第三章

第68話 唐揚げ喉に詰めて死ねばいいのに


「要君、次はどれにしますか?」

「あ、あの……朱日先輩……」

「何ですか? 唐揚げにします?」

「いや、そうじゃなくて……」

「はい、あーん」

「……」


 九月下旬。

 長かった夏休みが終わり、後期授業が始まった。


 昼食はいつも通り素うどん――ではなく、朱日先輩お手製のお弁当だ。


 それは嬉しい、心底嬉しい。

 ただ大勢がいる大学の中庭で、あーんは勘弁して欲しい。周りからの視線が痛過ぎて、味がまったくわからない。


「おいあいつ、夏休み前に天王寺さんと噂になってたやつじゃないか……?」

「何だ、やっぱり付き合ってるのかよ」

「……唐揚げ喉に詰めて死ねばいいのに」


 凄まじい怨嗟の声。じっとりとした羨望の眼差し。苛立ちを隠そうともしない舌打ち。


 尋常ではない殺意に、嫌な汗が止まらない。

 俺の様子がおかしいのを見て、朱日先輩は周りを見回す。すると皆一様に険しい顔を引っ込めて、何事もなかったようにニコニコと笑う。……お前ら役者かよ。


「気持ちは嬉しいんですけど、自分で食べられますよ。本当に大丈夫、平気ですからっ」

「勘違いしないでください。これは私の身を守るための行為です」

「は、はい……?」

「私に近づきたい人間は大勢います。だからこそ、こうして周りに要君の存在をアピールし、不用意なアプローチを減らす作戦なのです」


 な、なるほど。そういうことだったのか。

 確かに朱日先輩と付き合いたい人間は多い。男女関係なく、彼女はモテる。


「……察しが悪くてすみません。そうとも知らず俺、恥ずかしがったりして……」

「まったくですよ。彼氏ならそのあたり、しっかりしてください」

「では、続きをしましょう。朱日先輩の安全のためなら、いくらでも付き合いますので……!」

「ありがとうございます。それで要君、次はどれにしますか?」

「えーっと……じゃあ、きんぴらでお願いしますっ」

「はいどうぞ、あーん」

「あぁもう本当に美味しいです! 一生食べたいくらいですよ!」

「そうそう、偉いですよ要君。その調子で、オーバーにリアクションしてください。私の安全のために」

「わ、わかりました……!」

「……うへへ」


 一瞬、朱日先輩が悪い笑みを浮かべたような気がした。

 まさか、イチャつきたいがために嘘をついたのか? いやいや、そんなまさか。きっと見間違いだろう。


「あー! ちょうどいいところに!」


 秋になっても変わらないボーイッシュな服装にジャラジャラとしたシルバーアクセサリー。

 一条先輩は俺たちを指差し、「助けてよ糸守クン!」と全力で駆け寄って来る。


「な、何ですかいきなり。絶対にロクなことじゃないでしょ」

「決めつけはよくないよ! マジのマジで今僕、ハイパーピンチなんだから!」


 俺の手を取り、赤みがかった瞳をウルウルと揺らした。

 朱日先輩はお弁当を置き、眉を僅かに下げて首を傾げる。


「どうされましたか? 事としだいによっては、私もお手伝いしますが」

「んー、ごめん。今回は糸守クンじゃなきゃダメなんだ! どうしてもって言うなら、僕の身体を慰めるのを手伝って欲し――」

「要君、次は何を食べますか?」

「ちょ、ちょっと待って! 話聞いてよー!」


 どうせロクなことじゃないとわかってはいるが……。

 一条先輩のことだ。話を聞くまでは、どれだけ追い払っても無駄だろう。


「……わかりました。聞かせてください」


 ため息混じりに言うと、彼女はパッと顔を明るくした。


「実は僕さ、今狙ってる子が三人いるんだよね。あっ、でも重要度で言ったら天王寺さんや糸守クンよりも下だから! 二人がSランクだとしたら、三人はAランクってとこかな? だから嫉妬しなくていいからね!」

「今の話の中に、俺たちが嫉妬する要素ありました……?」

「ただその子たちさ、僕のこと警戒してるんだよ。呑みに誘っても全然来てくれなくて……」

「何でですか? 向こうが異性で、遠慮してるとか?」

「いや、全員女の子だよ。僕、何かやっちゃったのかなぁ。その子たちの友達の一人を食べちゃったことくらいしか心当たりがないよ」

「「それです」」


 何かやっちゃったもなにも、ヤッてるじゃないか。

 そりゃ警戒されて当然だ。同性といえど、自分たちをゴリゴリに性的に見ている相手と安易に呑みに行くわけがない。


「でも何とこの度、三人と呑みに行く約束をとりつけたんだ!」

「よかったじゃないですか。どんな手を使ったんです?」

「就活の情報交換会って名目でおびき寄せた」

「……おびき寄せたって、魚じゃないんですから。そもそも一条先輩って、就活してるんですか?」

「あははっ、するわけないだろ。僕が誰かの下で働けるようなタマに見えるかい? 大体こんなの雇ったら、職場の気に入ったひと皆に手を出して人間関係ぶっ壊しちゃうよ」

「それもそうですね……」


 まったく否定できず、俺は苦笑いを浮かべた。

 そもそも一条先輩は、現在BARを経営している。稼ぎのほどは聞いていないが、少なくともそういう路線で食べていくのだろう。


「話を聞く限り、要君の手が必要な理由がわからないのですが」

「いくら情報交換会って言っても、僕とその三人だけじゃやっぱり警戒されちゃうだろ? だから僕は考えたわけさ、適当なのを何人か用意しようって。んで何とか二人見繕って、六人で呑みに行くことになったわけ!」


 「でもねぇ……」と続けて、大きなため息を落とし腕を組む。


「呑み会は今日なのに、その二人、急に体調崩して行けなくなったんだ。そんなのAランクの子たちに言ったら、こいつは嘘までついて自分たちに近づこうとしてるって、余計に警戒されちゃうよ」


 あぁ、そういうことか。

 一条先輩の思考が読めた。朱日先輩も同じようで、無表情の中に軽蔑を一滴垂らして彼女を見つめる。


「お願いだ、糸守クン! 今夜、僕と一緒に呑み会に参加してくれ!」


 プライドも何もかもかなぐり捨てた、あまりにも綺麗な土下座だった。

 まさかここまでするとは思わず、頭を上げるよう肩を叩く。しかし彼女は、一向に体勢を崩そうとしない。


「な、何で俺なんですか。向こうを安心させるって点なら、朱日先輩の方がいいんじゃないですか? 同性なわけですし」

「天王寺さんは美人過ぎるんだよ! 何で女を落とそうって時に、僕より可愛くて格好いい完璧超人を連れて行かなきゃならないのさ!」


 一理ある、と思ってしまった。

 朱日先輩の美貌は老若男女にぶっ刺さる。最悪、向こうが朱日先輩に惚れかねない。


「頼むよ糸守クン! 僕さ、セフレとか悪巧みする友達は福袋に詰めて売るくらいいるけど、こうやって普通のお願い事できる友達は少ないんだよー!」

「……最低な上に悲し過ぎるでしょ、一条先輩の交友関係」

「それに糸守クンは天王寺さん一筋! 無害そうな顔してるし、僕の獲物をとる心配もないし、今日の呑み会にこの上ないくらい最適な人員なんだ!」

「……ま、まあ、確かに俺は朱日先輩以外どうでもいいですけど……」

「ほらやっぱり! ねっ、お願いだよー! お礼は身体で払うからさぁ!」

「さらっと自分の欲求を叶えようとするんじゃねえよ」


 ドッと息をついて、朱日先輩に視線を流した。


 正直なところ、俺はどっちでもいい。

 問題はこの人だ。彼女がダメだと言ったら行かないし、行けと言うならその通りにする。


「よろしいのではないですか。女性と一対一で呑みに行く、というわけではないですし。要君、力を貸してあげてください」


 その言葉に、一条先輩はバッと立ち上がり「やったー!!」と全力でガッツポーズした。

 オリンピックで金メダルを獲った時並のリアクションに、俺は普通にドン引きする。


「そう言うなら行きますけど、本当にいいんですか? 朱日先輩と面識のない異性と呑んだりして」

「私はそこまで束縛の強い女ではありません。……万が一にでも要君が目移りしてしまった時は、誰があなたにとって一番なのか、泣いて謝るまでその身体に教え込むまでなので」


 スッと目を細めて妖し気に口角を上げ、白い歯を覗かせた。ぞくりとした甘い毒気に心臓が跳ねるも、まばたきの間にいつもの無表情に戻り、「それに」と俺の耳元で小さく紡ぐ。


「もしその子たちに一条さんがドハマりしたら、私たちへの興味がいくらか減少する可能性があります。自衛のためにも、ここは全力で協力すべきです」

「た、確かに……!」


 思いもしなかった。朱日先輩の言う通りだ。

 俺たちはSランクで三人はAランクだと言っていたが、それはランクが一つしか違わないということ。場合によっては昇格もあり得るし、そうなれば俺たちに安寧が訪れる。


「あとでお店の場所と集合時間、スマホに送っとくから! 本当にありがとう、愛してるよ糸守クン! 大好きぃー!!」


 元気いっぱいに叫びながら、一条先輩は走り去って行った。

 彼女の声を聞いて、周りにいた学生はギョッと目を見張る。


「あいつ、天王寺さんの他にも彼女いるのか?」

「……彼女の目の前で浮気とか正気かよ」

「天王寺さん可哀想……」


 ……何でこうなるんだ。





 あとがき


 第三章開幕です。

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