【雨のバラード】
あれは、1971年9月21日の午後1時過ぎであった。
ところ変わって、越智郡玉川町の
事件は、温泉街からうんと離れた場所にある料亭で発生した。
この付近では、雷を伴って1時間に100ミリに相当するし烈な雨が降っていた。
事件は、料亭内の大広間で発生した。
料亭の大宴会場では、結婚披露宴が執りおこなわれる予定であった。
この時、
宴会場は、シュラバと化した。
ことの
そのまた原因は、新郎さんの
新郎さんの
ブチ切れた
…という事であった。
50人の
(ズドーン!!ズドーン!!ギャーッ!!)
大宴会場に、銃声と親族たちのけたたましい悲鳴が響いた。
そんな中であった。
純白の
花嫁さんは、100人の子守女さんたちと一緒に現場から300メートル先に停車している白のニッサンキャラバン(ワゴン車)へ向かった。
花嫁さんは、私の実母のきょうこ(当時19歳)であった。
この時、私・イワマツは実母の
「時間がないわよ!!急いで!!」
ワゴン車に乗っている女性は、花嫁姿の実母を
子守女さんに呼びかけた女性は、私の育てのマァマ(パク・ジナ〜当時26歳)であった。
「大丈夫?」
「くすんくすんくすん…」
(ブーッ!!ブーッ!!ブーッ!!ブーッ!!)
その時であった。
より強烈なブザー音が遠くから響いた。
ブザー音は、ダムの
玉川ダムの上流で、1時間に300ミリのし烈な雨が断続的に降った。
ダム湖の水位が急激に上昇したことに伴って、
この時、実母とマァマが乗っているワゴン車の前に停車していた黒のニッサンパッカードの後ろの席の窓がひらいた。
窓の中から、焼きソバヘアで黒のサングラスをかけている男が顔を出した。
男は、南予の喜多郡の薬問屋『溝端屋』の
子守女さんたちは、実母とマァマが乗っているワゴン車の前後に停車している20台のワゴン車にそれぞれ分乗した。
その後、合計22台の
車22台は、
その後、国道196号線を通って松山市中心部へ向かった。
時は、夜7時半頃であった…
実母とマァマたちが乗っている22台の
置屋は、マァマの妹さんのドナさん(以後、ドナ
置屋には、80人の
通りのスピーカーから、湯原昌幸さんの歌で『雨のバラード』が聞こえていた。
ところ変わって、置屋のあがり口にて…
あがり口付近にある6畳の居間に、水色のふりそでときらびやかな名古屋帯の和服姿のドナ
ドナ
おしろい顔で髪の毛にキラキラのかんざしをつけている和服姿の
「ほな
「きばっていっといで~」
2人の
それから2分後であった。
マァマたち一行が置屋に到着した。
「ドナ、いま着いたわよ。」
「あっ、
「
「
ドナ
その後、一行は22台の
時は、夜8時過ぎであった…
ところ変わって、ホテル奥道後の20畳の和室の宴会場にて…
宴会場には、
お膳で囲まれているスペースで、コンパニオンさんと男性客と
お膳で囲まれているスペースでは、四国松山が発祥の『野球拳踊り』が繰り広げられていた。
掛け軸がかざられているかべの側に、
周囲の席に座っている30人のドスケベジジイどもは、
じゃんけんで負けた方が大きめのマスに入っているヤマタン正宗(日本酒・激辛風味の酒である)を一気にのみほす。
この時、負けてばかりいたジジイがひどく酔った勢いで叫んだ。
「ワシ…酒なんぞいらん!!…脱ぎの野球拳に変えろ!!」
それを聞いた周囲のドスケベジジイどもがチョーシに乗った。
「おお、ええなぁ〜」
「わしも脱ぎがええ〜」
ドスケベジジイどもは、酔った勢いでコンパニオンさんに脱ぎの野球拳おどりを強要した。
コンパニオンさんは、脱ぎの野球拳おどりをイヤイヤ引き受けた。
その後、野球拳おどりが再開された。
この時、コンパニオンさんはじゃんけんに負けてばかりいた。
それから60分後であった。
コンパニオンさんは、白のレースのレギュラーショーツ1枚の姿になった。
コンパニオンさんは、最初はグーじゃんけんに全部負けたので最後まで残っていたレギュラーショーツをドスケベジジイどもの前で脱いだ。
それを見てコーフンしたドスケベジジイどもが、チョーシに乗ってねまきを脱いだ。
その後、お膳に囲まれているスペースに上がり込んだあとコンパニオンさんの身体を押さえつけた。
「イヤ…イヤ…」
「おお、Mカップのものすごくおっきなおっぱいだぁ…」
「ワシもほちい…」
ドスケベジジイどもは、コンパニオンさんのMカップのふくよか過ぎる乳房をむさぼり始めた。
「イヤー!!やめてぇー!!」
「ハア~、長生きできる~…ありがたやありがたや~」
「コラ!!タキノヤ!!ワシにも乳すわせろ!!」
「イヤや〜」
「そんなに乳吸いたいのであればセガレの嫁にたのめ!!」
「嫁、冷たいねん~」
「タキノヤ!!ひとり占めするんじゃねえよ!!」
「そういうミズタヤも、セガレの嫁にたのめや!!」
「おいタキノヤ!!ワシにも乳よこせ!!」
ドスケベジジイどもは、コンパニオンさんひとりをめぐって大ゲンカをくり広げた。
その時であった。
ももけた(ぼろぼろの)腹巻き姿の
「ああ、さよか…ほな、行くわ…」
このあと、溝端屋のダンナと田嶋と小林と山岡は、番頭はんと一緒に宴会場を出た。
ところ変わって、溝端屋のダンナが宿泊している部屋にて…
10畳ひと間の部屋に、溝端屋の
(ガラッ…)
しばらくして、入り口のふすまが開いた。
ふすまが開いたあと、番頭はんの案内で溝端屋のダンナと田嶋と小林と山岡が部屋に入った。
その後、付き人の男がふすまをしめた。
「あっ、だんなさま。」
「ああみなさま、待たせてすまなんだのう。」
溝端屋のダンナたちは、ざぶとんの上にどっかりと腰を下ろしたあと、あぐらをかいた。
部屋にいる付き人軍団の男たちは、窓のカーテンをしめたあと、まくら元で使うスタンドの灯りをつけた。
そして、天井に吊り下げている蛍光灯を消した。
その後、
「ほな、ぼちぼち始めまひょか?」
「へえっ…」
溝端屋のダンナは、宮出さんの横に座っているマァマに声をかけた。
「ジナはん。」
「だんなさま。」
「きょうこちゃんの様子はどないや?」
「はい…女性スタッフさん5人と一緒にとなりの部屋で休んでいます。」
「あっ、さよか…きょうこちゃんの胎内にいる赤ちゃんは(女の子か男の子の)どっちや?」
「男の子です…出産予定日は11月の終わり頃です…」
「ああ、さよか…よし、ほな今のうちに問題を解決させよう。」
溝端屋のダンナは、事務長はんに『例のアレはどうなっているのか?』とたずねた。
「守口。」
「へえっ…」
「例のアレは、どないなってんねん?」
「へえっ、コリンチャンスイワマツキザエモンセヴァスチャンの遺言書とイワマツグループとイワマツ家の財産書は、アメリカ・カリフォルニア州の弁護士さんのケントさんご夫妻が預かってます…ケントさんご夫妻は、アイスランドのアークレイリの大聖堂にて付き人軍団の男たち300人と一緒に待機してます。」
「よし分かった…君波、守口、宮出…きょうこちゃんとジナはんたちを連れて今すぐに旅立て…」
「へえっ…」
このあと、実母とマァマたちは
(ボーッ、ボーッ…)
一行は、翌日の深夜2時頃に三津浜港を出発した防予汽船のフェリーに乗って旅に出た。
それから2時間半後に、一行が乗っているフェリーが柳井港に到着した。
その後、車に乗りかえて国鉄下松駅へ向かった。
(ピーッ、ゴトンゴトンゴトン…)
明け方6時過ぎ、一行は国鉄下松駅から寝台特急あさかぜに乗り換えて博多駅へ向かった。
(ゴーッ)
一行は、その日の午後1時過ぎに福岡空港からソウルキンポ空港行きの大韓航空機に乗って日本から出国した。
そして、韓国から第三国のフィリピンを経由してどこかの国へ向かった。
胎内に私を宿している実母は、ものすごく不安な表情を浮かべていた。
マァマは、実母の肩を抱きながら『大丈夫よ大丈夫よ』と呼びかけていた。
胎内にいる私も、ものすごく不安な気持ちに置かれていた。
心から安心して暮らすことができる国へ行きたい…
心から安心して暮らせる国は…
どこにあるのか…
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