カイト・ハーンベルク卿の偽りの結婚
霞(@tera1012)
春
カイト、一度目の春
「殿下。どのお嬢様がお好みですか。せめてお見合いを。せめて、釣り書きをご覧ください」
分厚い眼鏡のふちを光らせて、爺さんが迫って来る。
「いやだから……俺、興味ないんだよ、結婚とか……」
「殿下」
爺さんの額に青筋が浮かび上がる。鼻息も荒い。これ以上刺激したら、ぽっくり逝っちまうんじゃねえか、俺は真剣に心配になる。
「爺やは殿下が10のお年の頃からお仕えして参りました。おかわいらしく才気にあふれた坊ちゃまが、どんな奥方をお選びになるのか、爺やはずっとずっと楽しみで……それが、よもやこのようにクソのような草食系にお育ちになるとは……」
よよよ、と泣き崩れるふりをする爺さん。茶番に付き合い続ける日々に、俺はいい加減、忍耐が尽きかけていた。
ふいに、俺はひらめく。この厄介な血の呪いは、俺の人生にどこまでもどこまでも、付いてまわる。俺に、選ばないという選択肢を、選ばせない。だとしたら、構うもんか。どうせ、人生は全て、ギャンブルだ。この積みあがった女の子の束の中から、誰を選ぼうが、行きつく先は知れている。
俺は目の前の紙片をつかみ上げる。
「分かった、……この人に会うよ。いやもう、いいや、結婚する」
爺さんの目がニヤリと底光りする。つまみ上げた紙片に綴られた女性がどんなひとであるのか、その時の俺は知りもしなかった。
*
ネレア、一度目の春
ある日突然、婚約者が死んだ。それを知らされた時、私を襲ったのは、ただひたすらの困惑だった。だって、彼は私の半身だった。突然身体の半分が無くなるなんて、想像したこともなかった。なんだかうまく周りの音が聞こえなくなって、窓の外のひどく青い空を眺めていたことを覚えている。
その時、国中のたくさんの魔術師が死んで、王国は大騒ぎだった。誰も、貴族の小娘ひとりの哀しみになんてかかずらわってはいられなかった。
嫁いでいた姉だけは、頻繁に私に会いに来てくれた。ちゃんと悲しんだほうがいいわよ。姉は私の目をのぞき込んで、何度もそう言ってくれたけれど、私にはその意味がよく分からなかった。
その冬私は、ただぼんやりして日々を過ごした。習い事も放り出して、本を読む気にもならなくて、窓の外をただ眺めていた。ひどく寒く長かった冬が終わり、庭に、花の緑の芽が萌え出ているのが見えた時、突然、胸がずきりとした。彼が好きだと言った花。幼稚舎の子でもあるまいし、好きな花が、チューリップだなんて。瞬間、自分の口から悲鳴のような泣き声が上がるのが聞こえた。私は自分でも驚くくらい、わんわん泣いた。それから、まだ鼻を鳴らしながら、ガンガンする頭を抱えて庭に出て、芽の周りのひ弱な雑草を引き抜いた。庭の小さな花壇は、あっという間にきれいになった。私は、花壇の上にかがんだまま、吐くように泣き続けた。
それから私は、庭いじりに没頭するようになった。土化粧の未亡人。うっかりと使用人が口を滑らせ、自分が王宮の社交界でそんなあだ名で呼ばれているらしいことを知ったが、気にはならなかった。
そうして、いつの間にか、5度目のチューリップが咲いた春、突然その人は、私の前に現れた。
「俺と、結婚してください」
目の前で、近衛隊士の隊服に身を包み、優雅に礼をとるその人――カイト・ハーンベルク卿の言葉に、私はただ困惑する。
「どうして、わたくしなどに」
心からの疑問だった。この方は庶子のお生まれで、王位継承権を返上し、今は臣下の身分となっているが、れっきとした現王のご子息だ。そして、飾りのない笑顔を絶やさぬ性格と、美しい剣さばきで武の道での評判も高く、未婚の貴公子の中でも、王宮の女性陣からの人気は高い。私に結婚を申し込むほど、相手に不自由していようとは思われなかった。
「あなたの父上には、幼少のみぎり、大変お世話になった。……まあ、それもあるが、ぶっちゃけあなたが『土化粧の未亡人』と呼ばれる方だから」
キラキラと明るく感情の読めない黒い瞳を細め、笑顔のままで、聞く人が聞いたら頬を殴られそうな台詞を、その人は私に吐いた。
「結婚は、形だけで結構だ。俺を、好いて下さらなくても、構いません。あなたの身を汚さないことは保証するし、安定した生活は約束できる。あなたにとって、悪い話ではないと思う。俺も訳ありの身で……形式的な、『妻』が欲しいんです」
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