先生

私たちが起床しても両親は寝ているため、私と姉には朝食などない。

学校から帰宅しても、母親はご飯を作るわけではないのだから自分で作らなければ晩御飯もない。


私は朝起きるのが苦手で、起きてすぐに学校に登校するような子供であった。


学校というところは協調性、集団行動といった個人でいることの許されない場所で、とにかく毎日が苦痛だった。


ある日、朝の全校集会でのこと。

体育館に子供が集まり、校長先生の長話を聞かされるイベントで、子供が「卒倒」したのである。


その後の集会でも卒倒する子供はいたのだが、おそらく貧血なのだろう。

そんなことが数回起きたころ、担任のおばあちゃん先生が私に「朝ご飯は食べてきているの?」と聞いてきた。


私は「食べてないです」というと、理由を聞かれたので、両親が夜共働きである事実を話した。


どうやらその当時の私はひどく痩せていたようで、顔も青白く覇気がなかったのだ。


それからは、全校集会のたびにおばあちゃん先生が内緒で、私が集会にいかなくてもいいように給食の配膳室に連れていき、甘いコーヒーを飲ませてくれた。


ふと、幼少のころにハムの塊りやスイカをもらったことを思い出す。

児童の私の記憶の点が線になっていく瞬間である。


私はハムやスイカをくれていたおばあちゃんは、私が可愛いと思って物をくれていたのだと思っていたのだが、先生も似たようなことをしていることを考えると、「子供好き」というよりも「可哀想な子供」に見えているのだと確信した。


先生は私にだけ甘いコーヒーをめぐみ、集会にも出なくていいという特別対応をしていたことですべてがつながったのだ。


しかし、「可哀想な子供」と思われてもよかった。

とにかくそのコーヒーはおいしく、そして意味は違うかもしれないが優しさを感じることができた。


私は今から倍の時間を生きていくことは出来まい。

されどこの年になっても先生の名前、顔、声、服装、そしてあの薄暗い配膳室、今でも鮮明に思い出すことができる。


小学時代の先生の事はその先生の記憶しかない。

恩人というほどの大袈裟なものではないのだろうけど、いつでも取り出すことができる記憶だから、きっと深い感謝があるのだ。


そして時間は流れていき、夏休みがやってくる。

その訪れで、私と姉には新しい生活がはじまろうとしていた。

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