第2話 如月屋

 男の名は、假屋かりや逢魔オウマといった。朝緒はついひと月ほど前から、臨時従業員として如月屋に突然現れたこの逢魔という〝異形殺いぎょうごろし〟の男の監視兼補佐役を任されている。


「おい、これはどういうつもりだ? 逢魔オウマ。てめぇ、クラゲにまで……人間には手ェ出さないんじゃなかったのかよ」

「ああ。だから退いて、アオ」


 逢魔はいつの間にかジャケットの中から二挺にちょうの拳銃を取り出しており、その片方を朝緒の背後に向けた。


「殺すから」

「は!? おい!」


 朝緒は流石に冷や汗を滲ませて、背後にいる弥朔の腕を掴んで後退る。


「うぁ……ふぎゃあ……」


 ふと、朝緒の背後から泣き声がこぼれ出た。

 朝緒は思いがけず瞠目して振り返る。すると、すぐそばにいる弥朔の腕の中には——赤子のお包みが抱かれていた。しかもよく見てみれば、その赤子には小さな、小さな〝からすの翼〟が生えている。


「それは、異形いぎょうだ。人間じゃない」


 逢魔の無機質な声の語気が強まった。

 逢魔が「殺す」と言っているのは、まさか。


「この子は、幽世門かくりよもんのそばでひとり泣いていたところを、あたしが拾ったんです! 害悪異形指定もされていない子ですし……いくらなんでも、殺すなんて」

「殺す」


 弥朔の声を、逢魔の短く凶暴な言葉が遮る。朝緒は弥朔の言葉と、抱かれた赤子の泣き声に揺さぶられるように、逢魔を今にも射殺してしまいそうな視線で睨みつけた。


「殺すしか言えねぇのか? この狂犬野郎が……こいつはまだ、ほんの赤ん坊なんだぞ!?」

「殺す。異形であれば、何であろうと——ぼくは、殺す」


 如月屋を初めて訪れた時から、この逢魔という男はいつもこうだった。事情は知らないが、異常なまでに〝異形〟へと激しい殺意を抱き、「殺す」ことしか考えていない。

 如月屋は異形に関する悩みの種や、問題事を祓う〝祓い屋〟であり、決して〝異形殺し〟の組織ではない。だからこそ、朝緒がこの正真正銘の〝異形殺し〟である逢魔に、ストッパーとしての補佐役を任せられているのだ。

 朝緒はぎしりと歯を食いしばって、赤子を抱く弥朔をさらに後ろへと下がらせる。そして、大股で逢魔のもとへと近寄ると、その胸倉を両手で絞めるように強く掴んだ。


「てめぇは、ぶちのめす」

「邪魔。退いて。——じゃないと、ぶちのめされるのはアオの方」


 朝緒が拳を振り上げるのと同時に、逢魔も拳銃を持った手を鋭く振り上げる。しかし、朝緒の拳は空振り、逢魔の身体は勢い良く後ろへと引っ張られ——二人は引き離された。

 朝緒は瞠目して突如離れた逢魔を見上げる。なんと如月屋の方に引き寄せられた逢魔は、全身を呪符によって縛られ、極め付きには口にまで呪符が三重で張り付けられていた。


「馬鹿者め」


 心底あきれ果てたような声が、長い溜め息と共に吐き出される。


「あ……! 雨音アマネ先生!」

「! ……雨音アマネ

「朝緒。相変わらずの短気と、考えなしの行動は未だ直らんようだな。……何度も言っているはずだ。今のお前が馬鹿正直に逢魔へぶつかりに行っても、手首を捻られただけで終わるぞ」

「うるせぇ。……狂犬には言葉も通じねぇんだよ」


 如月屋の壊れた戸口から出てきたのは、濃色こきいろの着物を身に纏い、白蛇のような印象を受ける糸目の男。男はここ如月屋の店主であり、名を如月きさらぎ 雨音アマネという。逢魔を縛る呪符を操るのは、片手で印を結んだ雨音アマネの仕業であるようだった。


