、どれも灰色の思い出だ。
中学の頃は古傷のせいで皆から距離を取られ、高校の頃は自分から距離を取り。……まあどれも自業自得なのだが、とにかく面白いと感じたことがない。
「どこから周りましょうか、要君」
でも、今は隣に彼女がいる。
デニムシャツに麻色のマキシ丈スカートとカジュアルな服装。それを凛と引き締める、黒のヒールブーツにスカートと同系色の大判ストール。……今日も可愛いなぁ、朱日先輩。家でも車の中でも散々見たけど、もっとずっと見ていたい。
「要君、聞いています? 大丈夫ですか?」
「あっ……えーっと、はい、大丈夫です。もうお昼なので、何か食べましょうか」
通りの脇にずらりと並ぶ出店。
サークルや部活が様々なお店を出しており、見た感じ七割は飲食系だ。
右へ左へ視線を動かしながら前へ進む。
活気に溢れ、皆一様に楽しそうで、俺の口元まで自然と緩む。
「あの」
ふと、服を引っ張られ足を止めた。
俺の歩く速度が速かったらしい。「す、すみません」と軽く頭を下げると、彼女はそっと手を差し出す。
「しっかりと捕まえておいてください。私が迷子になってもよろしいのですか?」
「えっ? ……だ、ダメです。迷子になっちゃ、ダメです」
「では……はい、どうぞ」
そう言って、ひらひらと手を揺らした。
今更手を繋ぐなど造作もないことだが、大学内では地味にこれが初めて。隣を歩くだけでも周囲の目がすごいのに、手を繋げばその注目度は格段に跳ね上がる。
「あれが噂の天王寺さんの彼氏……」
「フツーじゃない? 何がいいの?」
「いやぁ、きっとえげつない金持ちなんだよ」
ヒソヒソ声が背中に刺さる。
対して朱日先輩の反応は相変わらずで、何一つ気にしていない。
俺の視線に気づいてこちらに顔を向け、ぱちりと黄金の瞳が瞬く。
「可愛い彼女を見せびらかせて、気分良かったりする……?」
歩みをそのままに、ニッと白い歯を覗かせた。
肯定も否定もできないでいると、彼女は少しだけ不機嫌そうに眉をひそめて「可愛くないの?」と尋ねる。
「可愛いです……! とっても……か、可愛いに決まってるじゃないですかっ!」
「じゃあ、どうして何も言わないのさ」
「い、いやまあ、確かに気分はいいですけど……」
「けど?」
「……皆に見せるより、俺だけがひとり占めしたいって気持ちの方が強いので……」
どうせ隠しても仕方がない。
素直に白状すると、彼女は「ふーん」と表面上は余裕ぶって、しかし嬉しそうに頬を染めた。
星のように輝く金の髪と美しい横顔。俺の指を握って離さない、彼女の左手。
零れ落ちた左の横髪を右手で耳の後ろにかけ、スッと俺を見ながら桜色の唇を僅かに開く。
「要君はワガママで困っちゃうなぁ……へへっ……♡」
お姉さんを装いつつも、その顔は遊び盛りの子犬のような黄色い感情が隠せていない。
俺の手を一層強く握り締め、一歩二歩と大きく前へ踏み出す。
鼻歌でもうたうように、軽やかに。
「あっ! 天王寺さんに糸守クンじゃん! こっちこっちー!」
馴染みのある快活な声を向けられ、見るとそこにはジャージ姿で焼きそばを作る一条先輩がいた。
焼きそばの完成を待っていた小さなピンク髪と長身ゴスロリの二人、猫屋敷さんと竜ヶ峰さんもこちらに気づき、俺は軽く会釈する。
「こんにちは、瑠璃さん、竜ヶ峰さん。お二人も来ていたのですね」
「せっかくやしな。それより朱日ちゃん、晶ちゃんが焼きそば奢ってくれるらしいで」
「今腕によりをかけて作ってるからね! もうちょっとだけ待っててよ!」
両手にお好み焼き用のヘラを持ち、慣れた手つきで焼きそばを炒めてゆく。
俺は朱日先輩と目を合わせ、無言で小さく頷いた。昼食をどうするか話し合っていたところだし、ご馳走してくれるというのだから断るのも悪い。
「ここ、登山サークルの店ですよね? 一条先輩って登山に興味あったんですか?」
「いや、無いよ。苦労して坂登ってどうするのさ。僕なら車かバイクを使うね」
登山の全てを否定するような発言に、俺たちは一様に苦笑いを浮かべた。
「この人、出会い目的で入ってるから」
