第52話 だらしない顔
「ご存知なかったのですか、要君?」
「知りませんよ! 祭りで会った時、猫屋敷さんからは高校からの友達としか聞いてませんでしたし!」
「あれ、ウチ言うてへんかった? ごめんごめん、別に騙すつもりはなかったんやけどな」
そう言って、竜ヶ峰さんの腹筋をペシッと叩いた。
相変わらず彼女――いや彼は、ジッと俺を睨みつけている。
……もしかして猫屋敷さんと竜ヶ峰さんって、そういう関係なのか?
さっき猫屋敷さん、竜ヶ峰さんのことを『ウチの竜ちゃん』って言ってたし。
祭りの時も俺に鋭い視線を向けて来ていたが、あれは自分の彼女を不用意に見るなという意味なのではないか。
もしそうだとしたら納得だ。
でも俺、朱日先輩以外に興味ないんだけどな。怖いからやめてくれよ、その目。
「全員揃いましたし、そろそろ遊びましょうか」
朱日先輩の一言に、一条先輩と猫屋敷さんは元気よく返事をした。
三人の背中を追いながら、チラリと隣の竜ヶ峰さんに視線を流す。……何でゴスロリ着てるのか聞きたいけど、ちょっと怖いな。俺、警戒されてるっぽいし。
「……っ」
不意に彼と目が合い、俺は下手くそな笑みを返した。
す、すげぇ睨まれてる。
本当に何なんだよ、まったく……。
◆
一条先輩と猫屋敷さんは、ここの名物のウォータースライダーを相当気に入ったようで、三回、四回とリピートし始めた。竜ヶ峰さんはそれに付き合い、俺と朱日先輩は早々に離脱して流水プールへ向かう。
レンタルした大きな浮き輪。
朱日先輩は真ん中の穴にすっぽりとお尻を収め、俺はその浮き輪にしがみつき流れに身を任す。
「要君、しっかりと楽しめていますか?」
「えっ? あ、はい。楽しいですよ」
おかしな質問をされ、若干戸惑いながら回答した。
朱日先輩は両の瞳に疑いの色を滲ませ、「本当ですか?」と再度問う。
「楽しいに決まってるじゃないですか。プールなんて久々に来ましたし、それも朱日先輩と一緒なんて。一生忘れられない夏の思い出ですよ」
嘘は言っていない。全て真実だ。
だというのに、朱日先輩の目はますます疑念で満ちて行き、その思いは鉄仮面を突き破って眉間にシワが寄る。
「竜ヶ峰さんが合流した時から少し様子がおかしいと感じたのですが……私の気のせいなら謝ります。余計なことを言いました」
釈然としないながらも、しかし声音は申し訳なさそうで、俺の心にじわじわと痛む傷を残す。
本当は言いたくないのだが……。
こうなっては仕方がないので、大きな深呼吸のあと、俺は羞恥心に顔を焼かれながら口を開く。
「……じ、実はその、本当にどうしようもない話っていうか、我ながらバカだなぁって思うんですけど。あの、えっと……」
「言ってください」
くいっと小首を傾げると、額についた水滴が顔の横を通って顎まで流れて行った。
朱日先輩の手が、ぎゅっと俺の手を握る。真面目に聞くから、と勇気づけるように。
「大学の中で、朱日先輩と一緒にいられる異性って俺だけだと思ってて。だ、だからその、竜ヶ峰さんが、えっと……」
自分のことながらバカバカし過ぎて、上手く言葉がまとまらない。
それでも朱日先輩は、俺が言いたいことを理解したらしい。仕方なさそうに息を漏らして、俺の頬を撫でる。
「自分が特別ではなかったと思い、嫉妬したのですか?」
「そ、そういうわけじゃ……! ただちょっと、勝手に優越感に浸ってて恥ずかしいなと思って……!」
「要君、随分と欲深くなりましたね。ちょっと前まではそんなこと、気にもしなかったでしょうに」
子供の悪戯に呆れるようなその顔に、俺は居た堪れなくなり視線を落とした。
「余計なこと考えて、しかも態度にまで出しちゃってごめんなさい。これからは気をつけ――」
と、言いかけて。
朱日先輩に肩を掴まれ、そのまま勢いよく押し倒された。
ドボンと浮き輪から落ち、俺と一緒にプールの底まで沈んでゆく。
浮き上がろうと床に足を着けた瞬間、ぬらりとした感触が口内に侵入する。