「桃。逢魔をしばいておけ」

「へいへい」


 雨音に次いで、如月屋の中から桃も現れた。桃は雨音の言葉にへらへらと笑いながら頷くと、口も身体も封じられた逢魔へと歩み寄っていった。


「……」

「おまえも懲りんな。そうやって話を聞こうともしなきゃ、頑なに話をしようともしねぇから、五天将ごてんしょうでありながら〝柊連ひいらぎれん〟を追われるんだよ」


柊連ひいらぎれん」とは、〝害悪異形討伐組織柊連合〟という国内最大の国立異形殺し組織を指す。かつて逢魔はこの柊連の最高戦力〝五天将〟の一角を担っていたが、一番の問題児でもあり、現在は上層部の指令無視や、その他さまざまな問題行動の末に謹慎処分を受けていた。そこで、行き場を失っていた逢魔に、昔からのなじみで付き合いの長い〝如月屋〟を紹介したのが桃である。

 桃は逢魔と同じく柊連に属し、史上最年少で五天将候補に選ばれるほどの所謂〝天才〟であった。そのため、桃の異形殺しの御業の実力やフィジカルは、現役の逢魔にも劣らない。

 桃は逢魔の前に立つと、細く短い息を密かに吐き出す。それを見た逢魔は、どこか面白がるような視線で、桃を眼だけで見上げた。

 肩に長大な大刀を背負っていた桃はなんと、その大刀を目にも留まらぬ疾さで振りかぶり、轟音を立てて身動きを封じられた逢魔の頭を地面へと叩きつける。


「どわあああ!? 桃さん、流石にやりすぎでは……」

「……怪物かよ」


 大刀の刃の腹を使ったとはいえ、恐ろしいほどの衝撃が地面まで轟き、地がひび割れた。

 それを目の当たりにした弥朔は驚愕の声を上げ、朝緒は小さく舌打ちを鳴らし、呆れた溜め息を吐く。

 しかし、弥朔の心配はまさに無用であった。

 逢魔は血の一滴も流すことなく、いささか土で汚れたすまし顔で、何事もなかったかのようにすっと立ち上がる。自力で解いたのか、いつの間にか雨音の縛りの呪符も解かれていた。

 無表情が常である逢魔は微かに笑いを含んだ息を漏らし、桃に首を傾げて見せる。


「なに。珍しいな——今日は相手をしてくれるのかい?」

「やだよ。おまえとるの、すげー疲れるし」

「つまらないな。アオは弱くて、もっとつまらないし」

「ああ!? てめぇ、逢魔! ぶん殴るぞ!」


 青筋を立て、また今にも逢魔に掴みかかろうとする朝緒を制し、雨音が手を叩く。


「そこまで。——まずは、弥朔の連れて来たその赤子についてだ。弥朔に詳細を聞きたい。全員屋敷に入れ。場合によっては誰かに仕事を任せる」


 雨音の言葉に弥朔はほっとしたように息を吐き、朝緒は渋々ながらも頷いた。気がつけば桃はすでに屋敷の中へと戻ったようで、その後を追って屋敷の中に目を向けていた逢魔は、鋭い視線を弥朔の腕の中にある赤子へと戻す。

 それをすぐさま察した朝緒は逢魔の目の前に立ちはだかって睨み上げるが、その肩をポンと雨音が軽く一度叩いたあと、朝緒を逢魔から引き離した。


「逢魔、あの赤子も見逃せんか?」

「当然。異形は殺す」

「ならば、丸一日俺の封印術でお前を監禁することになるが……どうする? お前ともなれば、俺の封印術にそう易々と捕まってくれるとも思わん。いったい捕縛に何日かかるかわからんな」


 逢魔はほんの僅かに眉を動かして、しばらく黙り込んだ。


「……きみのかた、嫌いじゃないけど多少面倒だ。今は気が乗らない。その異形は後で隙を見て殺すよ」


 逢魔はそう小さく息を吐く。そして、くるりと朝緒や雨音たちに背を向けると、踵を鳴らして何処ともなく、その場を去っていった。

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