「こういうイベントか、お酒の席しか顔出さないんだよねー」
「まあ、よく働いてくれるからいいんだけど」
登山サークルのメンバーたちは口々に言って、対し一条先輩は「あははー」と笑って流す。
……普通なら絶対嫌われて追い出されるだろうに、何だかんだ受け入れられちゃうんだからすごいよな。俺には絶対真似できない。
「一条さんは、他にもたくさんのサークルや部活に所属していますよ。まともに活動しているところを見たことはありませんが」
「失礼だなぁ。一年生の時のアレは、僕にしてはかなり真面目に行ってたと思うけど」
「それは私を口説くためでしょう?」
「えっ? 朱日先輩って、何かサークルに入ってたんですか?」
「一応、アカペラのサークルに。一条さんとはそこで知り合いました」
どうして学部の違う朱日先輩と一条先輩の間に交流があるのか不思議に思っていたが、なるほど、そういうことだったのか。
「でも朱日先輩、今はサークル行ってないですよね? もう辞めちゃったんですか?」
「いや、あの、辞めたというか……」
「無くなっちゃったんだよ、サークル自体が。メンバーの半分くらいが天王寺さんに惚れちゃって、勝手に争い始めてさ。まあ僕は適当につまみ食いできたし、天王寺さんと仲良くなれたから別にいいけど」
無表情ながら、気まずそうな空気を出す朱日先輩。
この人のことだ。意図して興味のない異性の気を引くようなことはしない。
その容姿、その立ち振る舞いだけで、人心を惑わせサークルが一つ潰れた。こういうのを、傾国の美女というのだろう。
「ほら、できたよ! 晶ちゃん特製焼きそばだ!」
プラスチックの器に盛って俺たちに渡していき、最後にはキッチリと自分の財布からお金を出し、レジ担当の人に支払った。
それを尻目に屋台脇の申し訳程度のイートインスペースに座り、いただきますと手を合わせて焼きそばをすする。
うん、美味しい。
素朴で程よく刺激的な、お祭りの味だ。
「僕の愛情がたっぷり入ってるからね! 惚れること間違いなしだよ!」
……何か急に、食欲が失せてきた。
大丈夫だよな、この焼きそば。愛情って、何かの隠語じゃないよな。この人は前科があり過ぎて、どうしたって疑ってしまう。
「一条さん、今日はもうあがっていいよ」
「朝からよく働いてくれたしね。焼きそばも自分の分持って行きな」
「本当!? ありがとー!」
登山サークルの面々に背中を押され、一条先輩は自分の分の焼きそばを持ってこちらにやって来た。
◆
一条先輩、猫屋敷さん、竜ヶ峰さんが加わり、五人で学園祭を見て周った。
演劇サークルの寸劇を鑑賞したり、美術部に似顔絵を描いてもらったり、フリーマーケットで手作りのアクセサリーを購入したり。
あちこち歩いて少し疲れたのもあり、休憩がてら静かなところへ行こうと漫画研究会の展示に向かった。
「て、天王寺さんだ……!!」
「何でこんなところに……!?」
誰もお客さんがいないせいか、テーブルに突っ伏してだらけ切っていた受付の女性二人が、朱日先輩を見るなりバシッと勢いよく立ち上がった。
今日あちこち周ったが、行く先々で大なり小なり同じような反応に出会う。……本当にすごいな、この人。ミスコン二連覇は伊達じゃない。
「うわぁ、これ全部自分たちで描いたの? すごいなぁ!」
教室一つを丸ごと使い、沢山のイラストが並べられ、自作の漫画が置かれていた。
興味津々で漫画を読み始めた一条先輩。俺たちはイラストを順に見て行き、最後に壁に貼られた大きな白い紙に行き着く。
「これは何ですか?」
朱日先輩の問いに、受付の二人が血相を変えてすっ飛んできた。
「あっ! そ、それはですね! 来た人に好きに何か描いてもらおうかなーっていう……まあ、そういう感じです!」
「て、展示物が足りなくて! 上手いこと穴埋めできたらなーって思って!」
そう言って、鉛筆やマーカーなどがごちゃ混ぜに入った箱をこちらに差し出した。
朱日先輩は少し迷って、青色の色鉛筆を手に取る。
「朱日ちゃん、何か描くん?」
「はい。せっかくなので」
