第二章
第35話 先輩が一番可愛い
その日は茹だるような暑さで、日が落ちても気温は不快なままだった。
「先輩、まだかな……」
今日は夏祭り。
会場の神社の前に立ち、先輩とその友人たちの到着を待つ。
思い返すと、こういった行事に参加するのは久々だ。
目の前を歩いていく浴衣姿の子供の手には、金魚が入った袋と大きな綿あめ。別に感受性が豊かなわけではないが、こういうのを見ると風流だなぁと思う。
「おったおった! ごめんなぁ、待たせて!」
ピンクの浴衣を身に纏う女性が、俺に対し友人かのような口調で喋りかけてきた。
肩のあたりで切り揃えたショッキングピンクの髪。
身長は百五十センチもないのに、凹凸がハッキリとしたスタイル。
どこかで見たような容姿に首を捻ると、女性は「覚えてないん!?」とピンクがかった瞳を大きく剥く。
「朱日ちゃんの誕生日で
「……えっ? あっ、先輩の親戚の!」
俺と同じ大学の一年生で、先輩の家とは親戚関係にあり幼少期から交流があるらしい。
大学でも一緒にいるところをたまに見るし、誕生日会ではしっかりと会話までしたのに、あの日は色々と情報量が多くて完全に忘れていた。
「ほんまに忘れとったんか。……まぁ、朱日ちゃんに変な虫が寄って来んよう鬼みたいな顔しとったからな。ウチと話しとる時も終始うわの空やったし」
「ご、ごめんなさい。もう思い出したんで、今後は大丈夫です……!」
「敬語なんかええよ、ウチの方が後輩なんやし。あんま硬いの苦手やから、ラフな感じでいこ」
「は、はあ。わかりま……じゃなくて、えっと、わかった」
そう返事をすると、猫屋敷さんはニッコリと笑みを浮かべて俺の背中を叩いた。
親戚という情報のせいでバイアスがかかっているだけだと思うが、どことなく笑い方が酔っている時の先輩と似ている。
「んで糸守先輩、こっちのデカいのが
小さな猫屋敷さんにばかり気を取られて気づいていなかったが、そのすぐそばに百九十センチはあろうかというゴスロリ姿の巨体が立っていた。
地面まで届きそうな真っ黒い髪。寒気がするような冷たい美しさ。
切れ長の両目がスッと俺を睨み、すぐにその視線は猫屋敷さんに向かう。……何で今、睨まれたんだ。俺、この人に何かしたっけ。
「にしても……うーん、やっぱ何べん見ても普通やな。糸守先輩、どんな感じで朱日ちゃんを口説いたん? あの子がなびくって相当やで」
「いや、俺は別に口説いたりは……」
「まあ何にしても、朱日ちゃんを泣かしたら許さへんから。ぶっ殺すから、マジで」
俺の鳩尾のあたりを指差し、ぐいっと押し込む。
それを見て、唇から自然と笑みが漏れた。猫屋敷さんは「何がおかしいん?」とやや不機嫌そうに眉を寄せ、俺の鳩尾を軽く殴る。
「おかしいわけじゃなくて……何ていうか、先輩のことをちゃんと考えてくれる人が、先輩の周りにいることが嬉しくて」
「……ウチが凄んでんのに、惚気んのやめーや」
「あっ、ごめん。そういうつもりじゃなかったんだけど……!」
「もうええよ、わかったから。……ウチが心配せんでも、朱日ちゃんの見る目に問題はなさそうやな」
そう言って、やれやれと肩をすくめた。
「そういえば、先輩は? 一条先輩の姿も見えないんだけど」
「ちょっと着替えに手こずっててな。晶ちゃんを大改造中やねん」
「晶……えっ、一条先輩を?」
カランと下駄の鳴る音に引かれ、ふっと後ろへ視線を向けた。
夏の陽のような赤い浴衣。長い金色の髪を編み込み一纏めに。黄金の双眸がパチリと瞬き、俺を映してやわらかな熱を灯す。
「お待たせしました。こんばんは、糸守君」
「……あっ。こ、こんばんはっ」
やばい。可愛い。くそ可愛い。
頭の中を必死に掻き回して可愛い以外の褒め言葉を探すが、どうしたって可愛い以外に何も見当たらない。……お祭りって、ベビーカステラとリンゴ飴を食べながらウロウロするだけのイベントだと思ってたけど、こんなに楽しかったんだな。
「めっちゃ可愛いやん、朱日ちゃん! いやー、やっぱ朱日ちゃんは何着ても似合うなぁ!」
「ありがとうございます。瑠璃さんも可愛いですよ」
「せやろー! 知ってるー!」
猫屋敷さんは上機嫌に言って、その場でくるりと一回転。
それを見て、竜ヶ峰さんが少しだけ笑う。
その際に俺と目が合い、またキッと睨みつけて視線を猫屋敷さんに戻す。……いやマジで、俺何か悪いことしたか?
