第5話 朝まで付き合いますよ
数十分後、先輩は帰宅した。
彼女を見送り部屋に戻った俺は、ドカッと重たい身体をソファに預ける。
「酔ってたなぁ、先輩。ってか、キャラ違い過ぎだし……」
普段の先輩のことをよく知っているわけではないが、ああも感情を剥き出しにして喋るタイプでないことはわかる。
顔付きだって基本的に無表情がベースなのに、子供のようにコロコロと笑っていた。余程楽しかったのだろう。
「……本当に、楽しかったなぁ」
一人っきりの六畳間に声を落として、テレビのリモコンを取りサブスクから地上波に切り替えた。
祭りの後の静けさ。
先ほどまであったはずの楽しい空気がすっぽりと抜け、寂しさがその隙間を埋めた。
落差がある分、その孤独感はいつも以上に重く冷たい。
それを誤魔化すため、ザッピングして騒がしい番組を探す。
……まずい。まずいぞ、これ。
ひとまずお笑い番組をつけてみたが、内容がまったく頭に入って来ない。
心の底がざわついて、意味もなくため息が漏れる。
いつものあれだ。
希死念慮。死にたいという感覚に襲われる。
「……ん?」
テーブルに置きっぱなしだったスマホが振動し、どうしたのだろうかと手に取った。
メッセージが一件。
相手は、つい先ほど連絡先を交換した先輩だ。
【朱日:今日はもうお休みになられますか?】
向こうは酔いが覚めたようで、すっかりお嬢様モードに戻っていた。
しかし、まさか文章まで堅苦しいとは。
【要:たぶんまだ起きてますけど】
アルバイト等の関係で、スマホで異性とやり取りをした経験はあった。
しかし、こういった極めて私的なメッセージを貰うのは初めてで、感動と焦りで返信を打つ手が軽く震える。
【朱日:よろしければ、私が家に帰ったら通話しながら二次会をしませんか?】
「お願いします!」と頭を下げるウサギのスタンプ。
テレビの中では、やたらと声のデカいお笑い芸人たちがバカ騒ぎをしている。
「……」
唇を小さく開いて、そっと深呼吸。
口角を僅かに上げて、タタタッと画面を叩く。
【要:先輩さえよければ、朝まで付き合いますよ】
テレビを消して立ち上がり、スマホと財布を手に家を出た。
炭酸水やコーラ、おつまみ各種。
先輩と過ごすには、何もかもが足りない。
平日の夜。ゴールデンウィーク明けの静かな道を歩く。
昨日よりも、大きな歩幅で。
◆
帰りの車中。
酔いが醒めてお嬢様モードのスイッチが入っており、ピンと背筋を伸ばして憂い気に窓の外を眺めながらも、胸の内側はまだお祭りの真っただ中のように騒がしかった。
それくらい楽しかった。
もぉー楽しくて楽しくて楽しくて、意味もなく踊りたい気分だ。
映画も面白かったし、お酒も美味しかった。
何より久しぶりに思いっ切り笑えて、もう最高って感じ。
「……勇気出して会いに行って、正解だったなぁ」
静かに独り言ちて、冷たい窓ガラスに少しだけ額を押し当てた。
友達と遊ぶのは好きだが、私には一つだけ悩みがあった。
それは、帰り道の疲労感。
楽しい時も嬉しい時も感情が一定以上にならないようキープして、それを周りに悟られないよう振る舞う。その反動か、ふと一人になるとドッと重荷が肩にかかり、しばらく誰にも会いたくない気分になる。
しかし、今日は違った。
知らなかった。
友達と別れた帰り道が、こんなにも寂しくて、充実感に溢れているなんて。
糸守君との時間は心地いい。
何も気を遣わなくていいし、全てを曝け出したからこそ、向こうは何の理想も押し付けてこない。
それどころか、こちらの気持ちを汲み取って怒ってくれる。心配させて申し訳ないと思うと同時に、その優しさが途方もなく温かくてありがたい。
……糸守君、今どうしてるかな。
彼のことを考えたせいか、まだ別れて十分も経っていないのに会いたくなってきた。
流石に引き返すわけにはいかないが、妙な切なさに胸が痛くなる。この気持ちを抱えたまま今日を終えるのは気持ちが悪い。
【朱日:今日はもうお休みになられますか?】
スイッチが入っているため、指はいつも通りのお堅い文章を綴った。
寝るのなら、もう一度おやすみなさいを言ってスマホを閉じよう。
そう決めて、メッセージを送る。
【要:たぶんまだ起きてますけど】
……うわ、なにこれ。
ただメッセージが返ってきただけなのに、めちゃくちゃ嬉しいんだけど。
【朱日:よろしければ、私が家に帰ったら通話しながら二次会をしませんか?】
今夜はまだ、呑み足りない。
糸守君とはまだまだ、話し足りていない。
もう少しだけ、素の自分でいさせて欲しい。
【要:先輩さえよければ、朝まで付き合いますよ】
窓の外を流れる岸城と、僅かに映る自分の顔。
ガラス細工のように固まった表情が、少しだけやわらかく微笑んだ気がした。
◆
あれから一ヵ月が経過。
先輩とは週に二、三回の頻度で会い、家でB級映画を観てバカ笑いする呑み会を楽しんだ。
来られない日もメッセージのやり取りをしたり通話をしたりと、充実した五月を過ごす。
「あ、あのー……」
「はい?」
「どこですか、ここ……?」
梅雨に入り、頭上にはどんよりとした雲が横たわる。
今にも雨が降り出しそうな今日、先輩にとっておきのところに招待すると言われて車に乗せられ、ある場所に来ていた。
「こういった場所は初めてですか?」
「いや、来たことはありますが……」
連れて来られたのは空港だった。
これまでの人生で何度か空港に来たことはあるが、ここはあくまでも飛行機の発着場、とっておきと呼ぶに相応しいものがあるとは思えない。
「先に申し上げておきますが、とっておき、とはここのことではありませんよ」
「じゃあ、何でここに来たんですか……?」
「飛行機に乗るためです。おかしなことをおっしゃいますね、糸守君は」
「い、いや! 俺、航空券買うお金なんて持ってないですよ!?」
話を聞いた時、きっとこれは大金が必要だと思いすぐさまATMへ走った。
しかし、今年の四月でバイトを辞めてから、まだ一度も働いていない。口座の中身などたかが知れており、それを相談するとお金はかからないから大丈夫だと言われたため、最低限の持ち合わせしかない。
「ご安心を。乗るのはうちの飛行機ですので」
「……」
個人所有の飛行機。
リムジンなど比較にならない金持ち具合に、俺は引き攣った表情で硬直した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます