第67話 水しぶきをあげながら

「ふひっ、あははは! すごいすごい! ジーンズが人食べてる!」

「うげぇ……ちょ、ちょっと無駄にグロいですね……」

「見てよ要君! ジーンズが立った! テクテク歩いててちょっと可愛いよ!」

「血まみれじゃなきゃマスコットキャラなんだけどなぁ……」


 その日の夜。

 今日も今日とても、B級映画を肴に酒を呑む。


 今夜の一本は、ある日突然ジーンズが意思を持ち、人間を食い殺して回るという偏差値三十くらいの映画。

 ストーリーはバカバカしいのに、スプラッタシーンに無駄に金がかかっており、意外とこの手の作品が好きな朱日先輩は大興奮である。


「あっ!!」


 ほどなくして映画が終わり、エンドロールを眺めながらだらっとした時間を過ごす。

 そんな中、急に朱日先輩は大きな声をあげながら立ち上がり、手に持ったグラスの中身を呑み干してテーブルに置く。


「やばい! やばいよ要君!」

「やばいって、何がですか?」

「まだ花火見てない! もう夏終わっちゃうのに!」


 俺の方へ身体を向けて、身振り手振り事態の深刻さを訴える。


 八月初旬、確かに彼女は花火が見たいと言っていた。

 だからといって、なぜそれを今喚くのかわけがわからず、俺は首を傾げる。


「夏休みはまだ一ヵ月くらいあるんですし、そんな焦る必要あります?」


 小中高と違い、大学の夏休みは長い。

 しかし朱日先輩は、「わかってないなぁ」とため息を漏らす。


「今日は八月最後の日なんだよ? 九月に花火見たって、そんなの夏に見たことにはならないじゃん」


 そもそも夏に見る必要があるのか、という疑問はあるが。

 ふむ、なるほど。確かに九月は、夏というより秋のイメージがある。


「でも、今日このへんで花火大会なんてやってましたっけ?」

「別に私、手持ち花火でもいいからさ。今から海にでも行ってやろうよ」

「い、今からですか?」

「善は急げ、だよ! 私、ちょっと準備してくる!」

 

 ドタドタと自室へ走って行った朱日先輩。

 優雅な見た目からは想像もつかない元気っぱいな言動に苦笑しつつ、俺もグラスの中のハイボールを胃に収めて腰を上げる。




 ◆




「……まあ、こういうこともありますよ」

「うぅー……! もういいもん、この海岸買うから! そしたら何してもいいよね!」


 夏休み期間中だ。夜でも海は混んでいるだろうと、できるだけ人の少なそうなところに来た。

 しかしこの海岸では、午後十時以降の花火を禁止しているらしい。


 メチャクチャなことを言い出した朱日先輩をなだめつつ、砂浜へと続く石の階段に座り込み、途中立ち寄ったコンビニで買ったものを袋から出す。


「せっかくなんで、呑んでから帰りましょう。俺たちしかいないので、朱日先輩も羽伸ばせますし」


 ハイボール缶四本とおつまみのミルクチョコレート。

 朱日先輩は不服そうにしつつも、プシュッと缶を開けて口をつけた。「やりたかったなぁ……」としょんぼりする彼女はあまりにも可憐で、しかしニヤければ怒られることは必至なため、ハイボールを呑んで表情を誤魔化す。


