第12話 恋人になったら手を出してくれるってこと?
「そ、それは、比喩というか……」
「比喩なの? 毎日食べたくないの?」
ニマニマ。
ニヤニヤ。
アルコールが入ったことでアクセル全開。
これこそ先輩だと喜びたいところだが、好きな子の頭が膝の上という状況に俺は色々と限界だった。主に下半身の方が。
……鎮まれ、もう一人の俺。
勃ったら嫌われるぞ。お前のせいで先輩に嫌われたら、叩き切るからな。
「ふぅー……」
軽く深呼吸しながら、父親の全裸を想像する。
無駄にムキムキな肉体と、熊の如く毛深い脛。時代錯誤なロン毛に意味がわからないほど自信たっぷりな笑顔。……よしよし、段々落ち着いてきた。
「聞いてるー?」
「ひぅう!」
弱点の脇腹を突かれ、女の子のような声が漏れた。
それが面白かったのか、先輩はキャッキャと子供のように喜ぶ。
「毎日食べたい? 作ってあげるって言ったらどうする?」
「ど、どうするも何も、無理でしょそんなの……」
「何で? 何が無理?」
「だって、毎日会ってるわけじゃないですし。一緒に住んでたら可能でしょうけど」
「ってことは糸守君、私と同棲したいんだ? うわぁ、やらしぃー! 汚されちゃうー!」
「ち、違います! 誰がそんなこと言ったんですか!? っていうか、仮に同棲しててもそういうことはしませんよ!」
「……それって、私に魅力がないってこと?」
先輩は両腕をぬらりと蛇のように俺の首に回し、上半身を持ち上げた。
黄金の瞳が、この世の美を結集したような顔が、酒の匂いと共に迫る。長い金の髪が手の甲に降り注ぎ、そのやわらかな感触に息を呑む。
「私って魅力ない? もう一回水着になって、ちゃんと理解するまで見せてあげよっか?」
「本当ですか!? ――って、いや、そうじゃなくて!!」
危なかった。
一瞬、もう一人の俺に脳みそを乗っ取られかけた。
「魅力的ですけど、恋人でもないのに手を出すようなことはしないってことです!」
「恋人になったら手を出してくれるってこと?」
「ちょっと待ってください、何の話してるんですか!? これ、先輩の料理の話でしたよね!?」
「呑み過ぎですよ!」と振り払い、コップに並々水を注いだ。
早く呑めと手渡すと、彼女は不服そうに唇を尖らせながら受け取り、こくこくと喉を鳴らしながら胃へと流し込む。
マジで自重してくれよ。
今日の先輩、ちょっと変だぞ。
確証はないし何となくの話なのだが、沖縄に行く前よりも距離が近いような気がする。
物理的な距離は変わらないが、心の間合いというか、目の本気具合というか。
それが酒のせいなのか、彼女の心理に何らかの変化があったからなのかはわからない。
どちらにしても、俺の下半身が危ういことに変わりはない。
「本当に美味しかったですし、毎日食べたいって思いますよ。……でも、土台無理な話を引っ張らないでください。変に期待しちゃうじゃないですか」
毎日食べたい! 今すぐ食べたい!
