第一章
第1話 大学で一番かわいい先輩を助けた結果
大学二年生になって、早一ヵ月。
桜の花びらはすっかり散り、学内の盛り上がりもどこかへ失せた。
物珍しさからか一年生で溢れ返っていた食堂も随分とひとが落ち着き、学生たちが食事の傍らに談笑をしたりミーティングをしたりと楽し気な空気が流れている。
「お兄さん、またいつもの?」
「はい。お願いします」
カウンターに食券を置くよりも先に、店員のオバちゃんは素うどんを注文するのだと見抜き、慣れた手つきでうどんを湯がき始めた。去年からほぼ毎日のように昼は素うどんなため、すっかり顔を覚えられてしまっている。
「そういえば、そろそろできたのかい? 二年生になったら本気出すって、前に言ってたでしょ?」
「い、いやぁ、中々難しいですね……」
できた、というのは、友達ができたかという意味だ。
俺――
だからせめて、大学生活はより良いものにしよう。
そう思って髪を染めたり、ファッションを勉強したりと頑張ってはみたが、せっかく入ったテニスサークルは馴染めずフェードアウト。合コンでは一言も喋れず二度と誘われなくなり、一年生の後期には中高同様ボッチ君の完成である。
「でも、大丈夫です。不便はしていないので」
言うと、オバちゃんは苦笑しながら出来上がった素うどんをカウンターに置いた。
「いただきます」
食堂の入り口付近の席に座り、手を合わせて小さく呟いた。
ちょうどそのタイミングで食堂に入って来た男子学生三人が、食堂の奥の方へ視線を向け「うぉっ」と声を漏らす。
「すげぇ、僕初めて見た」
「生で見ると本当に可愛いよね」
「……おれ、声掛けてみようかな」
「「絶対にやめとけ」」
口々に言って、食券を片手にカウンターへと歩いて行った。
俺はずるずるとうどんをすすり、一拍遅れて彼らが見ていたものへ視線を送る。
そこにいたのは、数人の男女のグループ。
ため息が出るほどの美男美女揃いだが、その中に一人、他とは明らかにレベルが違う女性がいた。
日の光を編んだような金髪を腰まで流し、向日葵色の瞳は宝石の如く輝く。
一流の人形作家が仕立てたように顔は整っており、身長は高くスタイルはモデル顔負け。
現在三年生であり、その圧倒的な美貌を以って去年、一昨年のミスコンではぶっちぎりの優勝を飾った。「うちの大学で一番可愛いのは誰か」と問われれば、皆が口を揃えて彼女の名を挙げるだろう。
「天王寺さん、今夜空いてる? 前に言ってたお店、皆で行こうって話になったんだけど」
グループの男の一人が、湧き出る下心を必死に隠しながら声をかけた。
先輩は眉一つ動かさず、「今夜ですか?」と首を傾げる。
「申し訳ございませんが、父と食事の約束をしておりまして。またの機会にご一緒させてください」
同級生に対して、過剰なまでにやわらかな物腰。
仮面のような麗しい無表情。
常人がやれば一種の嫌味か冗談だが、先輩の場合は違う。
どこかのお姫様のような高貴なオーラと日本人離れした見た目が相まって、この上ないほど似合っている。
「あっ、そうなんだ! ……でも何か最近、多くない? いや別に、お父さんと仲いいのが悪いって意味じゃないんだけど」
「三年生になったので、将来について相談したいことが多くて。私、心配性なものですから」
「あぁ、そういうこと。じゃあ、また今度っ」
「はい。わざわざありがとうございます。料理の感想、ぜひお聞かせください」
ただのすまし顔なのに、それは白い薔薇の如き洗練された美しさで、男は一瞬嬉しそうに口角を上げた。しかし、すぐさま彼女が来ない事実に肩を落とす。
「父と食事、ねぇ……」
【朱日:ってことで、今夜も一緒に呑もーね♡】
画面に表示されたメッセージと、酒瓶片手のウサギのスタンプ。
ふっと、再度先輩の方へ目をやった。
先輩はそのタイミングに合わせて、お淑やかさとは程遠い八重歯を強調する無邪気な笑みをこちらへ向けて、ひらひらと小さく手を振る。
「了解です……っと」
返信すると、先輩はふふんと満足そうに鼻を鳴らして、テーブルの他の面々へ意識を戻した。
その時には既に高雅な無表情を取り戻しており、誰も彼女の異変に気付いていない。
先ほどオバちゃんには難しいと回答したが、これは別に友達がいないという意味ではない。
最近、一人だけそう呼べる人ができた。
それも相手は、あの天王寺朱日。
ここ数日、この大学で一番可愛い先輩と晩酌をする日々が続いている。
どうしてこうなったのか。
――それは、数日前まで遡る。
◆
「あははっ、何だそれ! ありえないだろ!」
大学に入って二度目のゴールデンウィーク。
俺は去年と同じく、一人で下宿先のアパートにこもっていた。
去年との違いは、アルコールの有無。
四月早々、酒が呑める年齢になった俺は、早速その魔力に魅了されていた。
これといって面白味のない毎日を、酔いが煌びやかに彩ってくれる。特に泥酔状態で観るB級映画は最高で、安っぽい演出も貧相な演技も何もかもが面白い。
「さ、サメの頭が分裂した!? やめっ、やめて……腹痛いっ、うぐあぁあ……!!」
テーブルに突っ伏して、全身を震わせながら荒唐無稽な展開に悶え苦しむ。
そうこうしている間に映画はエンドロールに。上から下へと流れてゆく文字列を眺めながら、ふーっと大きく息を零す。
束の間の静寂。
アルコールの力で限界までぶち上がっていたテンションはみるみる落ちて行き、ついに最下層に触れ憂鬱な気分が押し寄せて来た。
隣の部屋の住民は、友達を呼びこみどんちゃん騒ぎ。
その楽しそうな喧騒によって、自分が休日に一人でクソ映画を肴に酒を呑む寂しいボッチ大学生であることを自覚させられる。
「死にたい……」
くそが。
酒を呑むといつもこれだ。
情緒不安定になって、少しでも冷静になると酷い気分になる。
それを振り払うように、グイッと酒を煽った。
喉の焼ける感覚のあとに、アルコールの香りが鼻から抜け、ふわふわとした心地よさが全身を包む。
「……あれ、もうないのか」
今のひと口でテーブルの上からアルコール類が消え、冷蔵庫を見に行くが何も入っていない。
時刻は午後十一時過ぎ。そろそろ寝てもいいが、今ひとつ呑み足りない。
「うぉっとっと、あっぶねえ」
真っすぐ進みたいのに、右へ左へ。
危うい足取りでゴミだらけの廊下を歩いて玄関に到着。財布を片手に、夜の街へ繰り出した。
俺が暮らすアパートは、繁華街のすぐ近くにある。
そのため、この時間帯でも外は人通りが多く騒がしい。
自分と同じ千鳥足の酔っ払いたちをどうにか避けながら、近くのコンビニを目指す。
「……ん?」
前から見知った人物が歩いて来て、俺は首を捻った。
白のリブトップスに黒いスキニーパンツ。その上からベージュのトレンチコートを羽織り、黒のブーツを組み合わせた格好いい服装。
容姿端麗という四字熟語がこの上なく似合うスタイルで、ただ歩くだけでここはパリコレのランウェイかと錯覚してしまうほど美しく、否応なく見惚れてしまう。
何よりも目を引くのは、夜の薄闇の中でも強烈な存在感を放つ金髪と鮮やかな黄色の瞳。ヘアカラーでもカラーコンタクトでもない天然のそれは、人ではない高貴で聖なる何かを連想させる。
「天王寺先輩、だよな……?」
天王寺朱日。
俺が通う大学で一番可愛い先輩。
大学ではその見た目と取り巻きの多さ故に目立ちよく見かけるが、街で目撃したのは初めてだった。
遊びの帰りだろうか。
しかし、駅への道はこっちではない。この先にあるのは安い飲み屋かラブホテルくらいで、面白いものはないはずだが……。
「……っ」
不意に、先輩と目が合った。
いつもは湖の水面のような静けさと強固な自信を装備した双眸が、なぜだか不安と恐怖に揺れ動いている。
……何だ、あいつら。
先輩の圧倒的な美貌のせいで霞んでいたが、よくよく見てみると両脇を大柄の男が固めていた。
双方ともにいかにもな風貌で、先輩の肩に馴れ馴れしく手を置いている。
「あぁ、そういうことか……」
先輩の顔色からして、あの男たちに無理やり連行されているのは明らかだ。
この先にあるのはラブホテル。
つまりはまあ、そういうことなのだろう。
通行人も異変に気付いてはいるが、二人の男にビビッて動けない。
一瞥はするが、何もせず帰路を急ぐ。
俺もまた、他の通行人たち同様に視線を伏せた。
自分と先輩は、同じ大学の学生でしかない。
関係値はゼロ、ただの他人。
女の子が不憫な目に遭うことに思うところはあるが、だからといって自分の身を危険に晒すようなバカではない。そういうヒーローごっこは、小学生の時に卒業した。
――の、はずが。
「何やってんだクソ野郎ぉおおおおおおおおおお――ッ!!!!」
自分の身を危険に晒すようなバカではない。……シラフであれば。
アルコールのせいで、俺の頭は完全にバカになっていた。
情緒不安定なのもあり、先輩の状況を見て怒りのゲージがマックススピードで天井をブチ破る。
その瞬間、身体は一切の躊躇なく駆け出し、陸上選手並みの跳躍を見せて片方の男の顔面にドロップキックをかます。
「はぁ!? えっ、な、何だお前!?」
「うるさいバカ!!」
鳩尾を殴り、次いで鼻に一発。
反撃する間も与えず、人体の急所を的確に突く。
「汚い手でいつまで先輩に触ってんだよ!!」
よろめいたところで、トドメの金的をくらわした。
喧嘩で負けない子供に育つようにと、父親から叩き込まれた空手。小学校を卒業してから一切活用していなかったが、アルコールがかつての記憶と経験を引っ張り出した。
「テメェ、ふざけんじゃねえぞ!!」
顔面を蹴られてダウンしていた男が起き上がり、鼻血をダラダラと流しながら俺の胸倉に掴みかかった。
体格差は歴然。
ボクシングでいうなら、ライト級とヘビー級くらいの差がある。
丸太のような腕で締め上げられ、両足はぷらんと地を離れた。
絶体絶命の、その刹那――俺の身体の内側から何かがこみ上げてきた。
この感覚には覚えがある。
俺は男の激昂に晒されながら、抗いようのないその感覚に身を任せる。
「おええええええええええええええええええっ」
「うわぁああああああああああああああああ!!」
特別酒に強いわけでもないのに、今夜は二リットル近く呑んでいた。
そんな状態で、跳んだり殴ったり蹴ったりしたのだ。その上身体を持ち上げられたのだから、気持ち悪くなって当然である。
凄まじい勢いで噴射されたキラキラを浴びた男は、半泣きになりながら逃げて行った。「ま、待ってくれ……!」と金的された男もそのあとを追い、俺と先輩だけが残る。
「おおー! すげー!」
「カッケーな、兄ちゃん!」
「格闘家か何かか!? いやぁ、いいもん見せてもらった!」
現場を見ていたサラリーマンや大学生たちが、他人面から一転、盛大な拍手と称賛を贈った。
当の俺はというと、吐いたことで脳内がクリアになり、自分が何をしでかしたのか理解した。
暴力事件、通報、退学。
不穏な単語が頭の中で列を成し、ぶわっと冷たい汗が噴き出る。
もしこの場に警察が来たら、まずいことになってしまう。
この場をあとにしようと、一歩、二歩と後退る。
とその時、ぐいっと服の裾を引っ張られた。
裾を握るのは、先輩の手。
大学では遠巻きに眺めるばかりだったが、こうして近くで見る先輩は息を呑むほどに綺麗だった。
清らかで、力強く、とても一歳差とは思えないほど大人の魅力に満ちている。暴力的なまでに甘く、それでいて爽やかなフェロモンに侵され、みるみる酔いが覚めてゆく。
お互いに見つめ合ったまま、数秒が経った。
ギャラリーたちが「いいもん見たなぁ」と散っていく中、突然先輩の両の瞳に零れそうなほどの涙を溜まる。それは一呼吸する間もなく決壊し、普段の先輩とは似ても似つかない、子供のような遠慮のない泣き顔を作る。
「うぇええええん!! 怖かったよぉおおおおおおおお!!」
「ちょ、ちょっと!? うわぁっ!!」
勢いよく腰に抱き着かれ、地面に尻餅をついた。
先輩は俺の胸に顔をうずめ、わんわんと声をあげて泣きじゃくる。
そのせいで周囲からの注目を引き戻してしまい、これはまずいと俺は先輩の背中を軽く叩く。
「た、タクシー呼びますよ。それで帰りましょ?」
今この状況だけを見れば、道のど真ん中でいちゃつくカップルだ。
万が一同じ大学の連中に見られたらどんな噂を流されるかわからないし、それがどのようなものであっても先輩にはダメージとなるだろう。
そこで帰るよう提案したが、一向に返事がない。
参ったなと頭を掻いて、次の案を捻り出す。
「……あの、俺の家すぐそこなんで、一旦そっちで休みませんか? ここで泣くのは……ほら、ねえ?」
断られたら強制的にタクシーを呼んで、車内に押し込めばいい。
それくらいの気持ちで言ったのだが、先輩は悩む素振りすら見せずコクリと首を縦に振った。
「……うん、いく。一緒にいく」
鼻をすすりながら、俺の服を両手でにぎにぎ。
見た目に似合わない子供のような仕草に、何だこの可愛い生き物と口に出かけたがすんでのところで呑み込む。状況的に、言っていいことと悪いことがある。
「じゃあ……えっと、こっちです。こっち」
先輩は俺の服の裾を握り締めたまま小さく頷いて、カルガモの親子のように後ろをついてきた。
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