第11話 どういう顔なんだ


 沖縄での一件から数日が経った。


「お兄さん、ほんとにこれだけで大丈夫なのかい?」

「いやー、お金ないんで」

「栄養とってる? 内緒で何かおまけしとこうか?」

「だ、大丈夫ですよ。悪いですし」


 店員のオバちゃんに心配されながら、今日も今日とて素うどん――ではなく、三十円の味噌汁。


 四月までやっていたバイトの貯金で何とか食い繋いでいたが、流石にそろそろ次を考えないとまずい。

 食費は切り詰められても家賃は安くならないし、これから暑くなるためエアコンは必須だ。先輩がそこそこの頻度で遊びに来るため、余計に光熱費は削れない。


「どうするかなぁ……」


 熱い味噌汁をすすりながら、次のバイトはどうしようかと思考を回す。

 せっかく身体が丈夫なのだから、現場作業などいいかもしれない。古傷があったところで気にされなさそうだし、時給も悪くはないだろう。


 などと考えていると、先輩が食堂に入って来た。


 周囲の視線が、矢の如く一斉に彼女に降り注ぐ。


 俺はお酒を呑んで蕩けている先輩の方が素敵だと思うが、演技中の輝き具合が凄まじいことは認めざるを得ない真実だ。ランウェイを歩くような堂々さを醸し出しながら、水の上を歩くような静けさが感じられ、あれで見るなという方が無理な話である。