……などとどれだけ絶叫したところで、それは叶わない話だ。
どうせ最後には無理という結論に行き着くのだから、掘り下げられても困る。
「……ほんとに食べたい?」
「ほんとのほんとに食べたいです」
「ほんとのほんとのほんとに食べたいの?」
「ええそうですよ。もういいじゃないですか。次の映画でも――」
「そこまでいうなら……ま、毎日作ってあげてもいいよ」
死角から一撃もらったような衝撃に、俺は大きく目を剥きながら彼女を見た。
先輩はソファの上で三角座りして、映画のエンドロールを見つめたまま水を飲んでいる。ぷはっと艶やかな唇がコップから離れ、恥ずかしそうな笑みをこちらに向ける。
「私、就活しないから時間あるし。……糸守君がそこまでいうなら、ゆ、夕飯くらいだったら毎日作りに来てあげてもいいかなーって」
「……すごく嬉しい提案ですけど、そこまでの負担はお願いできませんよ。大体、娘が毎晩家にいなかったら、流石に親御さんも心配するんじゃ?」
「糸守君と会ってない日は、他の友達と晩御飯食べてるから一緒だよ。……うち、家族でご飯食べたりするの年に一回か二回程度だしさ。家での食事とか退屈なだけなんだよね」
「……それだと、友達はどうなるんですか? 付き合いが悪くなって嫌われたりしても、俺、責任取れませんよ」
「そんなことで嫌ってくる友達なんかいらないし。……まあ、何ていうか、私も大好きな人と毎日一緒にいられたら、う、嬉しいしさ」
金色の瞳の中に妖しい炎が灯り、左手が俺の太ももに触れた。
やわらかな弧を描く唇から、熱い吐息が漏れる。
「ライクの方、ですよね? ちゃんとそう言ってください。本当に勘違いしそうになるので」
「……どっちだと思う?」
「ど、どっちって……」
太ももに置かれていた手がゆっくりと滑り、内ももの方へと落ちてゆく。
それと同時に、先輩はこちらへ身体を寄せてきた。
外気に晒された胸元。こちらまで汗ばむような高い体温。食べてくださいと言わんばかりの、媚びるような上目遣い。……俺は先輩の瞳から、目が離せない。
「ラブの方……って言ったら、どうする?」
映画のエンドロールが終わり、部屋に静寂が訪れた。
二つのやや荒い息遣い。
外に漏れていないかと心配になるほど、心臓は大きな音を立てて鼓動する。
「――……なんて、ね。ふふっ、ちょっとふざけ過ぎちゃったかな」
俺から離れて行き、そのままおつまみのスルメに手を伸ばし頬張った。
もちゃもちゃと咀嚼しながら、「糸守君、反応よすぎー♪」と余裕たっぷりに笑う。
……何だ、ふざけてただけか。
あー、死ぬかと思った。本当にこの人は、たちの悪い悪戯ばかりする。
「んじゃ、早速明日から作りに来るから。メニューはこっちで適当に考えとくね」
そう言って、先輩はコップに新しく酒を注いだ。
◆
「……ちょっと呑み過ぎたんで、トイレ行ってきます」
「いてらー」
ふらふらと危うい足取りで部屋を出て行く糸守君を見送り、私は小さなため息を零した。
『ラブの方……って言ったら、どうする?』
実はあの時、私はそのまま告白しようと思っていた。
本気で好きになりました、付き合ってください――と。
……でも、できなかった。
「友達になろうって言うのとは、流石にわけが違うよね……」
告白しようとした瞬間、心臓が破裂しかけた。
息が出来なくて、苦しくて、次の言葉が出てこなかった。
「……こんなに好きなのになぁ」
糸守君のことが欲しい。
もっと触れたいし、私にも触れて欲しい。
優しくてもいいし、強引でもいい。ちょっと痛くてもいいし……どうしてもっていうなら、
私の身体も、人生も。
全部あげるから、ずっと一緒にいて欲しい。
――この想いは本物なのに、最後の一歩が踏み出せない。
理由はわかっている。
私は怖いんだ。告白して、フラれるのが怖い。
新しい幸せを掴むために、今の幸せを失う覚悟がない。
「糸守君が私に告白してくれたら、それで全部解決なのに」
……ん? あれ?
何気なしに言ったけど、これってかなりいい案じゃない?
フラれるかどうか不安になるのは、糸守君が私のことをどういう目で見ているのかわからないからだ。
でも、向こうからの告白なら、自動的に私に惚れていることになる。
付き合ってくださいと言われたら、私はただ首を縦に振るだけ。
たったそれだけで、欲しいものが手に入ってしまう。
「いやでも、惚れさせる方法なんて、私知らないよっ」
今まで私に告白してきた数百人は、これといって何もしていないのに好意を向けてきた。
贅沢な話だと思うが、特別な努力などしたことがない。
「……とりあえず、明日の料理は頑張らないとね」
男を掴むなら胃袋からと、お婆ちゃんが言っていた。
……あと一応、念のため、もしもの時のために、これからは可愛い下着をつけて会いに来よう。
いつ告白されて、そういう雰囲気になっても大丈夫なように。
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