第70話 静かにしろよ、ノリ悪いな
「あははは! マジでさ、あの時はどうしようかと思ったよ!」
就活の情報交換会と銘打っておきながら、肝心の情報交換はほぼ行われず。
一条先輩は巧みな話術で全員を笑わせつつ、しっかりと女の子の聞き役にも回り、ターゲットたちとの距離を着実に詰めていた。
俺が席に着いた段階では、まだ彼女たちの目に警戒心があった。
しかし、今はもう見る影もなく、一条先輩に対し好意的な視線を向けている。
一応、彼女の援護に回るつもりで来た俺だが、最初に普通の友達だと言って以降はずっと置物状態。適当に笑って、相槌を打って、時折店員を呼び注文する係。……初めて行った合コンを思い出し、まるで成長していない自分に少し落ち込む。
「あっ、ごめん。ちょっとトイレ行ってくる!」
ひらひらと手を振って席を立った一条先輩。
不意に三人と目が合い、俺たちは下手くそな作り笑いを交換する。
何だこの、友達の友達と一緒にいるみたいな感覚。
メチャクチャ気まずい。こういう時、どうすればいいんだ。
「こ、このお店、料理美味しいですね……!」
どうにか絞り出した言葉に、三人は戸惑いつつも「そうですね」「美味しいです」と同意してくれた。
しかしそこから会話は広がらず、ズンと沈黙が肩にのしかかる。
……こんなに一条先輩を恋しく思う日が来るとは思わなかった。
お願いだ、早く戻って来てくれ。
「ねぇ、君たち何の集まり? よかったら俺たちも混ぜてよ」
隣の席で呑んでいた四人組の男。
そのうちの一人が、酒気混じりの上機嫌な顔で俺たちに言った。
「メンツは多い方がいいじゃん! いいよねっ、ねっ!」
そう言いながら向かい側のソファに座り、女性の一人の肩に腕を回した。
男たちの様相が明らかにヤンチャしていそうで、女性陣の顔に恐怖が灯る。
「ちょ、ちょっと待ってください。何してるんですか」
席を立って抗議すると、別の男が近づいてきて俺の胸をどんと押す。
「はたで聞いてたけど、お前つまんねぇんだから黙ってろよ。ってか、今トイレ行ってる奴も連れて帰れ」
つまらないのは真実なので別に構わないが、はいはいそうですかと帰るわけにはいかない。
ひとまず店員を呼ぼう。
そう思って周囲を見回しかけたところで、「きゃっ」と小さな悲鳴が鼓膜に届く。
「静かにしろよ、ノリ悪ぃなー」
ソファに座っていた男は品のない笑みを浮かべ、女性の胸に触れようとしていた。
女性は必死に抵抗するが、細い腕では男の手を防ぎ切れない。
「……あぁ、もう」
彼女とは今日知り合っただけで、ほぼ他人だ。
朱日先輩やその関係者ならともかく、他人のために動くようなお人好しはもう随分と前に卒業した。
しかし、彼女のあの怯える目が、初めて会った時の朱日先輩の目と重なる。
怖くて助けて欲しくてどうしようもなくなっている、あの目と。
「痛だだだだっ!! い、痛い痛い痛い!!」
ソファの男に近づき、肩に手を置いて思い切り掴み、力任せに立ち上がらせた。
服に指が食い込み、肉と骨が軋む。男は苦悶の表情を浮かべ、目を白黒させている。
酒に酔っているせいなのか、元来そういう性格なのかは知らないし、そんなことはどうでもいいのだが……。
あの女性に苦痛を味わわせておいて、いざ自分が少しやり返された程度のことで、一丁前に被害者面をしていることに酷く腹が立つ。今この場において、可哀想なのはお前じゃない。
「静かにしろよ、ノリ悪いな」
◆
「ふふふっ。よしよし、いい調子だぞ……!」
トイレの鏡の前に立ち、僕は必死に抑えていたニヤケ面を解放していた。
糸守クンを連れて来て正解だった。
彼の無害さが僕に安全性を付与してくれたおかげで、もうあの三人はかなり心を許してくれている。
このあともう一軒行って、終電を逃したところで僕の家に誘おう。
それでチェックメイトだ。
ふふっ。ふふふっ……!
あー、ダメダメ。また顔が緩んできた。
しっかりしないとな。最後のその瞬間まで、牙は研いでおかないと。
何度か深呼吸して、何の毒気もない凛とした笑みを鏡で確認して。
トイレを出て席に戻ると、なぜかさっきまでと空気が一変していた。
「糸守さんって何か格闘技とかやってるんですか?」
「すっごい! ちょっと触ってみなよ、筋肉やばっ!」
「あの……よ、よければ連絡先の交換とか……」
「いや、その、恋人がいるので、そういうのはちょっと……。っていうか、離れてくれませんか……?」
ソファ席の方へ移動し、女の子たちの間に挟まれている糸守クン。
ペタペタと腹筋を触られ、おっぱいを押し当てられ、彼は居心地悪そうに笑っている。
「……は?」
何だこれ。
どうして僕の獲物が、全部糸守クンにとられてるんだ。
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