真っ白な紙の上に、迷うことなく色鉛筆を走らせた。
右へ左へ、上へ下へ、華麗な手捌き。数分と経たず、あまりにもリアルで今にも飛び出してきそうな犬が完成する。
「……ま、待ってください。上手過ぎません?」
「何言っとん、ゴリラ先輩。朱日ちゃんのお母さん、絵描きやで? 今やっとるアパレルのデザインも、朱日ちゃんがやっとんのに」
言われて思い出した。
そうだ。朱日先輩のお母さん、芸術家だった。
……にしたって、何だこれ。
言っちゃ悪いが、たぶん美術部の人たちより上手いぞ。漫画研究会の二人も見惚れてるし。
この容姿で、良家の生まれで、お金を稼ぐ才能があって、芸術の分野も隙がないとか、前世でどんな徳を積んだんだ。世界の一つや二つ救ってないと説明がつかないだろ。
【絵の上手さなら、猫ちゃんも負けてないですよ!】
スマホに綴った文章を見せつけ、竜ヶ峰さんはフンスと鼻息を荒げた。
当の猫屋敷さんはなぜか嫌そうな顔をするが、竜ヶ峰さんに鉛筆を持たされため息を漏らす。
「軽くな、ほんの軽く。ちょっとだけやで」
と言って、仕方なさそうに描き始めたのだが……。
上手い。べらぼうに上手い。
朱日先輩とはまた違う、どちらかというと漫画研究会の分野。アニメや漫画のような、サブカル的なタッチ。完成したそれは、大人っぽい女の子のイラストだった。
「おおー……!!」
これには竜ヶ峰さんもご満悦。パチパチと小さく拍手する。
猫屋敷さんも満更ではない様子で、得意そうに鼻を鳴らして鉛筆を箱に戻す。
「……あれ?」
漫画研究会の一人が、その絵を見て首を傾げた。
「この絵柄、どっかで見たような……」
おもむろにスマホを取り出し、何やら操作し始めた。
猫屋敷さんはというと、なぜか顔面蒼白で硬直していた。
いつもの飄々とした雰囲気はなく、切羽詰まったような印象を覚える。
「あった! これですよ、これ!」
そう言って見せられた画面には、誰かのツイッターが表示されていた。
アカウント名はruri。プロフィールには漫画やイラストを投稿している旨が記載されており、フォロワー数は三十万人越え。投稿しているイラストを見せてもらうと、確かに猫屋敷さんが今描いた絵と酷似している。
【これ、猫ちゃんのアカウント? すごいじゃん、フォロワーいっぱい!】
「……い、いや、ちゃうから。うちじゃないし」
「しかし瑠璃さん、絵の感じがまったく同じですし、アカウント名もruriですよ?」
「偶然やって! そ、そういうこともあるやろ!?」
「……何で誤魔化そうとするんですか、猫屋敷さん。何か問題でも?」
絵が同じで、名前が同じで、反応を見るに当たりであることは明白だ。
この状況で嘘をつく理由がわからず、俺は眉を寄せる。
「ほ、本当にruri先生なんですか!? 私、先生の『さいかわ学園』の大ファンなんですよー!」
「か、勘弁して……マジで、ここでは……」
「先生の同人誌、いつも鞄に入れて読み返しまくってるんです! お願いします、サインください!」
顔の穴という穴から脂汗を垂らす猫屋敷さん。
しかし女性の耳には入っておらず、目を爛々と輝かせながら鞄から一冊の冊子を取り出した。
「……ん?」
表紙に描かれた、二人の女性。
一人は金髪美女で、もう一人は黒髪美女。
朱日先輩と竜ヶ峰さんも何か気づいたようで、二人は同時に顔を見合わせた。
「その『さいかわ学園』って、どういう漫画なんですか?」
俺が尋ねると、彼女は冊子を掲げながら満面の笑みを浮かべた。
「完璧超人の
もはやどうしたって言い逃れができる状況ではなく、猫屋敷さんは床にうずくまり悶絶していた。
「あっ! ちなみになんですけど、今度のコミマで新しいカップルを描いた同人誌が出るんですよ! スポーツマンな
どこかで聞いたような話に、俺は猫屋敷さんに目をやった。
彼女は床に横たわり、今にも死にそうな呼吸音を響かせながら、汗なのか涙なのかわからない液体を垂れ流していた。
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