「……先輩、今日は一人か」


 先輩とは学年も学部も違うため大学で会うことは滅多にないが、基本的に誰かと一緒だ。

 食堂に併設された購買で飲み物を買う彼女を眺めていると、目が合ったため会釈。たいしたことではないが、少しだけ嬉しい気分になる。


「さっさと飲んで、ちょっと寝とこ」


 このあとは授業が二コマ。

 早めに教室に入って体力を回復しておこうと、急いで味噌汁を飲む。


 ――ざわざわ。


 すぐそばで食べていた四人組が、急にどよめき出した。


 ――ざわざわ。


 俺は口の中のものを呑み込み状況を確認する。


「……え?」


 清楚感のある純白の肩出しブラウス。

 長い足をこれでもかと強調する、スリットの入った黒いロングスカート。

 ゆるくカールのかかった金髪を揺らしながら、先輩は俺のそばでピタリと歩みを止めた。


「今日のお昼はそれだけですか、糸守君」


 初めて大学で話し掛けられ、先輩の言葉を咀嚼し消化するまでにかなりの時間を要した。

 十数秒後、どうにか理解した俺は、「あ、はい」と簡素に返事をする。


「それではお身体に障ります。今日はお弁当を作ってきたのですが、よろしければ半分いかがですか?」


 お嬢様モード全開のアニメキャラの如きバカ丁寧な口調で言って、鞄の中から取り出した可愛らしい巾着袋を軽く揺らす。


「……は、はい?」


 一体何が起こったのかまったく理解できず、俺は何度も目を擦る。

 それこそ火花が散るほどに。


「お、おい。今の聞いたか?」

「天王寺さんの……て、手作り?」

「……何だあの男。彼氏、とか?」


 俺が困惑している間に、外野のどよめきは鼠算で大きくなってゆく。

 その中で、オバちゃんだけはニコニコで拍手を贈っている。……その反応、嬉しいけど周りを煽るのはやめて。拍手の音、食堂全体にめちゃくちゃ響いてるから。


「……もしかして、ご迷惑でしたか?」


 過冷却水に衝撃を加えたように、先輩の一言で周囲は凍り付いた。


 何だあいつ。

 あの天王寺さんの料理が食べられないのか。

 最低なやつだ、殺した方がいい。


 ――などなど、悪意がギチギチに詰まった瞳を向けられ、全身に汗がにじむ。


「ぜ、全然そんな! お腹空いてたんです! あ、ありがとうございます!」


 全力の作り笑顔で言うと、先輩は無表情の中に僅かな笑みを零した。

 彼女の反応に、外野たちは納得したのか刃のような視線を鞘にしまう。


「では、失礼します」


 ギィッと椅子を引いて、俺の隣に座った。

 家ではいつも並んで座っているし、別に特別なことでも何でもないのに、場所が食堂というだけであり得ないほど心臓が高鳴る。


「どうぞ、開けてください」


 巾着袋を渡され、中から弁当を取り出した。


 ダークブラウンの木の弁当箱。

 中には枝豆ご飯、唐揚げとたまご焼き、プチトマトにニンジンの煮物が入っており、あまりのクオリティに目を見張る。これが手作りってマジか。


「すげぇ美味そう……」


 思わず漏らしてしまった声に、先輩はビクッと身体を揺らした。

 何事かと隣へ視線を流すが、そこにあるのは美麗な無表情。何の感情も読み取れず、正直かなり困る。


 怒らせた、とかじゃないよな。褒めたわけだし。


 酔った状態の先輩と話す時間の方が長いため、スイッチが入り感情に一定の制限を設けたシラフの彼女との接し方が今一つわからない。


「ありがとうございます。見た目だけでなく、味も保証しますよ」


 ようやく返って来た言葉に一安心しつつ、枝豆ご飯を口に運んだ。


 枝豆の食感と塩気がご飯に合っており、文句の付け所がないほど美味しい。

 続いて、たまご焼き、煮物と食べていくが、その道のプロでも認めそうな味だ。


「天王寺さん、あんな普通なのと付き合ってるのか?」

「何かの罰ゲームでしょ」

「先輩可哀想……」


 俺に対し、何人かの学生がわざわざ聞こえるように恨み言を並べた。

 美味しい弁当に浮ついていた心は一気に萎み、自分なんかと一緒にいては先輩の評判が落ちてしまうと、暗い気持ちに襲われる。


 ……だ、ダメだダメだ! しっかりしろ、俺!


 せっかくの先輩の厚意を無駄にするな。

 今俺がすべきことは、これを全力で食べて、全力で味わって、全力で褒めることだ。外野のヤジに落ち込む暇なんてない。


「美味しいです、先輩。こういうちゃんとした食事、ずっと食べてなかったんですごく嬉しいです」

「それはよかった」

「特にこのたまご焼き、出汁使ってますよね? 俺好きなんですよ、しょっぱい系のやつ」

「私もそうです」

「から揚げの味付けも完璧で、俺の好みど真ん中って感じです。本当に美味しいなぁ。食べるのがもったいないくらい」

「ありがとうございます」


 お世辞は一ミクロも入っていない。

 どれも全て、心からの本音だ。


 変なことは言っていないはず……と思いつつ、内心汗がにじむ。

 何を言ってもどうリアクションしても、お嬢様モードの先輩はごく僅かに微笑むだけでまるで感情が読み取れない。


「気に入っていただけて光栄です。よろしければ、全部食べてください」

「いや、それだと先輩のお昼ご飯が……」

「ご心配なく。糸守君との夜が楽しくて、最近太り気味ですので」


 その言い方はまずいです!!


 ……案の定、周囲はざわつく。

 あーあ、今のは知らないからな。俺に責任はないぞ。


「個人的に、今回の煮物は自信作です。糸守君のお口には合いましたか?」

「あ、はい。もちろん、とっても美味しいです。何か実家を思い出しました」


 実家にいた頃は家族で交代で食事を作っていたが、一人暮らしを始めてからはまったく台所に立っていない。一人だとスーパーの半額弁当の方がコスパがいいからだ。


 久しぶりに食べた手料理。

 物理的には冷たいのだが、素朴でどこか懐かしい味に心が温まる。美味しいという味覚的な満足感はもちろん、半額弁当では手が届かない部分も満ち足りてゆく。


「――こんなに美味しいご飯だったら、毎日食べたいくらいですよ」


 と、口にして。

 今のは流石に気持ち悪かったかと、箸を止めて先輩の方へ視線を流した。これではまるでプロポーズ、嫌な思いをさせてしまったかもしれない。


「……」


 無言。

 ただ無言で、極々僅かに口角を上げ、こちらを見ていた。


 ……どういう顔なんだ、それ。


 頼むから酒を呑んでくれと心の中で絶叫しながら、残りの弁当を食べ進めた。




 ◆




 その日の夜。


「今日の私のお弁当、美味しかった? ねえ、そんなに美味しかった? 毎日食べたいってほんと? えへへっ、毎日ってどういう意味? ねえどういう意味かなぁー?」


 酔いが回った先輩はソファに寝転がり、俺の膝の上に頭を置いて満面の笑みを咲かせていた。

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