「ほら、一条さんも。恥ずかしがらず」
「……本当に皆に見せるのかい? 僕、こういうの柄じゃないんだけどなぁ……」
先輩の後ろから、一条先輩……と思しき凄まじい美女が顔を出した。
金魚が泳ぐ黒の浴衣。いつもの無骨なシルバーアクセサリーはなく、小綺麗にセットされた髪を赤い飾りが彩る。
「ええやん! うん、晶ちゃんめっちゃええよ! 可愛い! もうずっとそれ着とったら?」
ふんふんと鼻息を荒げる猫屋敷さん。
わかっていたが……この人、本当に一条先輩なのか。中性的で美女にも美男にもなれる人だとは思っていたが、服一つ、メイク一つでここまで変わるとは。
「や、やぁ糸守クン。天王寺さんがどうしてもって言うから、僕までこんなの着る羽目になっちゃったよ。は、ははっ……まったくもう、僕は見る専門なのにさ」
余程恥ずかしいのか、かなりの早口でそう言った。
右へ左へと目を泳がせながら。
「何さ、そんなに見て。変だって言いたいんだろ? わかってるって、そんなこと――」
「いや、普通に……っていうか、メチャクチャ可愛くて。一瞬、一条先輩だってわかりませんでした」
「ふ、ふーん……まあ、たまには口説かれるのも悪くない、かな。素敵なお世辞をありがとう」
「俺が一条先輩を口説くわけないでしょ。思ってもないことは言いませんよ」
「っ……! べべっ、つに、か、可愛くはないし……!」
「私も可愛いと思います。一条さんは、私の感想を信じられないのですか?」
「……ぅっ、くうぅっ。あ、あーっ、お腹空いたなぁ! お祭りの安っぽい焼きそばって美味しいよね! 僕、ちょっと買って来る!」
下駄を忙しなく鳴らしながら走って行った背中を、猫屋敷さんと竜ヶ峰さんが追う。
俺も少し遅れて歩き出すが、ぐっと先輩に服の袖を掴まれ振り返る。
相変わらずの無表情。
しかし流石の俺でも、その顔が何を言いたいのかくらいはわかる。
「せ、先輩が一番可愛いですよ。ごめんなさい、さっきは……そ、その、見惚れちゃって言葉が出なくて……」
照れつつも何とか踏ん張って言葉を紡ぐと、先輩は袖を解放して二歩三歩と前に出た。そして浴衣を見せつけるように身を翻し、ふわっと爽やかで甘い香りが舞う。
「今夜うちに帰ったら、もっと……もっともーっと、いっぱい言ってね。私が満足するまで、寝かしてあげないから♡」
屋台の煌びやかな光を背に、二ッと白い歯を覗かせながら笑った。
次いで今度は俺の手を取り、先に行った三人の背を目指して走り出す。
足並みを揃えて、軽やかに。
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