「花火、そんなに好きなんですか?」

「……好きっていうか、毎年花火大会行ったり、手持ち花火で遊んだりしてるから。今年もそのつもりだったんだけど、忙しくて忘れちゃってた」

「俺と付き合い始めたり、同棲まで始めたり、色々ありましたしね。仕方ないですよ」


 ザザーッと波が鳴いて、潮風が髪を撫でて去ってゆく。

 ハイボールを一口呑んで、チョコレートを口へ放り込んだ。唾液の温度でじわじわと溶かしつつ、ぼーっと水平線を眺める。


「色々、か……本当に色々あったなぁ……」


 ぽつりと独り言ちて、自然と頬が綻んだ。

 俺の笑みが視界に引っかかったのか、彼女は「何が面白いの?」と怪訝そうな顔をする。


「いや、去年の夏はずっとバイトしてたんで。それなのに、たった一年でこんなに毎日が楽しくなって、それが嬉しくて。……朱日先輩のおかげです。ありがとうございます」


 素直な気持ちを述べると、彼女は照れ臭くなったのか口元を緩め、次いでフンスと胸を張り無理やり余裕な表情を作る。


「当然だよ! 何せ私はお姉さんだからね! 要君の毎日を楽しくするなんて、造作もないんだから!」


 豪快に笑ってハイボールを呑み、ぷはぁっと酒気を帯びた息を漏らした。

 そっと缶を脇に置いて、お尻を上げて俺との距離を縮めた。そして俺の腕を抱き寄せ、肩に頭を乗せる。


「……今まであった辛いことも、これから起こる嫌なことも、全部私が塗り潰しちゃうから。残念だったね要君、もう一生ウジウジしたこと言えないよ」


 黄金色の瞳がぱちりと俺を映して、力強い輝きを放った。

 今まであった辛いこと――あの日の事故の情景が走馬灯のように脳裏を過ぎるが、それを察したように彼女に唇を奪われる。


 酒の匂いと甘く爽やかなシャンプーの匂い。チョコレートの味。

 朱日先輩はニンマリと笑い、俺の耳を楽しそうに弄りつつもう一度体温を求めた。


 誰もいない海岸に、荒い息遣いが二つと水音が一つ。


 どろどろに溶け合ってしまいそうなほどに交わって、ふと二人して、ここが何の隔たりもない野外であることに気づいた。気恥ずかしさを誤魔化すように、額を押し当て合ってくすくすと喉を鳴らす。


「ねえ、せっかく来たんだし海入ろうよ」

「何言ってるんですか、水着もないのに。大体危ないですよ」

「波打ち際を歩くだけ。いいでしょ、それくらいだったら」

「……まあ、それなら」


 一旦荷物を階段の隅に寄せ、先に行った朱日先輩を追う。

 途中でお互いにサンダルを脱ぎ、濡れた砂と冷たい海水を堪能する。


「わーっ、冷たい! 夏でも夜だとこんな感じなんだ……!」

「足首が浸かるとこまでですよ。それ以上行っちゃダメですからね」

「子供じゃないんだから、言われなくてもわかってるよ!」


 じゃばじゃばと海水をつま先で掻き分けて、軽やかな足取りで波打ち際を歩く。

 俺は少し後ろを歩きながら、彼女の後姿を見つめていた。


 月明りを浴びて、星々を編んだように輝く金の髪。ご機嫌な犬の尻尾のように右へ左へ揺れ、これでもかと美しさを振り撒く。

 白いスカートが濡れないようちょいと裾を摘まみ、すーっと伸びた長い足で海水を蹴り上げた。その一滴一滴がキラキラと輝き、風に乗って俺の唇に着地する。


 しょっぱい。そういえば、海ってこんな味だったな。


「わーっ! っとっと!」


 水を蹴って遊ぶうち、一際強い波に足をとられ体勢を崩した。

 こうなるだろうと思っていた。このまま転ばないよう、彼女の手を取り引き寄せる。


「はしゃぐのはいいですけど、気をつけてくださいよ。着替えないんですから」

「ぶぅーっ、大人ぶっちゃって! いいもんいいもん、私子供だもん!」

「いや別に、大人ぶったつもりは……」

「抱っこ!」

「は、はい?」

「抱っこして! 子供だから抱っこして貰う権利があるの!」

「……子供じゃなくても、相手が朱日先輩ならいくらでもしますけどね」


 肩を抱きながら足を掬い上げ、要望通りお姫様抱っこをした。

 ぐっと距離が近くなり、彼女は「うへへっ」と蕩けた笑みを零す。俺の頭を無造作に撫でて、抵抗できないのをいいことにペタペタと顔を触って、悪戯っ子のように白い歯を覗かせる。


「どうします? まだ歩きますか?」

「当たり前でしょ。もっともーっと、ずっと奥まで行くの! 要号発進っ!」

「はいはい」


 大きな雲が月を隠し、海は一気に夜闇の色に染まった。

 波の音が嫌に響いて、僅かだが恐怖心をくすぐられる。


 しかし、ふっと視線を落とせば朱日先輩は上機嫌に鼻歌をうたっていた。陽の光のような双眸は、俺が進む先をジッと見据えている。


 たったそれだけのことで、足元がずっと明るく感じ。


 彼女が指差す方向へ踏み出す。


 水しぶきをあげながら、大きな一歩を。






 あとがき


 以上で第二章は終了です。

 もちろん第三章に続きますが、一旦プロットを整理したいので、次回の更新は二、三日後になると思います。申し訳ない。


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