朱日先輩にキスをされたのだと、すぐに気づいた。
水に比べてそれはとても熱く、やわらかく、心地いい。
息苦しい中での快感には妙な魔力があり、早く空気を吸わなければならないのに、ずっとこのままでもいいような気がしてしまう。
しかし最初に彼女が限界に達し、名残惜しそうに舌を離して水面へ向かった。俺もそのあとを追い、どうにか酸素を体内へ回す。
「はぁ……はぁ……」
「はぁー、はぁー……あ、あの、朱日先輩、今のは……」
黄金の髪を後ろへ掻き上げてオールバックにすると、途端にその美貌に獰猛さがプラスされた。それは冷や汗が出そうなほどに美しく、妙な緊張が背筋に走る。
「このようなことをするのは世界中でただ一人、要君だけです。これ以上の特別感はありますか?」
「……そ、そう、ですね」
「不足のようでしたら、もう一度しても構いませんが」
「大丈夫です! もう十分にわかったので!」
口の中に残る、自分のものではない体温。
このまま続けられては、プールどころではなくなってしまう。朱日先輩は、俺の理性の頑丈さを信用し過ぎだ。
「実は……そ、その、私も……」
そっと身体を寄せて、俺の腹部に手を置いた。
ほんのりと赤い顔でこちらを見上げて、固く閉ざした唇を崩す。複雑そうな笑みと共に、ラッシュガードの下へ指を滑り込ませて腹筋を撫でる。
「一条さんが竜ヶ峰さんの筋肉を褒めてた時さ、私の彼氏の方がずっとすごいんだぞって言いたかったんだよ。でも見せたくない、私だけがひとり占めしたいって気持ちもあって、何だかモヤモヤしちゃった」
「そ、そんなこと考えてたんですか?」
「私にとっては要君が一番格好いいもん! ……別に一条さんが誰褒めてもいいけど、すぐ近くにもっとすごいのがいるのになぁって悔しくなって。私だけが知ってるっていう優越感と、わかってもらいたいっていう気持ちがぐちゃぐちゃしてた」
照れながらも丁寧に紡がれた綴られた言葉に、俺の胸の中は嬉しさでいっぱいになった。
よかった。
朱日先輩の中で俺って、ちゃんと自慢できる彼氏なんだ。
「……私ばっかじゃ不公平だから、要君もしとく?」
「しとくって、何をですか?」
「だ、だからその……ボディータッチ、的な?」
依然として腹筋をまさぐりながら、もう片方の手で俺の手首を掴んだ。
そのまま自分の腹部へ持って行き、少しずつ、赤ん坊が這うような速度で、胸の方へ上げてゆく。
朱日先輩は冗談めかしく笑うが、その目は異様にギラついており唾液のように甘くぬるい。挑発するように鼻息を漏らして、ニヤリと白い歯を覗かせる。
「ひゃっ!?」
朱日先輩の手を振り払い、思い切り抱き寄せた。
悲鳴をあげるも構わず腕に力を込めて、彼女が大人しくなったところで解放する。
「……これ以上は帰ってからにしてください。朱日先輩のだらしない顔、俺以外に見せたくないので」
真面目なトーンで言い聞かせると、彼女は目を丸くしたままコクリと頷いた。
一万歩譲って水の中ならいいが、外では流石に視線を集めてしまう。これ以上はまずい。
「うぅ……要君がレベルアップしてて調子狂うなぁ。前までならこれであたふたして、顔真っ赤にしてたのに……!」
「いつまでも付き合いたての俺じゃないんですよ」
「……次はもっと照れ散らかして、爆散するようなことしなきゃ」
「何するつもりですか!?」
朱日先輩はそれに答えず、ただ不敵に微笑んだ。
……レベルアップ、か。
それでいうと、彼女も随分と変わった。
俺の前でだけだと思うが、お酒抜きでも素の出現頻度が上がっている。少しずつだが、本当の天王寺朱日が表に出始めている。
何年後か、何十年後か。
お互いにシラフのまま、楽しく笑い合って過ごせるようになれたら。
再び無表情を装備してしまった朱日先輩の頭を撫でながら、そんなことを思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます