人も事態も転がるもの

 人が倒れ、死んでいく。その様子が野営地の近くに潜んでいる岳伯都にとって見るに堪えないものだったことは言うまでもない。

「ねえ、凌白さん。これはさすがにひどいんじゃないですか?」

 岳伯都は耐えかねて韓凌白に訴えた。しかし韓凌白は当然の如くそれを退ける。

「中原の覇を取るためにはあらゆる手を使っていいと、敖教主から仰せつかっている。私も藍蝶蝶もその命令に従っているに過ぎない」

「でも、これってあんまりだと思います。どうせやるなら正々堂々と……」

「子どもじみたことを言うな。手段を問わぬからこその邪教だ」

 韓凌白は岳伯都を遮ると、交代の時間まで見張りを続けておけと言い置いてさっさと寝転がってしまった。

 二人は野営地の近くに潜み、藍蝶蝶を奪還する隙を窺っていた。だいたいの居場所は目星がついたものの、厄介なことに、いつ見ても素文真がそのあたりをうろついているのだ。迂闊に近寄って逆に捕らえられては元も子もないと、二人はじりじりと野営地に近付くのみに留め、彼が見張りから離れた隙に一気に動こうと決めていた。

 夜の森の中、火も焚かずにじっとしているのはなかなか辛い。体をすり寄せ、両手に息を吐きかけた岳伯都は、ふと素文真が離れていくのを目撃した。岳伯都は韓凌白を起こそうと振り返り、手を伸ばした――が、あと一寸で彼の肩に触れるというところで手を引っ込めた。


 ……このまま藍蝶蝶が強情を貫いて、どんどん人を死なせていくのは見ていられない。


 岳伯都は寝息を立てる韓凌白からそっと手を離すと、野営地に向かって一歩踏み出した。



 一方の野営地は上へ下への大騒ぎになっていた。岳伯都は何事かと訝しみながらも、ちょうど良いかと考え直して素早く野営地に潜り込んだ。

 目指すは隅の方にぽつんと立っている天幕の中――韓凌白が睨んだとおり、そこには藍蝶蝶が茣蓙の上にあぐらをかいていた。

「虎ちゃん⁉ あんた何しに来たのさ?」

 藍蝶蝶は驚きに目を見開いた。だがすぐに顔色を戻すと、藍蝶蝶は雑談のように話し始める。

「でも良いところに来たね。ちょうど面白くなってきたんだよ、ちょうどさっき素懐忠が倒れちまってさ。見ものだったよ、いきなり腹を押さえてくの字になったかと思ったら、そのままバタッと倒れちゃってさ……」

 岳伯都はシーッと人差し指を立てて彼女を遮ると、声をひそめて早口に告げた。

「ねえ蝶蝶さん、僕からもお願いします。この人たちをこれ以上死なせないでください」

「なんだい、あんた」

 途端に藍蝶蝶は冷めた目で彼を見下す。

「いいかい? あいつらとあたしらは不俱戴天の仇同士なの。だからおいそれと向こうを助けることなんてできないんだよ。ましてや手を出したのはあたしだってのに、なんでそんなことしなくちゃならないんだい」

「そこを何とか! やり合うなら他に方法があるじゃないですか!」

「あのねえ。あたしは敖教主の決めた作戦に従ってるだけなんだよ。だからあたし一人説得したところで何にもならないよ」

 またか! 岳伯都は内心がっくりとうなだれた。そんな岳伯都の心情を知ってか知らずか、藍蝶蝶はさらに言う。

「それに、これがやり方でもあるんだよ。剣を振り回したり拳付き合わせたりするだけがやり合う方法じゃないんだよ。姑息だろうが卑怯だろうが、あいつらにない技をあたしは持ってるんだ。その技をどう使おうがあたしの勝手だよ!」

 藍蝶蝶はふいに声を荒げたかと思うと、岳伯都に思い切り頭突きを食らわせた。岳伯都は驚きと痛みに声を上げ、後ろにごろんと転がってしまった――ところが、逆さまになった視界に映ったのは天幕の入口に立ち尽くす李宣の姿だったのだ!


 二人は一瞬見つめ合っていたが、すぐに李宣が飛びかかってきた。岳伯都が李宣を受け止めて逆に押し倒そうとすると、李宣は地面を転がって起き上がる。拳を突き出し、掌を突き出し、襟首を掴み、膝を絡ませて、二人はがっちり組み合った。

「何しに来た、岳伯都!」

 李宣が唸る。岳伯都は素早く組み手を解いて李宣の服を掴み直すと、

「話をしに来た!」

 と言って彼を投げ飛ばした。李宣は跳ねるように背中から起き上がり、再び岳伯都と対峙する。

「何の話だ。敖東海が次の動きを決めたからこいつに伝えに来たのか? それとも自分一人じゃどうしていいか分からないから指示でももらいに来たのか」

 嘲るように言った李宣に、岳伯都は「違う!」と言い返した。

「僕は僕の意志で来たんだ。彼女を説得して、こんなことはやめてもらおうと思って……」

「ふざけるな!」

 岳伯都が言い終わらないうちに李宣は次の一手を繰り出した。鋭い気配が空を裂き、とっさに首を傾けたものの頬を衝撃が掠っていく。見れば李宣は筆を一本握り込み、横に倒して構えていた。その先端から赤い血が滴る。

 李宣は藍蝶蝶に視線を向けると冷淡に言った。

「どうせこれもお前たちの作戦なんだろう。どこまで岳伯都を侮辱するつもりだ?」

「へえ、あんた、このバカ虎の肩を持つのかい。あんたの方こそ、こいつをけなすのか擁護するのかどっちかにしたらどうだい?」

 藍蝶蝶は吐き捨てるように言い返した。その言葉に李宣はぐっと喉を詰まらせ、それをごまかすように岳伯都に襲いかかる。岳伯都は李宣を軽々といなし、何度もとどめを刺そうとする。

 そのとき、天幕に向かって歩いてくる声と足音が聞こえてきた。岳伯都と李宣ははっと顔を見合わせた――このまま戦い続けるのはまずい、無言のうちに示し合わせた二人は藍蝶蝶の後ろの幕に突進した。藍蝶蝶が「何するんだい!」と叫び、二人はそのまま頭上の木の枝に飛び移る。

「全く、勝手にいなくなったと思ったら」

 すると、静かな苛立ちの声が二人の背後から聞こえてきた。見れば滑らかな額を青筋ででこぼこにした韓凌白がもう一本の枝に乗っている。

「お前!」

 李宣は韓凌白にも飛びかかろうとしたが、岳伯都は慌ててその腰に抱き着いて、いきり立つ彼を押さえつけた――不安定かつ不自然に枝が揺れ、天幕からの注意が一斉に注がれる。

 とっさに韓凌白が猿の鳴きまねをした。それで疑念はとけたのか、天幕からの訝しげな気配は次第に消えていった。

「猿ですか。こんな夜分に珍しいですね」

 不思議そうに切り出した声に、今度は岳伯都が枝から落ちそうになった。

 なんとその声は胡廉の声だったのだ。

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